第八十四話 七つ目の影は、光に遅れる
川の音が、木々の向こうから近づいていた。
鬼太郎は前を行く小人の足元を見て、同じ窪みを避けた。湿った土には落葉が重なり、その下へ踏み込むと靴が沈む。
サーシェスは少し離れて歩いている。
砦を出たときには肩へ掛けていた銃を、今は手に持っていた。
小人が立ち止まる。
川へ下る道の脇で、別の小人が待っていた。二人は短く言葉を交わし、待っていた方が鬼太郎へ顔を向ける。
「後ろに、もう一人いる」
鬼太郎は歩みを止めた。
「六人とは、別にですか?」
「離れて歩いていた。六人が止まると、そいつも止まる。さっき追いついて、何か話していた」
「その方にも杖は?」
「持っていた。荷は小さい」
鬼太郎は見た場所と、その後に男たちが向かった方角を聞いた。
六人が川の手前で曲がった後、最後の男も同じ道へ入ったという。
サーシェスが、鬼太郎の横へ寄る。
「後ろを見る奴を、別に置いてるらしいな」
「荷を運ばない理由も、確かめたいですね」
鬼太郎は小人へ向き直った。
「この先は、私たちで見ます。七人目がいたことを、砦へも伝えていただけますか」
「分かった」
「ほかの方が見ているなら、住処の方へ戻るように。ここからは近づかなくて結構です」
小人たちは、川へ下りず、来た道とも違う細い隙間へ入っていった。
鬼太郎は木々の間へ目を向けた。
枝葉の向こうに、荷を担ぐ男の背が見えた。
◆
「そこで固まるな」
護衛の男が言うと、網を運んでいた密猟者が肩越しに振り返った。
「道が狭いんだ」
「だから、前へ詰めるなと言ってる。何か来たら、お前の荷が邪魔になる」
男は網の端を杖で示した。
密猟者は舌打ちし、前の者が進むのを待った。
六人とも、森へ初めて入った者ではない。獲物の足跡を選び、網を置ける場所を探し、罠を逃れた生き物を呪文で追うくらいのことはできる。
それでも、人に狙われているときの歩き方は身についていなかった。
金具のついた箱を二人で運び、その後ろへ三人が続く。先頭は地面ばかり見ていた。
護衛は上を見た。
枝が重なり、高い方の斜面はよく見えない。右には川へ続く窪地があり、左には太い木が並んでいる。
仕事の話を受けたとき、森で素材を売る者が増えているとは聞いた。
同じ場所で採れるなら、商人へ金を払うより自分たちで捕らえた方がよい。六人の考えは、その程度だった。
護衛の男は、取り分と引き換えに、彼らを狩場へ連れていき、邪魔が入れば退かせる役を引き受けた。
商人の背後に別の稼業人がいても、おかしくはない。
男は歩きながら、退く方角を確かめた。
「静かだな」
先頭の男が言った。
「足跡はある。ここを通ってる」
「なら、その先で止まれ。荷を下ろす前に周りを見る」
護衛は杖を握り直した。
六人が知らない危険を見るために雇われている。
生き物の痕跡があるのに、姿がない。それを獲物の警戒だけで片づける気にはなれなかった。
◆
鬼太郎は茂みの奥から、最後の男を見ていた。
男は六人の背を追う間にも、ときどき足を止める。振り返る方向が、毎回同じではない。
先ほど聞こえた会話では、狩りの取り分とは別に、帰りまで面倒を見る約束を確かめていた。
鬼太郎は、隣へ伏せたサーシェスを見た。
「雇われた方ですね」
「ああ。あいつが一番、面倒そうだ」
男たちは、緩い斜面の下へ入っていく。
前方には古い倒木があった。六人のうち二人がその手前へ荷を置き、網を広げられる場所を探している。
鬼太郎は倒木の端を見た。
幹は折れていたが、片方の折れ口が茂みへ深く埋まっている。修復するなら、その形を確かめなければならない。
今から近づいて調べる余裕はなかった。
鬼太郎は視線を戻し、男たちの足元と、その左右を見比べた。
「私は下へ。サーシェスさんは、あちらからお願いします」
銃を向ける場所と、自分が動く範囲を小声で確かめる。
同じ相手を追って、互いの前へ出ることは避けなければならない。
「あの後ろの奴は?」
「最初に倒せるなら、お願いします。木へ入られたら、私が引き受けます」
「無理に引っ張り出す気はねえ。見えてる方からやるぞ」
「ええ」
サーシェスの口元が歪んだ。
「下で転ぶなよ、坊主」
「そちらの前へ転ばないようにします」
サーシェスが声を出さずに笑う。
鬼太郎は斜面を下りた。
杖を身体の近くへ収め、空いている手で枝を避ける。湿った地面から根の上へ靴を移すと、足音が小さくなった。
斜面の上でサーシェスが木陰へ姿を消すのを見届け、鬼太郎は決めた場所で待った。
先頭の密猟者が腰を伸ばす。
護衛は、そのとき木の陰にいた。
銃声が一つ、森へ響いた。
◆
網を置いた男が倒れた。
隣の密猟者が振り返り、上着へ手を突っ込む。杖を抜いたところで、二度目の銃声がした。
護衛は最初の音で身を低くし、幹の裏へ入っていた。
「荷を捨てろ! 木へ寄れ!」
叫びに応じた一人が、箱の取っ手を放した。
その男と、倒木へ向かう男の間へ、火が走った。
鬼太郎は炎を横へ広げず、二人が合流する場所へ短く置いた。乾いた落葉へ燃え移る前に消し、その間に自分も移る。
箱を放した男が、鬼太郎を見つけた。
小さな身体と、長い黒い杖。
驚いた顔が、すぐ怒りへ変わる。
「そこだ!」
密猟者が杖を鬼太郎の胸へ向け、呪文を唱え始めた。
鬼太郎は横へ踏み出し、左の掌を相手の手元へ向ける。
「ブフ」
杖を握る手へ冷気が襲いかかり、指と袖口に霜がついた。密猟者は痛みに顔を歪め、腕を引く。その拍子に杖先がずれ、放たれた呪文の光は、横へ動いた鬼太郎を追いきれず地面へ当たった。
密猟者は杖を握り直し、もう一度こちらへ向けようとした。
「ジオ」
鬼太郎の左手から放たれた雷が、相手の胴を撃った。密猟者の身体が痙攣し、膝が崩れる。杖を持った腕を下げたまま、地面へ倒れた。
倒木へ逃れた密猟者が、幹の上から杖を突き出す。
鬼太郎はその動きを見たが、立ち止まらなかった。
上からの銃声で、男が倒木の向こうへ落ちた。
残る二人のうち、一人は木の陰で防護を張っていた。もう一人がそこへ駆け込もうとする。
護衛の杖が、鬼太郎へ向いた。
鬼太郎はそちらを見て、足を止めずに方向を変える。
赤い光が根元へ当たり、土が跳ねた。
先ほどまでの密猟者のように、姿が見えた場所へ撃ってきたのではなかった。鬼太郎が次に足を置こうとしたところへ、杖先が先回りしていた。
彼は幹の裏へ入り、息を吐いた。
木の向こうで、護衛が怒鳴る。
「二人で逃げろ! 固まるな!」
足音が離れた。
上の銃声が、少し違う場所から響く。
鬼太郎は、護衛がこちらを見る角度を確かめた。
狙撃の方へ顔を向ける時間は短い。六人を守るより、自分が木の間を抜ける方を優先し始めている。
鬼太郎は空いた掌を上げた。
「アギ」
幹の端から覗いていた護衛の腕へ、炎が迫った。
護衛は腕を引き、幹の反対側へ回り込む。火を避けるだけで終わらず、そちらから杖を出し、鬼太郎のいる木へ呪文を放った。樹皮が弾ける。
鬼太郎は炎を消し、幹から離れて次の木へ移った。
敵が身を隠したからといって、その場所で待っていればよい相手ではなかった。
◆
護衛は、木陰を移る子供を目で追った。
杖を向けていない手から、火が出る。
冷気と雷も見た。
何を使っているのかは分からない。だが、左手がこちらを向いたときには、杖と同じように警戒しなければならなかった。
狙撃の音は、斜面の奥へ移っていた。
逃げた二人を追っているらしい。
護衛は倒木の向こうへ抜けようとして、足を止めた。
そちらへ動くと、低い茂みを越える間、身体が見える。
子供がその茂みの反対側へ移っていた。
小さい身体を隠すものは、大人を隠すには足りない。
護衛は短く悪態をつき、防護を張った。
火を受け止める。
その後、幹の裏へ戻ってから防護を解き、左側へ呪文を撃つ。
子供が隠れた場所を狙ったのではない。火を出した後に、移る場所を狙った。
当たらない。
だが、動きは止まった。
護衛は次の木へ走った。
その途中で身体を半分だけ見せ、杖を低く保つ。
近づいてくれば、足から止める。
遠くから火を出すなら、木の陰で受ける。
相手が何を使おうと、見えるところへ出る瞬間はある。
護衛は呼吸を抑え、子供の影を待った。
◆
鬼太郎には、男の脇が見えていた。
火を出せる。
あと二歩、右へ寄れば、もっと広く身体を捉えられる。
彼は足を出しかけた。
男の肩が動かない。
脇を晒しているのに、杖を持った腕が、その下へ隠れている。
鬼太郎は上げた掌を下ろし、一歩後ろへ戻った。
直後、出ようとしていた場所を光が貫いた。
薄い枝が折れ、彼の前へ落ちる。
鬼太郎は枝を跨がず、横へ回った。
男は、こちらが取れる隙を置いていた。
それを取れば、男の杖が待っている場所へ身体を運ぶことになる。
鬼太郎の口元が緩んだ。
「今のは、困りましたね」
返事の代わりに、次の呪文が来た。
彼は幹の裏へ入り、男の声と、靴が土を擦る音を聞く。
攻撃を出した後、男は場所を変えている。先ほどの隙はもうなかった。
鬼太郎は息を整えた。
手の中の杖が、汗で滑りそうになる。握りを直し、懐の銃へ目を落とさず、その位置だけを確かめた。
身体の内側には、まだ力がある。
前より長く魔法を使っている。けれど、その余裕を、同じ場所への攻撃で費やす必要はなかった。
護衛の男が使っているのは、木と防護、そして反撃の間合いだった。
姿を隠せる間は防護を解き、攻撃へ移る。遮蔽物の切れる場所では、先に防護を張る。
鬼太郎は、男の周囲を見た。
川の方へ下れば、地面が低くなる。右には二本の木が近接し、その間を大人が抜けるには肩を捻る必要がある。
左は少し広い。
そこを抜けた後に隠れられる木もある。
男がどちらを選ぶかは、まだ決まっていなかった。
鬼太郎は自分の後ろを確かめてから、掌を向けた。
「アギ」
二本の木の手前へ、炎が立つ。
続いて、男のいる幹の右側へ、短いザンを通した。
葉が裂け、細い枝が揺れる。
護衛は防護を張り、左へ動いた。
鬼太郎も移る。
男を追って真っ直ぐ進まず、次の木の右側が見える位置へ回る。
炎は消した。
彼の左手が空く。
護衛は次の幹へ着くと、その陰へ入った。防護の光が薄れ、杖を握る腕が前へ出る。
鬼太郎は黒檀の杖を上げた。
◆
護衛の目が、長い杖を捉えた。
子供は木の横に立っていた。
左手からの攻撃が止まっている。
杖で何かをするつもりだ。
護衛は身体の大半を幹へ残し、顔と腕だけを出した。相手の呪文を待たず、先に止める。
杖先を子供の胸へ向けた。
「ルーモス」
灯りの呪文だった。
そう聞き取った瞬間、視界が白く弾けた。
幹も、子供も消える。
男は顔を引き、腕を身体へ寄せた。狙いを失ったまま攻撃を続けず、防護へ切り替える。
音はなかった。
身体を叩く衝撃もない。
それでも、子供の位置が分からない。
防護の言葉を口にしたとき、銃声がした。
◆
鬼太郎は発光に合わせて顔を伏せ、木の暗い側へ視線を逃がしていた。
白さは、すぐに終わった。
目の端には薄い残像がある。だが、男が顔を引いた方向と、杖を持つ腕の位置は追えた。
左手は、もう懐へ入っていた。
銃を抜く。
彼は掌も銃も見ず、身体を少し横へ運んだ。
幹の陰へ戻ろうとする男の肩が、その移動で再び見えた。
防護の光が形を持つ前に、〈ケストレル〉が跳ねた。
男の腕が落ちる。
杖が土へ触れた。
鬼太郎は銃口を下げず、男が崩れた先を見た。
幹へ背を擦りながら、男の身体が沈む。
空いた手が、落ちた杖へ伸びかけた。
二発目で、その動きが止まった。
鬼太郎はそのまま待った。
杖からも、男の手からも、何も来ない。
遠くで、もう一度銃声がした。
彼は男から目を離さず、背後の音を聞く。
合図が届くまで、追って近づくことはしなかった。
◆
サーシェスは斜面の下を見て、短く口笛を吹いた。
鬼太郎の方から、決めていた返事が来る。
サーシェスは銃を構えたまま、木々の間を下りた。
逃げた二人は、元の道へ戻ろうとしていた。防護を張った方も、姿を隠して移る間はそれを保っていなかった。
追いつくために駆ける必要はない。
彼らが抜ける場所へ、先に銃を向ければよかった。
倒木の近くへ戻ると、鬼太郎は既に撃った密猟者のところへ慎重に寄っていた。
初めにジオを受けた男は息があった。杖へ手を戻そうとしたところを押さえられ、鬼太郎の銃声が一つ響いた。
サーシェスは周囲へ目を向けた。
七人。
木の向こうにいた護衛も動かない。
「終わったか」
「こちらは。そちらの二人は?」
「戻ろうとしてた。もう戻らねえ」
鬼太郎は頷き、銃を戻した。
サーシェスは彼の顔から靴まで眺める。
上着に土がついている。肩は呼吸に合わせて動いていたが、血は見えなかった。
「怪我は?」
「ありません」
「あの木から出かかったときは、食らうかと思ったぞ」
「私も、出たくなりました」
鬼太郎が笑う。
「取れそうに見えましたから」
「取ってたら、脚から持っていかれたな」
「ええ。見せていただいた隙でした」
サーシェスは鼻で笑い、護衛の死体へ顎を向けた。
「そいつも、お前が光ったところまでは見たわけだ」
「その後は、こちらが先に」
鬼太郎は黒檀の杖を見た。
いつもの灯りを出すのと、同じ呪文だった。
光が強ければ、それだけで勝てるわけではない。相手が幹の後ろへ隠れたままなら、眩ませても撃つ場所はなかった。
防護を保ったままなら、銃弾は止められただろう。
顔を出し、攻撃へ移るところまで、先に動かす必要があった。
「もう一回やるなら、同じ順で来るとは限らねえぞ」
「それは、私も困りますね」
鬼太郎は杖を下ろした。
胸の高鳴りが、まだ残っていた。
相手の呪文を避けた瞬間も、取れそうな一撃を捨てた瞬間も、よく覚えている。
机の上の記録には、なかった感触だった。
◆
近くに別の人間がいないことを確かめてから、鬼太郎は境界まで戻り、小人へ終了を知らせた。
住処へ近づかせずに済んだことと、七人全員の位置を伝える。
死体へ近づくのは、所持品を調べた後にしてもらった。
サーシェスと荷を確かめると、捕獲用の網、金具のついた箱、罠を固定する道具が出てきた。
箱の中は空だった。
今回は、まだ何も捕らえていない。
鬼太郎は蓋を閉じ、回収する物へ分けた。
七本の杖と金、書類、小瓶。用途の分からない物は、その場で開かず、持ち主ごとに包む。
護衛の荷は六人より小さく、捕獲用の道具は入っていなかった。
サーシェスが懐から取り出した紙を見せる。
「こいつが雇ったらしい」
密猟者の一人が持っていた紙には、支払う額と、帰路までの護衛を頼む短い文が残っていた。
鬼太郎は目を通し、その男の所持品へ戻した。
「取り分も、別だったのですね」
「安くはねえな。獲物を持ち帰る気はあったわけだ」
「こちらへ辿り着く前に分かって、助かりました」
サーシェスは、見張りの知らせが渡された木々へ目を向けた。
「六人だと思って、後ろを空けてたら面倒だった」
鬼太郎は頷いた。
知らせは、最初から全部揃っていたわけではない。
後から来た一つを足したことで、待つ場所も、見る相手も変わった。
鬼太郎は荷をまとめた。
重い箱などを砦へ運ぶ手を、森の者へ別に頼む。回収場所を伝えると、小人はそちらへ行く者に話してくると言って離れた。
その声は、鬼太郎が帰るより先に、木々の向こうへ渡っていった。
◆
キーノは地図から顔を上げた。
門へ戻ってきた鬼太郎は、いつもと同じように歩いている。
サーシェスも、自分の荷を肩へ掛けたままだった。
「七人だったんだな」
「ええ。追加の知らせは届きましたか?」
「届いた。後ろの男がいた場所は、ここ」
彼女は地図を指し、それから別の印へ指を移した。
「こっちは、六人が止まっていたところ。後から聞いた話だけど、見たのはそっちより前だ」
鬼太郎は二つの印を見た。
自分たちが見た位置を足すと、七人が歩いた経路がつながる。
「合っています。ここで、私たちも確認しました」
キーノはその場所へ短い線を加えた。
「で、終わった?」
「終わりました。運ぶ物は、これから届きます」
「また増えるんだな」
キーノは机の上を見回した。
地図と記録を自分の方へ寄せ、荷を置く場所を空ける。
鬼太郎がその向かいへ座ると、彼女は眉を上げた。
「怪我は?」
「ありませんよ」
「なら、先に手を洗え。紙まで泥だらけになる」
鬼太郎は自分の指を見て、笑った。
「そうします」
サーシェスが入口で笑い声を上げる。
「今度は、そこから逃げるなよ、坊主」
「逃げる理由がありません」
キーノは二人を睨み、地図を畳む前にもう一度印の数を確かめた。
◆
荷を受け取り、取り分を分け、情報整理の仕事も終えた後、鬼太郎は練習の記録を開いた。
窓の外には、夕方の色が入っている。
左手には、射撃の後の感触が少し残っていた。
彼は今日使った魔法と、その後に移った場所を書いた。
光を出した位置。
男が防護を解いた場所。
撃ったときに、自分と相手の間にあった幹。
上手くいった順番だけでなく、攻撃を止めたところにも印をつけた。
その横へ、倒木の簡単な形を描く。
レパロは使わなかった。
折れ口が見えず、修復の中心を確かめられなかった木を、戦っている途中で試す必要はなかった。
彼はその理由を短く添え、次の頁を開いた。
北の谷でつけた記録だった。
白い境界。木を砕いた力。人間とは違う速さと、身体の向き。
今日の男は、呪文を使うために顔と腕を出した。
あの相手が、同じ隙を見せるとは限らない。
鬼太郎は杖を机へ置いた。
倒れた男へ銃口を向けていたときより、今の方が口元に笑みがあった。
避けられるものが増えた。
途中で捨てられる攻撃も増えた。
残った力で何を続けるかを、前より選べる。
谷へ持っていくのは、今日通じた順番そのものではなかった。
鬼太郎は、以前の記録の下へ新しい行を足した。
窓の向こうで、森が暗くなっていく。
その奥にいる相手は、まだこちらを待つ約束さえしていない。
彼は筆を止め、北へ目を向けた。
今度は、あの牙の先で何を選べるだろう。