神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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九と四分の三番線

第72話 九と四分の三番線

 

 廊下で足音が止まったとき、鬼太郎は鞄の留め具を掛けたところだった。

 

 扉を開けると、キーノが立っていた。肩の鞄からは、昨夜持ってきた帳面も本も出ていない。

 

「起きてたか」

 

「ええ。お声を掛ける手間を省いてしまいましたね」

 

「それなら、箱を持て。先に食べるんだろ」

 

 鬼太郎は大鍋と小瓶を収めた箱を取った。小瓶がぶつかる音はしない。廊下へ出て扉を閉め、二人で階段を下りた。

 

 階下には、まだ空いた卓が多かった。トムは二人を見ると厨房へ声を掛け、朝食を用意してくれた。

 

 窓のそばに荷物を寄せ、席へ着く。パンを割ったキーノは、中から上がる湯気を見ていた。

 

「眠れましたか?」

 

「一度起きた。でも、外が暗かったから寝直した」

 

 それから、壁の時計へ目を向ける。

 

「まだ、かなりあるな」

 

「早く出れば、駅で慌てずに済みますよ」

 

「先に場所を見たい。昨日聞いた柱が、本当にあるか」

 

 鬼太郎も茶を飲みながら時計を見た。食事を終えてから向かっても、余裕はある。ゆっくりしてよいと言おうとしたが、キーノは急いで口へ詰め込んでいるわけではなかった。

 

 彼も自分の皿へ手を戻した。

 

 扉が開き、荷物を持った客が入ってくる。子供が一人、厨房の方を覗き込んでから、連れの大人に呼ばれて席へ着いた。

 

 キーノはその声へ顔を向けたが、何か言う前に、トムが二人の卓へ来た。

 

「食事は足りたかい?」

 

「ええ。朝早くから、ありがとうございました」

 

 鬼太郎は立ち上がり、鍵を出した。キーノも隣で自分の鍵を渡す。

 

 残りの支払いがないことを確かめると、トムは鍵を後ろへ戻した。

 

「忘れ物はないね?」

 

「見た。机の下も、寝台の脇も」

 

「それなら大丈夫だ。汽車に乗り遅れないように」

 

 キーノは時計を指しかけ、やめた。

 

「ああ。行ってくる」

 

 鬼太郎も挨拶をし、荷を持って扉へ向かった。

 

 外へ出ると、朝の空気に車の音が混じった。昨日は横丁へ向かったが、今朝は反対の通りへ出る。タクシーを拾う間、キーノは荷物を壁際へ置き、人の通る場所を空けていた。

 

 運転手へキングズ・クロスと伝える。

 

 箱と鞄を収めて後部座席へ乗ると、キーノは扉を閉め、窓の外を見た。すぐ横を通る歩行者が遠ざかり、漏れ鍋のあった辺りも建物の陰へ隠れる。

 

「もう、戻らなくていいんだな」

 

「何か、気になることが?」

 

「鍵だ。返した後も、持ってる気がした」

 

 彼女は空いた手を握り、膝へ置いた。

 

 車が曲がった。窓に朝日が差し、キーノが少し目を細める。

 

 鬼太郎も外へ顔を向けた。隣の車線を走る車と、その先の信号を眺める。こうして道を進んでいると、昨日、輪に引かれて砦を離れたことが随分前に思えた。

 

 今朝の行き先は駅だった。

 

     ◆

 

 キングズ・クロスの中では、足音が高い天井へ響いていた。

 

 鬼太郎は荷物を載せたカートを押し、人の流れを避けながら案内表示を見た。キーノはその横で、帳面を開かずに番号を探している。

 

「九番と、十番だったな」

 

「こちらです」

 

 新聞を持って急ぐ男が、二人の前を横切った。大きな鞄を引く女の人が続き、その向こうには、フクロウの籠を載せた荷物が見えた。

 

 鬼太郎はカートを少し遅くした。

 

 子供と大人が並んでいる。大人が周囲を見てから、子供の背へ手を添えた。二人は九番線と十番線の間へ進み、柱の手前で重なった。

 

 次に人が横を通ったときには、どちらもいなかった。

 

「あそこか」

 

 キーノも見ていた。

 

 鬼太郎は、すぐに柱へ向かわず、そばを通る人々へ目を移した。新聞の男はもう先へ行っている。近くに立つ者も、二人が消えた場所を見ようとはしなかった。

 

 人が固い柱へ入った。

 

 目にしたはずの者まで、気に留めない。

 

「森の道に、似ていますね」

 

「入れない奴が、来ようと思わなくなるところか?」

 

「ええ。ただ、同じ魔法かどうかは分かりません」

 

 森では、道を知らない者の目と足を遠ざける働きがあった。ここにも何かがかけられているのだろうが、柱の表面を見ても、その違いまでは分からなかった。

 

 鬼太郎は人の切れ目を待ち、カートを進めた。

 

 キーノが半歩後ろへ下がる。

 

「私も、そのままか?」

 

「ええ。向こうへ出たところで、待ちます」

 

 車輪を真っ直ぐ柱へ向ける。最後まで押すと、荷物の先から固い表面に消えていった。

 

 ぶつかる手応えはなかった。

 

 駅の足音に、蒸気を吐く音が重なる。

 

 鬼太郎はカートを脇へ寄せ、振り返った。キーノがすぐに現れ、一歩進んだところで顔を上げる。

 

 赤い汽車が、ホームに沿って止まっていた。

 

 長い客車の窓へ朝の光が映り、先頭の方から白い煙が上がっている。籠の中でフクロウが鳴くと、キーノはそちらを見て、それから標識へ視線を戻した。

 

 九と四分の三番線。

 

「本当に、この名前なんだな」

 

「切符とも合っていますよ」

 

 鬼太郎が示すと、彼女は自分の切符も確かめた。

 

 ホームには、まだ人のいない場所があった。開いた扉のそばで、大人が子供のトランクを持ち上げている。少し先では、窓から顔を出した生徒が、見送りの相手へ何か頼んでいた。

 

 鬼太郎は近くの扉へ寄り、荷物を一つずつ上げた。段の上で箱を受け取ったキーノが、通路の端へ置く。鞄も上げてから、カートをホームに残し、二人で客室を探した。

 

 先に覗いた部屋には、上着が置いてあった。

 

 次は空いている。

 

「こちらにしましょうか」

 

 キーノは返事より先に窓を見た。

 

 鬼太郎が扉を開けると、彼女は中へ入り、窓際の座席へ鞄を置いた。

 

「取れたな」

 

「ええ。ご希望の席です」

 

「お前も、向かいが空いてるぞ」

 

 鬼太郎は笑って、荷物を収め始めた。大鍋の箱は動かない向きへ置き、ほかの荷とぶつからないことを確かめる。キーノも自分の鞄を寄せ、通路側には何も残さなかった。

 

 腰を下ろす前に上着の裾を直す。右腰の銃は隠れたままで、杖も座席へ当たらない。

 

 向かいでは、キーノが窓の下の縁へ手を置いていた。

 

「まだ、動かないか」

 

「出発まで、しばらくありますね」

 

「分かってる。先に乗りたかっただけだ」

 

 彼女は座り直したが、外を見るのはやめなかった。

 

 鬼太郎は鞄から本を一冊出した。数頁読んだところで通路を誰かが走り、扉の前へ影が差す。だが、その影は止まらず、次の客室へ向かった。

 

「こっちだ。場所、取ってある!」

 

 向こうから声がする。

 

 キーノがそちらを見た。すぐに笑い声が重なり、扉の閉まる音がした。

 

 次に通った生徒も、中を少し見ただけで先へ進む。

 

「みんな、知ってる奴を探すんだな」

 

「上級生の方もいるようですから」

 

 鬼太郎は本へ指を挟んだ。

 

 昨日は、どんな相手が座るのかと聞かれた。今のところ、空いた席を探す者より、名前を呼び合う者の方が多い。

 

「一年生も、いるだろ」

 

「ええ。これから乗る方も」

 

 キーノは隣の座席へ目を向けた。

 

 そこには、まだ誰も座っていなかった。

 

     ◆

 

 ハリーは切符を持ったまま、九番線と十番線を見比べていた。

 

 九と四分の三など、どこにもない。

 

 トランクとヘドウィグの籠を載せたカートが、そばにあった。バーノンおじさんたちは、もう行ってしまった。ダドリーの尻尾を取ってもらうためにロンドンへ来る、そのついでに送ってくれただけだ。

 

 ここを見たときのおじさんの顔を、ハリーは忘れられなかった。

 

 駅にありもしないホームを探す自分が、面白くて仕方がないという顔だった。

 

 切符をポケットへしまい、近くの駅員へ尋ねた。

 

 そんな番線はない、と答えられた。ホグワーツという学校へ行くと言っても、どこにあるのか聞き返される。

 

 ハリーには、それも分からなかった。

 

 杖も制服も、教科書もある。ハグリッドが渡してくれた切符だって、本物のはずだった。それなのに、汽車のある場所へ行く方法だけが分からない。

 

 人の流れが近づき、ハリーはカートを壁際へ寄せた。

 

 時計の針が進んでいる。

 

 もし乗れなかったら、あの家へ戻るのだろうか。

 

 ホームが見つからなかったと言えば、ダドリーはきっと笑う。おじさんは、やはり学校の話など嘘だったと言うかもしれない。

 

 ハリーはカートの持ち手を握り直した。

 

 そのとき、女の人の声が聞こえた。

 

 マグル、という言葉だった。

 

 顔を向けると、赤毛の子供たちが大きなトランクを運んでいた。フクロウもいる。後ろでは、小さな女の子が母親の手を取って歩いていた。

 

 母親が番線の番号を尋ねる。

 

 九と四分の三。

 

 女の子の返事に、ハリーは背を伸ばした。

 

 眼鏡を掛けた背の高い少年が、柱へ進んだ。途中を人が横切り、見えなくなる。姿が戻るはずのところには、もう誰もいなかった。

 

 よく似た顔の二人が続く。母親へ名前のことで冗談を言い、笑いながら同じ方へ向かった。

 

 二人も消えた。

 

 ハリーは残っている女の人へ近づいた。

 

「すみません。僕も、ホグワーツへ行きたいんです」

 

 女の人が振り向いた。カートの荷物と籠を見てから、ハリーへ目を戻す。

 

「初めてなのね。ロンも今年からなのよ」

 

 傍らの少年を示した。そばかすがあり、手足が長い。少年もハリーを見たが、すぐには何も言わなかった。

 

 ハリーは柱へ顔を向けた。

 

「入口は、あそこですか?」

 

「そうよ。途中で怖くなって止まらなければ大丈夫。心配なら、少し勢いをつけてごらんなさい」

 

 教える声は落ち着いていた。

 

 さっきの駅員とは違う。おかしな場所を探していると思っていない。それだけで、ハリーは少し息がしやすくなった。

 

「ありがとうございます」

 

 カートを柱へ向ける。

 

 車輪が動き出した。重いトランクの分だけ腕へ力を入れ、前へ押す。柱が近づくにつれ、足を速めた。

 

 ヘドウィグの籠が揺れる。

 

 あと少しだった。

 

 ぶつかれば、前へ投げ出される。

 

 そう思って目を閉じかけたが、衝撃は来なかった。持ち手は腕の中にあり、車輪も転がり続けている。

 

 ハリーは足を止めた。

 

 目の前には、赤い汽車があった。

 

 蒸気が白く流れ、その向こうを、大勢の家族が歩いていた。籠の中のフクロウが鳴き、トランクを引く子供が、ハリーの横を通っていく。

 

 振り返ると、入口のアーチに番号があった。

 

 切符と同じ、九と四分の三。

 

 ハリーは思わず笑った。

 

 あったのだ。

 

 ここからなら、学校へ行ける。

 

 カートを押し、乗るための扉を探した。

 

     ◆

 

 ホームに人が増えるにつれ、鬼太郎の客室にも声が届くようになった。

 

 キーノは窓から少し身を引き、通り過ぎる籠を見た。中のフクロウが羽を広げ、持ち主の少年が布を掛け直す。

 

 その先で、トランクを持ち上げようとしている子供がいた。

 

 鬼太郎の席からは、扉の陰になってよく見えなかった。キーノが首を伸ばしたところへ赤毛の少年が二人来て、荷物の反対側へ回る。

 

「持とうか。そっちを離さないで」

 

 三人の腕が動いた。

 

 重い物が段へ当たる音がして、それから車内へ運び込まれたらしい。キーノが窓から顔を戻した。

 

「上がったな」

 

「手を貸す方が、いらしたようですね」

 

 鬼太郎は本へ目を落としたが、その前に、窓の向こうで声が上がった。

 

 ポッター。

 

 その名は聞き覚えがあった。顔を上げたときには赤毛の二人が窓の外を離れ、何か話しながら母親らしい人の方へ向かっていた。

 

 鬼太郎はしばらくそちらを見てから、本へ紙を挟んだ。

 

 通路で、荷物を引く音がする。

 

 客室の前で止まった。

 

 ガラスの向こうから、丸い眼鏡を掛けた少年が中を見ていた。片手には白いフクロウの籠があり、もう一方でトランクの持ち手を握っている。

 

 扉が開いた。

 

「ここ、座ってもいい?」

 

「ええ。空いていますよ」

 

 鬼太郎は本を脇へ置いた。少年が荷物を引き入れるのを見て立ち上がり、棚へ上げる手を貸す。

 

 キーノも隣の席を空けた。

 

「ありがとう」

 

 少年は籠を安定した場所へ置き、彼女の隣に腰を下ろした。

 

 少しだけ静かになった。

 

 キーノが背筋を伸ばす。少年は二人を見比べ、先に口を開いた。

 

「二人も、一年生?」

 

「そうだ。お前は?」

 

「僕も」

 

 キーノは一度頷き、それから尋ねた。

 

「名前は、何ていう?」

 

「ハリー。ハリー・ポッターだよ」

 

 鬼太郎は少年へ目を留めた。

 

 新聞や噂で聞いた名だった。目の前にいるのは、荷物を運ぶために少し息を弾ませた、眼鏡の子供だ。

 

 額には髪が掛かっていた。

 

「私はキーノ・ファスリス・インベルン。キーノでいい」

 

 彼女が自分で名乗った。

 

 ハリーは口の中で名前を繰り返し、鬼太郎へ顔を向ける。

 

「墓場鬼太郎です。よろしくお願いします、ハリーさん」

 

「キタロウ、って呼べばいい?」

 

「ええ」

 

「僕も、ハリーでいいよ」

 

 鬼太郎は軽く会釈した。

 

 ハリーは二人の顔をもう一度見た。何か言うか迷うように口を動かし、ようやく続ける。

 

「前に、ダイアゴン横丁にいたよね。杖とか、買いに来てた?」

 

「ええ。いらしたのですか?」

 

「うん。ハグリッドと一緒に。大きな人なんだけど」

 

 キーノが顔を上げた。

 

「あの、髭の多い?」

 

「そう! あのとき、二人を見たんだ」

 

 ハリーの声が明るくなる。

 

 鬼太郎も横丁の人混みを思い返した。店先へ目を向けていた間に、通り過ぎた相手だろう。話しかけられた覚えはなかった。

 

「それで、ここへ来たのか?」

 

 キーノが尋ねると、ハリーは少し照れたように笑った。

 

「ほかにも席はあったけど、顔を知ってたから。二人のこと、ちゃんと知ってるわけじゃないんだけどね」

 

「今、名前は聞いた」

 

 キーノが答えた。

 

 ハリーは彼女を見て、それから頷く。

 

「うん。そうだね」

 

 白いフクロウが、籠の中で首を動かした。キーノの目がそちらへ向く。

 

「そいつにも、名前はあるのか?」

 

「ヘドウィグ。ハグリッドが買ってくれたんだ」

 

 ハリーは籠の近くへ指を添えた。

 

 フクロウはその指を見てから、キーノへ顔を向けた。彼女は籠へ手を差し込まず、白い羽根を眺めていた。

 

 鬼太郎は座り直した。

 

 先ほどまで二人で使っていた部屋に、荷物も声も一人分増えた。膝の本を開く代わりに、鞄へ戻す。

 

 ハリーがそれを見て、何を読んでいたのか尋ねかけたとき、また扉が動いた。

 

 赤毛の少年が立っていた。

 

「ここ、まだ座れる?」

 

 言いながら中を見渡す。

 

 その視線が、キーノのところで止まった。

 

 持っていた荷物が少し下がり、慌てて握り直される。少年は口を開きかけたが、次の言葉が出てこなかった。

 

「空いていますよ。こちらへ」

 

 鬼太郎は自分の隣を示した。

 

「あ、うん。ありがとう」

 

 少年が入ってくると、ハリーが立って荷物を支えた。

 

「君のお母さんに、入口を教えてもらったんだ。助かったよ」

 

「母さん、毎年来てるからね。僕の兄貴、たくさんいるんだ」

 

 少年はハリーにはすぐ答えた。荷物を収めて振り返ったところで、またキーノと目が合う。

 

 今度は、座席を見てから腰を下ろした。

 

 鬼太郎は隣へ少し場所を空ける。少年は上着を引っ張って整え、膝へ両手を置いた。

 

「僕はロン。ロン・ウィーズリー」

 

 キーノは顔を向けたままだった。ロンは彼女へ何か言おうとして、先にハリーを見る。

 

「君は?」

 

「ハリー・ポッター」

 

 ロンの目が大きくなった。

 

「兄貴たちが言ってたの、本当だったんだ」

 

 その声は、先ほど扉のところで止まったときとは違っていた。

 

 ハリーは小さく頷いた。ロンの視線が眼鏡から額へ動くと、その理由が分かったらしく、前髪へ手を上げる。

 

 キーノが二人を見ている。

 

 鬼太郎も、髪の下へ目を向けた。

 

 空いていた四つの席に、それぞれ座る者が決まっていた。

 

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