第七十九話 八冊の背表紙が、秋を待つ
ダイアゴン横丁へ戻ると、ダンブルドアは同じ内容を記した羊皮紙を二人へ一枚ずつ渡した。鬼太郎は自分の一覧を開き、キーノも隣で目を通す。
ホグワーツ一年生の持ち物一覧。
杖の欄には、二人分とも印がついている。
鬼太郎の黒檀の杖。
キーノが自分で選んだ松の杖。
残りの欄には、制服、教科書、授業用の道具が並んでいた。
「これを一つずつ揃えればよいのですね」
「そうじゃ。二人分あるから、買い忘れのないように確認しておくれ」
「間違えるつもりはありません」
「お主の場合、必要な品の横に必要そうな品を足していく可能性があるからの」
「それも買い忘れではありませんよ」
「支出が増える話をしておる」
キーノは一覧を受け取り、上から目を通した。
「杖以外は、同じものが二組ずつ必要なんだな」
「授業で使う本も道具も、基本は一人に一つじゃ」
「分かった」
前の訪問で換金した金から、学用品に必要な額は確保してある。キーノ自身の資産は彼女の名義のまま分けてあり、教育費を新たな借りにすることもない。
鬼太郎は一覧を鞄へしまった。
買い物は、衣服から始めることになった。
◆
マダム・マルキンの店では、黒いローブが幾重にも吊るされていた。
「三組ずつね。帽子に、手袋、それから冬用のマント。年齢を考えると、丈は少し余裕を持たせた方がいいわ」
採寸用の巻き尺が、二人の肩から足元までを測っていく。
キーノは腕を上げ、裾を踏まない長さを確かめた。
「袖が長すぎると、杖を使うときに引っかかる」
「そうね。手首が出ない程度にして、動きを妨げないように直すわ」
マダム・マルキンは、キーノの希望を聞いてから袖口を留めた。彼女は鏡を見て、右腕を曲げ、杖を握る形を試す。
「これならいい」
「あなたは、どこか気になるところはある?」
「肩の動きを確認したいです」
鬼太郎は腕を上げ、肘を曲げ、身体を捻る。ローブの布地が引きつらないのを確かめると、頷いた。
「問題ありません」
「着るのは学校の中よ。戦いに出るわけじゃないんだから、そこまで確かめなくても大丈夫よ」
キーノが言う。
「動きにくい服で授業を受ける必要もありませんから」
「理屈はそうだけどさ」
マダム・マルキンは二人の黒いローブをそれぞれ三組、同じ色の尖り帽子、手袋、銀の留め具がついた冬用マントを用意した。名札も忘れずに縫い付けるという。
キーノは鏡の前で、帽子の角度を直す。
「これを毎日かぶるのか?」
「式や授業による。普段は制服のローブが中心じゃよ」
「なら、なくても困らない日がありそうだな」
「必要なものの一覧にある以上、持っていくのじゃ」
「分かった」
キーノは帽子を外し、丁寧に箱へ戻した。
◆
書店の棚には、魔法界で長く使われてきた教科書が並んでいた。
鬼太郎は一覧に指を置き、題名を一冊ずつ確かめる。
『基本呪文集(一学年用)』。
『魔法史』。
『魔法論』。
『変身術入門』。
『薬草ときのこ千種』。
『魔法薬調合法』。
『幻の動物とその生息地』。
『闇の力――護身術入門』。
八冊を二組。
キーノは『基本呪文集』を手に取り、ページを開いた。目次を追い、知っている呪文がいくつあるか確かめる。
「ルーモスとノックス以外は、まだ使えないな」
「本を読むだけで使えるようになるとは限りません。まず、授業で教わる手順を覚えればよいでしょう」
鬼太郎が言う。
「お前は、本に載っていれば試すだろ」
「必要だと判断すれば」
「ほらな」
ダンブルドアが本を一冊、鬼太郎の手から抜き取った。
「授業で扱う前に、危険な呪文を試すのは許さんぞ」
「危険かどうかを判断するためにも、読む必要があります」
「読むことと、実行することは別じゃ」
「分かっています」
「今度の返事は、少しだけ信用しておこう」
書店員が八冊を二組ずつ揃え、会計台の脇へ積んでいく。
その横の棚に、濃い色の背表紙をした厚い本があった。
鬼太郎は題名を確かめる。
『防護呪文の構造と対抗理論』。
「それも必要かね?」
「指定品ではありません」
「なら、どうして手に取った?」
「防壁を使う相手とは、何度も戦いました。どう作られ、何を支えに保たれているのか知っておきたいのです」
鬼太郎は表紙を開き、目次に目を落とした。呪文の名称よりも、術者の姿勢や杖先の動き、障壁の保ち方についての章が並んでいる。
「一年生向けの本ではないぞ」
「読むだけなら、問題ありません」
「書いてある内容を、すぐ実地で試す気では?」
「指導を受けていない魔法を、勝手に使うつもりはありません」
「その約束を守るなら、購入は止めんよ。ただし、本を読んでも盾の前に立ってよい理由にはならん。まず観察し、危険なら離れる。そこを忘れるな」
「覚えています」
ダンブルドアは、鬼太郎の返事を見定めるように数秒眺めてから、書店員へ頷いた。
「その本も一冊、加えてくれ」
「はい」
「自分用に、ですか?」
「ええ。僕が読むものです」
鬼太郎は他の教科書と分けて、本を自分の区画へ入れた。
◆
会計台の近くに、羽根ペンやインク壺、羊皮紙の束が並んでいた。
キーノは指定された分を選び終えても、棚の端に置かれた小さな帳面の前から動かなかった。
紺色の革表紙に、銀の留め金。中には、薄い羊皮紙が綴じられている。
彼女は表紙に指を触れ、すぐに手を引いた。
鬼太郎は、彼女の視線を追った。
「キーノさん。それが気になるのですか?」
「別に。指定品じゃない」
「学校で使うための帳面ですか?」
「授業で覚えたことを書いておくには、使えそうだと思っただけだ」
「欲しいのですね」
「そうとは言ってない」
キーノは帳面から目を離し、会計台へ向き直った。
鬼太郎はすぐには動かず、彼女の顔を見た。
「本当に必要ないのですか?」
「必要かどうかじゃない。金を使うほどのものか、考えただけだ」
「欲しいかどうかを尋ねています」
キーノは少し黙った。
「……欲しい。けど、なくても困らない」
「では、買いましょう」
鬼太郎は帳面を手に取り、代金を自分の財布から出した。
キーノの手が、彼の袖を掴む。
「借りにはしない」
「もちろんです。キーノさんの持ち物になります」
「私が欲しいと言ったからか?」
「そうですよ」
鬼太郎は会計を済ませ、帳面を彼女へ差し出した。
キーノは受け取り、留め金を外して中を確かめる。白い羊皮紙が、端まできちんと綴じられていた。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
「お前が選んだものじゃない。私が欲しいと言ったんだ」
「ええ。ですから、キーノさんのものです」
キーノは帳面を胸元へ抱え込むでもなく、鞄の自分の区画へしまった。しばらく留め金を指で押さえていたが、やがて前を向く。
「次は鍋だろ」
「そうですね」
「余計なものはもう増やすなよ」
「必要なものを見つけたら、考えます」
「増やす気じゃないか」
「まだ決めていませんよ」
ダンブルドアが、小さく息を吐いた。
「今日は一覧を終わらせる。追加の買い物は、その後にしなさい」
「分かりました」
鬼太郎は、購入した本を抱え直した。
◆
大鍋は、錫製の標準サイズ二番。
小瓶はガラス製を一組。
望遠鏡は、鏡筒に傷がなく、折り畳みの脚が固く留まるものを選んだ。
真鍮の天秤は、皿の揺れが収まるまで待ってから、重りをひとつずつ確かめる。
店員が包み終えるたび、鬼太郎は一覧へ印をつけていく。
「これで全てです」
最後の印を入れる。
キーノも自分の羊皮紙を見下ろし、杖、制服、教科書、器具の欄を確認した。
「忘れ物はないな」
「ありません」
「必要な品は揃った。入学に関する書類と、キーノさんの健康・適性確認は別の日に進める」
ダンブルドアが二人へ告げた。
「確認の範囲と、情報を伝える相手は事前に決める。キーノさん本人が納得しないまま、検査を始めることはない」
「その約束を守れ」
「守るとも」
「サーシェスの契約は?」
「本人が読み、受けると決めた後じゃ。今日の買い物とは別にする」
「ならいい」
キーノは答え、帳面を鞄の中で確かめた。
品物は多かったが、拡張鞄の三つの区画へ分けて収まった。望遠鏡と小瓶は箱を固定し、重い大鍋は他の品を押さえない場所へ置く。
鬼太郎は自分の財布の残りを記録し、キーノの支出とは別の欄に記した。
「これで、必要な物は揃いました」
「うむ。後は、学ぶ準備じゃな」
「本を読むことも、準備のうちです」
「その本まで今夜から読み込むつもりかね?」
「目次と最初の章くらいは」
「まずは一年生の教科書からにしておくれ」
「考えておきます」
「それは、考えるまでもなくそうしてくれ」
キーノが、鞄の留め具を閉じた。
「私の帳面には、私が習ったことを書く。お前の本の内容は、お前が書け」
「もちろんです」
「勝手に借りるなよ」
「必要があれば、お願いしてからにします」
「必要があるかどうかを決めるのは、私だ」
「承知しました」
キーノは帳面を鞄へしまい直す。
鬼太郎は、彼女の鞄の留め具が確かに閉じているのを見届けた。
◆
ダンブルドアは、その様子を黙って見ていた。
鬼太郎は、誰にでも手を差し伸べる子供ではない。必要と判断した相手には条件をつけ、邪魔になるものは排除する。彼の物差しが、他人の善意と同じだと思ってはならない。
それでも、今日の彼はキーノの目が止まったものに気づき、欲しいかどうかを確かめた。彼女が自分で欲しいと認めるまで待ち、その後は代金を払い、帳面を彼女自身のものとして渡した。
優しさ、と呼ぶには少し違う。
鬼太郎は、気に入った者を対等な友人として扱っているわけではない。自分の目で選んだ相手を、替えのきかないものとして扱う。欲しがったものを与え、傷つけられれば怒る。彼の内側で大切にされる者は、確かに大切にされるのだろう。鬼太郎の所有欲を伴う、彼なりの仕方で。
それがキーノにとって安らかな関係なのか、長く見なければ分からない。
だが、彼女は帳面を自分の鞄へしまい、鬼太郎へ礼を言った。鬼太郎も、それ以上の見返りを求めなかった。
その小さなやり取りを、ダンブルドアは忘れぬよう胸に留める。
「そろそろ戻ろうか」
彼は二人へ声をかけた。
「次は書類と確認じゃ。今日買ったものは、持ち主ごとに分けておくんじゃぞ」
「分かっています」
鬼太郎は、自分の鞄を肩に掛けた。
「では、帰りましょう。キーノさん」
「その前に、一度だけ帳面の中を確認する」
「どうぞ」
キーノは留め金を外し、最初のページを開く。
何も書かれていない羊皮紙が、横丁の光を受けて白く見えた。
これからそこへ何を記すのか、まだ彼女にも分からない。
けれど、帳面は確かに彼女の手にあった。
そのまま、三人は人波の向こうへ歩き出した。