第80話 ほとんど首なし
ダンブルドアが立ち上がると、近くの生徒たちが教師の席へ顔を向けた。
鬼太郎も、膝へ置いていた手を下ろした。
帽子は、もう腰掛けの上にはない。まだこちらを見ていた生徒も、校長が両手を広げると、少しずつ前へ向き直った。
新しい一年を迎える挨拶は短かった。
最後に少し妙な言葉が続き、ハリーとロンが顔を見合わせる。鬼太郎が口元を緩めたところで、空だった大皿に料理が現れた。
肉汁の匂いが届いた。
焼いた肉とソーセージ、山盛りのジャガイモ。野菜の皿からは、白い湯気が上がっていた。
キーノが自分の前の皿へ手を出しかけ、取り分けるための匙を見つけて持ち替える。
「本当に、急に出るんだな」
「どこかで作ったものを、運んでいるのでしょうか」
鬼太郎は料理とテーブルの間を見た。
「食べてから考えろ。冷めるぞ」
キーノに言われ、肉へ手を伸ばす。
向かいのハリーは、最初の一つを取ってからも大皿を見ていた。ジャガイモを足し、ソーセージも載せる。ロンはすでに食べ始めている。
「舟で、言ったとおりだろ」
ロンが口の中のものを飲み込んでから言った。
「うん。でも、こんなにあるとは思わなかった」
ハリーは自分の皿を見て、笑った。
鬼太郎も肉を切った。
ひと口食べると、表面の香ばしさと、まだ温かい肉汁が口へ広がる。長く座っていた汽車の中では、昼の菓子だけでも足りる気がしていたが、今はもう少し食べたかった。
隣のキーノへ、手の届きにくそうな野菜の皿を寄せる。
彼女が取った後で戻そうとすると、離れた席から手が伸びた。
鬼太郎はそちらへ皿を渡した。
「どうぞ」
「……ありがとう」
受け取った少年は目を合わせず、すぐ隣へ顔を向けた。
料理を回す手は来る。だが、話しかけようとする者は少なかった。
ハリーには、同じ寮へ来てよかったという声が掛かる。何を言われて組分けされたのか、尋ねる上級生もいた。
こちらには、少し違う声が届く。
「最後の子だろ」
「煙、出てたよな」
鬼太郎が顔を上げると、話していた生徒が皿へ目を落とした。
キーノも気づいていたらしく、肉を切る手を止めた。
「聞けばいいのにな」
「今は、尋ねにくいのでしょう」
「お前は、何か言うか?」
「必要があれば。見ていた方全員へ、説明しに行くつもりはありませんよ」
鬼太郎は答え、食事へ戻った。
帽子へしたことを尋ねられても、自分が何かをしたわけではない。見たものについて答えるなら、あの帽子自身の仕事だった。
隣の席が空く気配はなかった。
キーノは野菜を取り、ハリーがこちらへ声を掛ける。
「そっちの肉、取ってもらえる?」
「ええ」
大皿を渡すと、彼は礼を言い、自分の皿へ一切れ足した。
◆
赤毛の頭が二つ、近づいてきた。
一人がロンの横へ場所を作ってもらい、もう一人は通路側から顔を出す。
「ハリー、よくこっちへ来てくれた」
「君が別の寮だったら、ロンは今夜、何も食べられなかったぞ」
「食べるよ」
ロンは自分の皿を引き寄せた。
「それは、そうだな」
「悲しみながら、おかわりもする」
ハリーが笑うと、双子も笑った。
鬼太郎は二人の顔を順に見た。ホームの窓から見たときより、近くで見ると、表情の動きまでよく似ている。
「僕はフレッド」
「僕がジョージ。汽車では、窓越しだったね」
「墓場鬼太郎です。キタロウと呼んでください。こちらは、キーノさんです」
「キーノだ。あのときは、荷物を持ってやってたな」
彼女が自分で続けると、フレッドはハリーへ顔を向けた。
「あれで顔を覚えてもらえたなら、手伝った甲斐があった」
「忘れないよ。僕だけじゃ、持ち上がらなかったし」
ハリーが答える。
ジョージは鬼太郎の手元へ目を移した。
「で、帽子をああしたのも、その手?」
「杖も持ってなかったよな」
フレッドが続ける。
ロンが、やっぱりそれかという顔をした。
鬼太郎はナイフとフォークを置いた。
「何かをする前に、お断りしたんです。内側を見せることを」
「帽子に?」
「ええ。それでも入ってきたので。あちらが何を見たかは、僕には分かりません」
双子は顔を見合わせた。
「覗いた方が、叫んだ」
「帽子も、次からは先に返事を聞くかもしれないな」
近くで、小さな笑い声が起きた。
キーノは笑わず、二人を見た。
「こいつは、嫌だと言ったんだぞ」
「そこは、別の話だよ」
フレッドが鬼太郎へ顔を戻した。
「嫌だったんだろ?」
「不快でしたよ。お話だけで決めていただければ、助かりました」
鬼太郎は素直に答えた。
「だからといって、今から帽子を燃やし直すつもりもありませんが」
ロンの手が止まる。
「今のは、冗談だよね?」
「ええ。今夜、僕から火を出したことはありません」
双子が吹き出した。
キーノは鬼太郎を一度睨み、それから皿へ目を戻した。
「ややこしくするな。こいつらは、お前の冗談をまだ知らん」
「今、少し分かった気がする」
ジョージが言った。
フレッドは空いた皿へ料理を取り分け始める。話を聞いたら去るつもりではないらしかった。
鬼太郎も食事を再開した。
近くの生徒がこちらを見ていたが、双子のように直接尋ねに来る者は、ほかにはいなかった。
◆
ハリーは、皿の上を少しずつ減らしていた。
食べ終える前に次の大皿が回ってくる。どれを取っても叱られず、自分より先に大きな分を誰かへ渡さなければならないこともなかった。
そのとき、皿の向こうへ半透明の顔が現れた。
ハリーはフォークを止めた。
襞の多い襟をつけた、古風な服の幽霊だった。大皿の方へ身体を傾け、少し残念そうに眺めている。
「よい香りがするのだろうね」
「食べられないんですか?」
「残念ながら。君たちが楽しんでいるところを見るのも、悪くはないが」
幽霊の輪郭が、銀の皿を通り抜けた。
料理も皿も動かない。
彼は姿勢を戻し、一年生の顔を見渡した。
「私はサー・ニコラス。この寮の幽霊だ。困ったことがあれば、声を掛けてくれたまえ」
「ほとんど首なしニックだよ」
ロンがハリーへ小声で教えた。
幽霊がそちらを向く。
「その呼び方をする者も、いる」
少し不満そうな声だった。
「ほとんど、というのは、どういうことですか?」
近くにいたハーマイオニーが尋ねた。
ニックは襟の辺りへ手を添えた。
「こういうことだ」
頭が横へ倒れた。
首のところが開き、わずかに繋がった部分だけを残して、顔が肩の方へ垂れる。
ハリーは息を呑んだ。
キーノも食べる手を止めた。近くの生徒が顔を背け、別の席からは笑い声がした。
ニックは頭を元へ戻した。
「斧の切れ味が、よければね」
襟を直すように指を動かす。
鬼太郎だけが、まだ首を見ていた。
◆
さっき、身体は皿を通り抜けた。
だが、首の繋がった部分は、頭が動いても残っている。
鬼太郎はニックが姿勢を戻すところまで見た。見える形があることと、刃が触れることは違うらしい。
布なら、残った糸を切れば離れる。
目の前の相手は、布も皿も通り抜ける。普通の刃を当てれば、同じように向こうへ抜けるのだろうか。
「ニックさん」
呼ぶと、幽霊がこちらを向いた。
「その首について、今度、詳しくお話を伺ってもよろしいですか」
「私の首を?」
「ええ。お皿には触れずに通れるのに、そこは繋がったままなので。どのようになっているのか、気になります」
ニックの動きが止まった。
鬼太郎は、その顔から首へもう一度視線を落とした。
「完全に切り離すことは、できないのでしょうか」
ロンがフォークを置いた。
「君、今度は幽霊の首を切るつもりなの?」
「何をすれば触れられるかも、まだ分かりません。ですが、調べることはできますよね」
鬼太郎は答え、ニックへ目を戻した。
「もちろん、ご本人がよろしければ。何かを試す前には、何をするのか、お話しします」
断られたら、そこで終わりだった。
ニックはしばらく黙っていた。
驚かせたことは分かる。だが、嫌がって去る様子でもなかった。
「君は……本当に、調べるつもりなのかね」
「ええ。幽霊については、まだ知らないことばかりですから、すぐに答えが出るとは思いませんが」
「首を離せるか、と」
「離したくないのであれば、その先は考えませんよ」
ニックの手が襟へ触れた。
今度は、人前へ見せるための動きではなかった。
◆
ニックは、少年の顔を見た。
帽子が叫んだとき、何かをしたようには見えなかった。それでも、最後に組分けを受けたこの子供へは、少し身構えていた。
今の申し出は、その警戒とは別のところへ届いた。
首を見せれば、たいていの新入生は驚く。気味悪そうにする者も、笑う者もいる。自分でも、慣れた仕草で頭を戻し、話を終えることが多かった。
この少年は、笑わなかった。
首がどうなっているかを見て、変えられるかと尋ねた。
それも、できると自慢するのではなく、知らないので調べたいという。
「離したくない、だなんて」
ニックは思わず言った。
少年が返事を待っている。
ニックは少し背を伸ばした。
「このわずかな繋がりのせいで、参加できない集まりがあるのだよ」
「どのような集まりですか?」
「首なし狩りという。完全に首が離れている幽霊たちの集まりでね。頭を外して行う競技もある」
言いながら、少し語気が強くなった。
あと少しではないか。
ほんのわずかだ。それでも、頭を外せないというだけで、断られる。
「私は、そこへ加わりたいのだ。ところが、これがあるばかりに、資格がないと言われる」
ニックは自分の首を指した。
少年はそこを見てから、顔へ視線を戻す。
「それなら、切り離せるかどうかは、ニックさんにも大事なことなのですね」
「そうなのだ!」
声が大きくなり、近くの生徒が振り返った。
ニックは咳払いするように口元へ手を当て、声を落とす。
「そうなのだよ」
もう一度言うと、少年は頷いた。
その返事に、ニックは少し戸惑った。
どうにもならないことだと、笑い話にされてはいない。困っている理由を、話したとおりに受け取られた。
「ただし、方法が分からない以上、先にお約束はできません」
少年は続けた。
「何か、既に試したことがあれば、まず伺いたいです。嫌だったことも」
ニックは、その声を確かめるように聞いた。
何もかも任せろという話ではない。
それでも、長い不満を口にした後で、その先を聞いてくれる相手がいた。
「よろしい。観察して、話を聞くところからなら、ぜひ頼みたい」
ニックは胸を張った。
「何か試すときには、先に説明してくれたまえ」
「承知しました。今夜は、お話だけにしておきますね」
「ああ、もちろんだ。君たちは、着いたばかりなのだから」
そう言ってから、名前を聞いていないことに気づいた。
「君は、鬼太郎だったね。もう一度、名を教えてもらえるかね」
「墓場鬼太郎です」
ニックはその名を繰り返した。
聞き慣れない名だったが、忘れないと思った。
「私は、この城にいる。時間ができたら、呼んでくれたまえ」
「ええ。そのときは、よろしくお願いします」
丁寧に返され、ニックも会釈した。
首は同じままだった。
だが、ほかの新入生へ挨拶するため向き直ったとき、先ほどより言葉が出てきそうだった。
◆
「嬉しそうだったな」
ニックを見送ってから、キーノが言った。
「参加したいものがあったのですね」
鬼太郎はフォークを取り直した。
幽霊の身体へ何が作用するのか、まだ分からない。本人の話を聞き、本を探し、教師へ尋ねる。試すものを選ぶのは、それからだった。
だが、話を聞ける相手ができたことは嬉しかった。
キーノがこちらを見る。
「お前も、嬉しそうだぞ」
「ええ。調べたいことを、ご本人にも尋ねられますから」
「ちゃんと、聞いてからにしろよ」
「そのためのお約束です」
ジョージが少し身を寄せた。
「ニックの首の話で、あんな顔をするところは初めて見た」
「僕たちが聞いたら、また何か企んでいると思われるのに」
フレッドが続ける。
「普段の聞き方は、どのようなものなのです?」
鬼太郎が尋ねると、双子は互いを見た。
ロンが横から口を挟む。
「絶対、普通に聞いてないよ」
ハリーが笑い、キーノも口元を緩めた。
鬼太郎は皿へ目を戻した。気づけば、食べる手がしばらく止まっていた。温かいうちにと勧められた肉を、これ以上待たせるのも惜しい。
近くでは、家族や前に通った学校の話が始まっていた。
ネビルが魔法の才能を心配されていた話をする。ハーマイオニーは上級生へ、教室まで迷わず行けるか尋ねていた。
鬼太郎へ直接話しかけるのは、まだ双子と汽車の三人が中心だった。
それでも、料理の皿は回ってくる。
ハリーは同じように話し、ロンは鬼太郎へ豆の話の続きを聞いた。キーノは隣へ座ったまま、食べたい皿が届くと自分で取った。
やがて料理が片づき、甘いものが現れた。
ハリーが、もう少しなら食べられると言って笑った。
キーノは並んだ菓子を見比べる。
「全部は無理だな」
「少しずつなら、二つくらいは試せそうですね」
「三つ」
「では、三つ」
鬼太郎が返すと、彼女は小さく切って自分の皿へ並べた。
向かいでハリーもパイを取った。
その手が、急に止まった。
フォークが皿へ触れ、音を立てる。
「ハリー?」
ロンが顔を向けた。
ハリーは額を押さえていた。
◆
痛みは鋭く、突然だった。
ハリーは教師のテーブルを見たまま、額へ手を当てた。
ターバンを巻いたクィレルが、背中の方をこちらへ向けている。その近くにいた黒髪の教師と目が合った、その瞬間だった。
痛みは、もう引いている。
「傷が、急に痛くなったんだ」
「今? まだ痛い?」
ロンの問いに、ハリーは首を振った。
「もう、大丈夫」
鬼太郎もこちらを見ていた。
「続くようなら、先生へお伝えした方がよさそうですね」
「うん」
ハリーは頷いた。
額から手を下ろし、教師の方へ目を戻す。
黒髪の男は、もう別の方を見ていた。細い目も、冷たそうな顔も、近くで話した相手ではない。
なぜ、あのとき痛んだのだろう。
近くにいた監督生へ声を掛けた。
「あの先生は、誰ですか?」
パーシーがハリーの示す方を見た。
「スネイプ先生だよ。魔法薬学を教えている」
ハリーは、その名を覚えた。
鬼太郎も教師へ一度顔を向け、それからハリーの額へ目を戻した。傷の形は、汽車で見せたときと同じだった。
何か言われるかと思ったが、彼は原因を決めつけることはしなかった。
「食べられますか?」
「うん。ほんの一瞬だったから」
ハリーはフォークを取り直した。
パイは、まだ皿に載っている。
さっきまでと同じ味のはずなのに、最初のひと口を食べるまで、教師の方が気になった。
◆
鬼太郎は、ハリーが食事へ戻るのを見た。
額へ触れた指にも、目に見える変化はなかった。教師へ視線を向けたときに痛んだというだけでは、誰が何をしたとも分からない。
スネイプ。
先ほど腰掛けへ座ったとき、手元へ目を向けていた男だった。
名前と担当を覚え、鬼太郎も自分の皿へ戻った。
隣では、キーノが三つ目の菓子を食べ終えたところだった。杯を取り、少し飲んでから息をつく。
「もう、入らん」
「三つとも、違うお味でしたか」
「ああ。こっちが一番よかった」
空いた皿の端を指す。
「次もあったら、それを取る」
鬼太郎は頷いた。
彼女は、次にここへ座るときの話をしていた。
ハリーとロンも向かいにいて、双子は自分たちの席へ戻りかけ、まだ弟へ何か言っている。ハーマイオニーは話を聞き終え、ネビルはポケットのトレバーを確かめた。
遠くから見ている者も、近くへ来た者もいる。
今夜のうちに、誰もが同じように話す必要はなさそうだった。
ニックが、少し先からこちらを見た。
目が合うと、胸へ手を添えて会釈する。鬼太郎も返した。
キーノが二人を見て、少し笑った。
教師の席で椅子が動く。
ダンブルドアが立ち上がった。
鬼太郎は杯を置き、顔を前へ向けた。食器の音が少しずつ静まり、校長が口を開くのを待った。