音楽インスパイア   作:立川南

1 / 1




ポスト春

少し、昔のことです。

私は、どこにでもいるつまらない子供でした。

どこかで読んだ詩歌に騙され、絆され、世界には暗いものしかない気がしていた、幼い子供でした。

当然、学校にも行っていなかった。

母は、私に優しかったですが、やがて会話も少なくなっていきました。

補充されていくオレンジジュースや、朝食の卵の半熟で、私は母の愛情を測っていました。

そんな、あの頃の話です。

 

♢♢♢♢

 

人生とは、つまらない事の連続である。

人生とは、くだらない嘘の連続である。

だから、夜が好きだ、人が少なくなった夜には、その分嘘だって少ないからだ。

母は、夜半の少し前には絶対に眠りにつく。

僕はこの小さな家をこっそりと抜け出して、夜の世界を見るのが好きなのだ。

意外な程に、人が減らない最終電車だとか、境界を失った車道と歩道を、僕は歩道橋の上から眺めている。

酷くいい気分だ。

 

 

歩道橋を降りて、道をそれれば、世界は僕のものだ。

工事現場は唸っていない、誰かが泣いている公園も酷く静かだ。

やたらと怖い人たちが働いている、謎のテナントが入ったビルだって、みんな暗ければ怖くない。

 

自販機の前に、人影が見えた。

女性だろうか、影は、驚くほど豊かに踊っている。

僕は、霊障の類は信じていない。

僕は、迂回路を探した。

 

その時、僕は気づいた。

自販機の反射というわけではない。

その女性には顔がない。

いや、彼女はまるで、白い影だ。

光だけが、彼女の輪郭を作っている。

彼女は、驚くほど豊かに踊っている。

 

まるで切り絵のように、世界から切り離された彼女は、夜を切り裂くように踊っている。

僕は、気づけば魅入られている。

 

彼女は、ゆっくりと、踊りながらに歩き出した。

ステップを踏み、腕を揺らし、世界を包み込むように、切り裂くように進んでいく。

僕は、彼女に着いていくことにした。

 

彼女は、ただ踊り続けていた。

線路沿いの道を歩く、人を下ろし終えた、回送電車が通り過ぎる。

電車の窓から、あまりに明るい光が漏れる。

電車が、あまりに大きな音を鳴らす。

彼女は、ステップを乱すことはない。

恐ろしい早さで過ぎ去っていく窓の光を、彼女はスポットライト替わりに踊っている。

 

彼女が、ある時急に消えてしまった。

僕は焦って、彼女を探して走り回る。

彼女は、公園の遊具の上で踊っていた。

遊具は、役目を終えたものだ。

遊具は、夜にはなんの価値もない。

彼女は、遊具の上で、あの豊かな踊りを、惜しげも無く振りまいていた。

 

彼女と、話がしたいと思った。

彼女は、昼間をどうやって生き残って、この夜にやってきたのだろうか。

なぜ、あんなにも世界を愛おしめるのだろうか、楽しめるのだろうか。

なぜ、あんなにも明確に世界に存在できるのだろうか。

 

彼女に、声を掛けた。

彼女は、声を返してはくれない。

彼女の影には、何故か色が付いている。

彼女は、美しく踊っている。

いつしか、僕にも音楽が聞こえてくる。

誘われるように、僕は下手くそなステップを踏んだ。

彼女に食らいつくように、僕は下手くそなステップを踏んだ。

激しく揺れる身体に反比例して、視線はどこまでも一定だった。

それでも、世界がひどく美しく見えることに驚いた。

 

彼女は、いつしか消えていた。

僕は、何一つ驚きはしなかった。

家へ帰って、布団に入る。

朝になれば、またいつも通りの朝食が出てくる。

しばらく声を出していないから、声が出にくかった。

今日は、昼間の街を歩いてみる。

人生とは、つまらない事の連続である。

人生とは、くだらない嘘の連続である。

だから、僕は夜が好きだ、人が少なくなった夜には、その分嘘だって少ないからだ。

でも、それだけじゃない。

このとんでもなく酷い世界には、酷く美しい瞬間だってあるのだ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。