神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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第六章 名前を呼ぶ場所
汽車に乗る前の夜


第71話 汽車に乗る前の夜

 

 靴の底が土を踏んだ。

 

 鬼太郎は膝を曲げ、前へ流れかけた箱を身体へ引き寄せた。金属の輪に触れていたキーノの手が離れる。彼女も一歩踏み直したが、鞄を落とすことはなかった。

 

 砦の門は、もう見えない。

 

 以前、往復を試した学校外の指定地点だった。少し離れたところで、旅装の男がこちらを見ていた。白い髭の代わりに赤褐色の髪があり、顔も若い。

 

「二人とも、揃っておるな」

 

 声はダンブルドアだった。

 

「箱もありますよ。少し、先に行きたそうでしたが」

 

「手を離さんでよかったのう」

 

 鬼太郎は箱を下ろし、キーノが持ち手を握り直すのを待った。輪をしまってから左肩を動かす。荷を支えても、痛みはなかった。

 

 校長は二人の足元と荷を順に見た。

 

「気分が悪ければ、ここで少し休もう」

 

「平気だ。それより、学校はどっちだ?」

 

 キーノが辺りを見回す。

 

 ダンブルドアは一方へ顔を向けたが、城を見せるために歩き出しはしなかった。

 

「ここからは見えんよ。明日の晩には、もっとよい場所から眺められる」

 

「また、ここへ戻るのにか」

 

「今度は、ほかの一年生と一緒じゃ」

 

 キーノは背を伸ばして向こうを見た。それでも塔は見つからなかったらしく、やがて足元の鞄へ目を戻す。

 

 鬼太郎も、校長の示した方を見ていた。

 

 あの近くに、これから通う場所がある。教科書の言葉を知るだけでなく、実際に扱い、教えられる者がいる。

 

「何か気になるかね」

 

「皆さん、もういらっしゃるのでしょうか。先生方は」

 

「準備のためにの。今から会いに行くつもりなら、明日まで待ちなさい」

 

「ご挨拶くらいは、と思ったのですが」

 

「挨拶の後に、質問を十ほど並べる顔をしておる」

 

 キーノが隣で吹き出した。

 

「その後に、試してくれって言うぞ」

 

「お二人とも、まだ尋ねていないことまでお断りになるのですね」

 

「尋ねられてからでは、出発が遅れるのでな」

 

 校長は腕を差し出した。鬼太郎は箱を持ち上げ、空いた手を掛ける。キーノも反対側へ寄った。

 

 輪で来た道の先を、今度は校長に連れていってもらう。

 

 周りが狭まった。胸も腕も、荷物ごと押し込められる。鬼太郎は箱の持ち手を離さず、固い地面へ出たところで息を吐いた。

 

 隣では、キーノが大きく息を吸っていた。

 

「……こっちは、何度やっても慣れんな」

 

「急いで歩くことはない。落ち着いてからでよい」

 

 人目を避けた場所から出ると、車の走る音が近づいた。森の湿った匂いは薄れ、建物の壁と、人の肩が見える。

 

 漏れ鍋の扉は、通りの向こうにあった。

 

     ◆

 

 トムは、カウンターの前へ来た二人の荷物を見た。

 

「買い物かい?」

 

「今日は、一泊お願いしたいのです。二人で、一部屋ずつ空いていますか」

 

 鬼太郎が尋ねると、トムは後ろの鍵へ目を向けた。

 

 空き部屋と料金を聞き、夕食もここで取れることを確かめる。横でキーノが帳面を開いた。

 

「明日の朝、早く食べて出たい。何時からなら頼める?」

 

「学校の汽車だね。それなら、間に合うように用意できるよ」

 

 トムは時計を見て、時刻を教えた。キーノが書き留める間に、鬼太郎は代金を数えた。

 

 校長は少し後ろに立ち、二人が鍵を受け取るのを待っていた。階段へ向かうときにも、キーノの鞄へ勝手に手を伸ばすことはなかった。

 

 二つの部屋は隣同士だった。

 

 鬼太郎は自分の部屋へ箱を置き、鍋と小瓶が中で動いていないか確かめた。本を収めた鞄は机の脇へ。窓と扉を見てから廊下へ戻ると、キーノもちょうど鍵を掛けたところだった。

 

「今度は、ここで一晩か」

 

 彼女は鍵を掌の中で回し、しまった。

 

 階下の空いた卓で、ダンブルドアは駅までの行き方を確かめさせた。汽車は十一時発。九番線と十番線の間にある入口の話になると、キーノの羽根ペンが一度止まった。

 

「普通に通ればいいのか?」

 

「途中で止まらぬことじゃ。荷を持った親子も通るじゃろう。人前で入口を大声で尋ね歩くより、周りをよく見なさい」

 

 鬼太郎は、自分たちの切符とキーノの帳面を見比べた。駅名も時刻も合っている。

 

「サーシェスは、ここには来ないんだな」

 

 書き終えたキーノが尋ねた。

 

「ええ。今回は、僕たちだけです」

 

「分かってる。朝、間違えて待たないように言っただけだ」

 

 鬼太郎は茶へ口をつけた。

 

 赤い髪の男は、今頃何をしているだろう。町へ出たか、まだ砦にいるか。自分が英国へ着いたことで、向こうの予定まで変わるわけではない。

 

 校長は二人の荷物がない卓を見て、茶碗を置いた。

 

「午後は、どうするつもりかね」

 

「横丁を見てこようと思います。必要な物を探すだけで終わってしまいましたから」

 

「それもよかろう。夕方まで歩き続けて、明日の汽車で眠ってしまわんようにな」

 

 キーノが顔を上げる。

 

「窓から外を見たい。寝るつもりはないぞ」

 

「眠気は、予定を聞いてくれんからの」

 

 ダンブルドアは椅子を引いた。学校へ戻って、迎える支度をするという。

 

 鬼太郎も立ち上がり、礼を言った。

 

「次は、いつものお姿ですか」

 

「大広間でこの顔をしておったら、誰が校長なのか分からなくなるわい」

 

「僕たちは、声で分かりましたよ」

 

「ほかの生徒にも、一人ずつ話しかける仕事を増やさんでくれ」

 

 キーノは笑い、帳面を閉じた。

 

 若い姿の校長を見送ってから、二人は部屋へ戻った。持ち歩く物だけを取り、重い箱は置いていく。鬼太郎は右腰のホルスターが上着で隠れていることを確かめ、黒檀を手にした。

 

 裏庭で煉瓦を叩くと、見覚えのある壁が開いた。

 

 向こうには、包みを抱えた親子や、店先へ急ぐ生徒がいた。キーノはその流れを見てから、鬼太郎の隣を抜けて通りへ出た。

 

「今日は、どこからだ?」

 

「まだ、決めていません」

 

「なら、あっちへ行こう」

 

 彼女が指した方へ、二人で歩き出した。

 

 前に来たときには通り過ぎた店の窓に、色の違うインクが並んでいた。キーノは深い赤と青を見比べ、鞄の留め具へ手を添える。

 

「聞くことと、答えを分けて書けるな」

 

「今の帳面にも、使いますか?」

 

「ある分を使ってからだ。それに、色を替えるたびに瓶を開けるのは面倒だろ」

 

 そう言って離れたが、隣の窓では、また足が止まった。

 

 本の見開きに描かれた人物が、帽子を取っていた。挨拶を終えると被り直し、次に覗いた客へまた頭を下げる。

 

 キーノは、二度目の挨拶まで見た。

 

「絵なのに、こっちを見てる」

 

 店の者が見本を差し出すと、彼女は触れてよいか聞いてから受け取った。紙の端を押さえ、少し斜めにする。絵の人物は頁から落ちず、こちらへ顔を向けた。

 

「帳面に描く絵も、こうできるのか?」

 

「動くようにする方法は、あるのでしょうね」

 

「方法を聞いてるんだ。お前に分かるかと」

 

「まだ、分かりません」

 

 鬼太郎が答えると、キーノは絵へ目を戻した。少し名残惜しそうに見本を返し、礼を言う。

 

 店を離れる前に、紺色の帳面へ短く書きつけた。

 

 鬼太郎も通りを眺めた。次に目を引いたのは、箒の並ぶ窓だった。

 

 柄の太さも、枝の束ね方も違う。速さを大きく掲げた札の横に、扱いやすさを記したものがあった。

 

 店へ入って用途を尋ねると、店主は初めて乗るのかと聞き返した。

 

「ええ。まだ、飛ばしたこともありません」

 

「それなら、学校で習ってから選ぶといい。速いものを買えば上手くなるわけじゃないからね」

 

「乗る方が、浮かせる呪文を使い続けるのではないのですね」

 

「箒に魔法がかけてあるんだ。操る方は覚えなきゃならないが」

 

 鬼太郎は許可を取り、店主の支える見本へ手を添えた。木の柄は滑らかで、普通に持てば重さもある。

 

 ここから人を載せて浮く。

 

 輪にも、行く場所と使う者が定められていた。だが、箒には乗り手が向きを決める余地があるらしい。同じ移動の道具でも、覚えることは随分違いそうだった。

 

「お前、それも作ってみたいのか?」

 

 キーノの声に、鬼太郎は柄から手を離した。

 

「作るまでに、何を覚えるのかは知りたいですね」

 

「先に乗れ」

 

「ええ。そちらも楽しみです」

 

 店主は二人を見て笑い、見本を戻した。鬼太郎は礼を言って外へ出る。

 

 キーノはすぐ歩き出さず、窓の箒をもう一度見た。

 

「木の上から、城を見ることもできるのかな」

 

「飛べるようになれば」

 

「なら、私はそっちがいい」

 

 彼女は言って、今度こそ通りへ戻った。

 

 午後の人混みは、少しずつ厚くなっていた。鬼太郎は荷を抱えた親子へ道を譲り、その先でアイスクリームの店を見つけた。

 

 キーノへ声を掛けると、彼女は疲れていないと言いかけ、並ぶ味を見て口を閉じた。

 

「……座れるなら、少し休むか」

 

「僕も、そうしたいと思っていました」

 

 彼女が苺を選ぶのを待ち、自分の分も頼む。席へ着いたときには、膝の上へ置く買い物の包みは一つもなかった。

 

 キーノが匙を入れる。

 

 通りの向こうで、母親らしい女の人が、少年へ小さな包みを渡していた。少年は受け取って何か言い、隣の子供と笑った。

 

「知ってる奴と来てるんだな」

 

 キーノが呟いた。

 

「お友達でしょうか」

 

「兄弟かもしれん。似てないが」

 

 彼女はもう一口食べ、空いている隣の椅子へ目を向けた。

 

「明日は、誰が座るんだろうな」

 

「空いていれば、どなたか来るでしょう」

 

「誰も来なかったら?」

 

「そのときは、二人で窓を使えますね」

 

 キーノは鬼太郎を見て、少し笑った。

 

「私は窓側だぞ」

 

「ええ。空いていれば」

 

 彼女は席へ背を戻し、溶け始めた苺のアイスをすくった。

 

     ◆

 

 夕食を終えた後、鬼太郎は部屋の机へ本を広げた。

 

 店の箒は、持ち主が杖を向けなくても飛べるという。鞄も、輪も、使うたびに自分で術をかけ直してはいない。

 

 自分の掌から放つ火とは、違う使い方だった。

 

 知りたいことを紙へ残していると、隣の部屋で鞄を動かす音がした。しばらく静かになり、それから扉が叩かれる。

 

 キーノが立っていた。

 

「まだ、読むのか」

 

「もう少しで休むつもりでした。どうぞ」

 

 鬼太郎は椅子を引き、自分は寝台へ腰を下ろした。キーノは持ってきた帳面を机へ置いたが、開かなかった。

 

 夕食では、昼に見た絵の話をしていた。今はその続きを言いに来た顔ではない。

 

「明日、名前は自分で言う」

 

「ええ」

 

「相手にも聞く。それは、考えてる」

 

 キーノは机の縁へ指を置いた。

 

「でも、どこから来たとか、親は何をしてるとか、聞かれるだろ」

 

 鬼太郎は返事を急がなかった。

 

「僕たちも、森へ来た方には尋ねますね」

 

「あれは、何しに来たか聞くんだ。学校へ行く奴の家を、調べたいわけじゃないだろ」

 

「そうですね。話を続けたくて、聞く方もいると思います」

 

 彼女は一度、廊下へ顔を向けた。扉は閉じている。

 

「どこまで、言えばいいんだ」

 

「話したいところまででよいのでは?」

 

「それで、変だと思われないか」

 

 鬼太郎は机の上の帳面を見た。銀の留め金に、彼女の指が触れていた。

 

「思う方は、いるかもしれません」

 

 キーノの手が止まった。

 

「僕には、その方が何を気にするかまでは分かりませんから」

 

「……吸血鬼のこともか」

 

「ええ」

 

 鬼太郎は彼女へ目を戻した。

 

 その血を知っても、取引を続ける者はいる。診察の手を止め、本人がよいと言うまで待った者もいた。だが、明日隣へ座る子供が同じように考えるかは、まだ会ってもいない自分には分からなかった。

 

「校長が入っていいと言っても、席に座る奴まで、そう思うわけじゃないんだな」

 

「入学の許可と、お友達になることは違うのでしょうね」

 

 キーノは唇を結んだ。

 

 昼間の通りでは、こちらを見た子供もいた。自分が顔を向けると、そのまま歩いていった。何を思ったかなど、彼女には分からない。

 

 鬼太郎は本を閉じ、机の端へ寄せた。

 

「明日、会った方全員へ話すおつもりですか?」

 

「違う。だが、分かったらと思ったんだ。私が言わなくても、校長は気づいた」

 

「ほかの方に何が分かるかも、今は決められませんよ」

 

 彼女は返事をせず、留め金から指を離した。

 

「砦では、私を見て逃げる奴はいなかった」

 

「ミラさんには、僕の方が警戒されていた気もしますね」

 

「お前は、知らないところまで行こうとするからだ」

 

 すぐ返ってきた声に、鬼太郎は笑った。キーノも口元を動かしたが、それだけでは話を終えなかった。

 

「あそこでは、何を言ったら嫌がるか、少しは分かる。知らなくても、聞ける。明日は、何も分からん」

 

「僕にも、分かりません」

 

「お前、昼は楽しそうだったぞ」

 

「楽しみですよ。知らないことを、聞ける場所へ行くのですから」

 

「私は、聞かれる方の話をしてるんだ」

 

 鬼太郎は少し考えた。

 

 自分にも、答えないことはある。父の書類も、過去の記憶も、尋ねられれば全て出すわけではなかった。だが、相手にどう思われるかを、彼女と同じようには気にしていない。

 

「僕と同じにすればよい、とも言えませんね」

 

 キーノが彼を見た。

 

「まず、どんな相手か聞いてから決めてもよいのではありませんか。キーノさんだけが、先に全部話すことはないでしょう」

 

「……私も、選んでいいのか」

 

「ええ。隣へ座ったからといって、何もかも気に入るとは限りませんし」

 

「お前にだけは、言われたくない」

 

 鬼太郎は笑い、膝の上で手を開いた。

 

 キーノは帳面を引き寄せた。留め金を外すと、駅へ行く時刻の下に、まだ余白があった。しばらくそこを見たが、羽根ペンは取らない。

 

「何て答えるか、全部書いても仕方ないな」

 

「相手にも、読んだとおりに尋ねていただかないと困りますね」

 

「そんな奴とは、話してもつまらん」

 

 彼女は帳面を閉じた。

 

 胸のつかえが消えた顔ではなかった。それでも椅子から立ち上がり、明日は自分の方が先に起きるかもしれないと言った。

 

「そのときは、お声を掛けてください」

 

「起きてなかったらな。窓側を取る前に、汽車に乗れなくなったら困る」

 

「それは、僕も困ります」

 

 扉へ向かう彼女を、鬼太郎は呼び止めた。

 

「キーノさん」

 

 彼女が振り返る。

 

「明日も、何か気になったら聞かせてください。僕が分からないことでも」

 

「分からなかったら、また一緒に考えるのか?」

 

「その間に、別の方が答えてくださるかもしれません」

 

 キーノは少し目を見開き、それから頷いた。

 

「そうだな。明日は、お前だけじゃない」

 

 彼女は自分の部屋へ戻っていった。

 

 鬼太郎も机の紙を鞄へ収めた。扉の鍵を確かめ、杖を手の届くところへ置く。箱を開き直す必要は、もうなかった。

 

 壁の向こうで留め金の鳴る音がした。

 

 隣の部屋では、キーノが帳面をしまっている。明日もそれを持って、まだ知らない相手のいる場所へ行く。

 

 鬼太郎は窓へ近づき、通りの明かりを見下ろした。店の箒を思い出すと、眠るには惜しい気もした。だが、今ここで考え続けても、見本の柄より先へは進めない。

 

 明日は、汽車に乗る。

 

 彼は窓から離れ、寝台へ向かった。隣の部屋も静かになったころ、灯りを消した。

 

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