神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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七人目の足跡

第66話 七人目の足跡

 

 吊った三枚の布のうち、右の一枚が揺れた。

 

 鬼太郎は杖を向けかけ、止めた。動いた布を目で追う間に、中央の布が裏返っている。さっきまで見えていた印は、その向こうだ。

 

「今、撃たなかったのは?」

 

「場所を覚えていただけでした。あそこに、まだあると思って」

 

 ダンブルドアは杖を下ろした。三枚の布が、ばらばらの高さで静まる。

 

「では、もう一度。今度は動かす順番も変えよう」

 

「正解したときくらい、同じにしていただけませんか」

 

「敵に頼んでみるかね」

 

 鬼太郎は笑い、立つ位置を変えた。

 

 校長が来る日は、毎日ではない。来ない日は、教わったことを自分で試し、失敗した箇所を残した。キーノも隣で本を開くが、彼の手つきを真似て済ませようとはしない。尋ねたいことができると、銀の留め金の手帳へ書く。鬼太郎に聞くことと、教師へ確かめることを、彼女なりに分け始めていた。

 

 小枝を直す練習は、太い枝へ進んだ。

 

 折れたまま朽ちかけた倒木でも試したが、近くで折れ口を確かめ、どの向きへ戻るのかを考えるだけで時間が掛かる。木片を噛ませる試みは、同じ枝なら以前より早くなった。枝を取り替えると、また木片が押し出された。

 

 太いものを直せることと、目の前で動く相手に間に合わせることは、まだ繋がっていなかった。

 

 灯りの強い発光は、一度だけ明るくして消すところまで整ってきた。顔を背ける角度を変えれば、自分の目に残る白さも減る。ただし、壁のある部屋と暗い土の上では違った。どこでも同じように使えるつもりにはなれない。

 

 サーシェスが戻っている日には、短い稽古を買った。

 

 右手の杖を左へ渡し、空いた右手で腰の〈ケストレル〉を抜く。銃だけを早く出そうとすると、杖を受ける左手が身体の前へ残った。そこを指で弾かれ、鬼太郎はやり直した。

 

「撃つ前に自分の手を撃つ気か」

 

「それは、かなり困ります」

 

「困ってからじゃ遅えんだよ」

 

 撃鉄も引かず、弾を外した銃で繰り返す。その日は上手くできても、翌日は上着に長い杖先を引っ掛けた。

 

 身体の内側に残る力にも、変化があった。よく眠り、同じ程度の火や風を出して比べると、前なら切り上げたところから、まだ余裕がある。出し方が無駄でなくなっただけではなかった。

 

 それでも、残りを全部使い切る試し方はしなかった。

 

 谷から戻った夜、椅子へ座るにも手を借りたことを、身体はまだ覚えている。

 

     ◆

 

 門の脇へ石を運んできたゴブリンが、荷を下ろす前に足を止めた。

 

「ここの石は、いつ動かす」

 

 彼が指したのは、帰還用に空けてある場所だった。キーノが門から顔を出す。

 

「そこには置けない。こっちなら空いてる」

 

「先に言え。持ち直すのは手間だ」

 

「まだ下ろしてないだろ」

 

 ゴブリンは鼻を鳴らし、示された方へ荷車を押した。川沿いの道が崩れたので、いつもの場所から石を運べなかったという。

 

 鬼太郎は折れた枝を片づけ、門まで出た。

 

「遠回りになりましたか?」

 

「北を通れれば短い。だが、糸を切って通れとは言われてない」

 

「あそこは、ミラに話したわ」

 

 後から来たヴェリナが、石の山へ目を向けた。

 

「境の外側だけ。荷車を入れるなら、先に知らせてほしいそうよ。水場の手前も、道を塞がないようにって」

 

「だから、今日は背負って来た」

 

 ドワーフが背中の籠を揺すった。

 

 鬼太郎がいない間に相談は済んでいた。ミラの住処の中まで通ってよいことにはならず、崩れた道を誰が直すかも決まっていない。

 

「石は、頼んだ分だけですか」

 

「余りもある。いるなら、その分は別だ」

 

「では、先に数えさせてください」

 

 鬼太郎がしゃがむと、ゴブリンも隣へ腰を下ろした。話の途中でヴェリナは、勝手に積まれた薪を持ち主に退けさせた件を伝えた。退けた先でも揉めたらしく、ドワーフが口を挟む。

 

 誰もが同じ考えで動くわけではない。それでも、道を使えないことを、石が届かないまま待つまで知らずに済んだ。

 

 鬼太郎は石の数を確かめながら、次に荷車を通す日を聞いた。

 

     ◆

 

 入学まで、およそ一月になった頃だった。

 

 ボリスが運んできた話は、前より具体的になっていた。森へ入る支度をしている者がいる。網と捕獲箱を揃えている。ただし、出発したか、何人いるかまでは分からない。

 

 その日の午後、南の道で人間を見たという知らせが届いた。

 

 最初は四人。別の場所で二人を見た者がおり、後で四人と合流したという。川の東へ進んでいる。杖を持ち、畳んだ網と金具のついた箱を運んでいた。

 

「六人は見た。でも、それで全部とは言ってないわ」

 

 ヴェリナは、鬼太郎の前へ地図を広げた。

 

「今も見ているんですか?」

 

「近づかずに済むところだけ。住処へ向かわれたら知らせる、と」

 

 鬼太郎は川を指で辿った。砦の門まで待てば、自分たちには迎えやすい。しかし、そこへ来るまでに、相手は幾つも住処の近くを通る。

 

 サーシェスは地図より先に、窓の外を見た。

 

「俺も出るなら、今日の分は別だぞ」

 

「ええ。回収した物の分け方も、先に」

 

 二人が条件を詰める間に、キーノは紙を取った。聞いた場所の横へ、見た時刻と、知らせが届いた時刻を別に書く。

 

「後から聞いた方が、新しい話とは限らないだろ」

 

「お願いします。僕たちが動いた場所も、戻ったら足します」

 

「それも仕事に入れるぞ」

 

「分かっています」

 

 彼女は紙の隅へ自分の分を書き、地図を寄せた。

 

 出発を待っていた小人は、二人を川の手前まで案内した。砦から一息で届く距離ではない。濡れた窪みを避け、枝の間を抜けるうちに、鬼太郎の上着の裾にも土がついた。

 

 道が川へ下るところで、別の小人が待っていた。

 

「後ろに、もう一人いた」

 

 鬼太郎は足を止めた。

 

「六人とは、離れて?」

 

「少し後ろ。六人が止まると、そいつも止まった。杖があって、荷は小さい」

 

 見た場所を聞くと、先の六人と同じ道へ入ったという。

 

「砦へも伝えてください。この先は、僕たちで見ます」

 

 小人たちが去ってから、サーシェスが銃を持ち直した。

 

「後ろを見る奴を別に置いたか」

 

 鬼太郎は低い枝を潜り、その向こうに動く背中を探した。

 

 六人目の後ろには、まだ木しか見えなかった。

 

     ◆

 

 網を担いだ男が、前の者へ詰まりかけた。

 

「固まるな。逃げるとき、その荷が邪魔になる」

 

 離れていた七人目が、木陰から声を掛ける。男は舌打ちしたが、一歩退いた。

 

 鬼太郎は斜面へ伏せ、最後の男を見た。六人が足跡を探す間にも、そちらは周囲へ目を配っている。時々振り向く方向も、いつも同じではない。

 

 帰りまでの護衛を頼んだはずだと、箱を運ぶ男が文句を言った。七人目は、ならば荷を捨てる指示にも従えと返した。

 

 鬼太郎の隣で、サーシェスが唇を歪めた。

 

「あいつだけ、話が分かってる」

 

「最初に狙えますか?」

 

「木から出りゃな。出なけりゃ、見えてる方からだ」

 

 鬼太郎は下へ回る場所を指した。射線を跨がないよう、互いの動く範囲を確かめる。

 

 六人が荷を下ろした先には、折れた倒木が横たわっていた。鬼太郎は折れ口へ目を留めたが、片側は茂みに埋もれている。どこを戻せばどう動くか、ここからでは確かめられない。

 

 杖を身体へ寄せ、木の根を選んで斜面を下りた。

 

 護衛が幹へ隠れたとき、最初の銃声が響いた。

 

 網を置いた男が倒れる。隣の男が杖を抜き、二発目で後ろへ崩れた。

 

「荷を捨てろ! 木へ寄れ!」

 

 護衛の声に、箱の取っ手が放された。

 

 鬼太郎は左の掌を向けた。

 

「アギ」

 

 合流しようとした二人の間へ火が走る。湿った土を越えた炎に片方が足を止め、もう片方が倒木へ逃れた。火の勢いが尽きるのを横目に、鬼太郎も立つ場所を変える。

 

 箱を捨てた男が彼を見つけた。小さな身体を見た驚きが、怒りへ変わる。

 

「そこだ!」

 

 杖が胸へ向く。鬼太郎は横へ踏み出し、左手を相手の手元へ向けた。

 

「ブフ」

 

 指と袖口を霜が覆った。男の腕が痛みに跳ね、放たれた呪文が鬼太郎の後ろの地面を抉る。相手が杖を握り直すところへ、続けて雷を放った。

 

「ジオ」

 

 男の膝が折れた。倒木から突き出された別の杖を見て、鬼太郎は走る。上からの銃声で、その腕も幹の向こうへ落ちた。

 

 残る二人は、近くの木へ逃げ込もうとしていた。

 

 その奥から、護衛の杖先が動いた。

 

 鬼太郎は足の向きを変える。次に踏むはずだった根元で、土が跳ねた。

 

 今いた場所を狙われたのではない。

 

 彼は幹の裏へ入り、短く息を吐いた。

 

「固まるな、二人で逃げろ!」

 

 足音が離れ、斜面の銃声も位置を変えた。

 

 鬼太郎は木の端から、護衛の腕を捉えた。「アギ」と唱えると、男は炎を避けて幹の反対へ回る。そのまま別の側から杖を出した。

 

 樹皮が弾けた。

 

 鬼太郎は頬を伏せ、次の木へ走った。火の向こうで待っているだけの相手ではなかった。

 

 男は倒木を越える方へ一度目を向けたが、そこへは進まない。低い茂みを抜ける間、上体が見える。その反対側を、鬼太郎が先に取った。

 

 男が防護を張った。

 

 鬼太郎の火を受け、幹の陰へ戻ると光が薄れる。次の瞬間には、彼が移ろうとした場所へ呪文が来た。

 

 鬼太郎は踏み出すのを止め、木の裏へ肩を戻した。

 

 ちらりと見えた男の脇腹が、まだそこにある。

 

 あと二歩寄れば、よく狙える。

 

 鬼太郎は上げかけた掌を下ろした。身体を晒しているのに、男の肩は動かない。杖を持つ腕だけが、その下に隠れていた。

 

 一歩退く。

 

 光が薄い枝を折り、出るはずだった場所を抜けた。

 

 折れた枝が靴の前へ落ちる。鬼太郎は、それを跨がず横へ回った。

 

 取りたいと思う隙を、相手から置かれた。

 

 口元が少し緩んだ。だが、そこへ火を返すのはやめた。男も既に、場所を変えている。

 

 呼吸は速い。内側の力は、まだ残っていた。

 

 鬼太郎は自分の退く場所を確かめ、男の左右を見比べた。右は二本の木が近く、大人が抜けるには肩を捻る。左は広く、先に隠れられる幹もある。

 

 右側の手前へ火を送り、続けて左手から短い「ザン」を通す。枝葉が裂け、男は防護を張って左へ移った。

 

 鬼太郎は追って真っ直ぐ走らず、次の幹の右側が見える位置へ回った。

 

 男が隠れる。防護の光が薄れた。

 

 鬼太郎は右手の黒檀の杖を上げた。

 

 男の顔と腕が出る。杖先が彼の胸へ向いた。

 

「ルーモス」

 

 顔を伏せ、木の暗い側へ視線を逃がす。

 

 白い光が一度だけ溢れ、消えた。

 

 音も衝撃もない。目の端には、鬼太郎にも薄い白さが残った。男の腕が身体へ引かれるのを見届けると、彼は幹へ身を寄せ、杖を左手へ渡した。受けた手を胸の近くへ引き、右手を腰へ下ろす。

 

 男の声がした。攻撃の続きではない。防護へ切り替えようとしている。

 

 〈ケストレル〉を抜き、鬼太郎は横へ一歩出た。

 

 幹の裏へ引こうとする上腕が、見えた。

 

 防護が形を持つ前に撃つ。

 

 男の腕が落ち、杖先が土へ触れた。幹へ背を擦りながら沈んだ身体を、銃口で追う。空いた手が杖へ伸びたところへ、二発目を撃った。

 

 その手が止まった。

 

 鬼太郎は近寄らず、構えを保った。背後で銃声が一つしたが、振り返らない。木々の間へ、決めていた口笛が渡ってくるまで待った。

 

     ◆

 

 七人を確かめ終える頃には、汗が冷え始めていた。

 

 ジオを受けた男には、まだ息があった。杖へ戻そうとする手を押さえ、鬼太郎が銃を使った。

 

 サーシェスは周囲を見渡してから、彼の上着へ目を戻した。

 

「怪我は」

 

「ありません。そちらは?」

 

「ねえよ。あの木から出かけたときは、食らうかと思ったぞ」

 

「僕も、出たくなりました」

 

「脚から持ってかれてたな」

 

 鬼太郎は折れた枝を見た。男の脇腹が、今も目に浮かぶ。

 

「次に同じものを見ても、迷いそうです」

 

「迷えりゃ、まだマシだ」

 

 銃を右腰へ戻し、左手の杖を右へ持ち直す。周囲を見ている役を交代してから、拾う物へ手を伸ばした。

 

 七本の杖を集め、金と書類を持ち主ごとに分ける。小瓶は開けずに包んだ。捕獲箱の中は空で、網にも生き物は入っていなかった。

 

 護衛を雇った短い書付が、六人の一人の荷から見つかった。帰路までの金額が残っている。

 

 鬼太郎は目を通し、元の男の所持品へ戻した。

 

「六人のつもりで来なくて、助かりましたね」

 

「後ろを空けてりゃ、あいつに使われてたぞ」

 

 小人の待つ境まで戻り、七人全員の場所と、もう近づけてよいことを伝えた。重い箱を運ぶ仕事は、引き受けられる者へ別に頼むことにした。

 

 砦へ帰ると、キーノは追加の知らせを書いた紙を広げていた。

 

「七人目が見えたのは、ここで合ってるか」

 

 鬼太郎は地図を覗き、自分たちが確認した場所を足した。先に届いた話より、後から聞いた話の方が古い。二つの印の順番を入れ替えると、男たちの通った線が繋がった。

 

「終わった?」

 

「ええ。荷は、後から届きます」

 

 彼女は地図を寄せ、机を空けた。

 

「知らせがもう一つ来た。お前たちが行った後、川の向こうへ人は渡ってないって」

 

「誰が見ていましたか?」

 

 キーノが伝えた相手と場所を、鬼太郎は紙の端へ残した。七人で全部だったと決めるには、まだ足りない。それでも、帰り道で何を確かめればよいかは変わる。

 

「後で聞く方も、私の仕事だろ」

 

「ええ。その分も一緒に」

 

 彼女は自分の書いた額を直し、紙を裏返した。

 

「じゃあ、先に手を洗え。そこも泥だらけだ」

 

 鬼太郎は紙へ伸ばしかけた指を見て、その手を引いた。

 

 夕方、荷の仕分けと取り分の話を終えてから、練習の記録を開いた。

 

 修復呪文は使わなかった。折れ口を確かめられなかった倒木の形を描き、その横へ理由を短く残す。発光した場所には、相手が防護を解いた位置と、自分が杖を持ち替えた場所も書き添えた。

 

 光だけで倒せたのではない。男が木の陰に残っていたら、撃つ腕は見えなかった。

 

 頁を戻すと、北の谷の記録があった。

 

 白い境界と、砕けた木。人間とは違う速さで迫った牙。

 

 鬼太郎は筆を置き、肩をゆっくり回した。どこも痛まない。身体の奥には、帰ってからも力が残っている。

 

 今日の男を動かせた順番を、そのまま持っていくつもりはなかった。

 

 それでも、出しかけた一歩を引けた感触は、まだ足にある。

 

 彼は窓の外へ目を向けた。北へ続く道は、暮れかけた木々に隠れている。

 

 今度は、あの牙をどこで待てるだろう。

 

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