第七十二話 一歩は、勝利より遠い
二発目の銃声が、一発目の余韻を追い越した。
鬼太郎は、同じ場所を狙わない。
最初は眉間。
次は杖を持つ右手。
三発目は左膝。
ダンブルドアの杖が小さく動くたび、弾丸は老人の手前で進路を変えた。
盾へぶつかって潰れるのではない。
見えない壁に弾かれる音もない。
飛んでいる弾丸だけが横から押され、地面や離れた岩へ吸い込まれていく。
鬼太郎は引き金を引きながら、その角度を見る。
右へ。
左へ。
下へ。
逸らす方向は、後ろにいるキーノたちと、森の奥を避けて選ばれている。
「撃ちながら考えておるな」
ダンブルドアが言った。
「考えずに撃つ理由がありませんから」
「同じところへ続ければ、わしの防ぎ方を崩せるかもしれんぞ」
「試してほしいのですか?」
「君がどうするか見ておるだけじゃ」
「でしたら、ご覧ください」
鬼太郎は銃口を下げた。
撃ち切ったわけではない。
続けても、弾丸の数を減らすだけだと判断した。
左手を前へ向ける。
赤い火が、指先ではなく掌の前で生まれた。
空気を吸い込み、一息で人の頭ほどに膨らむ。
それまで僅かな動きしか見せなかったダンブルドアの杖が、はっきりと鬼太郎へ向く。
「こちらは、ご存じのようですね」
「噂に聞いた程度じゃよ」
「では、確かめてください」
炎が放たれた。
真っ直ぐ老人を狙った火は、届く前に二つへ割れる。
ダンブルドアの左右を抜けた炎が、背後の草へ落ちるより早く小さくなり、火の粉だけを残して消えた。
水を浴びせたわけではない。
風で吹き消したようにも見えない。
炎を保つ力そのものを、途中で奪われた。
鬼太郎は笑みを崩さず、二つ目の火を地面へ落とした。
乾いた草の表面を、炎が低く走る。
老人を焼くためではない。
赤い壁が立ち上がり、二人の間を隔てた。
ダンブルドアの姿が炎の向こうへ消える。
鬼太郎は横へ走った。
銃口だけを炎の端から出し、先ほど老人が立っていた場所へ二発撃つ。
弾丸は火の壁を横切った。
だが、向こう側から土を打つ音しか返らない。
「姿が見えなくとも、相手が待ってくれるとは限らんよ」
声は、炎の向こうから聞こえた。
杖先が横へ動く。
立ち上がっていた火が左右へ分かれ、低くなった。
ダンブルドアは、最初と同じ場所に立っている。
長衣の裾に、焦げ跡一つない。
視界を遮られている間も、弾丸の位置を正確に捉えて逸らしていた。
鬼太郎は〈ケストレル〉の向きを変えた。
狙うより先に、草が動く。
ダンブルドアが杖を振ると、鬼太郎の足元から長い蔓が伸びた。
右足首へ絡みつく。
鬼太郎は転ぶ前に身体を捻り、蔓へ左手を向けた。
火が走る。
焼けた蔓が緩み、足が抜ける。
着地と同時に銃を構える。
しかし、老人はもう杖先をこちらへ向けていた。
鬼太郎は撃たない。
前へ出ず、後ろへ跳ぶ。
直前までいた地面が柔らかく沈み、泥のように形を変えた。
足を止めていれば、両脚を呑まれていた。
「退くこともできるようじゃな」
「褒めていただけるとは」
「まだ早い」
沈んだ土が盛り上がる。
鬼太郎の左右から細い柱となって伸び、逃げ道を狭めた。
正面にはダンブルドア。
後ろには火の残る草地。
鬼太郎は一瞬だけ左右を見た。
次に口元を持ち上げる。
「では、これはどうでしょう」
左手から放たれたものは、炎ではなかった。
白い冷気が地面を這う。
水分が一度に凍り、草の先から白く変わっていく。
鬼太郎を挟もうとしていた土の柱にも霜が広がり、表面が固く凍りついた。
銃声。
弾丸が凍った柱を砕く。
鬼太郎は崩れた隙間から横へ抜けた。
「冷気も扱うのか」
ダンブルドアの声から、初めて僅かな驚きが漏れた。
「ご存じなかったようですね」
「聞いておらんよ」
「それはよかった」
鬼太郎は冷気を老人の足元へ向ける。
地面が凍り、広がる。
ダンブルドアは退かない。
杖先が土へ向いた。
凍っていた草が、厚い苔へ変わる。
氷は残っている。
その上を覆うように生まれた苔が、滑らない足場を作った。
知らなかった。
だが、防げないわけではない。
ダンブルドアは、初めて見る冷気を前にしても、鬼太郎が次の攻撃へ移るより早く対処を終えていた。
「驚いた割には、余裕がありますね」
「驚くことと、慌てることは同じではないのでな」
「勉強になります」
言葉どおり、鬼太郎は見ていた。
老人の足。
杖の向き。
どの攻撃に、どの程度の動きを使うか。
冷気が防がれたことより、対応するために何を選んだかの方が重要だった。
◆
「あの老人、冷気は知らなかったみたいだな」
岩場から、キーノが言った。
「炎と、頭を狂わせる力までしか調べられなかったらしい」
サーシェスは透明な防壁の向こうを見たまま答えた。
二人にとって、鬼太郎が冷気を使うことは初めてではない。
見世物小屋の血に濡れた舞台で、鬼太郎は腹の傷を塞ぎ、炎だけでなく、氷、雷、風を使った。
サーシェスは、それらが作った隙と射線を利用して敵を撃った。
キーノも自分の拘束を外した後、閉じた傷と、多属性の力をその目で見ている。
知らなかったのは、ダンブルドアだけだった。
「次は風だ」
キーノの言葉に重なるように、鬼太郎が左手を横へ払う。
空気が唸った。
草が一斉に伏せ、凍った表面から白い粉が舞い上がる。
強い風がダンブルドアへ向かった。
老人の長衣が膨らむ。
白髭が流れ、足元の苔が剥がれそうになる。
ダンブルドアは杖を一振りした。
正面から吹いていた風が、身体へ届く寸前で二つに分かれる。
老人の左右を通り過ぎ、後ろの木々を揺らした。
鬼太郎は風の中へ火を加えた。
赤い火の粉が渦を巻く。
視界を覆う炎と風の中から、銃弾が飛ぶ。
ダンブルドアは杖を大きく振らない。
弾丸を逸らし、火を分け、風の流れを自分の両側へ逃がしていく。
複数の攻撃を同時に重ねても、老人の表情は変わらなかった。
「やっぱり、風も知らなかったな」
「だが、知らねえからって困っちゃいねえ」
サーシェスが答えた。
ダンブルドアは、鬼太郎が何を放ったのか確かめてから防いでいる。
最初から対策を用意していたのではない。
一度見て、性質を読み、その場で対処している。
未知の力が三つに増えても、実力差は縮まらなかった。
「次は、何を隠しておるのかね?」
「隠していると決めつけるのですか?」
「ここまで順番に見せられれば、期待もするじゃろう」
「でしたら、ご期待に応えましょう」
鬼太郎が左手を前へ出す。
空気が、乾いた音を立てた。
青白い光が指の間を走る。
次の瞬間、雷が地面を裂いてダンブルドアへ伸びた。
老人の杖が、今までより速く振られる。
半透明の防壁へ雷がぶつかった。
光が広がり、いくつもの細い筋へ分かれる。
土を焦がしながら左右へ流れ、老人の後ろで消えた。
ダンブルドアは、その場に立っている。
「雷まで、か」
「まだ余裕ですね」
「君も、まだ楽しそうじゃな」
「ええ。知らないものへ、どう対処するのか見せていただけますから」
鬼太郎は、自分の攻撃が通じないことへ苛立っていない。
通じない理由を一つずつ拾っている。
火力を上げるだけでは届かない。
銃弾も、炎も、冷気も、風も、雷も、一つずつ放てば防がれる。
ならば、選べる対処を減らす。
鬼太郎の視線が、ダンブルドアの足元へ落ちた。
◆
炎が正面へ広がった。
今度は老人を焼くためではなく、その目から鬼太郎の位置を隠すためだけに使われる。
横から風が吹き込み、炎と煙を複雑に巻き上げた。
足元には冷気。
後方の地面には、先ほどの雷で焦げた跡。
ダンブルドアは杖先を地面へ向けた。
凍結を止める。
その動きへ、二発の銃弾が重なる。
一発は右手。
もう一発は胸。
弾丸を逸らした直後、煙の奥で青白い光が弾けた。
雷は老人本人ではなく、地面へ落ちる。
凍った草の表面を、水分に沿って光が走った。
ダンブルドアは防壁で受けられる。
足元を別の物へ変えることもできる。
その場に残って、全てを正面から処理することも難しくはない。
だが、右へ一歩移れば、最も少ない動きで雷の流れから外れられる。
ダンブルドアは、そうした。
長衣の裾が動く。
右足が草を踏む。
その一歩を、鬼太郎は見逃さなかった。
「ようやく、僕の攻撃に合わせて足を動かしていただけましたね」
炎が消える。
煙の向こうで、鬼太郎が笑っていた。
ダンブルドアは最初に立っていた場所を見る。
そこには、地面を走った雷の細い焦げ跡が残っている。
「わしを倒すことは、途中で諦めたのかね?」
「諦めたわけではありませんよ。今日は無理だと判断しただけです」
「一歩動かせば、君の勝ちか」
「今の僕が取れる成果としては、十分でしょう?」
「随分と大がかりな一歩じゃな」
「あなたが動いてくださらないので」
ダンブルドアは、鬼太郎がいつ目的を変えたのか考えた。
冷気を防がれた時か。
風と炎を同時に受け流された時か。
少なくとも、雷を最初に放った時には、すでに次の組み合わせを考えていた。
勝てないと分かっても、同じ攻撃を繰り返さない。
届く範囲へ目的を変え、そこへ持てる手段を重ねた。
危険ではある。
同時に、教える価値のある判断でもあった。
「では、わしも少し進めようかの」
ダンブルドアが言った。
「これまでは、進めていなかったと?」
「見ておったからの」
「楽しみです」
鬼太郎が銃を構える。
ダンブルドアの姿が、視界から消えた。
鬼太郎は考える前に横へ跳んだ。
直後、立っていた場所から草が伸びる。
避けた先の地面も盛り上がった。
進路を読まれている。
足をつく寸前、鬼太郎は左手から火を放ち、伸びた草を焼いた。
着地する。
銃口を声のない方へ向ける。
誰もいない。
「相手が、同じ高さにいるとも限らんよ」
上から声が落ちた。
顔を上げる。
ダンブルドアは宙に浮いていない。
近くにあった大岩の上へ立っている。
いつ移動したのか、鬼太郎には見えなかった。
杖が振られる。
大岩の表面が崩れ、小さな鳥の群れへ変わった。
石だった鳥が一斉に飛ぶ。
鬼太郎の視界を埋め、腕と銃へまとわりつく。
撃てば壊せる。
炎でも焼ける。
だが、その先にいる老人の位置が分からない。
鬼太郎は火を選ばなかった。
左手から風を放ち、鳥の群れを外へ押し広げる。
開いた視界の先に、ダンブルドアはいない。
背後で草を踏む音。
鬼太郎は振り向かず、〈ケストレル〉を手放した。
落ちる銃を左足の甲で蹴り上げる。
身体を半回転させ、空中の銃を右手で掴む。
背後へ銃口を向けた。
ダンブルドアの目が、僅かに見開かれる。
引き金へ力が入る前に、見えない何かが鬼太郎の胸を押した。
身体が地面から離れる。
数歩分を飛ばされ、草の上へ転がった。
受け身を取り、膝をつく。
手の中には、まだ〈ケストレル〉がある。
「今の動きは、誰に教わったのかね?」
「覚えていません」
「それも、身体が覚えておると?」
「ええ」
ダンブルドアは、それ以上を尋ねなかった。
十歳の身体が、動きを完全に再現できているわけではない。
重心が僅かに遅れ、肩も銃の動きへ追いついていなかった。
それでも、発想は訓練を積んだ戦闘者のものだった。
この身体で覚えた年月だけでは、足りない。
鬼太郎は再び立つ。
銃を向けるより先に、ダンブルドアの杖が動いた。
地面から伸びた帯が両足へ巻きつく。
同時に、右手首も締め上げられた。
鬼太郎は左手へ火を作る。
その手首にも、別の帯が絡んだ。
炎が形になる前に、腕が背後へ固定される。
鬼太郎は力任せに動かない。
相手の杖。
足元。
拘束の太さ。
どこを先に壊せば、次の動作へ移れるかを見る。
ダンブルドアが歩いてくる。
鬼太郎は、その目へ意識を向けた。
相手の判断を乱す力。
炎と並び、老人が事前に存在を知っていたもの。
見えない揺らぎが、ダンブルドアの意識へ触れる。
老人の足は止まらない。
青い目にも、混乱は浮かばなかった。
堅い壁へ触れたように、力が押し返される。
「やはり、それも使うか」
「ご存じなら、驚いてはいただけませんね」
「十分に危険な力じゃよ。驚く必要がないだけでの」
杖先が鬼太郎の喉元へ向く。
足元を焼こうとすれば、その前に動きを止められる。
風で杖先を逸らしても、老人のもう一方の手が空いている。
冷気は拘束ごと自分の手足を固める。
雷を放つ向きも作れない。
銃口は地面へ固定されている。
まだ何かないか。
鬼太郎が探している間に、ダンブルドアが告げた。
「そこまでじゃ」
終了を告げられたら止める。
始める前に決めた条件だった。
鬼太郎は、作りかけた火を消した。
〈ケストレル〉の引き金から、指を離す。
「分かりました」
息を整え、老人を見上げる。
「僕の負けです」
ダンブルドアが杖を下げた。
手足を縛っていた帯が土へ戻り、草の間へ崩れていく。
◆
身体が自由になっても、鬼太郎はすぐに立ち上がらなかった。
片膝をついたまま、戦った場所を見る。
弾丸のめり込んだ土。
焼けた草。
霜の残る地面。
雷が走った焦げ跡。
どの攻撃も、ダンブルドアへ傷一つ与えていない。
老人の長衣にも、汚れはなかった。
鬼太郎は自分の手を見る。
銃を拾い、土を払い、壊れていないことを確かめた。
それから、笑った。
戦っている最中よりも、さらに満足そうな笑顔だった。
「何を笑ってる」
防壁が消えるより早く、キーノが近づいてきた。
「負けたんだぞ」
「ええ」
「一度もまともに当てられなかった」
「そうですね」
「あの老人は、最後まで本気じゃなかった」
「分かっていますよ」
「なら、どうしてそんなに嬉しそうなんだ」
鬼太郎は立ち上がった。
身体に目立った傷はない。
呼吸は少し速く、短時間に複数の力を使った疲労が腕へ残っている。
「道が見えましたから」
「道?」
「今は、あまりに遠い。何年かかるかも分かりません。ですが、登り方の分からない頂ではありませんでした」
鬼太郎は、ダンブルドアを見る。
「力を増やす。知らない魔法を学ぶ。身体を鍛える。防ぎ方と、届かない相手から生きて逃げる方法を覚える。一つずつ積み重ねればよい」
「それで、あの老人に追いつくつもりか」
「ええ。時間はかかるでしょうけれど」
悔しさを押し隠しているのではない。
負けたことを、心から喜んでいる。
すぐに追いつけないほど強い相手が、この世界にいた。
だが、何をしても理解できない、遥か遠い何かではなかった。
少なくとも、鬼太郎にはそう見えた。
「坊主」
サーシェスが焦げた地面を踏み越えてくる。
「爺さんが見せたのは、山の麓ぐらいかもしれねえぞ」
「それなら、登る距離が増えるだけです」
「いい顔するようになったじゃねえか」
「褒めていただけるとは」
「褒めてねえよ。気味が悪いって話だ」
「あんたも笑ってるだろ」
キーノが言う。
サーシェスは否定しなかった。
「爺さんも大概だな。まだ本気じゃねえだろ?」
問いを向けられたダンブルドアは、杖を長衣へ戻した。
「十歳の子供を相手に、本気を出すほど若くはないのでな」
「否定はしねえんだな」
「年寄りは、必要な力だけ使うものじゃ」
「化け物が長生きすると、そういう言い方を覚えるらしい」
「君も長生きすれば分かるかもしれんよ」
「そいつは無理だな。俺は長生きするような生き方をしてねえ」
「知っておるなら、少しは変えてみてはどうかね?」
「説教は、坊主だけにしとけ」
ダンブルドアは肩を竦めた。
◆
「鬼太郎くん」
笑いが収まるのを待ち、ダンブルドアが呼んだ。
「はい」
「君の銃は、多くの魔法使いにとって十分な脅威になる。杖を抜き、呪文を唱える前に撃たれれば、防ぐことは難しいじゃろう」
「ですが、あなたには届きませんでした」
「相手が全て、わしと同じとは限らん。今日の結果だけで、銃が役に立たぬと考えてはいかんよ」
「その心配はありません」
「じゃろうな」
ダンブルドアは、焼けた草へ目を向ける。
「炎と、心を乱す力については聞いておった。冷気、風、雷は知らなかった」
「驚きましたか?」
「驚いたよ」
「ですが、簡単に防がれました」
「知らぬ攻撃に出会った時、驚いたまま死なぬために学ぶのじゃ」
「それも、教えていただけますか?」
「まだ返事はしておらんよ」
鬼太郎は黙って続きを待つ。
「力の扱いと、攻撃を組み合わせる判断は悪くない。途中で、わしを倒すことから一歩動かすことへ目的を変えたのもじゃ」
「勝てないと分かった後も、何かは得たかったので」
「じゃが、防御と退き方が足りん。君は攻撃するために距離を詰めることは考えても、相手が自分より速く詰めてくる時の備えが少ない」
「認めます」
「そして、身体が技術へ追いついておらん」
鬼太郎は右肩を回した。
銃を蹴り上げた時、僅かに筋を痛めている。
ディアを使うほどではない。
「以前と同じように動こうとしても、今の身体では遅れます」
「以前、か」
ダンブルドアが短く繰り返す。
鬼太郎は説明を加えなかった。
「最後にもう一つ。終わりを告げた時、君は止まった」
「約束しましたから」
「戦いに昂っておっても?」
「昂っていることと、約束を忘れることは別でしょう」
「その答えを聞けたのは、よかった」
ダンブルドアは、しばらく鬼太郎を見る。
「教えよう」
キーノの目が僅かに見開かれた。
鬼太郎の笑みは変わらない。
「ありがとうございます」
「ただし、わしが教えるのは、上手に人を殺す方法ではない」
「何を教えていただけます?」
「まずは、相手の術を見ること。防ぐこと。不利な場所から退くこと。力を隠し、使う時を選ぶこと。そして、勝てぬ相手から生きて帰ることじゃ」
「どれも役に立ちそうですね」
「君が何に使うかも見る。それを忘れてはいかん」
「僕が教わったものを、どのように使うかは僕が決めます」
「そこまで正直に言われると、教える側としては困るのう」
「嘘をついた方がよかったですか?」
「いや」
ダンブルドアは小さく息を吐いた。
「今は、そのままでよい」
入学までの間、日を決めて砦を訪れる。
ホグワーツへ入った後も続けるかは、鬼太郎が何を学び、どう使うかを見て決める。
その条件で、鬼太郎は頷いた。
ダンブルドアが次に来る時は、先に知らせることも忘れずに加えられた。
「もう一つ、よろしいですか?」
話がまとまったところで、鬼太郎が尋ねた。
キーノが嫌そうな顔をする。
「まだあるのか」
「大切なことです」
鬼太郎はダンブルドアへ向き直った。
「僕が実力を取り戻した後、もう一度戦っていただけますか?」
「訓練としてなら、必要に応じて行うこともあるじゃろう」
「そうではありません」
穏やかな声だった。
だが、ダンブルドアは意味を取り違えなかった。
今日のように、初めから終わりの決められた実力確認ではない。
教師と生徒の模擬戦でもない。
互いが持つものを使い切り、どちらかが倒れて動かなくなるまで続ける戦い。
鬼太郎は、それを望んでいる。
「その約束はできん」
ダンブルドアは、笑って流さなかった。
「理由を伺っても?」
「わしには学校があり、守るべき者がおる。自分の楽しみのために命を賭け、その責任を放り出すつもりはない」
「僕と戦うのが怖いからではなく?」
「今の君は、わしを恐れさせるには少し若すぎるのう」
「では、強くなった後は?」
「君が誰かを害し、止めるために戦わねばならぬ日が来れば、わしは杖を取るじゃろう」
青い目が、真っ直ぐ鬼太郎を見る。
「じゃが、強さを比べるためだけに、君か、わしのどちらかが死ぬ約束はせん。まして、今から教えようとする相手とな」
鬼太郎は黙った。
断られたことを怒ってはいない。
老人の言葉を、自分の中で確かめている。
学校を守る立場。
自分一人の満足より優先するものがある。
それを理由に、殺し合いを拒む。
力が足りず逃げるための言葉ではない。
「正当な理由ですね」
鬼太郎は、あっさりと頷いた。
「でしたら、諦めます」
キーノとサーシェスが、同時に鬼太郎を見た。
「本当か?」
キーノが疑う。
「ダンブルドアさんとの殺し合いは諦めましたよ」
「そこだけだろ」
「それ以外の何を諦める必要があります?」
「やっぱり、何も諦めてないじゃないか!」
サーシェスが声を上げて笑った。
「小娘。坊主は狙う相手を変えただけだ」
「人聞きが悪いですね」
「違うのか?」
「まだ、どなたがいるのかも知りませんよ」
鬼太郎は、再びダンブルドアを見る。
「先ほどの質問へ、まだ答えていただいていませんでした」
「わしと同じ程度に強い者が、どれほどいるかという話かね?」
「ええ。あなた以外に、この世界にはどのような強者がいます?」
ダンブルドアは額へ手を当てた。
「戦う相手の名簿を渡すつもりはないぞ」
「お名前を教えていただければ、後は自分で探します」
「なおさら教えられん」
「残念です」
口ではそう言うが、落胆しているようには見えなかった。
「ただ、この世界には、今の君では勝てぬ者が他にもおる」
「あなたより強い方も?」
「強さは、物差しを一つにすれば測り違える。決闘で強い者。守ることに優れた者。知識によって、戦う前に勝つ者もおる」
「では、これから学びながら探すことにしましょう」
「わしが教えるのは、殺し合いの相手を見つける方法ではないぞ」
「もちろんです。強くなる方法を教えていただければ十分ですよ」
キーノが額を押さえた。
「安心できる言葉が一つもない」
「安心させるために、嘘をついた方がよいですか?」
「それをまた使うな!」
「便利な言葉ですね」
「坊主。小娘が殴る前にやめとけ」
サーシェスは止めながら、まだ笑っていた。
◆
砦へ戻る道で、ダンブルドアは三人の少し後ろを歩いた。
鬼太郎は疲れている。
歩調は崩していないが、左手を開閉する回数が増えていた。
未知の力も、無尽蔵ではない。
十歳の身体も、本人が覚えている動きへ追いついていない。
今なら、止められる。
正面から戦えば、勝てる。
だが、それは鬼太郎という存在を扱えることと同じではない。
今日の敗北で折れることはなかった。
強さを見せれば従うわけでもない。
負けた相手を憎むどころか、頂へ至る道を見つけたように笑った。
そして、理由の通った拒絶ならば受け入れる。
約束した終了にも従った。
力だけを求める獣ではない。
だからこそ、単純な鎖では繋げない。
導けるのか。
互いに利用できる協力者となるのか。
いつか、こちらの盤面を壊す敵になるのか。
まだ分からない。
分からないものを、遠くへ置いておくつもりもなかった。
「次は、いつ来ます?」
前を歩く鬼太郎が振り返った。
「先ほど終わったばかりじゃぞ」
「予定を確認しているだけです」
「決まり次第、先に知らせよう」
「お待ちしています」
その顔には、敗北の影がない。
十歳の少年の身体に、何年分かも分からぬ戦いの時間が沈んでいる。
白い杖は、まだその深さを測り切れていなかった。