それは、ウミウシ状態のかぐやがヤチヨになる少し前のこと。
「かぐや。いい加減、そのピコピコをやめた方がいい」
暗い部屋の中でせっせとキーボードを叩くかぐやに、部屋のカーテンを開け放った鵺が告げる。
「待って、今盛り上がってるところだから!」
後にYachi8000の固定ハンドルネームで知られることになる彼女は、インターネット黎明期の現在、貪るようにネット生活を謳歌していた。元来楽しいことが好きな彼女にとってネット環境は最高のおもちゃであり、また長年望んだ人々と繋がれる唯一のツールでもあった。だから、のめり込むのも仕方がない面はあるのだが。
鵺は部屋を見回す。ろくに掃除どころか換気すらしていない部屋は散らかっており、ごちゃごちゃと大量のコードが絡まる床には埃が積もり始めている。
食べ物や髪の毛等が落ちない分、人間の部屋ほど汚くないにしても、不健全な生活には変わりなかった。
「酒寄彩葉と再会した時、今のだらしない生活を見られたら、どう言い訳する?」
「う……」
鵺の言葉に、ウミウシの手が止まる。
「鵺のいじわる。私だって、ただ遊んでるわけじゃないんだよ? ホームページ作ったりしてるもん。でも、このキュートなウミウシボディだと、どうしても限界があるんだよねー」
「あなたの話だと、魂と電子情報?とやらは親和性があるはず。本体を直接繋げばいい」
「本体言うな……まあ、それも考えたんだけど『もと光る竹』は正倉院に収められちゃってて、持ち出すのは難しそう」
かぐやの宇宙船であり、FUSHIの身体を除けば唯一の魂の依り代『元光る竹』は、縄文時代から日本に伝わる宝であり、当時祀られた貴重な文化財として丁重に保管されてしまっている。
かつてかぐやが関わった人々の子孫に大切にされているという事実は嬉しい一方で、今は活動の制約となってしまっている。
「彩葉が生まれるまであと30年くらい……このままだと、ツクヨミのオープンが間に合わないかも……」
うーん、うーんと軟体を捩じって悩むかぐや。なんとなく近づいた鵺が、その頭を優しく撫でる。感覚のないかぐやだが、撫でられたことが嬉しいのか、ふにゃりとした笑顔を浮かべる。
「なら、盗み出せばいい。本来の持ち主はかぐや。誰も咎められない」
「いやいや、自分で言うのもなんだけど、文化財だから。警備とかもあるだろうし、バレたら鵺が捕まっちゃうよ」
かつてのかぐやであれば、ナイスアイデア!と言ってすぐに実行していた(かもしれない)案を却下する。8000年の歳月は、お転婆なかぐや姫を思慮深く成長させてしまった。
本人はそのことに、自分ごとながら寂しさを覚える。
「なら、正面からお願いする?」
「それができればいいんだけど……」
人々が神秘的な存在を信じていた昔ならばいざ知らず。今やオカルトが金になる時代だ。ウミウシの身体で不用意にそんなことを頼もうものなら、喋る珍しいウミウシとして解剖されたり、見世物として売られたり、いずれにせよバッドエンド一直線だろう。
可能性の最も高い方法は、国家レベルの盗難が出来る人材に依頼することだ。だが、そんな人物が果たして見つかるかどうか……
「それなら、行先は決まり」
鵺はそう言って、おもむろにサングラスをかける。安物のプラスチックの縁がきらりと光った。
「ポートエレン、10年物を」
「お嬢さん、ここは未成年入場禁止なので、お引き取りを」
「そんな……ほら、ちゃんと成人してる」
どう見ても中学生から高校生くらいの姿の鵺は、バーの入り口で早速躓いていた。身分証を見せるが、いまいち信用してもらえない。
ドヤ顔で「情報が集まるのは酒場と相場は決まってる」などと言ってやって来たはいいが、まさか店に入ることすらできないとは。
鵺が仕方なく出直そうとしたところで、頭上から知らない声が響いた。
「ああ、すみません。彼女とは待ち合わせしておりまして。私が身分を保証しますよ」
眼鏡をかけた男がこちらを見下ろし、ウィンクを送ってきた。ふわりと上品な香水の香りが漂う。どうやら、鵺を庇ってくれるらしい。
「あなた、待っていたわ」
そして彼の腕に抱き着き、なぜか恋人のフリをし始める鵺。鵺の懐に隠れるかぐやは、何やってんだこいつと心の中で呟きながら、そっとポケットから顔をのぞかせて男の顔を盗み見る。
日本語が上手いが、どうやら海外の人間らしい。すらっとした長身で、鼻が高く、ウェーブがかった金髪を固めた爽やかな男だった。
「失礼いたしました。お連れがいらっしゃるのであれば、問題ありません。どうぞごゆっくり」
店員はそう言うと、二人を席に案内して奥に引っ込んでいった。
「さっきはありがとう」
「どういたしまして、可愛いお嬢さん」
男はスマートに礼を受け取ると、店員に注文を入れる。しばらくして、男の手元には真っ赤なワインが、鵺の元には、何故か二人分のジュースが置かれた。店員は怪訝な顔をして去っていく。
「君と、君の友だちに、乾杯」
そう言ってワインを一口飲んだ男に、鵺が感心する。
「この子のこと、いつから気づいた?」
「相手の懐に何かが入っていないか、つい気にしてしまうんだ。職業病というやつかな」
そう言った男は、鵺の服から出てきたかぐやにグラスを掲げる。
「可愛らしいお友達だね。見たことのない生き物だ」
「この子はかぐや。一応、ゴマフビロードウミウシ、の仲間。それと、私は神出鵺。よろしく、ワインの人」
「ははは、ワインの人か、気に入ったよ……ジョン・カーター。ジョンと呼んでくれ。よろしく、鵺、そしてかぐや」
愉快そうにワイングラスを傾けるジョン。鵺もジュースを一口のみ、暗い海のような瞳を向ける。
「それで、どうして私たちを助けてくれたの?」
「困っている人がいたら助けるのは当たり前……なんて言っても信用してもらえないだろうね。でも大した理由じゃない。ほんの興味本位だよ」
見るからに人の好さそうなこの男が言うなら誰でも信用してくれそうだが、それでも敢えて本音を伝えてくる。
「君の方こそ、どうしてここに?」
「友だちを作りに」
男は一瞬目を丸くした後、穏やかに微笑んだ。しかし、その目はしっかりと鵺の目を見据えている。
「こんなところで友だち作りとは、感心しないな。悪い大人につかまってしまうかもしれないよ?」
「探してるのは、その悪い大人。でも、信頼できる人」
あなたのような、とは口にしなかった。信頼に足るかどうかは、この後の話次第だろう。鵺がかぐやに視線を送る。
「はじめまして! よろしく、ジョン」
かぐやが初めて話しかけた。流石のジョンも目を見開く。
「これは……驚いたよ。君は喋れるのか」
「本当はあんまり目立たない方がいいんだろうけどねー。あなたとなら、友だちになれそうな気がして!」
それからかぐやは、他愛もない世間話から、世界情勢、この時代では最新の技術であるワールドワイドウェブ等について、色々な話をした。永い時を生き、そしてインターネットという情報ツールを手に入れたかぐやがそれらに詳しいのは当然だが、ジョンもまた博識で、かぐやとは話が弾んだ。その中で、彼がアメリカ人らしいこと、日本には仕事で来ていることを知った。
鵺は途中からジュースを飲むだけで、二人の話を静かに見守る役に徹していたが、腕時計を確認すると静止にかかった。
「かぐや、そろそろ寝る時間」
「あ、つい話しすぎちゃった。ごめんね!」
「いや、とても楽しかったよ……また、会えるかな?」
「もちろん!」
こうして友人となったかぐやとジョンは、その後もたびたびバーで親睦を深めていった。
そして何度目かの邂逅で、かぐやたちはついに本題を切り出す。
「……信じられないかもしれないけど、私は未来から来たの」
かぐやは笑われるのを覚悟で、素性を全て話した。そして、未来で彩葉と出会うためにやるべきことがあることも。ジュースの氷はすっかり溶け、グラスの下には流れた結露が水たまりを作っていた。
男は真剣な顔で黙って話を聞いていたが、かぐやが話し終えるとうっすらと笑みを浮かべる。
「そうだと思ってた」
「え?」
「私はCIAなんだ。この仕事をやっていると、嫌でもそういった勘が働くようになる。初めて会ったときから、君たちは何か大きな秘密を抱えているとね」
ジョンは明け透けにそう言うと、それで、と続けた。
「私に素性を明かしてくれたということは、君たちのお眼鏡に適ったと思っていいのかな?」
微笑むジョンに、かぐやは一瞬大きく深呼吸してから、覚悟を決めたように真剣な眼差しとともに切り出した。
「正倉院に保管されている私の宇宙船、『もと光る竹』を盗み出してほしいの」
その後、鵺とかぐやはさらにジョンとの密会を重ね、『もと光る竹』の奪取計画を練っていった。
かぐやは正倉院の警備状況、監視カメラの向きや数、配置を調べ上げ、ジョンは侵入および逃走経路などを導き出した。そして鵺はジュースを飲みながら二人を見守った。
作戦当日。あっさりと正倉院への侵入に成功したジョンとかぐやは、懐中電灯で辺りを照らし『もと光る竹』を探した。しんと静まり返った蔵の中を慎重に進み、棚の上に置かれた箱の一つに目を止める。表面にタケノコや蔓などの模様が描かれた古い木製の箱だ。
「これだよ」
ジョンの肩に乗ったかぐやが小声で呼び掛ける。ジョンは一つ頷くと、ふたを開け、中身を確かめた。想定通り、中にはタケノコ型の壊れた宇宙船『もと光る竹』が収められている。ジョンは事前に作成しておいたダミーと中身を入れ替えた。
「お疲れ。思ったよりあっさり終わった」
そこで、突然背後からかけられた声に驚くジョンとかぐや。その声の主が鵺だと気付くと、大きくため息をつく。
「驚かさないでくれ……物事は事前の準備でほとんどが決まるものだ」
ジョンは微笑みながら、『もと光る竹』を収納したケースの蓋を静かに閉じると、正倉院を後にした。
「しかし、私でも気づかないうちに背後を取るとは。君にはスパイの才能があるようだね」
「人を驚かすの、得意」
鵺は無表情ながら誇らしげに胸を張り、ジョンを見上げる。
「スパイが人を驚かせちゃだめじゃない?」
かぐやの呆れた声に、ジョンは小さく笑った。たった今、重要文化財を盗み出したとは思えないほど穏やかな時間が流れていた。
「かぐや、これから君はどうするつもりだい?」
「前に言った通り、すぐに『元光る竹』を直接ネットワークにつなげて、私の大好きな場所を作る! 誰も孤独にならない、最高に楽しい場所を」
かぐやは目を輝かせながら、すでに次の段階を見据えていた。ジョンはただ、そうか、と静かに返した。
それから数日。ジョンが帰国するというので、かぐやと鵺は空港に来ていた。雑踏の中、落ち着いたベージュ色のスーツに、赤いネクタイを締めた彼を見つける。
ジョンは目が合うとにこりと微笑み、無言で人気のない場所まで移動し始めた。彼の意図を理解した鵺はそのまま付いていき、彼が立ち止まったところで、ポケットの中に隠れていたかぐやを自分の肩に乗せた。
「わざわざ来てもらってすまない。どうしても、最後に君たちと話がしたくてね……短い間だったが、本当に楽しかった。ありがとう」
「お礼を言うのはこっちだよ。あなたのおかげで、夢を叶えられる……」
すでに『もと光る竹』はかぐやの住むマンションに運びこみ、仮想空間ツクヨミの開発に向けてフル稼働している。このペースならば、ツクヨミの女神ヤチヨとして、彩葉を見守ることができるだろう。
かぐやの言葉を受けたジョンは、珍しく笑みを引っ込めて、真剣な表情で提案した。
「……君さえよければ、一緒に来ないか?」
彼の言葉に一瞬目を丸くするかぐや。CIAである彼が、最近出会ったばかりの身元不明の生き物を連れて行くなど、リスクでしかないだろう。それを押してまで提案してくれる彼に、本当の友人として認めてもらえたのだと嬉しくなる。
しかし、かぐやにはまだやるべきことがあった。
「ごめんなさい。あの子に……また私として会えるかどうかは分からないけど……それでも、約束があるの」
その答えを聞いて、ふとジョンが笑みを浮かべる。
「極上のワインは時間が経つほど深まる。悪いことばかりじゃないさ」
彼が何かを誤魔化す時の、片方の口角を上げる笑い方が、かぐやの脳裏に焼き付いた。
このセリフは、共に行けないことへの慰めか、あるいはかぐやの旅路への激励か。いずれにせよ、彼が最後までかぐやを気遣ってくれているのは確かだった。
ウミウシの瞳に涙が浮かぶ。
「私、ワインはあんまり好きじゃない」
そこで、これまで静かにしていた鵺が茶々を入れる。人が感動している時に、この娘はどうして空気を読めないのか。かぐやは涙が引っ込んでしまい、鵺に呆れ顔を向ける。
「……ものの例えだよ」
それはジョンも同じようで、少し疲れたような表情を浮かべた。鵺はそんな二人にお構いなしの様子でさらなる爆弾を投下する。
「かぐや、私、ジョンに付いてく」
「え!?」
突然の通告に驚くかぐや。ジョンも大きく目を見開いていた。
「かぐやはもう大丈夫。だから、しばらくジョンと一緒にアメリカに行くのも、悪くない」
鵺は相変わらずマイペースに、しかしもう決めたと言わんばかりの強引さで宣言する。
「今まで通り、かぐやに困ったことがあれば、私はまた現れる。その時まで、またね」
かぐやを優しく肩からおろし、ジョンの横に並ぶ鵺。かぐやは呆気に取られていたが、確かにしばらくは鵺に頼ることもないし、ツクヨミのオープンのために忙しくなる。ここで別れるのも問題ないように思えた。
「そっか……わかった。ジョン、鵺をよろしくね」
「まかせて」
「今のは、君のことを私が頼まれたわけだが……」
すでに鵺の扱いに手を焼きそうなジョンだったが、内心の嬉しさを隠そうともせずに満面の笑みを浮かべていた。彼らは一度振り返り、かぐやに手を振る。
二人が去った後、かぐやはひっそりと帰路に就くのであった。
それから約40年後。
「あ、ジョンからメール」
「ジョン?」
「なんだいなんだい?」
受験勉強中の彩葉は、聞きなれない人物の名に振り返る。同時に、彩葉のスマホが点灯して画面にヤチヨが現れる。ぬいぐるみを抱き横になった鵺は、ポテチをつまみながらその内容を読み上げた。
「彩葉とヤチヨが再会できたこと、おめでとうだって」
その短いメッセージに彩葉は怪訝な顔をするが、ヤチヨは穏やかに微笑み、目元を拭った。
「ありがとうって、伝えてくれる?」
「自分の口で伝えればいい。その姿も、まだ見せてないはず」
「……それもそうだね」
ぶっきらぼうに返す鵺に、しかし真剣な表情で答えるヤチヨ。今は古い友人と、もう一度話したい気分だった。
「だからジョンって誰?」
「CIA職員」
「CIA!?」
彩葉がシャーペンを取り落とす。なぜアメリカの情報機関がと混乱するも、直後にヤチヨの記憶にいた彼を思い出す。
「だったら、私からもお礼を伝えなきゃ。後で連絡先教えて……っていうか、鵺は連絡先交換してたのね」
「ジョンの仕事、向こうで何度か手伝った。あっちももう引退してるけど、帰国後も定期的にやりとりしてる」
それと、と続ける鵺。
「後でじゃなくて、今伝えればいい。ビデオ通話中」
「え!?」
鵺がスマホをこちらに向ける。
「はっはっは、君は相変わらずだね」
優し気な老人の声がスマホから聞こえてくる。照明の反射で見えにくいが、スマホに映った彼は、声と同様に優しそうな笑みを浮かべているようだ。
ヤチヨは一瞬震える唇を噛み、何から話そうか迷う。彼と別れ、ツクヨミを作ったところからだろうか。いや、やはり彩葉との再会についてか。
「久しぶり。あのね――」
ワインニキと出会った年代は小説版を参考にしました。
誤字・脱字や感想等ありましたら、よろしくお願いします。