第九十五話 迎える扉の、こちら側
九月一日の午後、校長室の窓は半分開いていた。
湖から来る風が、新入生の名簿の端を持ち上げる。ダンブルドアは銀の文鎮を置き直し、机の向かいに二脚の椅子を用意した。
大広間の準備は進んでいる。今夜には、空いていた寮の寝室にも子供たちの荷物が入る。
その前に、済ませておかなければならない話があった。
机の隅の菓子入れへ手を伸ばしかけ、やめた。
扉が叩かれた。
「どうぞ」
ミネルバ・マクゴナガルが先に入り、その後ろからセブルス・スネイプが続いた。
「新入生についてのお話と伺いましたが」
ミネルバは座る前に言った。手には、今日の予定を書いた羊皮紙を持っている。
「うむ。二人について、少し詳しく知っておいてもらいたくての」
セブルスの視線が机の名簿へ落ちた。
ダンブルドアは二人を促し、自分も腰を下ろした。
「まず、キーノ・ファスリス・インベルンさんじゃ」
名簿の一行へ指を置く。
「彼女は、人間と吸血鬼の混血じゃ」
ミネルバの手が止まった。
セブルスは顔を上げた。
「吸血鬼の」
「半分は人間じゃ。通常の入学例に当てはめるには、確認が必要だった。ポピーに診てもらい、本人にも説明をしたうえで、入学を認めておる」
「魔法は使えるのですね」
ミネルバが尋ねた。
「杖にも選ばれた。まだ覚えた呪文は少ないが、授業を受ける適性は確認できた」
ダンブルドアは、松の杖に明かりがともったときの顔を思い出した。
すぐに喜びを隠そうとして、隠しきれなかった。
「彼女の血筋について、教職員へ知らせるのは君たち二人とポピーに限る。寮や教室で、本人の知らぬところから話が広がることは避けたい」
「ほかの生徒には?」
「こちらから知らせる予定はない」
セブルスが椅子の背へ僅かに身体を預けた。
「体質について、通常の生徒と同じ扱いでよいとは限りません」
「そのとおりじゃ。必要なことは、ポピーが本人と相談して確かめる。セブルス、君には薬の調合を頼むことがあるかもしれん」
「何の薬を」
「現段階で、これを毎日飲ませればよい、と決められる話ではない。必要が分かったとき、君の知識を借りたい」
セブルスは少し考え、短く頷いた。
「診察の記録と、求める作用を確認してからです」
「もちろんじゃ」
ミネルバが羊皮紙を膝へ置いた。
「本人には、私たちが事情を知ることも伝えてあるのですか」
「医療と学校生活に必要な範囲で扱うことは、本人とも書面で確認しておる。血筋だけを理由に在籍を取り消さないこともな」
「それなら、まずは普通に迎えるべきでしょうね」
ミネルバの声が少し柔らかくなった。
「困ったことがあれば、申し出る相手がいると分かるようにしておきます」
ダンブルドアは頷いた。
ここまでは、予想していた話だった。
次の名前へ指を移すまでに、少し間が空いた。
セブルスが、その間を見ていた。
「もう一人は」
「墓場鬼太郎じゃ」
ダンブルドアは、名簿から手を離した。
◆
「父親はワシの遠縁に当たるスクイブで、母親は日本人じゃ。英国で生まれ、その後一家でブルガリアへ移った。両親は、すでに亡くなっておる」
ミネルバは黙って聞いていた。
「彼については、少し前から調べておった。直接会ったのは、十歳になってからじゃ」
「それで、通常より早い入学を認められたのですか」
「それも含め、ワシの判断じゃ。だが、年齢だけを先に説明しても、この話は伝わらん」
ダンブルドアは二人の顔を見た。
「調査で辿れた限りでは、彼は六歳の頃から、人を殺しておる」
窓際の器具が、細く蒸気を吐いた。
ミネルバは、すぐには言葉を返さなかった。
セブルスの目が細くなった。
「事故ではなく?」
「最初に力が現れたときの事情は、すべてを確かめられたわけではない。だが、その後は自分で相手を選び、殺しておる。やがて英国の裏社会で、殺しを伴う仕事を引き受けるようになった」
ミネルバが膝の羊皮紙を押さえた。
「六歳の子供に、そんな仕事をさせたのですか」
「周囲の大人が止めなかったことは、確かじゃ」
「止めなかった、で済む話ではありません」
ダンブルドアは答えず、先を続けた。
鬼太郎が偽名を使い、裏社会で仕事を重ねていたこと。銃を扱い、魔法使いとも戦ってきたこと。今はブルガリアの森に拠点を持ち、密猟者を排除する代わりに、そこに暮らす魔法生物たちと取引していること。
噂しかない部分は、そう断った。
自分が直接見た砦と、そこで会った者たちのことも話した。
ミネルバは途中から、羊皮紙を机へ置いていた。
「その間、保護する者はいなかったのですか」
「対等に仕事をする大人はおる。だが、君の言う意味での保護者とは違うじゃろう」
セブルスが口を開いた。
「その子供の力は、何です」
境遇より先に、そこへ目を向けた。
「杖を持つ前から、炎を出しておった。相手の判断を乱す力も使う。ワシが手合わせした際には、冷気、風、雷も見せた」
「無杖魔法ですか」
「普通にそう呼んでよいのか、まだ分からん。本人は使い分けておるが、ワシらの魔法と同じ仕組みだという証拠はない」
「本人から、説明は?」
「話は聞いた。だが、説明されたことすべてを、ワシが確かめられたわけではない」
前に生きていた頃の自分。
死と隣り合わせだったという場所。
ダンブルドアは、その言葉を今ここで、ひとつの答えに仕立てる気にはなれなかった。
十歳の肉体に収まるものとしては、釣り合わない。
そう感じたことと、正体を知っていることは違った。
「ただ、彼は自分の力を試し、使い方を学んでおる。偶然に出た魔法で、慌てて相手を傷つけたというだけの子ではない」
セブルスの指が、椅子の肘掛けに置かれた。
「あなたとは、何のために手合わせを」
「ワシは、実力と、止められるかどうかを確かめたかった。彼は、強い相手と戦いたかった」
「勝敗は」
「ワシが勝った。終了を告げた後は、彼も止めた」
その回答にも、セブルスの顔は緩まなかった。
「負けた後、どうなりました」
ダンブルドアの脳裏に、草地で浮かべていた笑みが戻った。
「喜んでおった」
ミネルバが顔を上げる。
「……喜んだ?」
「自分より強い者がいて、学ぶことがあると分かったからじゃ。教えてほしいとも頼まれた」
ダンブルドアはそこで言葉を切った。
セブルスの視線は、すでに名簿へ戻っていた。
◆
セブルスは、見知らぬ名前の並んだ紙を見た。
今年も、魔法を覚えたばかりの子供たちが来る。
鍋の火を強くしすぎる。材料の順を飛ばす。忠告を聞く前に、隣の者へ話しかける。
そうした失敗には、見当がついた。
目の前で語られた子供については、つかなかった。
六歳から人を殺す。
十歳になるまでに、それを仕事として繰り返す。
そしてダンブルドアに敗れ、笑う。
「入学させるべきではありません」
セブルスは言った。
ミネルバがこちらを向いた。
「セブルス」
「杖を取り上げても、何ができるか分からない。本人にとって人を殺すことが、すでに手段の一つになっている。そんな者を、他の生徒と同じ寝室へ入れるのですか」
「彼も子供です」
「年齢を聞き落としたわけではありません」
声が、僅かに硬くなった。
恐れている、と口にする気はなかった。
だが、知らないものを危険と判断することまで、恥じる理由はない。
闇の魔術ならば、調べる本があった。術者の癖から疑える呪文もある。どこまで近づけば危ないか、何を遮ればよいか、考える手掛かりがある。
この話には、その足場がない。
「あなたが勝てることと、生徒が安全であることは別です」
ダンブルドアを見た。
「授業のたびに、隣へ立つおつもりですか」
「それはできん」
「ならば、なおさらです」
◆
ミネルバは、セブルスの言葉を聞いていた。
危険がないとは思わなかった。
人を殺した。その事実は、年齢を理由に消えてなくならない。
だが、六歳という数字が、頭から離れなかった。
机の上の羽根ペンを持つことさえ、まだ覚束ない子供を思い浮かべた。
その手へ武器が渡り、仕事が来た。
彼が生き延びる間、誰もここへ連れてこなかった。
「この先も、同じ場所へ戻すのですか」
ミネルバは尋ねた。
「ここへ入れなければ、誰がその子に別の道を教えるのです」
「そのために、他の子供を危険にさらしてよいと?」
「そうは言っていません。危険を見たうえで、どう教えるかを考えるべきだと言っています」
「教えれば変わるという保証はありません」
「どの生徒にも、そんな保証はありません」
ミネルバは椅子へ深く座り直した。
声を強め続ければ、話が別のところへ行く。
セブルスが気にしているのは、これから彼の隣へ座る子供たちだった。それを軽く扱うつもりはない。
「授業で何をしてよくて、何をしてはいけないか。意見がぶつかったときに、どうするか。困ったとき、誰に相談できるか。私たちが教えることはあるはずです」
校長へ向き直る。
「本人は、学校へ来たいと言ったのですね」
「うむ。専門家から学ぶのを、楽しみにしておった」
「ならば、その気持ちを入口にできます」
「強くなるための入口でしょう」
セブルスが言った。
ミネルバは彼を見た。
「最初の理由がそれでも、学べることを戦いだけに限らせる必要はありません」
彼の唇が薄く結ばれた。
「私は、その子がしてきたことを褒めるつもりはありません」
ミネルバは続けた。
「けれど、これからも同じように生きるしかないと、私たちまで決めるべきではないでしょう」
◆
ダンブルドアは、二人の間へ手を置いた。
「ミネルバ。セブルス。入学の決定は変えん」
セブルスが息を吸った。
次の言葉が出る前に、ダンブルドアは続けた。
「ただし、セブルスの懸念はもっともじゃ。彼が気の毒な子供だから、危険も消えるという説明はできん」
ミネルバは頷いた。
「本人とは、条件を交わしておる。校内で人を殺さないこと。武器と杖を使わぬ力の使用を制限すること。生徒を森の仕事へ巻き込まないこと。学校の人や物を、外での殺しに使わないことじゃ」
「守る根拠は」
セブルスはすぐに尋ねた。
「これまで、交わした約束を守っておる。手合わせも、終了を受け入れた。森の者たちとの取引も、本人に不便があるからと投げ出してはいなかった」
「相手を殺すことについては?」
「森で襲ってくる者を、今後すべて生かすとは約束せんかった」
セブルスの目が、冷たくなる。
ダンブルドアはその表情を受け止めた。
「都合のよい部分だけ話して、君たちに迎えさせる気はない。彼は、ワシが苦言を呈したからと、生き方をすべて変えたわけではない」
ミネルバが名簿を見た。
「それでも、学校での条件は受け入れた」
「うむ。ここで学びたいことがあり、条件を守る理由がある。それは、今のワシらが持っておる足場じゃ」
「それが失われたときは」
セブルスの声が低くなった。
「ワシが対応する。彼に変化があれば、すぐ知らせてほしい。君たちだけに責任を負わせるつもりはない」
言い終えても、セブルスは黙ったままだった。
納得した顔ではない。
ダンブルドアは、納得していない相手を安心したことにしなかった。
「事情を知っていても、まだ起きておらんことで罰するのは避けてほしい。一方で、起きたことを境遇で見逃す必要もない。授業では君たちが教師じゃ」
「分かっています」
ミネルバが答えた。
「ほかの生徒と同じく、必要なら叱ります」
セブルスはようやく、肘掛けから手を離した。
「私の懸念は、お伝えしました」
「聞いた」
「今夜、その少年を見るときにも忘れません」
ダンブルドアは頷いた。
セブルスが立った。
ミネルバも予定の羊皮紙を取り上げたが、椅子の前で一度止まった。
「校長。キーノについても、一つ」
「何じゃ」
「もう一人の事情と一緒に扱わないようにします。彼女が何を必要としているかは、彼女に聞きます」
ダンブルドアの顔に、小さな笑みが戻った。
「それがよい。本人も、そうしてもらう方が喜ぶじゃろう」
二人が扉へ向かった。
セブルスは最後まで、机の名簿へ視線を戻さなかった。
◆
扉が閉まると、部屋へ風の音が戻った。
ダンブルドアは椅子に残り、銀の文鎮を指で動かした。
ミネルバは、教えられるものを探すだろう。
セブルスは、言葉と動作の間に危険を探すだろう。
どちらも必要だった。
鬼太郎の丁寧な返事を聞き、そのまま従順な子供だと思われても困る。殺した人数だけを見て、交わした約束まで無意味だと決められても、これからの接し方を失う。
それでも、伝えなかったことは残っている。
机の名簿には、別の少年の名もあった。
ハリー・ポッター。
ダンブルドアは、その行を一度だけ見た。
二つの予言について、今の部屋で語ることはしなかった。
自分が鬼太郎を探した、本当の始まりも。
学校へ迎えれば、目の届く場所に置ける。学ぶ理由があれば、話をする機会を保てる。
それは保護であり、教育であり、ダンブルドア自身の判断に都合のよいことでもあった。
ミネルバの真っ直ぐな言葉を、その都合のためだけに使ってはならない。
そう思う一方で、今夜の城に彼女がいてくれることを、すでに計算へ入れている。
ダンブルドアは眼鏡を外し、眉間を押さえた。
鬼太郎が来たいと言ったときの顔を思い出す。
彼は学校を、力を得る場所として見ていた。
それでも、誰かが教えてくれることを、楽しみにしていた。
その期待へ何を渡すかは、迎える側の仕事になる。
窓の外で、湖面の光が揺れた。
汽車はまだ、こちらへ向かっている。
ダンブルドアは眼鏡を掛け直し、名簿を大広間へ持っていく書類の上に置いた。
今夜、扉は開く。
開けると決めた者が、扉のこちら側に立っていなければならなかった。