第65話 消灯の次に
初めて繋がった枝は、まだ机の端にあった。
鬼太郎はそれを見本に、新しく折った枝へ黒檀を向けた。
「レパロ」
二つの端が寄り、一本になる。
先の細い方を持ち上げても、接ぎ目は開かなかった。隣へ置き、別の枝でも試す。そちらは少し遅れたが、同じ形へ戻った。
教わった日から、数日が過ぎていた。
一度できた後に失敗した理由を、まだ全て説明できるわけではない。それでも、机の前で構え、折れ口をよく見てからなら、直せる回が増えている。
「それなら、もうできてるんじゃないか?」
向かいのキーノが、本から顔を上げた。
「自分で置いて、準備してからなら、ですね」
鬼太郎は杖を下ろし、紙へ結果を書いた。
かかった時間。枝が動いた向き。繋がった場所。
初めの頃は、繋がったかどうかだけで欄が埋まった。今は、同じ成功でも違う所が見える。
「相手が待ってくださるなら、これでもよいのですが」
「待つ奴を探す方が、難しそうだな」
「ええ。谷では、特に」
キーノは彼の左肩へ目を向けた。
「だからって、速く動けばいいわけじゃないだろ」
「先ほど、杖を戻す方が遅くなりました」
鬼太郎は紙の端へ、そのことも加えた。
急いだ途端、肩まで固めていた。枝を直した後も、先端が接ぎ目へ残る。次に何かが来れば、そこから戻さなければならない。
教科書には、他の呪文も載っている。
数を増やすことには魅力があった。だが、一つ使うたびに手元を見直すのでは、あの大きな牙の前で立ち止まる回数が増えるだけだった。
「今は、光と修復をもう少し揃えます」
鬼太郎は次の枝を置いた。
同じ所へ、同じ向きには並べない。
持ち上げた杖を戻し、目を向け直すところから、もう一度始めた。
◆
繋がった枝を机から取る時、鬼太郎は一本を横へずらした。
直す前は、もう少し右にあったはずだった。
机へ置いた小さな印と、繋ぎ目を見比べる。
枝は元へ戻っている。だが、そこを狙って戻したわけではなかった。
長い方と短い方を折り離し、印の両側へ置く。
「片方を残せれば、戻る場所も変わりそうですね」
「押さえるか?」
キーノが尋ねた。
「手が届かない所でも使いたいので、まずは、そのままで」
鬼太郎は長い方の節を見た。
こちらを元の位置へ残し、短い方が戻る形を考える。
「レパロ」
短い方が動いた。
長い方も少し引かれ、接ぎ目は印より手前で閉じた。
次も直せたが、今度は両方が寄った。
「さっきより、横だ」
「ええ。繋がる方へ気を取られました」
鬼太郎は結果を消さずに残した。
離れた好きな所へ、枝を運ぼうとしているのではない。二つの破片がある範囲で、どこへ戻るかを確かめている。
何度かに一度、長い方がほぼ動かず、短い方だけが寄る回があった。
印へ位置が合っても、その前に長く見ていなければならなかった。
鬼太郎は、かかった時間の欄も埋める。
休憩を挟み、今度は印の上へ薄い木片を置いた。
折れた枝の端が、その両側にある。
「手は出さないでくださいね」
「分かってる」
キーノは本と帳面を自分の側へ引き、机の上を空けた。
最初の木片は、戻る枝に押されて横へ倒れた。
もう一度、向きを変える。次は折れ口の尖った所が木片へ食い込み、枝が閉じきらないまま止まった。
鬼太郎は杖を下ろしてから、その場所を覗いた。
木片の両側へ、浅い傷がある。
「挟まったな」
「ええ。ですが、同じ置き方でも、押し出されることがあります」
枝を離し、傷の位置と向きを描き残す。
繋ぎ目を狙った所へ戻すことと、間の物を逃がさず挟むことは、同じではなかった。
大きな木なら、どう動くだろう。
根元側が残るか、倒れた幹の方へ寄るか。それだけで、自分の立つ場所も変わる。
鬼太郎はまだ試していない大きさを、成功した欄へは書かなかった。
キーノが窓を開ける。風で紙が浮いたので、インク壺で端を押さえた。
「休むんだろ。なら、こっちを聞いていいか」
差し出された『基本呪文集』へ指が置かれていた。
鬼太郎は自分の記録から目を離し、その行を読む。
意味を言い換えると、キーノは紺色の帳面へ短く書き、それから元の文章を読み直した。
「これなら、分かる」
「次の言葉も、確かめますか?」
「今の文を、先に読ませろ」
鬼太郎は返事をせずに待った。
彼女の紙へ、自分が読んだことまで書き込む必要はなかった。
キーノは読み終えると、今度は机の枝へ目を向けた。
「私は、次に先生が来た時、普通に直す所から見てもらう」
「先に試してみませんか?」
「持ち方まで見てからって、言われただろ。お前の手と、私の手は違う」
鬼太郎は自分の右手を見た。長い黒檀と、彼女の細い松では、同じ動きをしても先端の通る所が違う。
「では、その時に」
「今は、聞く言葉を増やしとく」
キーノは帳面を閉じ、別の教科書を開いた。鬼太郎が枝を持ち直した後も、すぐにはこちらを見なかった。
◆
光を強める練習には、小部屋を使った。
向ける壁の前に誰もいないことを確かめ、窓からの光を遮る。キーノは横へ椅子を置き、杖先を正面から見ない向きに座った。
「普通の灯りじゃ、足りないのか?」
「見たい時には、それで十分です。今度は、相手に見せたいので」
鬼太郎は壁へ杖を向ける。
火なら燃やす。風なら押す。その前に目へ光が入れば、顔を背ける僅かな間ができるかもしれない。
照らしたままでは、こちらの位置も見せ続けることになる。
欲しいのは、短い一度だった。
「ルーモス」
白い光が部屋へ広がった。
鬼太郎も目を細めた。
強い白さはすぐ薄れたが、先端には普段の灯りが残っている。
「ノックス」
消してからも、壁の一部が白く見えた。
音も、身体を叩く衝撃もなかった。それでも、紙へ目を落とすと、書いた線が見づらい。
「……今の間に、相手が動きますね」
「お前が見えなくなって、どうするんだ」
「強くする方だけを、考えました」
鬼太郎は視界が戻るまで待った。
横にいたキーノにも、次を始めてよいか確かめる。彼女は杖先を見ていなかったが、壁の反射は避け切れなかったという。
椅子の向きを変え、今度は光量を落とした。
短く灯す。消す。横の、あらかじめ決めた場所へ視線を戻す。
一度は消す方が遅れ、別の回は早く終えようとして光まで弱くなった。
明るくできたことと、その後すぐ動けることは違う。
鬼太郎は紙に、残った光と、自分が見失った場所を書いた。
「毎回、これで驚いてくれるとは限らないぞ」
キーノが言った。
「次は目を閉じるかもしれない」
「ええ。見せるなら、最初に意味のある使い方をしたいですね」
杖先を下ろした。
谷へすぐ向かう理由が、一つ増えたわけではない。部屋の中でも、自分の失敗がこれだけ見つかった。
◆
左肩の重さがなくなったのは、それからさらに日を置いた朝だった。
鬼太郎は階段を下り、川まで歩き、戻ってから腕を上げた。
捻っても、以前の痛みは戻らない。
その日の夜も、翌朝も同じだった。ようやく、動く前に傷の場所を数えずに済む。
門の近くで荷を下ろしていたサーシェスが、その様子を見ていた。
「戻ったか」
「ええ。今日は、少しずつ動いてみます」
「犬に会いに行くんじゃねえのか」
「今伺っても、前の続きになりそうですから」
鬼太郎は黒檀を右手へ持った。
左手を開き、「アギ」と唱えて小さい火を灯す。消すまでの間に、右手の杖先が少し下がっていた。
サーシェスの目も、そこへ向いている。
「今のも、直したいのです。時間を取っていただけますか」
「俺の用が済んでからだ。短い時間ならな」
「条件を相談しましょう」
場所と時間、報酬を決めた。
学校の契約へ、追加の授業が自動でつくわけではない。男の町仕事を空けさせず、戻っている時間から一部を買った。
練習場所では、先に銃へ弾が入っていないことを二人で確かめた。弾薬は動作の邪魔にならない別の場所へ置く。火を向ける先も、立つ所も決めておく。
鬼太郎は右手に杖を持ち、左を空けた。
「そいつを見てる相手に、次は何を見せる?」
サーシェスが杖先を指す。
「呪文が来ると思っていただければ、他を出せるでしょう」
「思わなかったら?」
「こちらの動きも、見られますね」
「やってみろ」
鬼太郎は杖を左手へ渡し、右腰のケストレルへ手を伸ばした。
「そこまでだ」
まだ銃を抜いていない。
サーシェスが、こちらの右肩を指した。
「持ち替える時に肩が引けた。次に右手で何か出すって、よく見える」
「相手が、杖だけを見ていれば」
「俺は見てねえ。俺に見えてる動きは、他の奴にも見えてるぞ」
鬼太郎は手を戻した。
杖を持ったまま右手で銃は抜けない。左から右腰へ回すことも考えられるが、長い杖を右手へ残したまま、身体の前を別の腕が横切る。
今まで右手で覚えた抜き方が、そのまま使える話ではなかった。
まずは杖を持ち替え、空いた利き手で抜く。
その間、左手は杖で塞がる。火も雷も出せない。
サーシェスは横へ回り、もう一度同じ動きをさせた。
「速くする前に、どこを動かさなくて済むか探せ。急いで上着へ引っ掛けても、相手は待たねえ」
鬼太郎は腰のホルスターと、左手へ渡す杖の位置を確かめた。
長い黒檀の先が、自分の服へ触れた。
もう一度、戻る。
杖を目立つ所へ持つことはできても、隠しておきたい動きまで、今の身体は一緒に見せていた。
「銃を知っている方なら、なおさらですね」
「知ってる奴も、知らねえ奴もいる。都合のいい方だけ選んで組み立てるなよ」
鬼太郎は頷き、開始位置へ戻った。
銃を抜き、標的へ向け、下ろす。
戻してから、杖を右へ持ち直す。
魔法を使わず、その順番だけを繰り返した。
◆
ボリスが次の荷を運んできた時、門の内側へ置こうとして、キーノに止められた。
「そこは空けとく。こっちだ」
ポートキーの到着場所だった。
男は理由を聞かず、指された所へ荷を下ろす。
頼んだ品と、届かなかった物の説明、釣銭を先に確かめた。それから森の側が渡す素材を広げる。
抜けた鱗、糸、決めた範囲で採った薬草。
ボリスは糸の束へ湿りがないか見てから、布を掛け直した。
「欲しがる者が増えた」
「前より、多くですか?」
「同じ物が次も入るか、量を増やせるかと聞かれた。勝手な約束はしていない」
「採れる量は、買い手の都合では増えませんからね」
鬼太郎は明細を受け取った。
紙の下には、尋ねられた品と、別の質問も書かれていた。
「どこで取れるか、ですか」
「そこを、しつこく聞いた者がいる。仕入れ先は場所を明かさない、と答えた」
「それだけでしたか?」
「連れが、森へ入る道の話をしていた」
鬼太郎は顔を上げた。
「入る日を決めているのでしょうか」
「知らん。人数も、何を持っていくかも分からない」
ボリスは紙の空いている所を指した。
「そこまで聞いたわけじゃない。書けば、お前は知ってる話だと思うだろ」
「ええ。区別していただけると助かります」
鬼太郎は紙を自分の記録へ挟んだ。
相手がどれほど強いかは、まだ何も分からない。森へ来る者へ期待しても、こちらの練習が済むまで待ってもらえるわけではなかった。
キーノは素材の数を確かめていた。男が包み終えるのを待ち、余った布を取り分ける。
「砦の場所も、教えてないんだな」
「ああ。住んでいる連中の居場所もだ」
ボリスは鬼太郎へ目を戻した。
「何か分かれば、次に持ってくる」
「聞くために、こちらの場所を教える必要はありませんよ」
「分かっている」
男は荷を持ち直し、門を出た。
鬼太郎は、その背を見送りながら紙を畳んだ。
森の外で動いている話は、まだ、ここへ足を踏み入れた者の姿ではない。
確かめるものを取り違えないよう、別にしておいた。
◆
次の短い練習では、サーシェスが鬼太郎の後ろを指した。
「逃げるのは、そっちだったな」
「ええ」
「今の火が、そこにある」
鬼太郎は左の掌を下ろした。
決めた所へ小さなアギは出せた。だが、次に右へ動くつもりで、その場所へ火を置いている。
杖を使う。反対の手から火を出す。
そこまで通すことに気を取られ、自分の足へ、もう一つの邪魔を作っていた。
「相手を止める前に、僕が止まりますね」
「お前だけが避けてくれるなら、向こうは楽だろうな」
鬼太郎は地面の印を見直した。
別々なら使える力を、続けて使う。
ただそれだけで、視線も足の位置も変わる。両手から火と風を出した時に止まった足は、杖を持っただけで軽くなりはしなかった。
今日は、強い光を使わない。
普段の明るさで灯し、消して、次へ動く。自分が何を出したかより、終えた後にどこへいるかを確かめる。
「もう一度、お願いします」
「まだ時間はある。やれ」
鬼太郎は右手に黒檀を持った。
「ルーモス」
白い灯りがつく。
「ノックス」
消えた直後、左へ動いた。空いた左手を向け、小さなアギを決めた土の上へ出す。
火が土の上で消えるのを見てから、杖を左へ渡す。
右手でケストレルを抜き、標的へ向けた。
途中で手元を見なかった。杖の先も、地面へ落ちていない。
ただ、最後の一歩で、足幅が少し狭くなっていた。
「今のは、途中で止まらなかったな」
サーシェスが言う。
「ええ。足は、まだ直せそうです」
「次に同じようにできるか、だ」
鬼太郎は銃を下ろした。
戻し、杖を右へ持ち直す。
次も同じようにできると、先に数えない。最初の二度だけ動いた身体を当てにして、三度目に岩へ打たれたことは、まだ覚えている。
今日は、新しい傷を増やさずに、その先を確かめられる。
鬼太郎の口元が少し上がった。
木陰へ戻ろうとしていたサーシェスが、それを見た。
「嬉しそうじゃねえか」
「ええ。直す所が、分かりましたから」
男は笑い、懐中時計へ目を落とした。
鬼太郎は残っている時間を尋ね、もう一度、開始位置へ歩いた。
灯りは、つけた後に消す。
その先にも、まだ動けるようにする。
黒檀の先を上げる時、次に置く足の場所も、今度は見えていた。