神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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古い銃は、次の翼を待つ

 

第六十四話 古い銃は、次の翼を待つ

 

 

 ブルガリアへ戻って最初に向かったのは、焼けた家でも、これから拠点にする森でもなかった。

 

 石畳の端に、細い雨水の跡が残っている。

 

 古い壁の色も、坂の向きも、鬼太郎の記憶にあるものと大きくは変わっていない。変わったのは、道を歩く自分の目の高さだった。

 

 六歳の頃には見上げていた窓が、今は少し近い。

 

 それでも、まだ大人の高さには遠かった。

 

「こっちで合ってるのか」

 

 隣を歩くキーノが聞いた。

 

「ええ」

 

「地図を見てない」

 

「以前、何度も通いましたから」

 

「三年以上前だろ」

 

「道が一本増えていますが、それ以外は同じですね」

 

 鬼太郎は分かれ道で迷わず右へ曲がった。

 

 後ろから、サーシェスの笑い声がついてくる。

 

「英国じゃ、宿から三本先の路地まで印をつけてたくせにな。自分の庭じゃ随分と雑じゃねえか、坊主」

 

「迷った時のために、帰り道は記録していますよ」

 

「迷う気はあるらしい」

 

「知らない道も増えていますから」

 

 戻った、という言葉は使わなかった。

 

 この町に家はない。

 

 父と母を焼いた場所も、この先ではなかった。

 

 ただ、英国へ渡る前に仕事を受け、銃を習い、身体を鍛えた町だった。

 

 覚えている道が残っている。

 

 それだけで十分だった。

 

 表通りを外れ、古い倉庫が並ぶ一角へ入る。

 

 油と金属の匂いが、閉じた扉の隙間から流れていた。

 

 鬼太郎は足を止めた。

 

 看板は、以前と同じ場所に掛かっている。

 

 文字は褪せていたが、扉の蝶番は新しくなっていた。

 

「ここ?」

 

 キーノが作業場を見上げる。

 

「僕の銃を作った方の工房です」

 

「六歳の時に?」

 

「ええ」

 

 キーノは扉と鬼太郎の上着を見比べた。

 

 上着の下には、〈シュライク〉がある。

 

「子供に銃を作る奴なのか」

 

「必要な銃を、使う方の身体に合わせて作る職人ですよ」

 

「それを、普通は子供に銃を作る奴って言うんじゃないのか」

 

「本人に聞いてみてはいかがです?」

 

 鬼太郎は扉を叩いた。

 

 一度目には、返事がなかった。

 

 二度目の途中で、中から金属を置く音がした。

 

「閉まってるのが見えねえのか」

 

 扉越しに、低い声が飛んでくる。

 

「見えていますよ、ペタルさん」

 

 しばらく、何の音もしなかった。

 

 やがて錠が外れる。

 

 扉が半分だけ開き、油で汚れた指が縁を掴んだ。

 

 ペタル・ヴァルチェフは、最初に鬼太郎の顔を見た。

 

 次に上着の右側へ目を落とした。

 

 最後に、背後の二人を見た。

 

「……生きてたか」

 

「お久しぶりです」

 

「何年だ」

 

「三年半ほどですね」

 

「数える顔じゃなくなったな」

 

「まだ九歳ですよ」

 

「そういう意味じゃない」

 

 ペタルは扉を広く開けた。

 

「入れ。そっちの二人もだ。だが、作業台の物には触るな」

 

 サーシェスが工房の奥へ目を走らせる。

 

 吊られた工具。

 

 鍵のかかった棚。

 

 壁際に置かれた細長い箱。

 

 窓は小さく、裏口は一つ。

 

「ずいぶん警戒してる店だ」

 

「銃を扱う店で、誰でも棚を開けられる方が好みか」

 

「いや。気に入ったぜ」

 

「なら、目だけで見ろ」

 

 ペタルは作業台の上を片づけた。

 

「出せ」

 

 何を、と聞く必要はなかった。

 

 鬼太郎は〈シュライク〉を抜いた。

 

 銃口を人のいない床へ向け、弾倉を外す。薬室を確かめ、抜いた弾と弾倉を別にしてから、作業台へ置いた。

 

 ペタルは銃より先に、その手順を見ていた。

 

「忘れてはいないらしいな」

 

「何度も使いましたから」

 

「見れば分かる」

 

 〈シュライク〉を持ち上げる。

 

 滑り止めとして巻かれた革を見て、ペタルの眉間に皺が寄った。

 

「これは誰がやった」

 

「僕です」

 

「いつからだ」

 

「一年ほど前から、少しずつ」

 

「少しずつ誤魔化した、の間違いだ」

 

 革を外す。

 

 露わになった握把へ鬼太郎の手を重ねさせた。

 

 小指の位置。

 

 親指の付け根。

 

 引き金へ指を伸ばした時の角度。

 

 六歳の時には収まっていたものが、今は僅かずつ外へ押し出されている。

 

「撃てはする」

 

 ペタルが言う。

 

「当てもするだろう。だが、銃に身体を合わせ始めてる」

 

「同じことを、英国の職人にも言われました」

 

「それで巻いたのが革か」

 

「すぐに戻れませんでしたから」

 

「壊す前に戻ったなら、まだましだ」

 

 ペタルは〈シュライク〉を分解した。

 

 部品が、乾いた音を立てて布の上へ並ぶ。

 

 汚れは少ない。

 

 細かな擦れはある。

 

 火と煙の中を通り、床へ落ち、魔法で弾かれ、それでも致命的な歪みを残さず戻ってきた。

 

 ペタルは一つずつ光へ翳した。

 

「手入れは誰に教わった」

 

「ペタルさんですよ」

 

「英国で、余計なことを吹き込まれなかったか」

 

「いくつか別の方法は見ました。使えるものだけ取り入れています」

 

「素直じゃないところも変わってねえ」

 

「素直にお答えしたつもりですが」

 

 鼻から短い息が漏れた。

 

 笑ったのか、呆れたのかは分からない。

 

 キーノは作業台の端から、並んだ部品を見ている。

 

「壊れてるのか」

 

「いや」

 

 ペタルは手を止めずに答えた。

 

「こいつは使える。撃つだけなら、まだ何年か撃てる」

 

「なら、新しいのはいらない?」

 

「要る」

 

 答えたのは鬼太郎だった。

 

「撃てることと、今の身体に合っていることは別ですから」

 

 キーノが鬼太郎を見る。

 

「お前、自分のことになると、そういうところだけ細かいな」

 

「キーノさんの杖も、合うものが必要でしょう」

 

「今は銃の話だ」

 

「同じですよ」

 

「同じじゃない」

 

「道具が持ち主を選ぶかどうかの違いです」

 

 キーノは言い返しかけ、作業台の〈シュライク〉へ目を戻した。

 

「……それは、どうするんだ」

 

「予備として持ちます」

 

「捨てないのか」

 

「捨てる理由がありません」

 

 金で買った道具だった。

 

 同じ金を払えば、同じものが手に入るわけではない。

 

 六歳の身体に合わせて作られた、最初の一挺。

 

 代えが利かないから残す。

 

 それ以上の説明は必要なかった。

 

 ペタルは最後の部品を置いた。

 

「新しいのが欲しいなら、測り直す。三年前の数字は使わん」

 

「そのつもりで来ました」

 

「急ぎか」

 

「森へ入る前には」

 

「何日後だ」

 

「銃が完成した後です」

 

 ペタルの目が上がった。

 

「急がせる気はない、ってことか」

 

「急いで使えないものを受け取る方が、時間の無駄でしょう」

 

「金は」

 

「あります」

 

「三年前より高いぞ」

 

「三年前より稼ぎました」

 

 ペタルはようやく口の端を上げた。

 

「なら、手を出せ」

 

     ◆

 

 測られたのは、手の大きさだけではなかった。

 

 指の長さ。

 

 手首の太さ。

 

 肘を曲げた時の位置。

 

 片手で構えた時と、左手を添えた時の肩の高さ。

 

 抜銃してから狙いへ移るまでの動き。

 

 三年前と同じ項目もあれば、増えたものもある。

 

「左手は何に使う」

 

 ペタルが聞いた。

 

「空けておくことが多いですね」

 

「炎か」

 

「炎だけではありません」

 

 ペタルの手が止まる。

 

「増えたのか」

 

「少しだけ」

 

「銃へ混ぜるなよ」

 

「その予定はありません」

 

「お前の炎が何なのか、俺は知らん。ほかにも増えたなら、なおさらだ」

 

「分からんものを銃へ近づけるな」

 

「覚えておきます」

 

「守れ」

 

「ええ」

 

 返事を聞いてから、ペタルは次の数字を書いた。

 

「森で何を撃つ」

 

「まだ決まっていません」

 

「決めずに銃を頼みに来たのか」

 

「密猟者、武器を持つ人間、森にいる生物。それに、普通ではない力を使う者が来る可能性もあります」

 

「幅が広すぎる」

 

「森自体、初めて入りますから」

 

 キーノの視線が横から刺さった。

 

 鬼太郎は気づいたが、何も言わなかった。

 

 ペタルは紙へ鉛筆を置いた。

 

「距離は」

 

「木々の間です。遠距離より、近距離から中距離が多いでしょう」

 

「雨と泥は」

 

「避けられません」

 

「隠して歩くか」

 

「町では。森では抜きやすさを優先します」

 

「連射は」

 

「数を撃つより、相手が杖を振る前の一発を重く見ます」

 

 ペタルの鉛筆が止まった。

 

「杖?」

 

「短い棒です。振ることで、火や光を放つ。人や物を弾くことも、防ぐこともあります」

 

 冗談だとは思わなかったらしい。

 

 ペタルは鬼太郎の左手を一度見てから、紙へ視線を戻した。

 

「お前の炎と同じものか」

 

「仕組みは別です。ただ、普通ではない力という点では似ていますね」

 

「そんな連中が、森にいるのか」

 

「いる可能性があります」

 

「どれくらい振る」

 

 鬼太郎はキーノを見た。

 

 キーノは腰から杖を抜き、何もない床へ先端を向けた。手首を返し、短く振る。光は出さない。

 

「相手と使うものによる。今のは短い方だ」

 

「声は」

 

「出す者が多いです。ですが、出さずに使う者もいます」

 

「何が起きれば、弾が止まる」

 

「杖の先に防壁を作られた後です」

 

「なら、その前に抜いて撃つ必要がある」

 

「ええ」

 

 ペタルは鬼太郎を作業台から二歩下がらせた。

 

「三度抜け。狙いは壁の染みだ」

 

 空の〈シュライク〉を戻し、合図に合わせて抜く。

 

 一度目。

 

 二度目。

 

 三度目。

 

 ペタルは銃口ではなく、上着の裾と握把が離れる瞬間を見ていた。

 

「大きくしすぎれば、ここで遅れる。銃身も長くできん。握把は今の手へ合わせるが、服に引っかかる出っ張りは減らす。重心も手元から離しすぎない。ホルスターの角度も、抜く動きに合わせる」

 

 壁際から、サーシェスが口を挟んだ。

 

「重くしすぎるな。坊主は前より育ったが、まだ九歳だ。初弾の後に銃口が戻らねえなら、森じゃ枝に食われる」

 

 ペタルの目が、サーシェスへ動く。

 

「撃つのか」

 

「人よりはな」

 

「見るだけにしろと言った」

 

「触ってねえだろ」

 

「口まで閉じろとは言ってなかったな」

 

 サーシェスが歯を見せた。

 

「気に入ったぜ、職人」

 

「俺は気に入らん」

 

「そりゃ残念だ」

 

 言葉とは違い、二人とも楽しそうだった。

 

 ペタルは鬼太郎へ向き直る。

 

「今の話は正しい。大きくはできる。だが、大きくすればいいわけじゃない」

 

「お願いします」

 

「先に値段を決める」

 

 紙へ数字が書かれた。

 

 材料。

 

 加工。

 

 採寸と調整。

 

 専用のホルスター。

 

 試射に使う弾薬。

 

 〈シュライク〉の分解点検と、摩耗した小部品の交換。

 

 項目ごとに分けられている。

 

 鬼太郎は合計だけではなく、その内訳を読んだ。

 

「試射後の再調整は含まれていますか」

 

「一度までだ。それ以上は、俺の作りが悪いなら取らん。お前が注文を変えるなら別だ」

 

「完成予定を過ぎた場合は」

 

「材料が届かない時は、その日に言う。俺が仕事を遅らせたなら、待たせた日数分を最後から引く」

 

「分かりました」

 

 前金を数え、作業台へ置く。

 

 ペタルも、その場で数え直した。

 

「十日後に一度来い。握りと引き金の位置を合わせる。完成は、その後だ」

 

「承知しました」

 

「その間、古い方は置いていけ」

 

「武器なしで歩けと?」

 

「そっちの男が、飾りじゃなければ困らんだろ」

 

 サーシェスが喉の奥で笑う。

 

「護衛を頼むなら別料金だぜ、坊主」

 

「必要な時にはお支払いしますよ、サーシェスさん」

 

「今は必要ねえのか」

 

「町を歩くだけなら」

 

「可愛げのねえ客だ」

 

「お二人とも、話すなら外でやれ」

 

 ペタルは分解した〈シュライク〉へ視線を戻した。

 

「俺の仕事が進まん」

 

     ◆

 

 十日は、待つだけの時間にはならなかった。

 

 鬼太郎は三人が別々に使える仮の寝床を取り、英国から運んだ品を確認した。

 

 拡張鞄の三区画に崩れはない。

 

 本は濡れていない。

 

 弾薬にも異常はない。

 

 食料と水、防寒具、縄、薬、紙、油を、すぐ使うものと予備に分ける。

 

 森へ近づく前に、町で補えるものは補う必要があった。

 

 サーシェスは数日姿を消した。

 

 戻った時には、マグル側の仲介人が二人、魔法界の品も扱う買い手が一人、以前と同じ場所にいると分かった、とだけ報告した。

 

「仕事もあるぜ」

 

「受けるのですか」

 

「条件を聞いてからだ。お前に雇われてる最中じゃねえからな」

 

「ええ。ただし、銃が完成したら予定どおり森へ向かいます」

 

「俺の仕事待ちで遅らせる気はねえよ」

 

「でしたら、問題ありません」

 

「少しは引き止めろよ」

 

「断るのでしょう?」

 

 サーシェスは笑いながら、椅子へ身体を預けた。

 

「分かってきたじゃねえか」

 

 キーノは、鬼太郎からこの国の文字と貨幣の違いを習った。

 

 英国で覚えた文字と同じものもあれば、違うものもある。

 

 店の看板を一人で読めず、最初の日は露骨に機嫌を悪くした。

 

「また最初からか」

 

「全部ではありませんよ。数字は同じです」

 

「値段だけ読めても、何を売ってるか分からない」

 

「では、必要なものから覚えましょう」

 

「英国でも同じことを言った」

 

「役に立ったでしょう?」

 

「それが腹立つ」

 

 それでも、キーノは紙を返さなかった。

 

 出口。

 

 危険。

 

 毒。

 

 薬。

 

 森。

 

 最初に覚える語は、英国の時とよく似ていた。

 

     ◆

 

 十日後、作業場の台には、まだ銃の形をしていない金属が並んでいた。

 

 鬼太郎は削りかけの握把を右手へ収める。

 

「強く握るな」

 

 ペタルが言う。

 

「抜く時と、撃つ時の力で持て」

 

 鬼太郎は指の力を抜いた。

 

 引き金へ人差し指を伸ばす。

 

 近い。

 

「あと少し前ですね」

 

「どこが当たる」

 

「ここです」

 

 親指の付け根を示す。

 

 ペタルが鉛筆で印をつけた。

 

 次に、仮の重りを加えた状態で腕を伸ばす。

 

 重心が〈シュライク〉より僅かに前にある。

 

 扱えない重さではない。

 

 だが、長く狙えば九歳の肩が先に疲れる。

 

「これ以上は前へ出さない方がいいでしょう」

 

「理由は」

 

「最初の一発には問題ありません。二発目へ戻す時に、今の身体では遅れます」

 

「左手を使えば」

 

「戻せますが、左手を空ける意味がなくなります」

 

 ペタルは頷き、重りを一つ外した。

 

 サーシェスは後ろから口を出さなかった。

 

 代わりに、鬼太郎の肩と手首だけを見ている。

 

 キーノは壁際の椅子に座り、削られていく握把と、何度も同じ動きを繰り返す鬼太郎を見ていた。

 

「前の銃も、こうやって作ったのか」

 

「もっと時間がかかった」

 

 答えたのはペタルだった。

 

「手が小さすぎた。力も足りん。既製品を削れば、撃つ前に壊れる。だから最初から作った」

 

「どうして作った」

 

「金を払ったからだ」

 

「六歳の子供が?」

 

「銃がなければ、こいつは炎だけで仕事へ行った。合わない銃をどこかで拾うより、俺が作った方がましだった」

 

 キーノは鬼太郎を見る。

 

「お前、昔から変わってないんだな」

 

「三年半で別人になる予定はありませんでしたから」

 

「そういう意味じゃない」

 

 ペタルが手を止めた。

 

「同じことを言われてるな」

 

「今日は二度目ですね」

 

「数えなくていい」

 

 キーノとペタルの声が重なった。

 

 サーシェスが、とうとう声を上げて笑った。

 

     ◆

 

 完成までに、さらに八日かかった。

 

 最後の日、ペタルは銃を布へ包んだまま、作業台へ置いた。

 

 その横には、整備を終えた〈シュライク〉がある。

 

 鬼太郎は先に古い銃を手に取った。

 

 革は外され、握把は元の姿へ戻っている。

 

 作動を確かめる。

 

 以前より軽く動く場所が一つあった。

 

「交換したのですか」

 

「摩耗してた小さい部品だけだ。ほかは触ってない」

 

「ありがとうございます」

 

「礼は金に入ってる」

 

 鬼太郎は〈シュライク〉を拡張鞄の通常品区画へ収めた。

 

 弾薬とは分け、すぐ取り出せる位置へ固定する。

 

 それを見届けてから、ペタルが布を外した。

 

 新しい銃は、〈シュライク〉より一回り大きい。

 

 ただし、大人用の銃をそのまま縮めた形ではなかった。

 

 鬼太郎の今の手に合わせた握把。

 

 指が無理なく届く引き金。

 

 抜いた時に前へ落ちすぎず、発砲時には跳ね上がりを抑えられる重心。

 

 濡れた手でも滑りにくく、衣服にも枝にも引っかかりにくい外側。

 

 森で使うという条件が、見た目より先に形へ入っていた。

 

 鬼太郎は右手で握った。

 

 馴染む。

 

 〈シュライク〉を初めて持った時のように、失われた記憶が押し寄せることはなかった。

 

 戻るものがないのではない。

 

 銃の扱いは、もう今の鬼太郎自身の中にある。

 

 新しい重さを測る。

 

 手首を返す。

 

 銃口を下げ、上げる。

 

 抜銃の角度を確かめる。

 

「どうだ」

 

「よいですね」

 

「それじゃ分からん」

 

「右手だけで狙いへ移れます。重心も、確認した時より近い。撃ってからでなければ分からない部分はありますが」

 

「なら、撃て」

 

     ◆

 

 試射場の土は、前日の雨を吸っていた。

 

 木板へ新しい紙が張られている。

 

 キーノはペタルから渡された耳当てを両手で押さえた。

 

「これでも聞こえるのか」

 

「聞こえますよ」

 

「意味ないじゃないか」

 

「耳を傷めにくくするものです。音を消すものではありません」

 

「先に言え」

 

「今、言いました」

 

「撃つ前に、だろ!」

 

 まだ一発も撃っていない。

 

 鬼太郎は訂正せず、射線の先を確認した。

 

 人はいない。

 

 標的の背後には土が盛られている。

 

 サーシェスは少し離れた横へ立ち、腕を組んでいた。

 

 ペタルが弾を渡す。

 

「最初は三発だ」

 

「少ないな」

 

 サーシェスが言う。

 

「身体と銃がずれてりゃ、一発で分かる。分からん奴に十発撃たせても、弾が減るだけだ」

 

「違いねえ」

 

 鬼太郎は弾を込めた。

 

 一発目。

 

 発砲音が、土壁の間で跳ね返る。

 

 銃口が上がる。

 

 〈シュライク〉とは反動の伝わり方が違うが、握りの中で暴れない。

 

 弾痕は中心から僅かに右下。

 

 鬼太郎は手首ではなく、肩と肘の位置を直した。

 

 二発目。

 

 中心の右。

 

 三発目。

 

 二発目のすぐ近くへ穴が開いた。

 

 撃ち終えても、手首に痛みはない。

 

 指の付け根も擦れていない。

 

 鬼太郎は弾倉と薬室を空にし、銃口を下げた。

 

「もう三発」

 

 ペタルが言った。

 

「最初は三発では?」

 

「今の三発で、お前が銃に合わせた。次は銃がお前に合ってるか見る」

 

「分かりました」

 

 今度は、正面で静止したまま撃たなかった。

 

 木箱の陰へ一歩入り、銃を下げる。

 

 そこから半身を出し、上げて一発。

 

 再び隠れ、位置を低くして一発。

 

 最後は左手を空けたまま、右手だけで撃った。

 

 三つの穴は、最初の三発より狭い範囲に収まった。

 

 ペタルは標的より先に、鬼太郎の手を見た。

 

「痛みは」

 

「ありません」

 

「無理に握ったか」

 

「いいえ」

 

「なら、持っていけ」

 

 作業場へ戻ると、専用のホルスターが待っていた。

 

 上着の下へ隠す位置と、森で外へ出して使う位置。その両方へ付け替えられる。

 

 鬼太郎は残金を支払った。

 

 ペタルは数え終えると、新しい銃を見た。

 

「〈シュライク〉は、身体の小さいお前が、自分より大きな獲物を殺す銃だった」

 

「ええ」

 

「今度は、地面を走るだけじゃ足りん」

 

 太い指が、銃の側面を一度叩く。

 

「止まって見える鳥がいる。空で風を受け、狙う場所を変えず、獲物が動けば落ちる。小さい鷹だ」

 

「ケストレル」

 

 サーシェスが先に言った。

 

 ペタルが、気に入らなそうにそちらを見る。

 

「知ってたか」

 

「銃だけじゃなく、鳥も少しはな」

 

「では、〈ケストレル〉ですね」

 

 鬼太郎が言う。

 

「俺がつける前に決めるな」

 

「違いましたか?」

 

「……それでいい」

 

 キーノが新しい銃を見る。

 

「また鳥なのか」

 

「次も、その次もな」

 

 ペタルは答えた。

 

「こいつが生きて、身体に銃が追いつかなくなればだが」

 

「でしたら、また来ますよ」

 

「先に、その銃で生き残れ」

 

「ええ」

 

 鬼太郎は〈ケストレル〉をホルスターへ収めた。

 

 右手を下ろせば、すぐ届く。

 

 〈シュライク〉より大きく、今の自分には軽すぎず、重すぎない。

 

 次の身体へ移るまでの銃だった。

 

     ◆

 

 翌朝、三人は町を出た。

 

 目的地は、森に最も近い町。

 

 そこから先の道は、鬼太郎にも分からない。

 

 拡張鞄には、整備を終えた〈シュライク〉が眠っている。

 

 右腰には、〈ケストレル〉の重さがある。

 

 小さな百舌鳥は、鬼太郎を西の霧まで運び、数え切れない血と火薬の夜を越えて、再びこの国へ戻った。

 

 次の翼が向かう先には、地図へ形を描けないほど広い森が待っている。

 

 そこに何が棲み、誰が入り込み、何を奪っているのか。

 

 鬼太郎はまだ知らない。

 

 知らないからこそ、確かめる価値があった。

 

 

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