第84話 一点の質問
金曜日の朝、ハリーは大広間の入口で足を緩めた。
「今日は、一度も戻らなかったね」
「毎日、同じところを下りてるんだぞ」
ロンはそう言いながら、少し得意そうだった。
鬼太郎も後ろを振り返った。最初の朝に迷った角は、今は曲がる前から分かる。授業の終わった後、違う階段へ出てしまうことはあったが、少なくとも朝食までの道は覚えた。
キーノは席へ着くと、時間割を広げた。
「今日は、魔法薬学か」
「スリザリンと一緒。二時間続けてだよ」
ロンが向こうの食卓を見る。
マルフォイはクラッブとゴイルの間に座っていた。こちらへ気づく様子はなく、手振りを交えて話している。
鬼太郎は教師の席へ目を向けた。
黒い髪と、白い顔が見えた。
スネイプ。
宴の夜、ハリーの額が痛んだときに名前を聞いた教師だった。あれ以来、ハリーから同じ痛みの話は出ていない。
理由を考える材料は、増えていなかった。
皿へパンを取ると、頭上から羽音が近づいた。
白いフクロウが、ハリーの前へ下りてきた。
「ヘドウィグ!」
手紙を受け取ったハリーは、すぐに封を開けた。読んでいるうちに、顔が明るくなる。
「ハグリッドからだ。今日の三時頃、お茶に来ないかって」
「行くの?」
「うん。最初の一週間の話を聞きたいんだって。ロンも、一緒に来る?」
「いいなら」
ハリーは鬼太郎とキーノにも顔を向けた。
「君たちも、どう?」
「ええ。伺いたいです」
鬼太郎は答えた。
「森番でしたら、魔法生物にもお詳しいでしょうね。ネズミについても、少し伺いたくて」
「スキャバーズか」
ロンがローブのポケットへ手を当てた。
「はい。パーシーさんが入学する前から、ご家族のところにいたのでしょう。普通とは違うものなのか、気になっています」
「母さんたちも、長生きだなとは言ってたけど」
ロンはポケットを覗き、また手を戻した。
「今は寝てるよ」
「私も行く」
キーノが言った。
「入学のときは、あまり話せなかったからな」
「じゃあ、四人でもいいか、返事を書いておく」
ハリーは羽根ペンを取り、手紙の空いたところへ顔を近づけた。
午後の予定が決まると、食事の席で交わす話も増えた。ハリーは、学校へ来る前にもハグリッドに世話になったことを話し、ヘドウィグも彼から贈られたのだと教えてくれた。
白いフクロウは、差し出されたパンを受け取り、手紙を持って飛び立った。
◆
地下へ下りると、袖口に触れる空気が冷たくなった。
キーノが制服を直す。鬼太郎は鞄を持ち替え、教室の入口へ向かった。
扉のそばに、マルフォイたちがいた。
「ポッター。今度は、間違えずに来られたんだね」
「君が入口に立ってたから、分かりやすかったよ」
ハリーが返すと、ロンが笑った。
マルフォイの目が、そちらへ動く。
「ウィーズリー。鍋まで兄のお下がりで、穴が開いていないといいけど」
「開いてないよ」
「入らないのか。ここでは邪魔だ」
キーノが言った。
マルフォイは彼女を見てから、隣の鬼太郎へ顔を向けた。
「今日は、帽子がないから静かになるだろうね」
「ええ。先生のお話を聞けると助かります」
鬼太郎は扉の方へ手を向けた。
「先に入っても?」
「勝手にすればいい」
空いたところを、キーノが先に通る。
鬼太郎も続き、棚へ目を向けた。液に浸かったものや、乾燥した材料が瓶へ収められている。名前を読めるものもあったが、見た形まで知っているものは少なかった。
席を選び、教科書と筆記用品を出す。
ハリーとロンが近くへ座り、ハーマイオニーは前の方で本を開いた。
スネイプが入ってくると、教室の声が小さくなった。
黒いローブの裾を引き、席の間を通る。
こちらの手元へ、目が来た。
鬼太郎は教師を見たまま、ペンを机へ置いた。スネイプはその手から鞄へ視線を移し、教壇へ進む。
名簿を開き、出席を確かめ始めた。
ハリーの名で、声が止まる。
「ポッター。入学したばかりでも、名だけはよく知られているようだな」
マルフォイの席から、笑い声が漏れた。
ハリーは返事をしたが、肩が硬くなっていた。
スネイプは名簿を閉じた。
「魔法薬学では、分量と工程を正確に守ってもらう。派手に杖を振れば、失敗した調合まで都合よく戻ると思わぬように」
低い声だった。
聞くために、誰もが口を閉じる。
薬が人の身体や感覚へ及ぼす働きについて、説明が続いた。鬼太郎は棚の瓶をもう一度見た。砦で保存の本を読んだときには、扱う材料が変われば、気をつけることも変わると考えた。
ここでは、その先を教わる。
教師の声が、急にハリーへ向いた。
「ポッター。アスフォデルの根を粉末にし、ニガヨモギの煎じ液へ加えたら、何ができる?」
ハリーは教科書を見た。
開く前に、教師へ顔を戻す。
「分かりません、先生」
ハーマイオニーの手が上がった。
スネイプは、そちらを見なかった。
「名声だけでは、答えは出てこないらしい」
鬼太郎は材料の名を書きかけた。
根と、煎じた液。
どちらも、店で処理されたものを買えるのだろうか。自分たちで集める場合もあるのか。
「先生。その二つは、どこで手に入りますか」
ペンの音が止まった。
鬼太郎が顔を上げると、スネイプはこちらを見ていた。
「墓場」
名前が、低く呼ばれた。
「我輩が今、誰に尋ねているか、分かるか」
「ハリーさんですね」
「ならば、なぜ君が口を開く」
鬼太郎はペンを置いた。
「発言したければ、手を上げ、許可を待て。思いついた疑問を、好きな順番で並べる授業ではない。グリフィンドールから一点減点する」
「失礼しました。次から、そのようにします」
小さく頭を下げた。
スネイプは、すぐにハリーへ戻らなかった。
こちらの顔と、机に置いた手を見ている。
鬼太郎は返事を待ったが、教師はそれ以上言わず、ハリーへ次の問いを向けた。
ベゾアール石を探す場所。
トリカブトとオオカブトの違い。
ハリーは、どちらにも答えられなかった。ハーマイオニーの手は上がったままで、椅子から腰が離れかけている。
「ハーマイオニーなら、知っていると思います」
ハリーが言った。
スネイプの目が細くなった。
「誰に答えさせるかを、君が決める必要はない。その口の利き方で、一点減点だ」
ハリーが唇を結んだ。
教師はハーマイオニーへ手を下ろさせ、答えを説明し始めた。
鬼太郎はペンを取った。
アスフォデルとニガヨモギで作る、強い眠り薬。生ける屍の水薬という。
山羊の胃から得られるベゾアール石は、多くの毒への解毒に使う。
最後の二つは、同じ植物を指す別の名だった。
書き終え、今度は手を上げた。
スネイプは生徒の紙を見渡し、こちらへ目を戻した。
「墓場。何だ」
「先ほどの、材料の入手先を伺ってもよろしいでしょうか」
「材料を扱う店で買える。ダイアゴン横丁にもある。植物なら栽培も可能だが、採ったものを、そのまま鍋へ放り込んでよいという意味ではない」
鬼太郎は薬種店の棚を思い出した。
同じ名前の瓶でも、必要な部位や、どのように処理したものかを確かめるのだろう。
「ベゾアール石は、山羊なら必ず入っているのでしょうか。雄と雌、幼いものと成長したものでは、違いますか」
キーノの顔が、こちらを向いた。
スネイプは視線を外さなかった。
「全ての山羊から得られるとは言っておらん。どこから採れるかという知識と、目の前の個体から採れるかどうかは別だ」
鬼太郎は紙へ書き加えた。
「雄雌や年齢だけで決めつけるな。調合に用いるなら、まず正しく鑑別された材料を揃えることだ」
「分かりました。トリカブトの呼び名が違うのも、地域によるものですか。それから、自生する場所は――」
「一つずつ尋ねろ」
鬼太郎は口を閉じた。
スネイプは黒板へ二つの呼び名を書いた。花の形や、使われ方に由来する名があること。同じ植物でも、異なる名で記される場合があると説明する。
その後で、こちらへ顔を戻した。
「自生する場所は種類によって異なる。山地や湿り気のある草地というだけで、同じものだと判断するな。識別は薬草学でも学べ。今日、自分で採取してくるよう命じてはいない」
「ええ。手に入れる際に、何を確かめる必要があるか、知りたかったんです」
鬼太郎は書き終え、礼を言った。
スネイプは頷かず、教室へ向き直った。
「教科書を開け。今日は、腫れ物を治す薬を作る」
◆
「よく、もう一回聞けたね」
ハリーが小声で言った。
鬼太郎は指定されたところを開いた。
「今度は、許可をいただけましたから」
「睨んでたじゃないか」
ロンが続ける。
「お答えは、詳しかったですよ」
「気になったら、すぐ言うからだ」
キーノに言われ、鬼太郎は彼女へ目を向けた。
「ええ。最初に手を上げるべきでしたね」
「そこ。話をやめろ」
スネイプの声が届いた。
四人とも前を向く。
二人一組になるよう命じられ、ハリーはロンと道具を並べた。鬼太郎とキーノも隣の作業台へ移る。
大鍋の位置を決め、天秤と材料を出した。
「私は、こっちを量る」
キーノが乾燥したイラクサを示す。
「では、僕は牙を砕きますね」
すり鉢を寄せると、ほかの机からも硬い音が聞こえ始めた。
鬼太郎は砕いた粒を寄せ、残った大きな欠片を確かめる。キーノは天秤が落ち着くのを待ち、教科書にある量と見比べていた。
火の上へ鍋が載る。
材料を加える前に、二人でもう一度手順を読んだ。
スネイプは机の間を歩いていた。
砕き方や量り方に口を出し、マルフォイの鍋の前では、角ナメクジの煮方を皆へ示した。
キーノはそちらを一度見たが、すぐ自分たちの鍋へ戻った。
足音が近づく。
「次へ進まないのか」
鬼太郎は、まだ入れていない材料を示した。
「この状態になってから、と書かれていましたので。今、比べていました」
スネイプは鍋を覗いた。
「火を、少し落とせ」
鬼太郎は火を弱めた。
「沸騰させれば、早く済むわけではない」
大きく上がりかけていた泡が、落ち着いた。
キーノも、その変化を見ていた。教師が次の机へ進むと、教科書の該当する行へ指を置く。
「文章だけだと、あの泡まで分からなかったな」
「ええ。次は、言われる前に気づけるとよいのですが」
鬼太郎は匙を取った。
スネイプの目は、火を落とした後もしばらく手元にあった。
その長さは、気になった。
だが、見られているからといって、次の工程を間違えるつもりはなかった。
◆
スネイプは、次の作業台へ向かう前に振り返った。
墓場は、キーノと教科書を確かめている。
指示を出せば従う。無断発言への減点にも、反抗はなかった。
ダンブルドアなら、学ぶ姿勢があると評価するだろう。
それは否定しない。
だが、質問の向かう先は、試験の答えでも、今日の調合でもなかった。
材料をどこで手に入れ、何を確かめれば使えるのか。
胃から採れると聞けば、どの個体なら得られるのかまで尋ねる。
強い眠り薬の材料と、毒を受けた際の備え。どこで揃え、何を選べば使えるのか。墓場は、手に入れた後のことまで考えて尋ねていた。
入学前、校長室で聞いた話が戻る。
強い相手へ自分から挑み、負けても、まだ教わることがあると喜んだ少年。人を殺すことを、今も手段から外してはいないという。
強くなるために学ぶのだろうと、あの場で言った。
今、目の前にいる少年の質問も、そこへ続いているように思えた。授業を受けること自体が目的なのではない。覚えた知識を、次の戦いで使うつもりなのだ。
スネイプは、少年の手へ目を戻した。
今は、匙と教科書を扱っている。
校長が期待しているように、ここで過ごせば変わるかもしれない。だが、その期待に、隣へ座る生徒の安全を預ける気はなかった。
帽子から上がった煙も、校長から聞いた力も、従順な返事一つでは忘れない。今後も、何を知りたがり、それを何に使うか、見ておく必要がある。
問題を起こせば、その場で止める。何をしたかを曖昧にせず、校長へ突きつける。
今度は入学への反対を聞き置かせるだけでは済まさない。退学を求め、そのために必要な事実を揃えるつもりだった。
墓場が顔を上げた。
スネイプは視線を外さなかった。
鋭い音がした。
スネイプは、ロングボトムの机へ向き直った。
◆
煙が噴き上がった。
鬼太郎は匙を置いた。
ネビルの前で、鍋の側面が崩れていた。液が作業台から流れ、床で音を立てる。
シェーマスが後ろへ跳んだ。
ネビルは腕を引こうとして、悲鳴を上げた。赤い腫れ物が、手や腕へ浮いていく。
「下がれ!」
スネイプが命じた。
鬼太郎はキーノへ手を出しかけたが、彼女はもう椅子を退けていた。二人とも作業台から離れ、床へ広がる液を避ける。
スネイプの杖が動いた。
流れた薬が処理され、液の先を見ていた生徒たちが足を止めた。
ネビルは涙を浮かべ、腕を抱えている。
「ロングボトム。火から下ろす前に、ヤマアラシの針を入れたな」
ネビルが頷いた。
鬼太郎は自分たちの材料へ目を向けた。
まだ加えていない針が、そこにある。
スネイプはシェーマスへ、ネビルを医務室へ連れていくよう命じた。それから、隣の机へ向き直る。
「ポッター。そばにいて、なぜ止めなかった」
ハリーが顔を上げた。
「僕は、自分たちの鍋を――」
「他人が失敗すれば、自分がよく見えると思ったか。グリフィンドールから、一点減点する」
ハリーの口が開いた。
ロンが机の下で足を動かす。ハリーはそちらを見てから、唇を強く結んだ。
鬼太郎は教師の顔を見た。
自分が質問へ割り込んだこととは、違う。
隣で何が鍋へ入ったか、ハリーが見ていたとは限らない。まして、その失敗を望んだことにするには、別の理由が要った。
スネイプの視線が、こちらへ来た。
鬼太郎は何も言わず、教科書へ戻した。
今、問いただして得られる答えが、材料について尋ねたときと同じものになるとは思えなかった。
指を、針を加える工程へ置く。
「ここだな」
キーノが言った。
「ええ。下ろしたのを、二人で確かめてからにしましょう」
同じ材料を使っても、順番を変えれば鍋まで壊れる。
スネイプが作業を再開させると、鬼太郎は道具を寄せ、鍋を置く場所を空けた。
キーノも動かす向きを確かめる。
その後は、二人とも声を抑え、次にすることだけを短く伝えた。
◆
完成した薬は、教師に確認された。
スネイプは褒めなかったが、作り直せとも言わなかった。指示に沿って片づけ、鬼太郎は大鍋を確かめた。
キーノが材料を収め、教科書を鞄へ入れる。
ハリーは、まだ硬い顔をしていた。
教室を出て角を曲がると、ようやく口を開く。
「どうして、僕のせいになるんだよ」
「君のせいじゃない」
ロンがすぐに言った。
「僕だって隣にいたけど、ネビルが何を入れたか見てなかった。自分たちの薬を作ってたんだ」
ハーマイオニーが少し後ろから来た。
「針は、最後に入れるものだったのよね」
「それは、分かったよ。でも、僕が入れたんじゃないだろ」
声が強くなり、ハーマイオニーは口を閉じた。
ハリーは階段の前で足を止めた。
「あの先生、僕のことが嫌いなんだ」
鬼太郎は少し先から振り返った。
「厳しく当たる理由は、何かお持ちなのでしょうね。僕には、まだ分かりませんが」
「君には、答えてくれたじゃないか」
「ええ。僕の一点は、質問する順番を守らなかったためです。ただ、ネビルさんの失敗まで、ハリーさんが望んでいたとは思いませんよ」
ハリーは鬼太郎を見た。
教室で黙っていたから、何とも思わなかったのかと考えていた。
ロンも顔を向ける。
「君、またあの先生に聞くの?」
「教わりたいことがあれば」
返事は早かった。
「今日のお答えも、役に立ちましたからね」
「お前は、そこを変えないんだな」
キーノが呆れたように言った。
鬼太郎は少し笑った。
「次は、先に手を上げます」
ハリーは息を吐き、また階段へ足を向けた。
明るい廊下が、上に見えている。
午後にはハグリッドのところへ行く。学校で起きたことを話してよい相手がいると思うと、早く三時になってほしかった。
鬼太郎は、その後ろを歩いた。
鞄の中には、今朝までなかった説明が残っている。
材料の名前だけでは、手に入れられない。揃えただけでも、薬にはならない。火を弱めるだけで変わった泡の様子も、覚えていた。
「小屋へ行く前に、読んでおくか」
キーノが隣から尋ねた。
「ええ。今日書いたところを、教科書と比べておきたいですね」
「山羊を探しに行くなよ」
「先に、鑑別された材料を揃えるようにとのお話でしたから」
「そういうことを言ってるんじゃない」
鬼太郎は彼女へ笑いかけ、鞄を持ち直した。
冷たい声で教えられたことも、読み返せる。
教えた相手の全てを、同じように受け入れる必要はなかった。
廊下へ出ると、窓からの日が袖へ触れた。
ハリーとロンが、小屋へ行く時間を確かめている。
鬼太郎も歩幅を揃えた。午前のうちに得た問いを、午後には別の相手へ持っていく。
長く生きているネズミのことは、まだ何も分かっていなかった。