第78話 帽子の下の声
開いた扉の向こうに、緑のローブを着た魔女が立っていた。
髪はきっちりまとめられ、背筋が伸びている。ハグリッドよりずっと小柄だったが、顔を上げた子供たちの話し声は、自然に小さくなった。
「一年生を連れてきたぞ、マクゴナガル先生」
「ありがとうございます、ハグリッド。ここからは私が」
彼女は列を見渡した。
鬼太郎のところでも、その視線が止まった。隣のキーノを見てから、最後尾へ目を移す。
「皆さん、こちらへ」
子供たちが歩き出す。
鬼太郎は扉の厚い木を横目に、玄関ホールへ入った。広い石床の先から、何人もの声が重なって聞こえてくる。音のする方へ顔を向けたが、案内されたのは別の小さな部屋だった。
全員が入ると、肩と肩の間が狭くなった。
キーノはローブの裾を足元へ寄せ、ハリーとロンの隣に立つ。鬼太郎もその後ろへ入った。
マクゴナガルは入口で、子供たちが静まるのを待った。
「ホグワーツへようこそ。宴の前に、皆さんの所属する寮を決めます」
四つの名が告げられた。
グリフィンドール。ハッフルパフ。レイブンクロー。スリザリン。
同じ寮の生徒と寝室や談話室を使い、授業や行動によって寮の点が増減する。よい成績を収めたときには、自分だけでなく寮のためにもなるのだという。
鬼太郎は話を聞きながら、周囲を見た。
ロンは唇を結び、前を向いている。ハリーは彼を一度見てから、自分のローブへ目を下ろした。
キーノは寮の名を聞くたび、窓の方ではなくマクゴナガルへ顔を向けていた。
説明が終わると、服装を整えて待つように言われた。マクゴナガルは名簿を確かめ、鬼太郎の前で一度足を止める。
「墓場鬼太郎。読み方は、これでよろしいですね」
「はい。墓場が姓です」
「あなたの名前は、漢字で別の欄に記されています。最後に呼びますから、待っていてください」
「承知しました」
彼女は頷き、部屋を出た。
扉が閉まる。
誰かが、はっきりと息を吐いた。
「どうやって、決めるのかな」
ハリーが小声で尋ねると、ロンは肩を寄せた。
「分からない。兄貴たちは、怖いことばっかり言ってたから」
「何をされるか、先に言ってほしいな」
キーノが袖口を直す。
「説明は、これからなのでしょう。今のところ、何も始まっていませんよ」
鬼太郎が答えると、彼女は顔だけこちらへ向けた。
「お前は、最後なんだな」
「ええ。その分、ほかの方を見ていられます」
少し離れたところでは、ハーマイオニーが唇を動かしていた。覚えた言葉を確かめているのだろうか。ネビルはヒキガエルを服の中へ寄せ、逃げないよう何度も手を添えていた。
子供たちの間を、新しい声が通った。
「今年、ハリー・ポッターが来ているんだぞ」
ハリーが顔を上げる。
マルフォイが、少し向こうからこちらを指していた。
◆
近くの子供たちが振り返った。
ハリーは前髪へ触れかけ、手を下ろした。額を見せてほしいとは言われていない。それでも、どこへ目が向いているかは分かった。
マルフォイが近づいてくる。
クラッブとゴイルは、今度は少し後ろにいた。ゴイルは片方の手を、もう一方で包んでいる。
「まだ、一緒にいるのか」
ロンを見てから、ハリーへ向き直った。
「そろそろ、どんな連中と付き合えばいいか分かった方がいいぞ」
「汽車で、答えたよ」
ハリーは言った。
「ここへ来ても、同じつもりか?」
「うん」
周囲が静かになる。
マルフォイは、ハリーを見ていた子供たちへ目を動かした。みんなの前で名を教えたのは自分なのに、今はその前で断られている。
「何も知らないくせに」
「だったら、僕がこれから知るよ」
ハリーが答えると、ロンが隣へ寄った。キーノもその場を離れず、相手の手元を見ている。
鬼太郎は少し後ろに立ったままだった。
マルフォイは唇を曲げたが、今度は誰かへ手を伸ばさなかった。クラッブとゴイルの方へ戻っていく。
ハリーは背を壁から少し離した。
まだ、名前を囁く声が聞こえた。何かした覚えもないのに、顔を見られる。汽車で聞かれたときより、相手の数が多かった。
「あいつが、言わなければ」
ロンが小さく言ったところで、壁から白いものが出てきた。
ハリーは息を呑み、肩を引いた。
人だった。
ただし、透けている。
古い服を着た何人もの人影が、壁を通り抜けて部屋へ入ってきた。子供たちの頭の上を、互いに話しながら進んでいく。
誰かが短い悲鳴を上げた。
キーノも目を大きくしていた。鬼太郎は、通り抜けてきた壁と人影を見比べている。
太った修道士の姿をした幽霊が、こちらに気づいて笑った。
「新入生だね。これから組分けかい?」
ハリーはすぐには答えられなかった。
ロンが頷くと、修道士は自分の寮へ来る者がいるか楽しみだと言った。声は普通に聞こえるのに、足は床についていない。
ハリーが口を開きかけたところで、扉が戻ってきた魔女に開かれた。
「幽霊の皆さんは、大広間へお願いします。これから始めます」
人影が向こうへ流れていく。
マクゴナガル先生は子供たちへ顔を向けた。
「一列になって、ついてきてください」
ハリーはロンと目を合わせ、前の子供の後ろへ並んだ。
◆
一年生を迎えに行く前、ミネルバが名簿を取りに来たとき、ダンブルドアは古い帽子を手にしていた。
大広間では、生徒たちの声が長いテーブルの間を満たしている。夏の話をする者も、弟や妹が来るのを待つ者もいた。
その声へ紛れるくらいの音量で、ダンブルドアは帽子へ話しかけた。
「今夜、先に頼んでおきたい生徒がおる。墓場鬼太郎じゃ」
帽子の裂け目が動いた。
「名簿にあれば、私が呼ばれるのを待つ」
「彼には、まず言葉で希望を確かめてほしい。開心術を使うことを、断るかもしれん」
「そのくらいの子供なら、今までにもいたとも」
古い先端が、少し傾いた。
「だから、先に言っておる。拒まれたら、踏み込むのはやめるんじゃ」
帽子はすぐに返事をしなかった。
やがて、裂け目が口のように持ち上がる。
「私が、何百年この仕事をしてきたと思っている。君より長く、子供たちを見てきたのだよ。あの闇の帝王だって、私が組分けをした」
「経験を疑っているのではない」
ダンブルドアは声を変えずに答えた。
「本人が断ったことを、皆もそうしておるからと、聞き流さんでほしい」
心へ触れることを、ダンブルドア自身は常に避けてきたわけではない。
言葉だけでは分からないものがある。知ることで先に防げることもあり、そのために必要だと判断して使ったこともあった。
だが、鬼太郎へは使っていない。
今、彼と話せているのは、何もかも知られたからではなかった。話さなかったことが残っていても、教わり、取引し、約束を交わせる。
その先を繋いでおくためにも、本人の返事を無意味にはできなかった。
「彼の答えを聞いてくれ」
ダンブルドアは、もう一度告げた。
帽子は裂け目を閉じた。
長い仕事への自負が、わずかな動きにも残っている。
ダンブルドアはその帽子をミネルバへ渡した。彼女は名簿と合わせて確かめ、一年生を迎えに大広間を離れた。
◆
大広間へ入ったキーノは、思わず顔を上げた。
蝋燭が浮いている。
長いテーブルの上に、いくつも炎が並んでいた。そのもっと上には、夜空が見えた。
屋根がないのかと思ったが、湖を渡ったときの冷たい風は入ってこない。星を見たまま歩くと、前の子供へ近づきすぎて足を緩めた。
「天井に、魔法がかかっているの」
近くでハーマイオニーが小声で言った。
「外の空が見えるようになっているのよ。『ホグワーツの歴史』に書いてあったわ」
キーノはもう一度、上を見た。
鬼太郎も天井を見ている。だが、質問をする前に列が止まり、二人とも顔を前へ戻した。
四つのテーブルから、上級生がこちらを見ていた。
その奥には、大人たちの席がある。真ん中の白い髭は、すぐに分かった。
ダンブルドアが、小さく頷いた。
キーノはそれを見て、袖口から指を離した。
教師たちの前へ並ぶと、マクゴナガルが四本脚の腰掛けを置いた。その上に、古い帽子が載せられる。
継ぎ当てがあり、布が折れ、いかにも長く使われたものだった。
何をするのだろう。
キーノが見ていると、帽子の裂け目が開いた。
歌い始めた。
声は大広間の奥まで届きそうだった。キーノは目を瞬かせ、隣を見る。ハリーも同じような顔をしていた。
帽子は四つの寮について歌った。
勇気を大切にする寮。誠実さや働くことを重んじる寮。知恵を求める者、野心を持つ者。それぞれの違いを語った後で、自分を被れば行く場所を教えるという。
最後の声が終わり、拍手が起こった。
ロンが息を吐く。
「被るだけなのか」
「もっと早く教えてほしかったよ」
ハリーが小さく笑った。
キーノも手を合わせ、帽子から目を離さずに拍手した。
マクゴナガルが名簿を広げる。
名前を呼ばれたら前へ出て帽子を被ること。寮が決まったら、そのテーブルへ向かうこと。
最初の少女が呼ばれた。
ハンナ・アボットという子だった。
帽子を載せると、少し間を置いて、ハッフルパフと告げられる。ひとつのテーブルから拍手が上がり、少女はそちらへ歩いていった。
上級生が席を空ける。
次の名が呼ばれた。
キーノは、その流れを確かめるように見ていた。
帽子がすぐ叫ぶこともあれば、しばらく黙っていることもある。被っている子供が口を動かしても、ここからは何を言ったか聞こえなかった。
スーザン・ボーンズがハッフルパフへ、テリー・ブートがレイブンクローへ向かった。
ラベンダー・ブラウンがグリフィンドールと決まると、そのテーブルでは、前に決まった新入生も拍手していた。
キーノは自分の足元を見た。
あそこまで歩いて、座る。それだけなら、できる。
だが、その後どこへ行くかは、まだ分からなかった。
「ハーマイオニー・グレンジャー」
彼女はすぐに前へ出た。
帽子を被る。
少し待ち、グリフィンドールと告げられた。
キーノの隣で、鬼太郎がその席へ目を向けた。勉強熱心な少女のことを、どう思ったのかは聞けなかった。
名簿から、次の名が響いた。
「キーノ・ファスリス・インベルン」
自分の名前だった。
◆
一歩目が、少し大きくなった。
裾が足へ触れたが、踏まずに済む。キーノは腰掛けまで進み、座った。
帽子が頭へ載る。
蝋燭が見えなくなった。
古い布の内側が、すぐ目の前にある。
――さて。遠くから来たのだね。
キーノは息を止めた。
耳元で話しかけられたのではない。頭の内側に、誰かの声がある。
――だが、ここへ来ることは、自分で選んだ。
そうだ。
思うと、その声が答えた。
――それは、よく分かる。君は誰かが決めたところへ、運ばれてきたのではない。
キーノは腰掛けの縁へ指を置いた。
自分で行きたいと言った。
診察も、書類も、何をされるか聞いてから決めた。鬼太郎が行かなくなっても、自分の入学まで消さないように言った。
だが、それで何もかも怖くなくなったわけではなかった。
――怖さを知っているね。
帽子が言う。
心臓が速くなった。
自分の血のことを、言うのだろうか。
広い部屋にいる子供たちへ、昔のことまで話してしまうのだろうか。
――怖いからといって、君は来るのをやめなかった。
声は、そこから先を皆へ聞かせなかった。
キーノの目の前には、布しかない。だが、そこを見たまま、昨日の宿を思い出した。
知られた後に、席を離れられるかもしれない。
そう思っても、今朝は鞄を持った。汽車へ乗り、名前を聞いた。舟では、自分から明日も声を掛けてほしいと言った。
――君が手放さずにきたものは、ここでも失う必要はない。
生きていたかった。
檻の中にいる間も、次があるか分からないまま、それだけは捨てなかった。
今は、明日したいことまである。
キーノは、縁に置いていた指を少し緩めた。
――よろしい。君を迎えるのは、ここだ。
「グリフィンドール!」
今度の声は、外へ響いた。
帽子を持ち上げる。
明かりが戻り、拍手が聞こえた。手を上げて呼ぶ上級生がいる。
キーノは立ち、帽子を腰掛けへ戻した。
列にいる三人を見た。
鬼太郎が頷く。ハリーは笑っていて、ロンは手を上げかけ、慌てて下ろした。
キーノはテーブルへ向かった。
席へ着くと、ハーマイオニーが顔を向けた。
「一緒ね」
「ああ」
目の前に、皿と杯があった。
こちらへ来るよう招かれ、座った。そのことを確かめるように、キーノは座面へ一度手を置いた。
列は、さっきより遠い。
それでも、三人の顔は見つけられた。
◆
ネビルも、グリフィンドールになった。
帽子を被ったまま歩き出しかけ、慌てて戻す。笑い声が起きたが、席へ向かう彼を迎える拍手は止まらなかった。
ハリーも手を叩いた。
キーノとハーマイオニーが、そちらで少し場所を空けている。
マルフォイは、帽子が頭へ触れると、ほとんど待たずにスリザリンと告げられた。クラッブやゴイルのいる方へ向かい、腰を下ろす。
ハリーは彼を見てから、腰掛けへ目を戻した。
残る子供が少なくなっていた。
掌が少し湿っている。
何の試験も受けずに済むと分かったのに、今は別の心配があった。帽子は、自分のどこを見て決めるのだろう。
魔法界のことを何も知らない。教科書も、ハーマイオニーほど読んでいない。
それでも、ここに自分の席をくれるだろうか。
「ハリー・ポッター」
呼ばれた。
広間のあちこちから、囁きが上がる。
ハリーは足元を一つずつ見ながら進んだ。腰掛けへ座り、帽子を被ると、大きな部屋も視線も隠れた。
声がした。
考える力がある。勇気もある。自分が思っている以上に、何かを成し遂げようとする気持ちも。
ハリーには、どれもすぐには自分のことと思えなかった。
帽子は、いくつかの可能性を探していた。
ハリーはその途中で、強く思った。
スリザリンには行きたくない。
すると声が、そこへ反応した。
その寮なら、自分の力を伸ばせる。今まで知らなかった自分にも気づけるかもしれない。
ハリーは膝の上で手を握った。
何になれるかは、まだ分からない。
でも、マルフォイの隣へ座りたいとは思わなかった。
さっきキーノが座った席が浮かぶ。ハーマイオニーも、ネビルもいる。ロンが来るかもしれない。
そこへ行けば、明日、名前を呼ぶ相手を探すときにも、少しは見つけやすいだろう。
帽子はすぐには決めなかった。
布の向こうで、広間の物音が遠くなる。長く座っている気がしたが、実際にどのくらい経ったかは分からない。
声が、もう一度希望を確かめた。
ハリーは同じ答えを返した。
帽子の声が変わった。
「グリフィンドール!」
歓声が聞こえた。
帽子を外すと、赤毛の双子が立ち上がっていた。両手を上げ、ほかの生徒と一緒にこちらを迎えている。
ハリーは帽子を戻し、テーブルへ向かった。
誰かが手を握り、別の生徒が背中へ触れる。まだ自分の名を呼ぶ声がした。
キーノが通路側へ身体を寄せる。
「こっちだ」
ハリーは空いたところへ座った。
ようやく息を吐く。
向かいのハーマイオニーも、まだ拍手していた。
◆
鬼太郎は、ハリーが席へ着くまで見ていた。
あの少年には、名を呼ばれた瞬間から反応する者が多い。本人が何かしたのを見るより先に、歓迎が始まる。
ただ、席へ向かった顔は、汽車で話していたときと同じだった。
ハリーがこちらを見つけ、少し手を上げる。
鬼太郎も会釈した。
組分けが続く。
知識を求めるなら、レイブンクローだという。だが、独学で呪文を覚えていたハーマイオニーは、グリフィンドールへ行った。
一つの性質だけで決めているわけではないらしい。
隣でロンが、ローブの前を何度も直していた。
「もう、少しですね」
鬼太郎が言うと、ロンは前を向いたまま頷いた。
ディーン・トーマスがグリフィンドールへ向かった。
それから、ロンの名が呼ばれる。
彼は一度大きく息を吸い、腰掛けへ歩いていった。
帽子を被る。
今度は、長く待たされなかった。
「グリフィンドール!」
ハリーが身体を起こした。キーノも、空いている席を手で示す。
ロンは帽子を外し、そちらを見てから早足になった。
席へ着くと、三人が何か話した。ここから声は聞き取れなかったが、ロンの肩が下がり、ハリーが笑ったのは見えた。
最後の数人が組分けされていく。
ブレーズ・ザビニがスリザリンへ向かったところで、何人かの生徒が教師の席を見た。これで終わりだと思ったのだろう。
鬼太郎は、一人残っていた。
マクゴナガルが、名簿の別の欄へ指を移す。
教師たちの向こうに、ダンブルドアがいた。
鬼太郎は一度その顔を見てから、腰掛けへ目を戻した。
くたびれた帽子は、次の頭へ載るのを待つように、静かに折れている。
「墓場鬼太郎」
自分の名が響いた。
グリフィンドールのテーブルで、キーノが顔を上げる。
鬼太郎はローブの裾を払い、前へ歩き出した。