彩葉が目覚めると、視界いっぱいに人形の顔が広がっていた。
「ぅぁ」
驚いて飛び起きようとしたところで、体が動かないことに気づく。
「おはよう。やっと目が覚めた」
人形が離れる。いや、よく見ると人形ではなく鵺だ。こいつ、寝ている私の顔をゼロ距離で見つめてやがったのか、と彩葉が気づいたのはその3秒後だった。
頭の回転が鈍い、というより頭痛がする。ここのところの無理が祟って、風邪をひいてしまったようだ。
「そうだ、バイト!」
慌てて起き上がろうとするも、体が重く、思うように動けない。ふらふらと布団に倒れ込む彩葉を、鵺が支える。
「無理はよくない。まだ、熱出てる」
そこに、料理をしていたかぐやがやってくる。
「彩葉、しんどい?」
「平気。すぐ出るから」
そう言って再び起きようとするが、それをかぐやが泣きながら抑える。
「バイト休む連絡入れといたから。彩葉、もう休んで」
「……え、かぐやが?」
「あと、いっぱいふかふか置いといたから、いっぱいふかふかしてね」
言葉の通り、彩葉の布団の周りには、大量のふかふかなぬいぐるみが敷き詰められていた。
わざわざ向きも揃えられており、ぬいぐるみたちもどこか彩葉を心配しているようだ。
「……ありがと」
「あっ、あと病院! 病院行こっ、一緒に」
「……お金かかるからやだ」
「そんなもん、かぐやに任しときっ」
腕まくりのポーズで自信満々に言い放つかぐや。
しかし、彩葉の顔色は優れない。
「でも、全部ぎりぎりで予定組んでるから……何日も休んだら、もう追いつけないよ……そしたら奨学金も……出ないかも……」
泣きそうな声でそう呟き、俯いてしまう。
普段の凛とした姿はそこになく、しおれた花のようになってしまった彩葉に、流石のかぐやも次の言葉に迷った。
「何で彩葉は、そんなに一人で頑張らないといけないの?」
少しの間を置き、静かに問いかけるかぐや。
その目には涙が溜まり、今にも決壊しそうだ。
「勉強にバイト、かぐやの配信の手伝い。何より睡眠時間も削って無理に予定を組んでいる。倒れて当然」
鵺が淡々と、しかしどこか不機嫌そうに事実を並べる。
「うっ、うっ……かぐやのせい? 私もめっちゃ無理言っちゃったし……彩葉ぁ、死んじゃったらヤダぁ~~」
かぐやはついに子どものように泣きじゃくり始める。
「お、大げさな……死にゃしないよ」
「だって、映画とかだと人間ってすぐ死ぬじゃん!」
「大丈夫だから」
そうして抱き着いたかぐやの背を、赤ん坊をあやすようにさする。彩葉は、なぜ自分がある種強迫的に努力するのか、その理由を思い出していた。
しばらく泣いて落ち着きを取り戻したかぐやとともに、ぬいぐるみを抱きながら並んで座る。彩葉は家族とのことを語り始めた。
優しかった父が亡くなった話。
彩葉をおいて出て行ってしまった兄の話。
そしてどこまでも厳しく正しい、いや正しくなってしまった母の話。母に認めてもらいたくて、でもどれだけ頑張っても認めてもらえなくて、押しつぶされそうになっていた自分のことも。
「……それで、私が一人で学費も生活費も賄うならって、やっと折り合いついたんだよね」
「えらい簡単に言ってるけど、皆そんなことしてなくない?」
「お母さんはそのくらいのこと平気でやってたし、私も譲らなかったし。最初にここで目を覚ました時のこと、よく覚えてる。何もないし、誰にも頼れないけど、自分の力で生きるんだって思ったらめっちゃ力湧いてきた。なんかラッキー……みたいな?」
「いやいやいや、ラッキーじゃないっつーの! 宇宙人調べでもそのお母さん激やばおかしいって!」
おかしいおかしいと駄々をこねるかぐや。
彩葉は手元のぬいぐるみを強く抱きしめる。
本当は、これが異常だということなど分かっている。
それでも……
「かぐやには……」
「え?」
「いや……なんでこんな話してんだ……」
その時、部屋に鍋が噴きこぼれる音が鳴り響く。
「やば!」
かぐやが慌てて台所に駆け寄り、火を消した。そのままできた粥を椀に盛り付けていく。慌てすぎて少しこぼれているのはご愛敬だ。
その間に、黙っていた鵺が話しかけてくる。
「あなたは、お母さんに認められる存在に、なりたかったんだね」
「え……うん、そうだね」
「かぐやと、私たちと一緒に頑張ると、お母さんに認めてもらえない?」
「?」
その言葉の意図がよく理解できず、首を傾げる。
鵺は珍しく視線を彷徨わせて続きの言葉を探しているようだ。
「あなたは……もう十分頑張っている。だから、すぐには難しいかもしれないけれど……もっと私たちに頼ってもいい、と思う」
そこで、どうやらもっと頼ってほしいと言いたいことが理解できた彩葉。後輩の不器用な励ましに、胸が温かくなる。
「生意気」
そういって、可愛い後輩を軽く小突く。
鵺は無表情だが、少し不服そうに彩葉を睨んだ。
そこに、盛り付けの終わったかぐやが戻ってきて、早口でメニューの解説をしていく。
「——卵は2個入ってるよ。アツアツだから、ふーふーして食べてね」
「あつっ!……超うまい」
「どやー!」
彩葉から一番聞きたかった感想を聞いて、かぐやは今日最高の笑顔を咲かせた。
常夜の街ツクヨミは今日も賑わっていた。
立ち並ぶ商店ではクリエイターが自らの創作物を売買しており、カフェでは無料の味なしパフェを味わえる。さらに、ある程度の表現者になれば、ツクヨミ内にホームやラウンジを持つこともできる。
プロゲーマー集団であり、現在ヤチヨカップの暫定順位1位を独走中のブラックオニキスも、自らのホームでビリヤードを楽しんでいた。
「このままいけば、ヤチヨちゃんとのコラボも確実だな」
「ああ。だが、油断はできない」
「ランキング爆上げ中のチームがいるからねぇ」
彼らの視線は、ツクヨミ公式ライバー忠犬オタ公によるヤチヨカップ中間発表の最後に表示された『かぐや・いろP』に向いていた。
「いろP……ね」
どこか含みを持って呟きつつ、⑨の玉を見事穴に落とした帝。
その目は、新しいおもちゃを見つけた子どものように輝いていた。
「やはり、お前の妹か?」
「十中八九ね。いつからあんな面白い友だちができたんだか」
雷の質問に答えつつ、落ちた玉を片付けていく。
かぐやのぶっ飛んだ配信のファンになったのは間違いないが、その隣に色々と不器用な妹の気配を感じた彼は、かねてより彼女らの動向に注目していた。
「もしかして、コラボとか考えてんの? そういう因縁みたいなの、面倒なんだけど……」
乃依が気怠げに呟く。
帝の兄としての一面を知る雷と乃依は、この男が妹たちの後押しのためにコラボを計画していると察していた。
「ああ、そろそろいいかもしれないな」
その予想は正しかったようで、彼がメールを書き始める。
その時だった。
「ブラックオニキスとお見受けする」
部外者が立ち入れないはずのホームに、機械音声のくぐもった声が響く。三人が声のした方を向いた。
視線の先、障子の向こう側に、巨大な頭部を持った歪な影が佇んでいる。
「誰だ」
雷が誰何する。
「その首、頂戴いたす」
次の瞬間、帝の背後で盛大に何かが倒れる音が鳴った。振り返って目に飛び込んできたのは、ゲーミングカラーに光るクラゲの帽子をかぶった少女が、無様に顔面から倒れている姿だった。
「隠密スキル、失敗。くっ、殺せ」
囚われの女騎士のようなことを宣う少女。
乃依が障子を開けると、そこには短剣のスキルで生み出された囮人形が立っていた。ご丁寧にスピーカーまでついており、ここから音声を出していたようだ。
このポンコツ、全員が囮に気を取られている隙に背後を取ったは良いものの、勝手にすっ転んだらしい。
「暗殺未遂……といったところか?」
雷が呟く。
「お前、かぐや・いろPのところのNUだな。これは、落とし前を付けてもらわないとな」
心底楽しそうに、帝が口元を歪めた。
『Black onyX 帝アキラさんからのメッセージ
初めましてかぐやちゃん! 俺はブラックオニキスの帝アキラ。ファン数百万人達成おめでとう!
ところで提案なんだけど、そっちが送り込んできた可愛いクラゲちゃんを捕まえたから、これを宣戦布告と捉えてKASSENコラボってのはどう?
かぐやちゃんが負けたら……やっぱ俺と結婚、かな?
こっちが負けたら、なんでもお願い聞くよ。
それじゃあ、一緒にツクヨミを盛り上げていこう!』
「何やってんだあいつ!?」
真実のツクヨミ内ホームで寛いでいたかぐや達の元に届いたメッセージは、彩葉に衝撃を与えた。独断専行した後輩のせいで実現してしまった兄との対決に、魂が抜ける彩葉。
だが、その隣でかぐやは目を輝かせていた。今一歩足りないファン数獲得に向けて、王者ブラックオニキスとのコラボは渡りに船である。
「すごい大物が釣れたー!」
『注目のイベントが始まります! 異例の速度でのし上がった超新星かぐや・いろPが、王者ブラックオニキスに刺客を送り込んだことに端を発するKASSENでの対決! そしてまさかの求婚!』
『帝のファンダムは一時騒然としましたが、おそらくノリで言ってるだけだと思いまーす』
プロゲーマー乙事照琴と解説の忠犬オタ公のMCに、会場が盛り上がる。
『ヤチヨカップの結果発表も残り1時間ですね』
『この勝負の結果次第ではかぐや・いろPの逆転も!?』
場内の熱量に反し、彩葉は身バレ防止の着ぐるみを付けて呆然としていた。なぜこんなことに……。
「いろP、かぐやちゃん、まみまみ! がんばー」
観客席では芦花が声援を送ってくれている。
「頑張れー」
何故か元凶の鵺も。
いやお前何してくれとんじゃ、という文句を飲み込んだ彩葉。ここで声を張り上げてしまえば、兄に身バレしてしまいかねない。
青筋を立てつつも、黙ってブラックオニキスの到着を待つ。
『黒鬼、ご来臨~~』
会場上部の岸壁が爆発し、虎型のバイクに乗ったブラックオニキスのメンバーが現れた。会場のボルテージが上がる。
リーダーの帝アキラがゆっくりと歩み寄り、かぐや達に語り掛ける。
「どーも、対戦受けてくれてありがと」
「わ、私、ファンで……」
「まみ、悪いけど、今日は手加減できない」
「!? なまえ……」
帝の大ファンである真実が出ていくも、名前を呼ばれた喜びで脳がショートを起こし、ふらふらと倒れてしまう。
「真実……真実!?」
「ファンサによる限界化を利用した無力化。さすがブラックオニキス、汚い手を使う」
先日、奇襲を仕掛けた者の発言とは思えないセリフを鵺が呟く。そんな言いがかりなどお構いなしと、帝のターゲットはかぐやに移った。
「そして俺の姫、かぐやちゃん」
ちゃっかり真実の衣装のメロンパンを強奪したかぐやが、帝に詰め寄る。
「どらぁ帝、勝負だ!」
「へへ、前傾姿勢可愛すぎ」
戦闘態勢のかぐやを気にも留めず、帝が改めて求婚する。彩葉がブレードで切りかかるも、それすらもあっさりと避けて余裕を見せる帝。
「真実大丈夫?」
一連のやりとりの後、未だ起きない真実に焦る彩葉とかぐや。
そこへ、上空から玉手箱が降ってくる。
「じゃっじゃーん! 呼んだー?」
玉手箱が爆発し、煙の中からヤチヨが元気よく飛び出した。
「ぜったい勝とうね!」
恐縮する彩葉と、呆けているかぐやに対し、ヤチヨは心底嬉しそうに参戦を宣言するのであった。
ブラックオニキスVSかぐや・いろPの勝負は、実力差に反して、実に画面映えのする拮抗したものとなった。
かぐや・いろPは、彩葉が着ぐるみを脱いで奮戦するも一回戦ではあっさりと敗北してしまったが、巨大生物レプトケファルスへの餌付けと空からの奇襲を思いついたかぐやの奇策がはまり、二回戦目で勝利をもぎ取る。三回戦でも見事な連携で帝を撃破し、勝利まであと一歩というところまでブラックオニキスを追い詰めた。
しかし、さすがはプロゲーマー。雷のトラップにまんまとはまったかぐやは、勝利を目前に大逆転の敗北を喫するのであった。
「あーーーーーっ! 負けた!」
「ちょっとかぐや、落ち着いて」
全身で悔しさをアピールするかぐやを宥める彩葉。
「かぐや、よく頑張った。そして悔しいけど、帝にならかぐやを託せる」
近くにやってきた鵺が、頭部のクラゲを七色に輝かせながら話しかけてくる。何様のつもりか知らないが、既にかぐやと帝の結婚を認めているようだ。
彩葉はじとっとした目で鵺を睨んだ。
「あー、負っげっだあぁぁぁ!」
一方かぐやはまだ悔しがっていた。
惜しいところで敗北してしまったため気持ちはわかるが、鵺の声も聞こえないほど泣きわめくのは勘弁してほしい。
それに、まだヤチヨカップの勝敗は決まっていない。
「いと大儀~~☆」
いつの間にか上空にヤチヨが移動し、ヤチヨカップ終了の音頭を取る。
「とーっても楽しいKASSENでした。そしてたった今! ヤチヨカップの投票を締め切ったよー。ヤチヨカップの優勝者は~~☆」
出現したホログラムで、ブラックオニキスとかぐや・いろPの棒グラフが表示される。
ぐんぐんと伸びていくブラックオニキスの棒グラフに、一度はおいていかれるかぐや・いろP。しかし、最後の最後にブラックオニキスを追い抜き、堂々の1位に躍り出た。
――第一位 かぐや・いろP 新規獲得ファン数101万7106人
「めでたしや~」
発表を終え、会場がライトアップされる。
ライトに照らされた二人は、徐々に理解が追いつき、感情が爆発した。
「えっ、負けたのに……え、やったー!」
「ひょえ~!?」
動揺する二人を、周囲の観衆が祝福した。
いろP・かぐやコールが鳴り響く。なかなか鳴りやまないコールの中、観衆をかき分けてブラックオニキスのメンバーがやって来る。
「え、やば、結婚!?」
警戒する二人に、帝アキラは神妙な顔で話しかけた。
「これじゃ、勝ったとは言えないな。ま、元々無理やり結婚する気なんてねーし」
「ねーよな!」
帝の言葉に安心したかぐやが、調子に乗ってブイサインで応える。
「で、彩葉のお願いって何?」
「え、いいの? 引っ越ししたくて、保証人になってもらえないかと……」
これを快諾した帝は、ファンの元へ行くと言って去ってしまった。
いつの間にか、鵺の姿も消えていた。
「では、また後ほど」
引っ越し業者を見送った彩葉は、空っぽになったアパートの一室を名残惜しそうに眺めた。先日までは狭苦しかった部屋が、やたらと広く感じられる。
エアコンもろくにつけない貧乏生活をしてきたため、快適とは言いがたかったかもしれないが、初めて自分の力で生きると誓った部屋との別れに、寂寥の念を覚えているのも事実だった。
「終わった?」
そこへ、鵺がやってくる。引っ越しに伴い、この後輩ともお別れだ。別に学校で会おうと思えば会えるし、かぐやの配信にもきっと参加するのは変わらないのだが、今までのように部屋に侵入してきたりといったことはなくなるだろう。
それを寂しいと受け止めている自分に、この後輩にもすっかり絆されてしまったと自嘲する。
2人の間に、朝の爽やかな風が通り抜ける。
「うん。色々、世話になったわね」
「別に、大したことはしていない。これからも、よろしく」
鵺はいつも通りの調子を崩さず、暗い青の瞳で彩葉を見つめ返した。それに頷き、彩葉はかぐやの待つ引っ越し先に向かうのであった。
「じゃあ、ちょっと買い物行ってくるから」
「さみしーから一緒行く!」
「だめ、荷ほどき死ぬほどあるでしょ。ちゃんと片付けといてね」
引っ越し作業が終わり、不足しているかぐやの日用品を買いに彩葉が出かけようとした時だった。
ピンポーン
インターフォンが鳴る。業者は帰ったはずだが、誰だろうか。訝しみつつも、彩葉がインターフォンのカメラを確認する。
そこには、見覚えのある小柄な少女の姿が映っていた。
『こんにちは。私、神出鵺。下の階に引っ越してきた』
どうやら、後輩に振り回される日々はまだ続きそうだ。
ブラックオニキス戦は原作と全く変わらない展開のため、ダイジェスト形式になりました。
誤字・脱字、感想等ありましたら、よろしくお願いします。