神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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差し出す手には、境界がある

 

第九十四話 差し出す手には、境界がある

 

 ロンは、しまった杖の上から荷物を押さえた。

 

「全部読んだって、言ってたよね」

 

 扉の方へ目を向ける。

 

「まだ学校にも着いてないのに」

 

「分からないことが、多かったのだろ」

 

 キーノが答えた。

 

「それは、僕だってそうだけど。入ってきて、いきなり、あれが本当に呪文かって」

 

 ロンは膝の上を見た。

 

 スキャバーズは、また丸くなっている。

 

 鬼太郎は菓子の包みを折り、その脇へ置いた。

 

「急に見られると、やりにくいこともありますね」

 

「そうなんだよ」

 

 ロンが顔を上げる。

 

「何か言われるって思うと、余計に」

 

「ただ、眼鏡を直した扱いは、丁寧でした。あれだけ練習してきたことは、役に立つでしょうね」

 

 ロンは口を曲げた。

 

「君、あの子を褒めてたもんな」

 

「よくできていましたから」

 

 鬼太郎の返事は穏やかだった。

 

 ハリーが眼鏡の枠へ手を添える。

 

「僕は、直してもらって助かったよ」

 

「それは、分かるけど」

 

 ロンは答え、足元へ目を落とした。

 

 キーノは窓の方へ身体を戻した。

 

 ロンが嫌だったことと、ハリーの眼鏡が直ったことは、両方あった。

 

 鬼太郎はどちらも聞いていたが、ハーマイオニーを褒めた言葉を取り消す気はないらしい。

 

 窓へ、新しい影が落ちた。

 

 今度は木々の影ではなかった。

 

 通路に、三人立っている。

 

     ◆

 

 ハリーは、開いた扉を見た。

 

 真ん中にいる少年の顔を、覚えていた。

 

 白い顔と、薄い色の髪。

 

 制服店で、隣の台に立っていた少年だった。

 

 その両脇には、大柄な少年が一人ずついる。片方は通路の奥を見ており、もう片方は客室の菓子へ目を向けていた。

 

「ハリー・ポッターがいるって聞いたんだが」

 

 真ん中の少年が言った。

 

「君がそうなのか?」

 

「うん」

 

 ハリーが答えると、少年は満足そうに顎を上げた。

 

「僕はドラコ・マルフォイ。こっちがクラッブ、それからゴイルだ」

 

 両脇の二人を、順に示した。

 

 ロンが、短く鼻を鳴らした。

 

 マルフォイの目が、彼へ向く。

 

「何を笑ってる?」

 

「別に」

 

 ロンは答えた。

 

 マルフォイは赤毛と、少しくたびれた上着へ目を動かす。それだけで何か分かったような顔をした。

 

「その赤毛、ウィーズリーだな」

 

「ロン・ウィーズリーだ」

 

「そうだと思ったよ」

 

 声の調子に、ハリーは制服店で聞いた話を思い出した。

 

 家のこと。入る寮のこと。

 

 自分が何を知っているかより、どこから来たかを確かめる話が多かった。

 

 マルフォイはロンから視線を外し、隣へ向けた。

 

 鬼太郎が、その目を受ける。

 

「墓場鬼太郎です。よろしくお願いします、マルフォイさん」

 

「ハカバ?」

 

 マルフォイが聞き返す。

 

「日本の名前です」

 

「日本か。英国の家とは、どんな繋がりがある?」

 

「分かりません。家系には、詳しくありませんので」

 

 鬼太郎は微笑んだ。

 

 マルフォイは少し待った。

 

 だが、知っている家名が続くことはなかった。

 

「ふうん」

 

 返事だけが落ちる。

 

 鬼太郎に向いていた関心は、そこで薄くなったようだった。

 

 ハリーも、その変化を見た。

 

 まだ、鬼太郎自身については、何も聞いていない。

 

 それでも、マルフォイは次の相手へ目を移していた。

 

     ◆

 

 ドラコは、窓際の少女を見た。

 

 先ほどまで、こちらへ顔を向けていなかった。

 

 今は、同じ客室にいる者たちの顔を見ている。

 

 人形のように整った顔だった。

 

 薄暗い通路から見ると、窓の光を受けた輪郭が際立っていた。赤毛の少年のような気安さはなく、座っているだけでも目を引く。

 

 英国の、知っている家の娘だろうか。

 

 それとも、外国の家か。

 

 隣の少年のように、東洋の名を持つのかもしれない。だが、あの少年と同じ家の者には見えなかった。

 

 ドラコは客室へ一歩入った。

 

「君は、何ていう名前だい?」

 

 少女がこちらを見る。

 

「どこの家の人間なのかな?」

 

 返事より先に、次を尋ねた。

 

 少女の唇が僅かに動く。

 

 まだ、名は出てこなかった。

 

     ◆

 

 キーノは、マルフォイの顔を見た。

 

 鬼太郎へ尋ねていたときとは、声の調子が違っていた。

 

 こちらには、聞けば知っている名前が出てくると思っているようだった。

 

 どこの家。

 

 名乗れば、それだけで分かるのだろうか。

 

 ハリーも、ロンも、ハーマイオニーも、名前を聞いて自分の顔を見た。

 

 この少年は、その先にあるものを見ようとしている。

 

 自分が暮らしていた家や、親の話を。

 

 キーノは膝の上の手を開いた。

 

 相手が想像しているようなものは、ない。

 

 綺麗な服を着て、家から見送られてきた娘ではない。

 

「私は――」

 

「名前くらい言えるだろう?」

 

 マルフォイが急かした。

 

 キーノの眉が寄る。

 

「少し待て」

 

 言ってから腰を浮かせた。

 

 座ったまま顔を覗き込まれるのが、嫌だった。

 

 マルフォイが、さらに近づく。

 

 ハリーが身体を引き、足を脇へ寄せた。その空いたところへ、少年の腕が伸びる。

 

 キーノの前腕を掴むつもりの指が、開いた。

 

 次の瞬間、その手が止まった。

 

     ◆

 

 鬼太郎は立ち上がっていた。

 

 座席の間へ一歩出て、マルフォイの手首を取る。

 

 指がキーノへ届く手前で、腕を止めた。

 

「僕のものに触れないでください」

 

 声は低くも、大きくもならなかった。

 

 マルフォイが、掴まれたところを見た。

 

 それから、鬼太郎の顔を見上げる。

 

「何を――」

 

 腕を引いた。

 

 鬼太郎の手は離れなかった。

 

 引いた方向へ僅かに動き、その先で止まる。

 

「お話をするのに、掴む必要はありませんよ」

 

 鬼太郎は微笑んでいた。

 

 マルフォイの腕が、もう一度引かれる。

 

 今度はキーノから遠ざかる方へ動いた。

 

 鬼太郎はその動きを確かめ、指を開いた。

 

 白い手首に、傷はなかった。

 

 マルフォイは自分の腕を胸元へ戻し、握られた場所へ反対の手を当てる。

 

 クラッブが、肩を動かした。

 

 鬼太郎はそちらへも目を向けた。

 

 少年の身体は大きかった。

 

 だが、今、手が届く位置にいる者と、まだ扉の向こうにいる者は違う。

 

 鬼太郎は座席の間に立ったまま、待った。

 

 キーノが自分の意思で返事をするなら、それでよい。

 

 名を伝えるか、黙っているかも、彼女が決めればよかった。

 

 その答えを待てず、勝手に腕を取ることを見過ごす理由はない。

 

「……ちょっと触ろうとしただけじゃないか」

 

 マルフォイが言った。

 

「ええ。ですから、止めただけです」

 

 鬼太郎が答える。

 

 マルフォイの口元が引きつった。

 

     ◆

 

 ハリーは、二人の手を見ていた。

 

 マルフォイが腕を伸ばしたことは分かった。

 

 止めようと思ったときには、鬼太郎がもう掴んでいた。

 

 キーノは立ったまま、マルフォイを見ている。

 

「私の腕を、勝手に掴むな」

 

 彼女が言った。

 

 次に、鬼太郎へ顔を向ける。

 

「お前も、ものって言うな」

 

「失礼しました」

 

 鬼太郎は穏やかに答えた。

 

 キーノはその顔を睨み、席へ座り直した。

 

 ハリーは足を戻した。

 

 ロンも、マルフォイを見ている。

 

 先ほど笑ったときの顔ではなかった。

 

 マルフォイは客室の奥を見渡し、鬼太郎から半歩離れた。

 

 それから、ハリーへ向き直る。

 

「君は、友達を選んだ方がいいぞ」

 

 声を整え、上着の袖を直した。

 

「魔法使いの家にも、格というものがある。知らないなら、僕が教えてやるよ」

 

 ロンへ視線が動く。

 

 その後で、鬼太郎にも一度目を向けた。

 

 ハリーはマルフォイの顔を見た。

 

 制服店でも、この少年はハグリッドのことを、知ろうとする前に悪く言った。

 

 今は、ロンを見下している。

 

 キーノが答えなければ、腕を掴んで振り向かせようとした。

 

 そんな相手から、誰と座ればよいか教わる気にはなれなかった。

 

「僕は、ここで話していたい」

 

 ハリーが言うと、マルフォイの顔が硬くなった。

 

 差し出しかけた手が、二人の間にあった。

 

 ハリーは取らなかった。

 

「僕の親切を断るのか?」

 

「頼んでないよ」

 

 ハリーは答えた。

 

 ロンが隣の座席から身体を起こした。

 

「聞いただろ。僕たちは、話してたんだ」

 

 マルフォイの目が細くなる。

 

 声に、先ほどまでとは違う棘が混じった。

 

「後悔しても知らないぞ、ポッター」

 

「帰ってくれない?」

 

 ハリーも立ち上がった。

 

 座席の間が狭くなる。

 

 鬼太郎は彼の動きを見て、少し横へ退いた。

 

 ハリー自身が、目の前の相手へ返事をしていた。

 

     ◆

 

「菓子は、まだあるじゃないか」

 

 ゴイルが言った。

 

 扉のそばから中へ手を伸ばす。

 

 ハリーが座っていた側に、開いた包みが残っていた。

 

「それは、僕たちのだ」

 

 ロンが立ち、包みの前へ腕を出した。

 

 ゴイルは構わず手を進める。

 

 大きな指が、菓子の袋へ掛かった。

 

 ロンが掴み返そうとしたとき、灰色のものが動いた。

 

 スキャバーズだった。

 

 ロンが立った際に座席へ下りていたネズミが、包みの陰から飛びつく。

 

 ゴイルの指へ、歯が食い込んだ。

 

 悲鳴が響いた。

 

 ゴイルが腕を振り上げる。

 

 菓子の袋が落ち、豆が座席へ散った。

 

 ハリーは顔を引いた。

 

 灰色の身体が指にぶら下がり、ゴイルの腕と一緒に揺れる。

 

「離せ! 何だ、こいつ!」

 

 ゴイルが身体を後ろへ引く。

 

 クラッブと肩がぶつかり、扉のところで三人の動きが重なった。

 

 鬼太郎は散った菓子から足を離し、キーノの座る側へ腕が振り込まれない位置に立った。

 

 ロンはネズミを呼び、ゴイルの手へ近づこうとする。

 

「スキャバーズ!」

 

 その声に合わせるように、ネズミが歯を離した。

 

 ゴイルの腕から灰色の身体が飛び、床へ落ちる。

 

 ロンが屈み、両手ですくった。

 

 ゴイルは指を押さえ、通路へ下がった。

 

 マルフォイがその手を見て、顔をしかめる。

 

「その汚いネズミをしまえ、ウィーズリー」

 

「勝手に取ろうとするからだろ!」

 

 ロンが言い返した。

 

 マルフォイはハリーを見た。

 

 ハリーは扉の方を示した。

 

 三人は、ようやく通路へ退いた。

 

 ゴイルの指を見ながら、クラッブが何か言う。

 

 マルフォイは振り返ったが、客室へ戻ってはこなかった。

 

 ハリーが扉を閉めた。

 

     ◆

 

 ロンはネズミを膝へ戻した。

 

「こいつが、こんなことするなんて」

 

 灰色の背を撫でる。

 

 スキャバーズは少し鼻先を動かし、それからまた身体を丸めた。

 

 ハリーは座席へ落ちた豆を拾った。

 

「寝てばかりじゃ、なかったね」

 

「うん。今日初めて、役に立ったかもしれない」

 

 ロンの口元が上がった。

 

 キーノも自分のそばへ転がった粒を集める。

 

 鬼太郎が開いた包みを差し出し、食べる分と床へ落ちた分を分けた。

 

 その手を、キーノが見た。

 

 マルフォイの腕を、掴んでいた手だった。

 

「止めたのは、いい」

 

 彼女が言う。

 

「だが、私はお前の荷物じゃないぞ」

 

「キーノさんが名乗るまで、待っていただけばよかったのですが」

 

「そいつの話じゃない。お前の言い方だ」

 

 鬼太郎は彼女へ目を向けた。

 

「次は、言い方を考えますね」

 

「考えたふりをするなよ」

 

 キーノは答え、拾った粒を包みへ落とした。

 

 鬼太郎は穏やかに笑った。

 

 ハリーは二人の間を見た。

 

 守ってもらった相手へ、キーノは遠慮なく言い返している。

 

 鬼太郎も、それを止めようとはしなかった。

 

 ロンが腕を組む。

 

「あいつ、名前を聞けばいいだけなのに」

 

 キーノは彼へ顔を向けた。

 

「名前の向こうに、何かあると思ってたんだろ」

 

「マルフォイの家は、そういうのを気にするんだ。父さんも、あいつの父親のことを知ってる」

 

 ロンは、家で聞いた話を続けた。

 

 マルフォイという名は、彼にとっても初めてではなかった。

 

 ハリーは話を聞きながら、窓の外へ一度目を向ける。

 

 畑はもう、あの三人が来る前とは違う場所になっていた。

 

「一緒に座る相手くらい、自分で決めるよ」

 

 窓から顔を戻し、そう言った。

 

 ロンが頷く。

 

 ハリーは彼の膝へ目を向けた。

 

「菓子、取られなくてよかったね」

 

「半分、こいつのおかげだけど」

 

 ロンがスキャバーズを示す。

 

 ハリーは笑った。

 

     ◆

 

 鬼太郎は席へ腰を戻した。

 

 マルフォイの名は、覚えた。

 

 クラッブとゴイルの顔も。

 

 大きな身体が、狭い入口で互いの動きを邪魔していた。

 

 人数を連れてくるなら、どこへ立たせるかも考えた方がよい。

 

 家名に、使えるものがあることは分かる。

 

 紹介状も、取引相手の信用も、仕事の条件を変えた。

 

 だが、それを持っていれば目の前の相手が必ず従うと思うのなら、見誤る。

 

 ハリーは、差し出された手を取らなかった。

 

 ロンは、自分たちの菓子へ伸びた手を止めようとした。

 

 彼らが何を選ぶかは、家の名前だけでは決まらない。

 

 鬼太郎は向かいのキーノを見た。

 

 彼女は、自分で選んだ窓際に座っている。

 

 黙っていたければ、黙っていればよかった。

 

 今度は名を答えると決めても、鬼太郎が代わりに口を出す必要はない。

 

 それでも、彼女へ無断で手を伸ばす者を、ただ眺めている気にはなれなかった。

 

 キーノが顔を向ける。

 

「何だ」

 

「いえ」

 

 鬼太郎は答え、膝の上の包みを整えた。

 

 ハリーとロンの間では、また話が始まっていた。

 

 窓の外が広く開け、四人の手元へ、同じ光が入ってきた。

 

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