第69話 次の荷を待つ人
キーノは、箱へ戻しかけた天秤をもう一度取り出した。
片側の皿に小さな分銅を載せ、反対へ別の分銅を置く。傾いたままの皿を見て、首を捻った。
「揺れなくなるまで、待つのか」
「机が傾いていなければ。少し、こちらへ置いてみましょう」
鬼太郎は本を脇へ寄せた。天秤を移すと、キーノは皿へ触れずに待った。それから重さの違う分銅を取り替える。
「混ぜてから、量が違ったと分かっても遅いな」
「ええ。僕たちの鍋で、先に試してみたいですか?」
「何を入れるかも、まだ教わってないだろ」
キーノは鬼太郎を見てから、分銅を箱の決まった窪みへ戻した。
「傷と枝のことも、先に聞く。校長が来たら忘れるなよ」
「そちらは、僕も伺いたいですね」
窓の外で、車輪が石の継ぎ目を越えた。
鬼太郎が顔を上げるより先に、小人が門の内側から手を振った。川沿いの道へ落ちた枝は、荷車が通る前に端へ寄せたという。
「罠じゃない。石を運ぶ方にも、もう言った」
「では、僕が行かなくても大丈夫ですか」
「もう済んだ」
小人はそう答え、天秤を覗き込んだ。キーノが箱へ戻す手を止め、二枚の皿を見せる。
鬼太郎は窓から身を離した。
今日は、道の様子を聞きに行く必要が一つ減った。その時間で、机の上に残っていた取引の紙へ目を通せる。
紙には、次にボリスが来る日が記されていた。
◆
南の受渡し場所からボリスを案内する日は、前もって知らせておいた。
グロブニクが顔を確かめるまでは、途中で一人にしない。通る道も変えず、荷を運んで来た者を、知らせもなく森の奥へ入れた形にはしなかった。
鬼太郎は門の内側へ台を出した。横には、ボグダンがいる。
彼は台の下へ薄い木片を入れ、揺れを止めてから紙を広げた。前に未使用の金具と工賃を別に数えさせたときと、同じ手つきだった。
ヴェリナは、品を出す者へ順番を確かめている。薬草の籠を持った小人は、湿った葉を別の布へ移した。
「今日は、あんた一人じゃないんだな」
ボリスが荷を下ろし、台の向こうを見た。
「僕が学校へ行っても、受け渡しを続けたいので。ボグダンさんに確認していただきます」
ボグダンは鬼太郎の説明が終わると、鱗を挟んだ布を開いた。
ボリスは手を止める。
「一枚、持ってもいいか」
「端だ。曲げるな」
指示された場所を掴み、光へ透かす。縁に裂けはなく、無理に剥がした跡もなかった。
「前と同じ買い手へ出せる。包みも、このままでいい」
「何枚、持っていく」
ボグダンは、ボリスが選んだ分を数えた。残す包みと重ならないように離し、紙へ印をつける。
糸の包みには、ミラが紐を掛けていた。彼女は巻きの内側を見たいというボリスの問いに、ほどいてよい長さを示した。
「そこまでだ。戻すときに、強く引くな」
ボリスはその分だけを伸ばし、指先で湿りを確かめた。
「これくらい乾いていれば、運ぶ間も傷みにくい。次も、同じように頼めるか」
「雨が続けば、待て」
「それでいい。傷んだものを早く貰っても、売れないからな」
ミラは糸の戻し方を見てから、ボグダンへ包みの数を告げた。鬼太郎へ許可を求める声はなかった。
薬草では、ボリスの羽根ペンが止まった。
次に欲しい量を言うと、小人が籠を抱え直したのだ。
「そんなに採れば、次が生えない」
「では、出せるのは?」
小人は今日の籠と、その半分ほどの高さを手で示した。いつも同じ場所から同じ量を持ってくる約束はしないとも言った。
ボリスは書いた数字を消す。
「足りない分を、俺が採りに行く話にはしない。出せるだけを知らせてくれ。買い手には、それで話す」
鬼太郎は、手を出しかけた布を引いた。
小人とボリスはまだ話している。採った日をどう伝えるか、乾いていない葉を一緒に詰めないこと。自分が間に入って言い直す必要はなかった。
◆
品の扱いが決まってから、鬼太郎はボリスを台の端へ呼んだ。
「この間の、森へ入る支度をしていた方々ですが」
帳簿へ掛かった指が止まる。
「来たのか」
「六人と、別に護衛が一人。全員、戻りません」
鬼太郎は重い包みを脇へ寄せ、地図を広げた。ボリスの目は、その手元に留まっていた。
「護衛までか」
「ええ。あの方は、ほかの六人より手間が掛かりました」
包みを確かめていたときと、声は変わらなかった。
ボリスは口の中を一度湿らせた。町では、まだ帰りが遅いだけだと思っている者もいるだろう。別の狩場へ移ったのか、荷が多すぎて動けないのか、その程度の噂も出る。
その答えを、目の前の子供は知っていた。
「それから、今後はグロブニクさんも、砦の近くと、こちらへ続く道を見ることになりました」
「北の谷の?」
「お名前をご存じでしたか」
「近づかない方がいい、という話はな」
ボリスは地図を見た。名前だけでも、狩り手の態度が変わる相手だった。今はそれが、荷を運ぶ道へ出てくる。
「止められたら、来た目的を話してください。急ぐからと脇へ抜けたり、杖を向けたりしないように。確認できなければ、その日は引き返していただくこともあります」
「荷が約束の日に届かなくなるぞ」
「ですから、来る方と日を先に知らせたいのです。別の人を連れてくるときも。道を変える必要があれば、その前に」
ボリスは、今日案内された線を指で辿った。
「買い手も、ここへ入れるなということか」
「素材の出所を見たいだけなら、お断りしてください。住処へ勝手に入らない。自分で狩らず、人を雇って狩らせない。これまでのお約束も、同じです」
「分かってる」
「あなたには、次の荷も運んでいただきたいのですよ」
鬼太郎は地図から顔を上げた。
ボリスも頷き、北の谷へ向かう線には手を置かなかった。
◆
最初にここの品を見たとき、ボリスは自分が生きて帰れるかを考えていた。
今は、次の荷をどの店へ先に持っていくかを考えている。
素材を手に入れるための狩り手を雇わずに済む。捕らえられなかった損や、傷つけて値を落とした分を取り戻す必要もない。本や道具を頼まれれば、別に渡された実費で仕入れる。
運ぶ手間も、売るまでに掛かる金もある。それを払っても、前より手元へ残った。
台の向こうで、ボグダンが受け取る物資の包みを数えている。糸を持ってきた相手は、乾かないうちに寄越せと言えば断る。薬草の小人も、次を採れる量を自分で決めた。
話を聞かなければ、次の荷が悪くなる。それは、人間の取引相手でも同じだった。
誰かへ道を売れば、一度はまとまった金になるかもしれない。
だが、その先には、品を渡さなくなる森と、七人を戻さずに済ませた子供がいる。
ボリスは帳簿を開き直した。
「糸を買った店へ、出所を聞きに来た者がいる」
鬼太郎がこちらを向いた。
「前におっしゃっていた方とは、別に?」
「別の客だ。森だとは言わせてない。俺から仕入れた、とだけ答えさせた」
どの品を尋ねたか、高い金を出すと言ったか。ボリスは店から聞いたところまでを話し、羽根ペンの尻で帳簿を押さえた。
「狩りに入る支度までは、まだ掴んでない。そっちは混ぜないでおく」
「助かります。実際に動く話があれば、また」
「買い手が替わったり、急に妙な品を集め始めたりしたときも知らせる。森へ入る話になる前に、分かることもある」
鬼太郎が僅かに目を細めた。
「そちらから、そこまで聞かせてくださるのですね」
「ここが止まれば、俺も困る」
ボリスは台の上へ並んだ包みを見た。
「前より儲かってる。わざわざ潰す気はない」
鬼太郎の笑みが深くなった。
「ええ。その方が、僕にも都合がよいです」
◆
留守中の窓口は、ボグダンが引き受けた。
その場で全ての品の持ち主になるわけではない。品を出す者が、渡せる物と量、扱い方を先に伝える。来訪日が本人の仕事と重なれば、日を変える。
受け取りと記録に掛かる手間も、錠前を直す仕事とは別にした。鬼太郎は日ごとの対価を相談し、品を多く集めたからと窓口の取り分が勝手に増える形にはしなかった。
「誰が何を渡したかは、残す。だが、持ってこなかった品まで俺に数えさせるな」
「ええ。渡す前に、本人から聞きます」
ボリスが答えると、ボグダンは紙の欄を一つ増やした。
「門に座って、お前を待つ仕事ではないぞ」
ボグダンが言うと、ボリスは肩を竦めた。
「こっちも、無駄足は困る。来る前に知らせるさ」
ヴェリナは、相談して決まった日を伝え、自分が何でも代わりに受け取ることにはしないと告げた。急ぎの知らせが来たときだけ、取引の日を待たずに話を回す。
鬼太郎は、既に渡している種類と、持ち主が認めた分なら進めてよいと伝えた。新しい品や、取り決めを変える話は、帰ってから相談する。
ボグダンが、買出しの明細へ指を置く。
「この金具は、誰の分だ」
「錠前の補修用です。頼んだ数はこちらに」
「なら、余りを勝手にほかへ使うな。次に要る数も変わる」
鬼太郎が答える前に、ボリスが包みを開いた。
「頼まれた分だけだ。こっちは未入荷。金も使ってない」
包みの中と明細、返す金を別々に確かめる。次に要る材料も、残りを数えてから書き足された。
まだ採っていない薬草や、これから抜ける鱗まで、台の上にある品と同じ数にはしない。
ボグダンは最後の包みへ紐を掛け、数を読み上げた。ボリスが帳簿と合わせて返事をする。
鬼太郎は横に立ったまま、そのやり取りを聞いていた。
「次も、ここでだ」
「ああ。日が変わるなら、早めに言ってくれ」
紐の端が、二人の間で渡った。
◆
数日後に来たダンブルドアは、食堂の台に残る受渡しの紙を見た。
「こちらは、君がいなくても進むようじゃな」
「毎回、僕へ聞きに来られても困りますからね」
「留守を任せて、帰るたびに仕事を増やすでないぞ」
鬼太郎が茶を置くと、校長は向かいへ腰を下ろした。
キーノは紺色の帳面を持ってきた。出発の話より先に、開いた頁を差し出す。
「これを聞きたい。枝を直すのと、傷を塞ぐのは、同じようにはできないのか」
「よいところで止まったのう。レパロは、壊れた物を直すために教えた呪文じゃ。身体の治療へ、そのまま使おうとしてはいかん」
「形が戻れば、治ったことにはならない?」
「少なくとも、君が枝で覚えたことだけで傷へ向けてよい、とはならん。治療は別に学ぶものじゃ。疑問は持ってよい。試す相手に、互いの腕を選ばぬように」
キーノは鬼太郎を見た。
「私は、そのつもりはない」
「僕も、まだ伺う方を選んでいますよ」
「その『まだ』は要らん」
ダンブルドアが茶を取る。キーノは口元を緩め、帳面へ書き足した。新しい呪文を試す時間にはならず、質問の横に答えが増えた。
校長は、制服の入った包みへ目を向けた。
「では、汽車へ乗る段取りも決めよう。前日に、二人で学校外の指定地点へ来なさい。わしが待っておる」
「ポートキーで、ですね」
「うむ。そこから同行姿現しでロンドンへ。漏れ鍋で一晩休み、翌朝に駅へ向かう」
キーノが顔を上げた。
「学校の近くまで行って、また戻るのか?」
「君たちの輪が着くのは、そこじゃからの。ロンドンへ向けて投げれば、行き先も変わるという物ではない」
「投げないぞ」
キーノの返事に、鬼太郎は笑った。
「学校へ直接行くのではなく、汽車に乗るのですね」
「同じ学校へ向かう子供たちが乗る。城へ着く前に、知り合うこともあるじゃろう」
ダンブルドアは二人の顔を順に見た。
「本に載っておらんことを、同じ年頃の相手から知る時間もある。君たちにも、その機会は持ってもらいたい」
キーノは帳面の空いたところへ、汽車と書いた。
鬼太郎は、待ち合わせる時刻を尋ねた。校長が紙へ書き、場所とともに二人へ確かめさせる。
椅子の背から覗いたサーシェスが、紙を指で軽く押した。
「俺の仕事は、こいつらの汽車に合わせて全部決めねえぞ」
「分かっておる。君の予定は、別に聞こう」
校長は即座に返し、もう一枚の紙を取った。
キーノは自分の帳面へ時刻を写した。森の取引の日とは、別の行だった。
◆
出発が近づくにつれ、机の上が広くなった。
鬼太郎は持ち出す道具をまとめ、次の買出しに使う紙を砦へ残す。三冊の黒い帳簿は、売る品の側へ動かさなかった。サーシェスへ相談せずに渡す物ではない。
父の書類と孔雀の手紙も、それとは分けたまま確かめた。包みを開いて読み直すことはせず、留めを戻す。
左肩は、普通に腕を動かす分には痛まなくなっていた。傷が塞がったその日に、疲れまで消えたわけではない。数日休み、歩いた後も傷が開かないのを確かめてから、短い足運びの練習へ戻った。
谷で爪が届いた線を、土へ引く。
光を出した場所から離れただけでは、あの広い前脚の外へ出られなかった。鬼太郎は杖を持つ腕と、次に向ける掌の位置を確かめる。速さを上げて肩が遅れると、その日はそこまでにした。
記録には、できた動きの横へ、まだ間に合わないところも残した。
その紙を鞄へ入れると、キーノが机の向こうで銀の留め金を掛けた。
「すぐ出せる方へ入れる」
「汽車でも、使うおつもりですか?」
「何かあったら、書けるだろ。お前が覚えてるとは限らないし」
「僕の知らないことも、教えていただけそうですね」
「ちゃんと聞くならな」
キーノは帳面を一度開き、最初の頁を見た。自分の名前と、ホグワーツ。その後ろには、砦で覚えた言葉や、自分で確かめたいことが増えている。
「学校へ行ったら、もっと増えるな」
鬼太郎は、頷いて残す紙の方へ手を伸ばした。
次の取引の日には、自分はこの台の前に立たない。薬草を出す量は小人が決め、糸をほどく範囲はミラが伝える。ボグダンが包みと金を数え、ボリスが荷を持ち帰る。
その日付の下へ、自分の帰る日を書く欄を空けた。
窓の外で、荷車の音がした。置いていく紙を押さえながら聞いていると、門の向こうで誰かが道を譲り、別の声が礼を返した。
キーノは帳面を鞄の取り出しやすい場所へ入れた。
鬼太郎も、砦へ残す紙から手を離した。