第八十二話 牙は、光のあとに届く
ダンブルドアにレパロを教わってから、数日が過ぎた。
鬼太郎は折れた枝を机へ置き、黒檀の杖を向ける。
「レパロ」
離れていた破片が寄り、折れ口が繋がった。
持ち上げて確かめても、接ぎ目は開かない。別の枝でも、同じように元へ戻せる。
初めて教わった日のように、発音や杖の動きを一つずつ考える必要はなくなっていた。
鬼太郎は枝を置き、記録へ目を落とした。
修復にかかる時間。中心にする破片。接ぎ目が戻る位置。
紙には、その三つを分けて記していた。
最初の行から今まで、修復に要する時間は短くなっている。けれど、彼が谷の相手に求める隙は、それよりも短い。
「直せるのに、まだそれを練習するのか?」
向かいでキーノが尋ねた。
「今は、自分で枝を置いて、準備してから使っていますから。相手が通った瞬間に間に合わせるなら、もっと速く、狙った場所で直せなければ」
「ほかの呪文も、本にはあるだろ」
「ありますね」
鬼太郎は教科書の目次へ目を向けた。
基本の手順を理解し、実際に発動させる。時間を取って取り組めば、載っている基礎呪文を一通り覚えることはできるだろう。
だが、覚えた数と、戦いの中で使える数は違う。
手順を思い返す間に相手が迫り、狙いがずれれば、発動したという事実しか残らない。
「増やしても、一つずつが付け焼き刃では困ります。今は、光と修復を使える形へ磨きたいのです」
「枝を直して終わりじゃないんだな」
「ええ。その後までです」
鬼太郎は次の枝を置いた。
今度は、杖を上げる位置から変える。目を向け、対象を捉え、呪文を使う。
修復はできた。
しかし、急いだ分だけ肩へ力が入り、次に杖を向け直す動作が遅れた。
彼はその点を書き留め、開始位置へ手を戻す。
◆
鬼太郎は机へ小さな印をつけ、その両側へ枝の破片を置いた。
普通に直すと、破片は互いに寄り、接ぎ目は印の横へ戻った。
枝は元どおりになっている。
しかし、そこで挟みたいものが印の上を通るなら、今の修復では届かない。
「こっちを残して、もう片方を戻せませんかね」
鬼太郎は長い方の破片へ目を向けた。
「押さえておくのか?」
キーノが尋ねる。
「手で押さえられない場所でも使いたいので、呪文で選べるか試します」
杖を向け、長い破片の位置を基準に、枝が戻る形を思い描いた。
「レパロ」
短い破片が寄ってくる。
長い方もわずかに動き、接ぎ目は狙いより手前で閉じた。
鬼太郎は、そのずれを記録した。
次は、反対の破片を中心にする。
修復そのものはできる。だが、どちらを動かし、どこへ戻すかまで指定すると、位置が揃わない。
何度か試すうち、一方をほぼ元の場所に残して、もう一方を戻せる回が生まれた。
彼はそこで、接ぎ目を印へ合わせる練習に移った。
今度は両方の破片が動く。枝が繋がった位置を見て、キーノが印を指した。
「少し横だ」
「ええ。直す方へ意識が戻ると、元の位置へ寄ってしまいますね」
離れた好きな場所へ枝を運びたいわけではない。破片のある範囲で、狙う場所を修復の中心に据える。
その小さな違いが、罠として使うときには必要になる。
印へ接ぎ目を戻せた回でも、準備に時間がかかっていた。
位置を合わせるために相手を待たせることはできない。
鬼太郎は、速さの欄へも結果を書いた。
休息の後、印の上へ細い木片を置く。
「今度は、そいつを挟むんだな」
「その場所で、ですね」
鬼太郎がレパロを使うと、戻る枝は木片を押し出した。別の向きでは、破断面が木片へ噛み込み、閉じきらないまま止まった。
同じ位置へ戻せても、挟まる形になるとは限らない。
彼は傷のついた木片を取り分け、折れ口の向きと、修復の中心を記録した。
大木なら、相手の通る場所へ接ぎ目を戻す。根元側を基準に幹を戻すのか、倒れた幹側へ残りを引き寄せるのかでも、動く方向は変わるだろう。
その動きを、相手が通る一瞬へ間に合わせる。
今は机の上で位置を合わせるだけでも、時間がかかる。大木を使って同じことができるかは、まだ試していない。
鬼太郎は記録の端へ、相手の進む向き、と書いた。
修復の中心と位置を選ぶ練習は、そこへ繋がっていた。
杖を置くと、キーノが窓を開けた。風で羊皮紙の端が浮き、彼はインク壺で押さえる。
「休むんだろ?」
「ええ」
「なら、今のうちに聞いていいか。この言葉」
キーノが教科書を回して、指を置いた。
鬼太郎はその行を読む。
意味を説明すると、彼女は紺色の帳面へ短く書き留めた。すぐ次へ進まず、もう一度教科書の文章を読み直す。
「これなら分かる」
「教科書に出てくる言葉は、前より分かるようになりましたか?」
「前よりはな。これも、話してるときには聞いたことがなかった。先生が説明してくれたら、もっと分かると思う」
彼女は帳面を自分の方へ戻した。
「お前も、分からなければ聞けよ。知ってる顔だけしてても、うまく使えるようにはならない」
「必要なときは、そうします」
鬼太郎は笑い、椅子の背へ身体を預けた。
◆
光の練習は、小部屋で行った。
窓からの明るさを避け、机と椅子を壁際へ寄せる。杖を向ける先には誰も立たせない。
キーノは直接光を見ない位置へ椅子を置いた。
「明るくしたら、すぐ消すんだな」
「灯りを保つのではなく、一瞬だけ強く光らせたいのです」
鬼太郎は壁へ杖を向けた。
音で相手を怯ませる必要はない。目がこちらへ向いた瞬間、視界を白く塗り潰すほどの光を当て、その隙に動く。
長く照らし続ければ、相手は目を閉じるか顔を背ける。こちらも、反射する光の中で次の動きを選ばなければならない。
欲しいのは、反応する前に終わる閃光だった。
「ルーモス」
杖先が白く弾けた。
光だけが部屋を満たし、すぐに細い灯りへ戻る。
壁に反射した白さへ、鬼太郎は目を細めた。
「ノックス」
残った光を消す。
爆音も、身体を叩く衝撃もなかった。それでも、壁の一部が白く残って見える。
「今の明るさは、一瞬だった」
キーノが言う。
「でも、その後も灯ってたぞ」
「強く出すところで、終わりにできませんでしたね」
鬼太郎は瞬きをした。
光量を上げることはできた。だが、強い光を一度だけ出し、すぐ暗くするところまでが、欲しい技だった。
しかも、反射光で自分まで見えにくくなっている。
「今の間に相手は動く。お前がそっちを見てたら、せっかく眩ませても使えないだろ」
「ええ。光を当てる向きと、こちらが見る場所も揃えます」
視界が戻ってから、鬼太郎は光量を落として試した。
短く光らせる。
光を残さずに終える。
直後に、横の壁へ視線を移す。
一度は光が長く残り、別の回では早く止めようとして弱くなった。
普段の照明なら、どちらの調整もできる。最大に近い光を短い一発へまとめると、終える時機が揃わない。
鬼太郎は発光の長さと、その後に残った光を記録した。
実戦で見せるのは、一度だけ。
相手がその光を知る前に、次の動きへ移らなければならなかった。
◆
数日後、鬼太郎は川まで歩いて戻った。
以前のように、途中で痛みを避けて身体の向きを変えることはなかった。砦の階段でも、手すりへ体重を逃がす必要がない。
夜になっても、翌朝になっても、不調は戻らなかった。
身体を捻り、ゆっくり腕を上げる。
岩へ叩きつけられたときの痛みは、ようやく過去のものになっていた。
サーシェスが門の脇から見ていた。
「もう動くじゃねえか」
「ええ。今日から、少しずつ戻します」
「谷へ行く支度か?」
「練習の支度です」
鬼太郎は黒檀の杖を取り出した。
利き手へ収め、もう片方の手を開く。掌の上へ小さな炎を出し、消した。
杖を持つ手の指が、その間に少し緩んでいた。
「今の状態で伺っても、前に見せたものが少し増えるだけでしょう」
「犬の方も、同じように相手してくれるとは限らねえしな」
「ですから、まだ日を決めていません」
サーシェスは彼の両手を見た。
「その持ち方でやるのか」
「基本は、こちらに杖。反対の手で、これまでの魔法を使います」
鬼太郎は上着の内側へ指を添えた。
そこには〈ケストレル〉が収まっている。専用のホルスターに支えられ、外からは銃の形が見えない。
「銃は必要になったときに」
「最初から全部見せる気はねえ、と」
「見せる理由がなければ」
鬼太郎は杖を下ろした。
「戻っていらっしゃる間に、見ていただきたいのですが」
「昨日の続きなら、まず条件だ」
サーシェスは笑って、主棟へ顎を向けた。
◆
場所と時間、報酬を相談し、その日の短い練習が決まった。
砦から離れた空き地で、サーシェスは鬼太郎の正面から少し外れて立った。
銃は、弾を使わない動作確認に留める。
鬼太郎は利き手の杖を前へ向けた。反対の手は、いつものように空けてある。
サーシェスが、彼の杖先を指した。
「そこを見てる奴に、何を見せる?」
「呪文を使うところでしょうね」
「そいつが、杖を上げたら?」
鬼太郎の空いた手が、懐へ動いた。
「止まれ」
銃を抜く前に、サーシェスが言った。
「今、こっちの肩が動いた。俺は杖より先にそっちを見る」
「サーシェスさんなら、そうでしょう」
「俺に見えてる隙は、他の奴にもある。気づくかどうかが違うだけだ」
鬼太郎は手を戻した。
杖を持たない手でも銃は扱える。だが、普段の利き手と同じように動かそうとすれば、余計な力が入る。
その手で魔法を使った直後なら、なおさらだった。
サーシェスは位置を変え、横からも見る。
「お前のことを知らねえ魔法使いなら、あの長い杖が気になるだろうな。呪文が来ると思って、杖を振る」
「その間に、銃を使えるなら」
「気づいてからじゃ間に合わねえこともある。だからって、全員が馬鹿みたいに杖だけ見ると思うなよ」
「銃を知っている方には、別の組み立てが要りますね」
鬼太郎は英国で対峙した魔法使いたちを思い出した。
銃口の意味を理解した者もいた。盾を完成させた相手へ、同じ場所から撃ち続けても通らなかった。
目の前の男は、その隙を使う側だった。
杖しか見ていない相手と、見えていない武器まで数える相手。
同じ構えで始めても、同じ手順で戦う必要はない。
「もう一度、お願いします」
「まだ俺の時間は残ってる。やれ」
鬼太郎は開始位置へ戻った。
◆
杖の光を消した後、空いた手からアギを出す。
別々なら、どちらも使える。
続けると、炎を出す位置が近すぎたり、杖先が意図せず下がったりした。
サーシェスは何度目かの試みで、鬼太郎の後ろを指した。
「お前、今そっちへ逃げるつもりだっただろ」
「ええ」
「その炎、自分の通り道にあるぞ」
鬼太郎は火を消した。
攻撃を先へ置いたつもりが、自分の移動先を塞いでいた。
魔法を続けて出すことだけに気を取られると、相手と地形を見る時間が減る。
「立って使う練習と、動いて使う練習は違いますね」
「立ってるだけなら、相手も困らねえからな」
サーシェスが笑う。
鬼太郎は地面へ目を落とし、最初に動く場所を決め直した。
杖で注意を引く。もう片方の手から魔法を出す。その手を空けて銃へ移る場合は、魔法を続けられない。
持っている手段が増えるほど、同じ瞬間に使えないものもはっきりする。
だから、順番を決める。
ただし、相手が想定した方へ動かなければ、途中で変える。
鬼太郎は魔法を使わず、身体の動きだけを繰り返した。速度を求めるのは、動作が揃ってからにする。
今日の練習時間が終わると、サーシェスは懐中時計をしまった。
「続きはまた相談だ。俺にも用がある」
「ありがとうございました」
鬼太郎は杖を下ろし、乱れた呼吸を整えた。
全快した身体も、しばらく休ませればすぐ元の調子へ戻るわけではない。
今日は、ここまでだった。
◆
翌日、ボリス・マルコフが荷を持って砦へ来た。
門の内側へ入ると、以前は物が置かれていた一角が空いていることに気づいたらしい。そこへ荷を下ろそうとして、キーノに止められた。
「そこは空けておく。こっちだ」
「ああ、分かった」
理由は尋ねず、男は指定された場所へ荷を移した。
鬼太郎は品目と金額を確かめ、森から集まった素材を渡した。抜けた鱗や糸、採取の範囲を決めた薬草。ボリスは一つずつ確認し、傷まないよう包み直す。
以前より手が慎重だった。
「買い手が増えましたか?」
鬼太郎が尋ねると、ボリスは包みから顔を上げた。
「欲しがる者はいる。次も同じ物が入るか、量を増やせるかと聞かれた」
「量は、こちらで決めます」
「そう答えた。俺が勝手に約束するわけにはいかん」
男は小さな紙束を取り出した。
売れた額と、尋ねられた品が記されている。
「森のどこで取れるのか、しつこく聞いた者もいた」
「何と答えました?」
「仕入れ先が場所を明かさない、と。砦のことも、住んでいる連中の場所も言っていない」
鬼太郎は紙を読み、目を上げた。
「その方は、買いたいだけでしょうか」
「そこまでは分からん。ただ、連れが森へ入る道の話をしていた」
「実際に入る予定は?」
「まだ、確かめられていない」
ボリスの指が、紙の端を押さえた。
「人数も装備も、知らん。聞いていないことまで書けば、後で困る」
「ええ。その区別は続けてください」
鬼太郎は紙束を返さず、自分の記録へ分けて挟んだ。
素材に興味を持った者がいる。
森へ入る話も出ている。
だが、それだけで侵入者の強さは分からない。自分が鍛えた技を試すために、期待で相手を大きく見積もるのは無意味だった。
「次は、入る日や目的が分かったら知らせてください。調べるために、砦の場所を教える必要はありません」
「分かっている」
ボリスは包み終えた素材を荷へ収めた。
キーノがその数を確かめてから、門まで案内する。
鬼太郎は、買い手の質問が書かれた紙をもう一度見た。
流した噂が、少しずつ森の外で動いている。
やって来る者が誰なのかは、まだ見えない。
◆
夕方、鬼太郎は空き地へ戻った。
前日の練習で身体を痛めてはいない。今日は長く走らず、短い動作を揃えることにした。
サーシェスには、追加の短い時間を頼んでいた。男は木陰へ腰を下ろし、始めろと手を振る。
鬼太郎は杖を利き手に持った。
反対の手は空け、銃は懐へ収めたままにする。
杖を向ける。
「ルーモス」
光が灯った。
今日は強めず、短く灯して終える動作を確かめる。
「ノックス」
消えた直後、鬼太郎は横へ動いた。視線を次の標的へ移し、空いた手の掌を向ける。
小さなアギが、決めた場所へ走った。
火が消えてから、その手を懐へ戻す。銃を取り出し、標的へ向けるところまで続けた。
途中で、手元を見なかった。
杖を持つ手も、落ちなかった。
鬼太郎は銃を下ろし、サーシェスを見る。
「今のは、止まらなかっただろ」
「ええ」
男が立ち上がる。
「もう一回だ。たまたまなら、次は崩れる」
鬼太郎の口元が緩んだ。
銃を戻し、開始位置へ歩く。
次に谷へ立つとき、相手が見るのは杖だけではない。火も、雷も、銃も、もう一度向けることになる。
それでも、前と同じ戦いにはしない。
あの相手は木を砕くだろう。光の後にも、牙を向けてくるだろう。
そこから先へ続く動きを、今は揃える。
鬼太郎は杖を上げた。
森の光が薄くなる中、短い明かりが、もう一度灯った。