ルパン三世 血の刻印 ~永遠のマーメイド~ ✕ 人魚シリーズ(るーみっくわーるど) 作:クリリ☆
【大怪盗への依頼】
波穏やかな海原の裏で、人間の欲望とはかくも醜く、そして執念深いものか。
『人魚』――その伝説と呪いは、いつの時代も権力者たちの狂気を呼び覚ます。そして今日もまた、ひとりの大泥棒がその深淵へと足を踏み入れようとしていた。
その日、ルパンはとある暗室にいた。微かな光源に浮かび上がるのは、和服を着た恰幅のいい初老の女性『藤堂昌江』だ。裏社会ではマフィアのボスとして『熊殺しのおマサ』と恐れられている。
その隣には、藤堂の側近である、まだ10代と思われる、あどけなさの残る少女が静かに佇んでいた。
ルパンの後方では、一人の男がルパンの後頭部に冷酷に拳銃を突き付けている。
ルパン一人ならその程度どうとでもなる。しかし数メートル離れた先に不二子がロープで拘束されている。不二子が人質になっている事からルパンは素直に聞き従っていた。
「で、『熊殺しのおマサ』が、わざわざ俺に何の用だ?」
ルパンが軽口交じりに問うと、藤堂はニヤリと不敵に笑った。
「話が早い。お前には3日後に行われる、とあるオークションの目玉『人魚の鱗』を盗み出してもらいたい」
「人魚の鱗? だが、オークションだろ。だったら金を積めば手に入るじゃねえか。どうせあんた、うなるほど金は持ってんだろ」
「いいや、本当にレアなものほど実際に手に入るか分からないのがこの業界なのさ。つまり大金を積むより世界一の大泥棒に依頼した方が確実だって事さね」
「そいつはどうも」
不二子が不安そうにルパンを見つめる。
「ルパン……」
「大丈夫さ不二子。ちょいと人魚の鱗を持って、すぐに迎えに来てやるよ」
そう言うとルパンは藤堂の了解を得ないまま、踵を返し、部屋の出口に向かって歩きだした。
「3日後だな?」
「ああ、そうだ。頼んだぞ」
そのままルパンは暗室を出ていった。
ルパンが重い扉の向こうへと姿を消したあと、静まり返った暗室の中で、それまで不二子の全身を縛り上げていたはずのロープが、まるでただの飾りであったかのようにスルリと地面へと落ちた。不二子は涼しい顔で立ち上がり、しなやかに体をほぐす。
「それじゃおマサ、約束通り手に入れた財宝はしっかり山分けよ」
「分かっているとも。……まったく、お前という女はしたたかだねぇ。まるで若い頃の自分を見ているようだよ」
ふん、と鼻を鳴らした不二子の真の狙いは、オークションの目玉などではない。その裏に眠る、伝説の『人魚の財宝』そのものだった。
『人魚の鱗』は、あくまでその莫大な財宝のありかへと行き着くための、ただの鍵に過ぎない。不二子は最初からその秘宝を独り占めにするため、藤堂昌江と裏で手を組み、ルパンを巧みに駒として利用していたのだった。
――この不二子の企みに、ルパンがどこまで気づいているのかは定かではない。
だが、この瞬間から、ルパンは図らずとも『人魚』を巡る奇妙で血塗られた因縁の物語へと、深く引きずり込まれていくことになったのだった。
【とある飯場での男女】
その日、勇太と真魚(まな)は、とある工事現場の飯場に身を寄せていた。
二人はかつて人魚の肉を口にしたことで、不老不死の体となっていた。どれほどの年月が経とうとも、その姿が老いることはない。そのため一箇所に長く定住することができず、日本各地を渡り歩く生活を続けていた。その道すがら、彼らが追い続けているのは「人魚」の姿だった。いつの日か本物の人魚にめぐり逢い、この終わらない呪いから解放されて「普通の人間に戻る手がかり」を掴むために――。
勇太が人魚の肉を食べてからすでに五百年以上、真魚もまた三十年ほどの歳月が経過していた。しかし、二人の外見は二者ともに二十代ほどで止まっており、特に真魚は、十五歳で人魚の肉を口にしたため、その容姿は三十年の歳月を経ても、今なお中高生ほどの少女のままだった。
作業員たちに混じって昼食をとっていた時、つけっぱなしになっていたテレビのニュースから、ふと耳を疑う言葉が飛び込んできた。
――『人魚の鱗』。
「人魚」という単語に敏感に反応した二人は、思わず手を止め、テレビ画面へと釘付けになる。
しかし、画面に映し出されたそれは、真魚が想像していたような生々しい人魚の身体の一部などではなかった。そこにあったのは、ただの琥珀色に輝く丸い宝石。だが、よく見ると、その宝石の内部には、まるで本物の魚の鱗が重なり合っているかのような、複雑で不気味な模様が浮かび上がっていた。
「なんだ、ただの宝石か……。紛らわしい名前つけやがって」
真魚は拍子抜けしたように小さく息を吐き出すと、一気に興味を失ってしまった。関心を失った瞳をそのまま目の前の食事へと戻し、再び物凄い勢いでご飯を口の中にかき込み始める。
だが、そんな真魚の様子とは対照的に、勇太の表情は険しかった。画面の向こうで不気味な輝きを放つ「人魚の鱗」こそ、勇太が長年探していた、『八百比丘尼(やおびくに)』との約束の品だったのだ。
二人は、工事現場に建てられた仮設の休憩所の一室を間借りして寝泊まりしていた。
夕の賄い食を終えてのんびりとしていた真魚に、勇太が真面目な顔つきで切り出す。
「真魚、さっきの『人魚の鱗』について少し話がある」
「人魚の鱗? あれはただの宝石じゃないか。私たちが探している本物の人魚とは関係ないだろう」
「確かに一見するとただの宝石だが、実は俺は個人的に、あれを探していたんだ」
「探していた? 一体何故だ?」
「それを今から話す」
そう言うと勇太は、足元に置いてあったナップザックから、布でぐるぐると何重にも巻かれていたものを取り出した。慎重にその布を解いていくと、まるで深海を切り取ったような深く青い輝きを放つ、先ほどのニュースにあった人魚の鱗によく似た丸い宝石が姿を現した。
「なっ……何だそれは。まさか、人魚の鱗は二つあったのか?」
「いや、これは人魚の鱗と対になる存在――『竜の鱗』だ」
「竜の鱗? なんで勇太がそんな物を持ってるんだ?」
「これは、八百比丘尼から託されたものだ」
「ヤオビキニ?」
「違う、『ヤオビクニ』だ」
「やおびくにって、誰なんだそいつは? 勇太の古い知り合いなのか?」
「ああ、そうだ。彼女は人魚の肉を食って不老不死になった人間だ。その当時でもう、800年以上生きていた……」
遠い昔に思いを馳せるように、勇太は静かに目を伏せた。そして、かつて出会った『八百比丘尼』との忘れられない思い出について、語り始めたのだった。
【八百比丘尼との約束】
今からおよそ百五十年ほど前。時代は、江戸から明治へと移り変わろうとしていた。
長く続いた幕府の世が終わり、新しい時代の波が日本中を覆い始めていた。町には洋装の人間がちらほらと姿を見せ、文明開化を象徴する煉瓦造りの建物も建ち始めている。しかし、そんな時代の変化とは無縁のように、古い屋敷の中には昔ながらの静けさが残っていた。
各地を転々としていた勇太は、その旅の途中で『八百比丘尼』と知り合った。その名は、すでに人の世では半ば伝説と化していた。
八百比丘尼は誰もが振り返るほどの絶世の美女であり、その美貌と神秘性ゆえに、いつの時代も時の権力者たちに深く迎え入れられていた。彼女は多くの子を出産し、その血を引く一族は、いつしか巨大なものへと膨れ上がっていた。
屋敷の廊下を歩けば、すれ違う者たちは皆、彼女に深々と頭を下げる。だが、そのような一族の繁栄とは裏腹に、彼女自身の表情には、どこか疲れたものがあった。
そんなある日の夕暮れ。八百比丘尼は、ひそかに勇太を自室へと呼び入れた。案内された部屋には、ほとんど家具らしい家具がなかった。
障子の向こうでは風に揺れる木々がざわめき、遠くから鳥の鳴き声が聞こえてくる。夕陽は障子を赤く染めていたが、部屋の隅にはすでに薄い闇が溜まり始めていた。勇太は座敷に腰を下ろし、向かいに座る八百比丘尼をじっと見つめた。
普段、穏やかな笑みを絶やさない彼女とは違う。
彼女の呼び出し方も、部屋の空気も、どこか妙だった。
「勇太、あなたにお願いがあります」
「俺に、お願い?」
八百比丘尼は、しばらく黙っていた。やがて、庭へ向けていた視線をゆっくりと勇太へ戻す。
「……私は、もうすぐ死にます」
「何だって!?」
あまりにも唐突な言葉だった。勇太は思わず身を乗り出した。だが、八百比丘尼の顔には、冗談めいたものなど一切ない。
「おそらく……そう遠くないうちに、私は命を終えるでしょう」
風が吹き抜け、障子がかすかに震えた。勇太は何も言わず、八百比丘尼を見つめていた。
「ですが、私が死んだあと……一つ、あなたに頼みたいことがあります」
「何を?」
「私の遺体を、葬ってほしいのです」
勇太の眉が寄った。
「遺体を……?」
「ええ」
八百比丘尼は静かに頷いた。
「私が死んだら、どうか誰にも知られぬ場所へ運び、葬ってください」
「待ってくれ。どうして、そんなことを俺に頼む?」
「……私が死んだあと、私の遺体を巡って一族の者たちが争うことになるからです」
八百比丘尼は目を伏せた。
「私の遺体をその手中に収め、保持している者こそが、『八百比丘尼の正統後継者』だと主張できる。そうなれば、その者は一族の中で絶大な地位と権力を得るでしょう」
「つまり……死んだ後まで、あんたの身体を利用するってことか」
「その通りです」
八百比丘尼の声には、かすかな嫌悪が滲んでいた。
「私は、もう疲れました。長い年月を生きてきましたが、死んだあとまで一族の権力争いの道具にされるのは耐えられません」
これほど巨大な一族を抱え、誰もが頭を下げるほどの地位にいる。それなのに、死後の自分の扱い一つさえ、自分の意思では決められない。その事実が、妙に皮肉に感じられた。
「……だが、一族の奴らはどうやってあんたの遺体を保管するつもりなんだ?」
「すでに準備を進めているのです」
「準備?」
八百比丘尼は、静かに頷いた。
「私が死んだ時のために、人知れず遺体の保管場所を建造しています」
勇太の表情が険しくなる。
「墓を?」
「普通の墓ではありません」
八百比丘尼は声を落とした。
「絶海の孤島に造られた、巨大な墓所です。そこへ私の遺体を安置し、永久に保存するつもりなのです」
「永久に……?」
「ええ。しかも、そこへ至る道には、いくつもの罠が仕掛けられているそうです。誰かが勝手に侵入して、私の遺体を持ち出せないようにするためでしょう」
勇太は思わず息を呑んだ。
「そこまでして……」
「一族にとって、私は『富と権力』の象徴なのでしょう」
八百比丘尼は、寂しそうに笑った。
「けれど、私自身にとっては、自分の身体はただの身体です。死んだあとまで祀り上げられ、利用されるなど、絶望しかありません」
「……それで、俺に墓所から遺体を持ち出せっていうのか?」
「そうです」
八百比丘尼は、まっすぐに勇太を見つめた。
「もし私が死んで、あの人たちの手でそこに遺体が置かれたら……どうか私の遺体を滅して、人知れず埋葬してください。あなたにこのような重責を負わせるのは大変心苦しいのですが、あなたにしか頼めない事なのです」
勇太は俯いた。その言葉の意味を、彼は誰よりもよく理解していた。
自分たちは、人魚の肉を食べた。その代償として、普通の人間とは違う時間を生きている。
それでも、勇太はすぐには答えられなかった。だが、八尾比丘尼の元に身を寄せて、勇太は数えきれないほどの恩を受けてきた。人魚の肉を食った不老不死の仲間である事もあってか、八尾比丘尼は特別に勇太を目にかけてくれたのだった。
「分かった、やってやるよ」
「……ありがとう勇太。では、あなたへ渡しておきたいものがあります」
「何だ?」
八百比丘尼が懐へ手を入れる。そして取り出したものを、畳の上へそっと置いた。それは、掌に収まるほどの宝石だった。薄暗い室内にもかかわらず、その石は眩いばかりのマリンブルーに輝いていた。
「これは『竜鱗石(りゅうりんせき)』。別名、『竜の鱗』です」
勇太は、宝石を手に取った。見た目以上にずしりと重い。
「この石が何だっていうんだ?」
「墓所へ続く扉を開くための鍵です」
「鍵?」
「ただし、これ一つでは開きません」
八百比丘尼は、勇太の手の中にある竜鱗石を見つめた。
「この竜鱗石と対になる、もう一つの鍵、『人魚の鱗』が必要なのです」
「人魚の鱗……」
「ええ。二つの鍵が揃って初めて、墓所へ続く扉が開くのです」
八百比丘尼は首を横に振った。
「ですが、その人魚の鱗がどこにあるのかは、私にも分かりませんでした」
「じゃあ、それを探せばいいんだな?」
「そうです」
八百比丘尼は、静かに頷いた。
「いつの日か『人魚の鱗』を手に入れてください。そして、この竜鱗石とともに墓所へ入り、私の遺体を解放してやってください」
勇太は、手の中の竜鱗石を見つめた。鮮やかな緑色の輝きが、夕暮れの薄暗い部屋の中で、不気味なほど鮮明に浮かび上がっている。
「……分かった、任せておけ」
勇太は竜鱗石を懐へしまった。
「……ありがとう、勇太」
その声は、夕暮れの静かな部屋に溶けていった。しかし、勇太はふと疑問を覚えた。
「ところでだ」
「何です?」
「さっきから気になってたんだが……あんた、本当に死ぬのか?」
八百比丘尼は、静かに勇太を見つめた。
「俺たちは人魚の肉を食って、不老不死になったんだろ? なのに、寿命で死ぬのか?」
「……正確なところは私にも分かりません。ただ、私は今までに数多くの人魚の肉を食べて、不老長寿を得た人に会った事があります。しかし、人魚の肉による不老長寿の効果には、個人差があるようなのです」
「個人差?」
「ある者は数百年経っても老いることなく生き続ける。ですが、ある者は数十年ほどで寿命を迎えることもある」
八百比丘尼は、自分の手を見つめた。
「人魚の肉を食べ、もしなりそこない(異形の化け物)にならずに済んだのなら、永遠に生きられる――私は、そう思っていました」
その指先が、わずかに震える。
「理屈ではありません。身体の奥底から、そう感じるのです。私の命はもう間もなく尽きると。だから勇太。お願いします、どうか私の遺体を滅してください」
「……ああ、約束する」
八百比丘尼は、今度こそ穏やかな笑みを浮かべた。それが二人にとって、最後の約束となった。
――それから、長い年月が流れた。
明治の世は終わり、大正、昭和、平成、そして令和へ。そして今も、彼の手元には百年以上も前に託された竜鱗石が残されている。八百比丘尼との約束は、まだ果たされていない。
そしてその約束が、再び動き始めることになる――。
【複雑な乙女心】
その信じがたい、しかしあまりにも重い過去の話を聞き終えると、真魚は腕を組んでじっと勇太の顔を見つめ、それから小さく息をついて言った。
「つまり……そのテレビでやってた『人魚の鱗』を手に入れて、八百比丘尼の遺体を埋葬しに行ってやろうってわけだな?」
「まあ、そういうことだ」
勇太がやれやれといった調子で肩をすくめると、真魚は急に真顔になって言った。
「ところで勇太。その八百比丘尼って女のことが、好きだったのか?」
「なっ……! な、何を突拍子もないことを言い出すんだお前は! そんなの、全然関係ねえだろ!」
突然飛んできた直球すぎる質問に、勇太は心底狼狽え、思わず声を裏返させながら大きく手を横に振った。
「ふーん……。その慌てぶり、怪しい。やっぱり、好きだったんだ」
「ちげえよ! 別にそんなんじゃねえって!」
「まあ、どっちでもいいけどさ」
ふふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く真魚。
こうして勇太から、旅の途中で出会った昔の思い出話を聞かされることは、これまでにも何度かあった。だが、その度に話の中に別の女性の名前や影がチラつくたび、真魚は何だか胸のあたりがざわついて、ひどく面白くなかった。胸の奥がモヤモヤと締め付けられるような、すっきりしない不快感。
――だが、どうして自分がこんなちぐはぐな苛立ちを覚えているのか、当の真魚自身にも、よく分かっていなかった。
窓の外では、夜の工事現場を照らす作業灯が、冷たい仮設のプレハブ小屋のガラス窓を青白く染め上げていた。遠くで重機のエンジン音が低く唸りを上げ、夜風がトタン屋根をガタガタと揺らしている。
幸いにも、二人が現在働いているこの現場の作業は明日で一段落し、終わりを迎えることになっていた。つまり、三日後に開催されるという例のオークションには、都合よくスケジュールを合わせることができた。
「で、どうするんだ? ……これはあくまで、俺個人の昔の約束だ。お前まで巻き込むわけにはいかねえが、お前も一緒に行くか?」
勇太は真剣な眼差しを向けながら、真魚の顔を覗き込んだ。
狭いプレハブのテーブルの上に置かれた卓上ランプのオレンジ色の光が、二人の影を壁に長く引き延ばしている。
「――当たり前だろ。勇太が行くなら私も行く。さっさとそのお宝を手に入れて、その女の遺体なんて綺麗さっぱり葬ってやる。そして、その女と勇太の因縁なんて、とっとと終わらせてやるんだ」
真魚はそっぽを向き、腕を組んだままふんっと鼻を鳴らした。その口調には、どこかトゲのある拗ねたような響きが混ざっている。
「そうか。……ありがとうな、真魚」
本人は理由が分からないのに妙に機嫌が悪い。
そんな子供のようにムキになる真魚の姿を、勇太は愛おしいものを見るような目で眺めていた。彼はそっと手を伸ばし、真魚の頭を優しく撫でてやる。
「うむ、もっと撫でろ勇太」
「はいはい、仰せのままに……」
機嫌を直し、満足気な顔をする真魚と、苦笑しながら撫でる勇太。
こうして、二人は奇妙な因縁に導かれるように、『人魚の鱗』を巡る、新たな謎と争奪戦の渦中へと足を踏み入れていくのだった。
続く