第6話 生きている方が高い
銃の部品を拭き終えたころ、ペタルがようやく答えた。
「肉。卵。乳。豆。それに野菜も食え」
鬼太郎は布を止めた。
「量は?」
「腹を壊さない程度だ。食って眠れ。一晩では大きくならん」
「知っていますよ」
「なら、銃より先に自分を壊すな」
鬼太郎は磨いた部品を返した。ペタルが組み上げる間、自分の右手首を見た。
動かせる。それでも、角度によって痛んだ。
次の仕事を一つ受けるために、この先しばらく銃を持てなくなるのは割に合わない。鬼太郎は数日、射撃を休むことにした。
食事も変えた。空腹を消すだけでなく、身体を作るものを選ぶ。食堂で皿を見ていると、店の女に、嫌いなら残していいと言われた。
「いいえ。どれから食べるか考えていただけです」
味が嫌なわけではなかった。食べてすぐ腕が太くなるなら分かりやすいが、そうはいかないらしい。
歩き、走り、疲れたところで休む。仕事の合間に続けても、翌日には同じ距離で息が上がった。
それでも、食事と同じようにやめなかった。
痛みが消えたあと、ペタルの前で三発だけ撃った。穴は近い場所へ集まり、手首にも痛みはなかった。
鬼太郎が銃を下ろすと、ペタルが言った。
「まだ撃てるぞ」
「今日は三発だけでしょう?」
「覚えていたか」
「忘れたふりをすれば、もう少し撃たせていただけましたか?」
「銃を預かっていたな」
「では、覚えていてよかったです」
鬼太郎は〈シュライク〉を置き、右手を開いた。今度は、震えていなかった。
◆
買い手の机に、一枚の写真が置かれた。
四十歳ほどの男だった。短い髪に平らな鼻。左の眉を横切る傷がある。
「イヴァン・コストフ。運び屋と殺し屋をしていた」
鬼太郎は写真を手に取った。
「何をしたのです?」
「依頼人の金と品を持ち逃げした。追ってきた二人を殺している」
「取り戻すものもあるのですね」
「まず隠し場所を聞きたいそうだ。お前の噂を聞いて、こちらへ話を持ってきた」
鬼太郎は写真から顔を上げた。
以前は、自分から仕事を求めていた。今度は、見知らぬ依頼人が鬼太郎を使いたがっている。
買い手が紙へ数字を書いた。
生きて渡した場合と、死体だった場合。額は大きく違った。
「生きている方が高いのですね」
「口が利けなければ、隠し場所を聞けん」
「でしたら、生きたままお渡ししましょう」
「簡単に言うな」
「無理なら殺します。報酬は出るのでしょう?」
「減るがな」
鬼太郎は二つの数字を見直した。高い方へ手を伸ばすつもりはあるが、それで自分が死んでは意味がなかった。
「依頼人から受け取るのは、こちらだ」
買い手が別の額を書き、その下から仲介料を引いた。
「随分と取りますね」
「依頼人を見つけ、金を取り立て、仕事が終わったか確かめる。その手間も込みだ」
「僕が直接お会いすれば、その分は残りますか?」
「信用のない六歳児へ仕事を渡す人間を、自分で探せるならな」
鬼太郎は写真を机へ戻した。
「今は、あなたを通した方が早そうです」
「そういうことだ」
「では、運ぶ方もお願いします。僕には持ち上げられませんから」
買い手は引き出しから、金属の拘束具を出した。
男を動けないようにしたあと、場所を知らせれば部下が回収する。鬼太郎はその手間も仲介料に含まれることを確かめた。
「居場所は?」
「最後に見られた地区までだ。その先は探せ」
写真と拘束具を鞄へ収め、鬼太郎は依頼を受けた。
◆
イヴァンが見られたのは、街の東側だった。
工場で働く者が多く、安い食堂と宿が並んでいる。鬼太郎は最初に一度歩き、人の集まる通りと、裏へ抜ける路地を見た。
夕方、食堂で煮込みを注文した。
皿を運んできた女へ、写真を見せる。
「この方をご存じありませんか?」
「誰だい」
「母の知り合いです。頼まれて捜しています」
「お母さんは?」
「体調がよくありませんので」
女の目が、鬼太郎の顔から鞄へ動いた。
「子供一人を歩かせるなんてねえ」
その不満へは答えず、写真を見てもらった。二、三日前に来た気がすると言われたが、帰った先までは分からなかった。
ほかの店でも、同じように尋ねた。
母のために人を捜す子供だと思われると、追い返されにくかった。写真を一目見るだけだった者が、隣の店へ聞いてみろと教えることもある。
鬼太郎は礼を言い、次へ向かった。
写真を見せる前に、相手の言葉も聞いた。よく客の顔を覚えている者もいれば、見ていないと言いながら、写真へ長く目を留める者もいる。
そこで急かすと、話は途切れた。鬼太郎が黙って待つと、何日前だったかと考え直してくれることがあった。
火を見せれば、誰でも何かを話すかもしれない。だが、知らない男の行き先を、炎で思い出させることはできなかった。
二日目、商店の主人が、写真の男へ食料を売ったと話した。
出ていった裏口から路地をたどり、宿の並ぶ通りへ出る。鬼太郎は向かいの階段へ座り、パンを食べながら出入りを待った。
夕方、左眉に傷のある男が現れた。
イヴァンだった。
男が角を曲がってから、鬼太郎も腰を上げた。
近づきすぎないように追ったが、イヴァンは妙な歩き方をした。店へ入っても何も買わず、反対の出口へ抜ける。通りでは窓ガラスを見ている。
背後に映る者を確かめているのだろう。
鬼太郎も歩く道を変えた。荷車が通ればその向こうへ入り、男が止まれば店先で足を止める。
イヴァンは宿へ戻らず、人通りの途切れた道を進んだ。
古い公衆浴場へ入り、扉を開けたままにする。
鬼太郎は離れた場所で止まった。
隠れる人間が、入口を開けて待つだろうか。
中は暗く、外からは何も見えない。中にいる者には、入ってくる相手がよく見えるはずだった。
鬼太郎は正面へ向かわず、建物の裏を調べた。
◆
裏口は板で塞がれていた。
壁の下にある換気口は、格子が外れかけている。両手をかけて引くと、小さく鳴った。
鬼太郎は手を止め、中の音を聞いた。
誰も来ない。
さらに引き、格子の片側を外した。鞄を押し込み、身体を横にして通る。
古い石鹸と湿った埃の臭いがした。
物置の扉から先を見ると、割れた浴槽や低い仕切りが並んでいた。二階には細い通路が残り、正面入口を見下ろしている。
あそこから撃つつもりなのだろう。
裏から入れたからといって、イヴァンを見つけたことにはならない。
鬼太郎は先に、物置へ戻る扉の位置を覚えた。中を見回す間、入口から離れすぎないようにする。
鬼太郎は拘束具を取り出して腰の後ろへ挟み、鞄を背負った。〈シュライク〉を抜き、浴槽の陰へ移る。
頭上で靴音がした。
「正面から来ると思ったが」
鬼太郎は返事をしなかった。
「子供にしては、よく考える」
銃声が響き、近くの浴槽が欠けた。
位置はまだ正確には分かっていない。鬼太郎は低いまま、隣の仕切りへ移った。
二発目が、先ほどいた場所へ当たる。
「買い手のところのガキだな。火と小さな銃の噂を聞いた」
「もうご存じでしたか」
答えた直後、また場所を変える。弾丸が空の浴槽を叩いた。
「あなたには賞金がかかっています」
「いくらだ」
「ご自分の値段が気になりますか?」
「安かったら、気分が悪い」
「生きている場合と、死んでいる場合で違いますよ」
短い沈黙があった。
「生け捕りか」
「できれば」
イヴァンが笑った。
「なら、お前は撃てない」
「死んでいても、お支払いはあるそうです」
笑い声が止まった。
◆
靴音が階段を下り始めた。
二階にいても、浴槽の間へ隠れた鬼太郎は見えない。正面から入らなかったために、待ち伏せの位置が役に立たなくなったのだろう。
足音は裏口へ向かった。
鬼太郎は左手を開いた。
出口の前に、剥がれた壁材と古い布が積まれている。男へ直接火を当てれば、話を聞けなくなるかもしれない。
「アギ」
火球が壁材を砕き、布へ火が移った。
赤い光が浴場を照らす。イヴァンが足を止め、炎へ一発撃った。
「本当に火を出すのか」
「噂をお聞きになったのでしょう?」
イヴァンは火へ進まず、浴槽の並ぶ方へ戻った。
鬼太郎は銃を両手で支えた。仕切りの隙間へ照準を合わせる。
男がどちらへ身体を出すかは、見えていた。だが、脚を狙うには、もう少し待つ必要があった。
影が伸び、先に靴が出る。
鬼太郎は引き金を絞った。
イヴァンの脚から血が散り、男が片膝をついた。
それでも銃は手に残っていた。
鬼太郎は照準を上げた。胸へ向ける。
イヴァンの手が止まった。
男の指は、まだ引き金へかかっていた。
鬼太郎は胸から狙いを外さず、両腕を支えた。握る力を強めすぎると銃口が揺れる。動かなければ撃たない、という自分の都合を、相手が守る保証もない。
あと一度、手を動かされれば撃つ。そのときに迷わないよう、男の顔ではなく銃を持つ手を見た。
「床へ置いてください」
「断ったら?」
「次は殺します」
「生きている方が高いんだろう」
「ええ。ですから、これ以上、値段を下げさせないでください」
イヴァンは鬼太郎の顔を見ていた。
鬼太郎は銃を下げなかった。引き金へ指をかけたまま、男の手を見る。
助けたいわけではない。
余分に得られる金と、自分が撃たれる危険。そのどちらを取るか、イヴァンの動き次第だった。
やがて、男が銃を置いた。
「足で、こちらへ」
床を滑ってきた銃が、仕切りの手前で止まる。
鬼太郎はすぐに近づかなかった。
「上着も脱いでください」
「脚を撃たれているんだぞ」
「急いでいただかなくても結構です。手だけは、見えるところへお願いします」
上着を脱ぐ途中で、内側に硬いものの膨らみが見えた。
イヴァンは鬼太郎の視線に気づき、動きを止めた。
「何か、出し忘れましたか?」
「上着を脱げと言ったのは、お前だ」
「ええ。そのまま床へ置いてください」
男はゆっくり上着を置き、言われる前に足で遠ざけた。
鬼太郎は拘束具を取り、床へ滑らせた。壁際には太い配管が通っている。
片方を右手首へ、もう片方を配管へかけさせた。
「自分でつけろっていうのか」
「僕が近づけば、あなたは僕をつかめますからね」
男は鬼太郎をにらんだが、金属の輪を閉じた。
「そのまま、壁の方を向いてください」
イヴァンが身体を回す。鬼太郎は自由な左手を見ながら進んだ。手の届く距離へ入ると、大人の背中は、膝をついていても大きかった。
正面から取り押さえようとしていれば、先に腕をつかまれていただろう。
鬼太郎は銃を向けたまま距離を詰め、拘束を確かめた。床の上着を調べると、小さな拳銃とナイフが出てきた。
どちらも男の手が届かない場所へ置く。
「用意がいいな」
イヴァンが言った。
「あなたも、二つ目をお持ちでしたね」
「俺は仕事で必要なんだ」
「僕もですよ」
鬼太郎は男の脚を見た。血は出ているが、意識ははっきりしている。
長く待たせる理由はなかった。
◆
裏口の火を消してから、鬼太郎は浴場を出た。
待ち合わせた通りで、買い手の部下へ知らせる。二人は武器を持ち、鬼太郎の案内で中へ入った。
イヴァンは、配管につながれたままだった。
「生きているな」
部下の一人が顔を確かめた。
「その方が高いそうですので」
男たちは鬼太郎から鍵を受け取り、拘束をつけ直した。イヴァンを左右から支え、立ち上がらせる。
男は運ばれる前に、鬼太郎を見た。
「お前、本当にガキか」
「身体は、そうですね」
イヴァンが何か言いかけたが、部下に歩かされた。
鬼太郎はあとへ続いた。銃を撃ったのは一発だけだったが、長く構えたために腕は疲れている。
それでも、手首に痛みはなかった。
殺すだけなら、アギを直接当てれば済んだかもしれない。だが、今夜はそれをしないために考え、道具も用意した。
その分だけ、高い方の報酬が残った。
イヴァンを乗せた車が遠ざかるまで見送り、鬼太郎は右腕を下ろした。
さっきまで近くにあった男の呼吸は、もう聞こえない。鬼太郎は男が待ち伏せていた二階の通路を一度見上げ、鞄の肩紐を直した。
翌日、買い手の机に金が並んだ。
「依頼人は満足している。隠し場所を聞ける状態だったそうだ」
鬼太郎は金額を確かめた。
「僕が言ったとおり、生きていましたか?」
「疑っていたわけじゃない」
「確認と信用は別でしたね」
買い手は鼻を鳴らした。
金は、約束された額だった。鬼太郎は鞄へ収める。
「依頼人がお前を見たがっていた」
「お会いしてもよかったのですが」
「今は必要ない」
鬼太郎は買い手の顔を見た。
間にいれば、次も仲介料を取れる。依頼人と直接つながれば、鬼太郎がここへ来なくなるかもしれない。
「しばらくは、こちらを通した方が僕にも都合がよいでしょうね」
「しばらくは、か」
「ええ」
買い手は話題を変えた。
「呼び名ができたぞ」
「誰のです?」
「お前だ。火を出すガキ、小さな銃を持った悪魔。最近は、ガキの賞金稼ぎとも呼ばれている」
鬼太郎は少し考えた。
「その名前で、お仕事は増えますか?」
「増えるだろう」
「では、覚えておきます」
「気に入ったのか」
「呼ばれて振り返る必要がありそうですから」
買い手が低く笑った。
◆
数日後、机には三人分の写真が並んでいた。
鬼太郎は、最も報酬が高いものへすぐに手を伸ばさなかった。
相手が見られた場所、生死の条件、移動に必要な日数。それぞれを聞き、一枚ずつ戻していく。
最後に、三枚目の写真へ指を置いた。
「こちらをお願いします」
「理由は?」
「西の町ですね」
「報酬なら、そちらの方が高い」
買い手が別の写真を示した。
「お金だけで選ぶつもりはありません」
鬼太郎は、選んだ依頼書の場所を見た。
英国は、さらに西にある。
仕事先で、その先へ進む道を知る者に会えるかもしれない。少なくとも、ここに座って待つよりは、探せる範囲が広がる。
「行き先を選べるようになったのでしたら、行きたい方へ近づこうと思いまして」
買い手は写真の並びを見てから、選ばれた一枚を机の中央へ寄せた。
鬼太郎は椅子へ座り直した。
今は、この街を捨てるつもりはない。銃を作る男も、仕事を持ってくる男も、ここにいる。
だが、戻る場所があることと、同じ場所に居続けることは、別だった。