「……やっべ、遊びすぎた。キリが良いからここで終わり!今から晩飯作るからお前は風呂入ってこい!」
自分がゲームの世界に熱中していたことに気が付き、俺は慌てて中断を宣言した。友人は分かりやすくぶーたれて不満を顕にする。
「えー!序盤が終わってここからが良いところじゃん!風呂なんて良いよ、もっと遊んでよ」
「仮にも女だろーが!」
「良いじゃん、ここには僕と君しか居ないんだし」
「俺とお前の時間が終わった後に編集さんにどやされたくねえんだよ!あの人俺の事をお前の保護者扱いしてくるんだぞ!?」
「でもママじゃん」
「仮にも親元を離れた社会人だろーが自立しろ。某猫型ロボットが未来に帰った時の某小学生ぐらい自立しろ」
「そんな事言わないでよぉ〜〜」
「ええ……?声があれだけ様変わりしたのに、まだ昔の某小学生のマネできるのかよ」
「練習したからね……!」
泣き真似から一転、ドヤ顔でVサインしてくる友人に俺は呆れた。作家としての努力はいつしてるんだお前?
「ほら、そっちもやってよ!物真似!」
「はぁ〜〜〜?急に何を言い出すんだこのガキっ、あーん゛んっ。……しょうがないなあ、まったく君は」
適当な声真似をしてやると、友人は手を叩いてはしゃいだ。
「うわあぁ〜〜〜似てる似てる!懐かしいなぁ〜〜〜……」
「そりゃ当時の俺らの持ちネタみたいなものだったけどよ、そこまで感慨深くなるもんか?」
「僕にとってはそうなの!」
「さいで」
友人の本心の肯定に俺は曖昧に頷いた。それよりも眼の前のコイツにどういう飯を食わせるべきか、それを考える方が大事である。
「で、何が食いたい?」
「えっとねー……カレー!」
「了解。じゃあお前は風呂入ってこい。上がる頃には出来てるから」
「はーい」
友人は素直に立ち上がり、2階に向かった。その後ろ姿を見送ってから、俺はキッチンに向かう。
冷蔵庫を開けると、昨日買い込んだ食材がぎっしり詰まっている。友人の金で買ったものだが、使うのは俺だ。まあ、いいか。
野菜を切りながら、ふと考える。こんな風に友人と過ごすのは、本当に久しぶりだ。学生時代以来かもしれない。
あの頃は2人とも何者でもなくて、ただゲームして、バカ話して、それだけで満足していた。
今は友人は売れっ子作家で、俺はどうにか食いつないでる駆け出し。立場は全然違う。
でも、こうして一緒にいると、何も変わってない気がする。友人は相変わらず甘えてくるし、俺は相変わらず世話を焼いている。
「……まあ、悪くないか」
小さく呟いて、俺は鍋に火をつけた。
「ごちそうさまでした」
「ごっそさんでした」
晩飯を食い終わったので、食器を回収して洗面台に持っていくと、友人が手を挙げてこんな事を言ってきた。
「食器洗っておくから、君はお風呂入ってきていーよっ」
「……珍しいな、なんか企んでんのか?」
「酷くない!?良いじゃん!後6日間お世話になるんだし初日に印象点稼ごうとしたっていいじゃん!」
友人は憤慨した様に食卓から立ち上がり、俺を風呂場まで押そうとグイグイ背中を押してきた。姿や声が変わろうが、コイツは相変わらず貧弱である。
まあやる気になっているのは良い事なので一旦任せるか。もっとも、風呂の後で姑のようにチェックしてやるが。
「存分に僕の残り湯を堪能してくるといいよ」
「は?何だ急にきっしょ、今日から別の部屋で寝かせてくれ」
「わーーっ!噓うそウソウソ!自分の家だと思ってゆっくりくつろいでね!」
ホントにどうしたんだコイツ。体調悪くしたか良からぬ企みの二択では?
他人の匂いが少し残る脱衣場で服を脱いだ俺は、早速風呂場に突入した。
広い。俺の賃貸の風呂が3つは入りそうな浴室に、足を伸ばしても余裕がありそうな浴槽。天井は高く、壁は淡いベージュのタイル張り。シャワーヘッドも最新式らしく、水圧も角度も自在に調整できるタイプだ。洗い場の鏡も曇り止め加工されているらしく、クリアに俺の姿を映し出している。
銭湯通いのこちらとは雲泥の差である。この憤りは作品に昇華しよう。必ずやあの友人繋がりの縁で食いつないでいる現状から脱却し、己が身で生計を立ててやるのだ!いつまでもマウントを取って俺を家政夫扱い出来ると思うなよ……!
それはそれとしてこのお高そうなシャンプーとかボディソープを適量使わせてもらおう。我ながらみみっちい仕返しである。
湯船に浸かると、思わずため息が漏れた。温度も丁度良い。友人が入った後だというのに、まだ十分熱い。追い焚き機能があるんだろうな。
「……くそ、気持ちいい」
認めたくないが、これは最高だ。久しぶりにちゃんとした風呂に入った気がする。
しばらくぼーっと湯に浸かっていると、不意に学生時代のことを思い出した。あの頃も、たまに友人の家に泊まりに行って、こんな風に風呂を借りたことがあった。
当時から友人の家は裕福だったが、友人自身はそれを鼻にかけることは無かった。むしろ、俺が気を遣わないように配慮してくれていた。
「……変わってねえな、あいつ」
小さく呟いて、俺は湯船から上がった。
「風呂から上がったぞ〜、ちょくちょく脱衣場に不審者の気配を感じてたが、ちゃんと食器洗ったか〜?」
俺が牽制を兼ねた成果確認をすると、つまらなさそうにぶーたれた友人が返事をする。
「不審者は知らないけど?食器はちゃーんと洗いましたー」
「俺が風呂入って出る間に何があったんだよ」
やっぱコイツ風呂場の様子伺ってたな。まあいい、今は食器洗いのチェックだ。
キッチンに向かうと、確かに食器は全て洗われて水切りカゴに綺麗に並べられていた。シンクも軽く拭かれている。
「……お、ちゃんとやってんじゃん」
「でしょー?褒めて褒めて」
友人が俺の後ろから顔を覗かせる。タオルで髪を拭きながら振り返ると、友人は期待に満ちた目でこちらを見ていた。
「えらいえらい」
適当に頭を撫でてやると、友人は嬉しそうに笑った。本当にガキだなこいつ。
「じゃあご褒美ちょうだい」
「は?」
「ご褒美!君が僕にご褒美をくれるの!」
「何でそうなる」
「だって僕頑張ったもん」
友人は両手を広げて俺に迫ってくる。
「……はあ。何が欲しいんだよ」
「お風呂の感想」
仕掛けてきたな。友人はガキのような笑顔から一転、煽るような顔で両手をワキワキと動かす。
「君の眼の前の美少女の残り湯を堪能したんだろ?何も感想が無いとは言わせない!」
「うわっ、ラブコメ布教をする時みたいな面倒くささ!」
残り湯についての感想?ねぇよんなもん。
「はいさんにーいちQ!」
「自分の家に あんなでっかい 風呂が欲しい」
「ふむ……僕とホームシェアすればすぐに達成できるのでは?」
「ざけんな」
交渉決裂。多少の沈黙。
「……じゃなーい!"残り湯"についてなんか言えって言ってんの!おらっ家主権限だ!答えろー!」
「風呂入る前にちゃんと頭と身体洗ったか?」
「うん!」
「じゃあ問題ねえだろ。解散で」
「良かったーお風呂警察の追及を躱せて……じゃないわ!はぁ〜〜……、コイツはほんとによぉ〜」
一通りノッた友人は心底がっかりした様子でため息をついた。相変わらずノリ良いなコイツ。
「わかってはいたけど君は相変わらずラブコメ適正ゼロ人間なんだね……。僕は悲しいよ」
「人類すべてがお前と同じ着眼点を持てると思うな、ってずっと言ってんじゃん。お前の熱意は前から認めてるだろ?」
「そーだけどそう言う話じゃないんだよ〜〜……はあ、からかい甲斐が無いや」
「布教したいのは分かるが少し身体張りすぎじゃねえの?」
「君に僕の気持ちは分かるまい……」
友人はトボトボと洗面台に歩いて歯を磨き始めた。俺も並んで歯を磨く。
鏡越しに2人並んだ姿が映る。学生時代もこんな風に並んで歯を磨いたことがあったな、と思い出す。
あの時はお互い男で、今は生物学的には男と女だが。
あの頃と何も変わってない。友人は相変わらず面倒くさいし、俺は相変わらず付き合わされている。
と、ここで友人が手を早めて勢いよく歯を磨き切る。口の中の歯磨き粉を吐き出して水でゆすぐと、宣言をしながら2階へと歩いていった。
「今から着替えるから!君は部屋に入る前にちゃんとノックして確認すること!」
「機嫌悪いなら別の部屋で寝て良いか?」
友人はピタリと止まると、数秒考えてからこう言った。
「……僕が夜寝れなくなるから駄目!ちゃんと僕の部屋に来るように!」
分かりやすく足音を立てて2階へと消えていった。……これは演技だな。俺はあのカスに詳しいんだ。
歯を磨いた俺は寝室に行った友人に足音が聞こえるように2階へ上がる。
友人が挙動不審の末に不機嫌になって1人で先に行く、という怒り方は100%噓である。
アイツは本当に怒ると平静と親密さを装って対象に近づき、復讐の機会を伺うタイプだ。
こういう時は決まって俺に対するイタズラだと相場が決まっている。学生時代は機嫌取りの為に引っかかっていたが、今の状況で引っかかるとシャレにならないだろう。女になったアイツはそういう事をする。俺はあのカスに詳しいんだ。
携帯端末のスリープを解除した俺は、寝室の扉の前に立ち、ノックをした。
『……もう着替え終わったから入って良いよ』
「分かった」
録音完了、言質は取った。俺はゆっくりとドアを開け、隙間から携帯端末を出した。さながら手鏡を使うクリアリングのように。
そして無音のシャッターを切ってすぐに撤退する。気づいた友人が走ってくるがもう遅い。俺はドアノブを握りしめて封鎖した。貧弱なアイツにはこれで十分……!
『おい!今隠し撮りしただろ!なんで急にそんな事したんだ!言え!』
ドアノブをガチャガチャと鳴らし、扉を叩きながら友人は問い詰めてくるが、こちらは既に決定的な証拠を手に入れたのである。恐れる必要なし!
「自分の確信に従って前方の安全確認をしただけですぅ〜〜」
『安全確認って何だよお!僕の部屋を何だと思ってるんだ!』
「下着や肌着を脱ぎ散らかした社会的地雷原」
友人の抗議がピタリと止んだ。相変わらず俺に対しては分かりやすい奴である。
『……な、何のこったよ』
「おう、しらばっくれていいぞ。その代わりに俺は野宿初めて良いか?」
『可及的速やかに部屋を片付けます!……あの、手伝いとか』
「お前が勝手に散らかした服だよな?」
ちょいとドスを効かせると友人は面白いように慌てた。
『ごめんなさいママ!直ちに片付けます!』
「だから俺はママと呼ばれる筋合いは無いって」
どうにか片付けを1人で終わらせた友人は、ベショベショに泣きべそをかきながら俺を部屋に招き入れた。
「お待たせしました……」
「分かりやすく落ち込んでんな」
「誰のせいだと思ってるんだよぅ」
「お前」
「ううぅ……」
友人は布団の中にうずくまってしまった。自分から仕掛けるくせに返り討ちに合うと勝手にボロボロになるのは相変わらずだなコイツ。
俺は床に敷いた布団の上で胡座をかきながら友人が落ち着くのを待つことにした。部屋の電気はまだ点いていて、整頓されたとはいえ生活感のある友人の私室を薄く照らしている。本棚には文庫本や漫画が並び、机の上には原稿用の資料らしき本が積まれている。隅には組み立て途中らしいプラモデルのパーツが丁寧に並べられていた。
10分もしない内に山になった布団の中の音が止む。感情の振れ幅が大きいが持続しないのがコイツの特長である。
「……あれ、電気を消して寝ないの?」
「その前に、今回お前がどうしてこんなイタズラを仕掛けたのか動機が知りたいんでな」
「なんでそんな事話さなきゃいけないんだよ、僕もう寝る!」
「じゃあ編集さんに話して相談するしかねえなあ……」
「何が目的なんだ!言ってみろ!僕の身体か!?」
「二度とくだらねえ真似が出来ないように動機を明らかにしてボコボコにしてやろうかなって」
「……ああそうだ、そういや君はそういう奴だったな」
「懐かしいな、国語のエーミール君」
「あれ主人公の僕くんがクソカスだったな……、って最近思うようになったよ」
「成長したな。じゃあキリキリ話せ」
「はぁぁあああ〜〜……。なんでこんな情緒の無い奴と友達なんだろう、僕って」
布団の山がもぞもぞと動き、友人がようやく顔だけを出した。泣きべそをかいた跡が残っているが、目つきはもうすっかり落ち着いている。立ち直りだけは異様に早いんだよなコイツ。
「俺はてっきり、卒業してから漁船に乗ったりその金で海外行ったりしてる間に関係が自然消滅してると思ってたんだがな」
「君ってそういう事言うよね」
「当時のクラスメイトで関係残ってるのお前ぐらいだし」
「あ、そう?!ふーんそうなんだ、へへへ……」
「キショ。で、動機を答えてもらおうか?」
「んー……ま、いっか。分かった、正直に話すよ」
「この期に及んで眼の前のカスが適当な噓で煙に巻く選択肢を持っていたことに驚くんだよね」
「話が進まなくなるから一旦置いといてね?」
「……僕ってさ、学生時代は正真正銘男だったじゃん?」
友人は、そんな当たり前の前提から話し始めた。
「性同一性障害とかも無い正真正銘のエロガキだったな」
「それは今いいじゃん!置いといてよ!」
「それで?」
「まあ、君が作家になるって卒業してったじゃん?それで"自分でもやれそうだなあ"と思って後追いを始めてさ」
「後追いで俺の先に行くなよ」
「うるせ〜!知らね〜!漁船に乗ったり海外行ったり寄り道してる奴が悪い〜!」
「俺には俺のやり方があるんだよ!」
「売れてから言え〜!」
「話を進めろ」
分が悪くなったので俺は続きを催促した。
「いやそっちが話を外して……まあいいや。で、あれよあれよと僕の本が出て売れてくれたのは良いんだけど」
「おう」
「このままで良いのかなあ、と思って」
「おう」
「だから女の子になったんだよね」
「そうか。たしか今はワクチン接種みたいな形での性転換が出来るようになったんだっけか?」
何時だったか、人間を一夜にして性転換する恐ろしい病気……通称TS病が確認された事がある。
もっとも、今は対処も治療も法律も出来上がってはいるのだが。
「色々と面倒な手続きはあったけどね」
「何だっけか、個人の連続性の証明とかで肉体の変化の過程を記録したり第三者に確認してもらって保証して貰うとかなんとか」
正直、コイツは俺がいきなり船に乗ったり外国を旅した事をとやかく言えないのではないだろうか。
「女の子になってから作品の糧になる事を色々体感出来たし、後悔してないんだけどさ。僕が思ってもない所から色々切り捨てちゃってたんだなって突き付けられる事があってさ」
「はー、その辺に興味はないが……。それで俺が戻ってきた時に泣きついてきたわけね。ウケる」
「人間の屑がこの野郎……!」
「俺らの間に道徳心は無用だろ」
「全部その通りだから言い返せないんだよね、腹立つ」
友人は布団の中で膝を抱えるようにして俺を睨んでいる。本気で怒っているわけではない。こいつが本気で怒る時は、もっと静かになる。
「……で、イタズラの理由は?」
「何だかんだと僕は君に学生時代と同じ様に世話してもらってるけどさ」
「おう」
「なんか僕が男の時の延長線みたいな接され方に感じてね?」
「いかんのか?」
「あって然るべきだろ!変化が!眼の前の人物を見ろ!学生時代の面影が欠片もない美少女やぞ!あるだろ!ドキドキワクワクのイベントが!」
「何が美少女だ、実年齢を考えろクソガキ」
「うぎぎぎぎ」
「あそこのロボットとか美少女のプラモデル片付けてから言えよ。……なんか新しいの増えてね?」
「最近のプラモデルの進歩はスゴイよぉ。今度布教してあげるからさ」
「マジで学生時代から趣味が変化してねえな」
「良いだろ別に!……で、まあ今の僕が女の子である事を意識させてやろうと思って今回のイタズラを画策しました。説明終わり!」
「ちなみに性別の変化は意識はしてるぞ。だから付け入る隙を与えないように立ち回ってたんだからな」
「成る程なぁ……、ラブコメ適正ゼロ人間はそうなるのかぁ……」
「お前は事あるごとに俺をオタク沼に沈めたり、自分自身と同じ社会的立場まで引きずり込もうとあの手この手を使ってきたからな。女になったら当然この手を使うだろうと想像はつく」
友人はしばらく黙って俺を見つめていた。何かを言おうとして、やめて、また考え込む。珍しい。大抵こいつは思ったことをすぐ口にする。
「……なんで君って、僕の事そんなに分かるんだろうね」
今度は、からかいでも拗ねでもない声だった。
「長い付き合いだからな」
「それだけ?」
「それだけだろ。寝るぞ、電気消すぞ」
「……うん」
友人はそれ以上何も言わなかった。俺は電気を消して布団に潜り込む。
暗くなった部屋の中で、友人の寝返りを打つ音だけがしばらく続いた。