ルパン三世 血の刻印 ~永遠のマーメイド~ ✕ 人魚シリーズ(るーみっくわーるど) 作:クリリ☆
【オークション前夜】
翌日、現場での仕事を全て終えると、プレハブの事務室で勇太と真魚はまとまった給料を受け取っていた。およそ一カ月間、寝食を共にした賄い付きの生活に加え、勇太の力仕事の賃金と、真魚がこなした現場内のこまごました雑務の賃金を合わせて、手渡された封筒の中身はおよそ五十万円ほどだった。
いまだに銀行口座を持たない二人は、報酬をずっしりと重い現金で受け取っていた。
その翌日、二人は東京・お台場へと向かった。
周囲の近代的な高層ビルや未来的な街並みにどこか気圧されながらも、駅前の雑居ビルにあるネットカフェのペアシートへと滑り込む。周囲の喧騒から身を隠すように狭い個室に落ち着くと、勇太はテーブルの上にこれまでの全財産を広げ、現在の所持金を確認し始めた。
元々二人が細々と蓄えていた現金が三十万円、そこに今回の現場の給料五十万円が加わり、総額はおよそ八十万円。そのぶ厚い現金の束を目の当たりにして、真魚は目をキラキラと輝かせた。
「すごいな、勇太! これだけあれば、人魚の鱗も手に入るな!」
「いいや、桁が二つは足りねえよ」
「そうなのか?」
「多分な」
無邪気に感嘆の声を上げる真魚とは裏腹に、勇太は現実的な苦笑いを浮かべる。さっきまで真魚には頼もしく見えていた八十万円の現金が、これから自分たちが飛び込もうとしている世界の大きさの前に、急にひどく心細いものに思えてきた。
腕を組んだまま、勇太は深い思案に沈む。
明日に開催されるのは、世界中が注目するオークションだ。世界中から大富豪や裏社会の大物が群がり、法外な金が飛び交う。その中でも「人魚の鱗」は目玉商品として扱われている。どう考えても、手持ちの八十万円ぽっちで競り落とせるようなシロモノではない。まともに正面からぶつかれば、一瞬で競り負けて終わりだろう。
「……だが、せめてあの鱗を落札した奴が誰なのか、その行方と所有者だけでも見極めなきゃならねえな」
全財産を使った正攻法での入手が絶望的だと分かっていながらも、じっとしていられるわけがない。
――まずは、現場となるオークション会場へ足を運ぶことだ。
二人は夜の東京の片隅で、静かに作戦を練り始めるのだった。
【オークション開始】
舞台は華やかな熱気に包まれたお台場のオークション会場へと移る。
広大な会場の内部には世界中から集まった大富豪や裏社会の大物、マフィアのボスたちが顔を揃え、極上のワインや料理を優雅に楽しみながら、壇上で繰り広げられる競売の様子を上品に満喫していた。
会場の片隅には、国際警察(インターポール)の銭形警部の姿もあった。トレードマークのトレンチコートをまとい、目を光らせているとあって、場内の警備はこれ以上ないほどに磐石の構えを敷いていた。
そんな招待客の一人として、ルパンに「人魚の鱗」の盗難を裏で依頼した藤堂昌江の姿もあった。彼女は葉巻の煙をくゆらせながら、会場の一角に陣取る一人の男を冷ややかな目で睨みつけている。
(……あいつが今回の目玉である「人魚の鱗」を出品した氷室とかいう男か。どうせ人魚の鱗の本当の価値も分かっちゃいない青二才が……)
藤堂の視線の先でワイングラスを傾けていたのは、純白のスーツに身を包んだ気障な雰囲気を漂わせる男――氷室だった。
氷室の表向きの顔は、次世代を担うやり手の医療機器メーカーの社長である。だが、その華やかな肩書はあくまでカモフラージュに過ぎず、その実態は世界中の紛争地域を股にかけて違法な武器を売りさばく、冷酷な「死の商人」であった。
富豪たちの欲望と、裏社会の思惑が複雑に絡み合う中、オークションは今のところ大きなトラブルもなく、優雅かつ軽快なテンポで進行していくのだった。
司会者が軽快な口調で、次なる商品の紹介へとテンポ良く声を張り上げる。
「続いての商品は、幻の少数民族クルタ族の『緋の目』でございます! 感情が昂ると、その瞳を炎のように紅く染め上げるという非常に珍しい種族の眼球。今ではすでに絶滅し、ブラックマーケットでももう滅多にお目にかかれない至高の逸品です。さあ、いくらの値をつける!」
司会者の煽りに合わせ、会場のあちこちから次々と威勢の良い声が飛ぶ。
「二千万!」
「二千五百万!」
「六千万!」
「おおっと、一気に跳ね上がった、二億円!!」
提示される金額の高騰と共に、会場の富豪たちの興奮も一気にヒートアップしていく。熾烈な競り合いの末、結局クルタ族の『緋の目』は、凄まじい高値で決着がついた。
「では、こちらの『緋の目』、落札者はノストラードファミリーのクラピカ様! 三億円での落札となります!」
会場からどよめきと拍手が沸き起こる中、司会者は息つく暇もなく次の出品物へと移る。
「さて、熱気冷めやらぬ中、続いての商品は――世界に数本しか存在しないと言われる幻のテレビゲームソフト、『グリードアイランド』だ! さあ、いくら!」
【盗まれた人魚の鱗】
そうしてオークションは次々と予定の商品を消化し、ついにその時が訪れた。壇上の照明が一段と落とされ、司会者が声を張り上げる。
「続いての商品はこちら! 伝説の秘宝『人魚の鱗』だ。さあ、この神秘的な宝石に、果たしていくらの値が付くのか!」
その瞬間だった。ステージの上に厳重なガラスケースの中に鎮座していたはずの「人魚の鱗」が、ふわりと奇妙な軌跡を描いて浮き上がり、そのまま誰もいない宙を漂い始めた。どよめく会場の中で、それを機敏にキャッチしたのは、こともあろうに最前列で目を光らせていた銭形警部の隣に立っていた部下だった。
――いや、それは部下の姿に化けたルパンの変装だった。
あらかじめ仕掛けられた巧妙なトリックで極細の目に見えない糸が結ばれており、ルパンはその糸を手繰り寄せることで、厳重な警備をすり抜けて一瞬で宝を奪い取っていたのだった。
「なっ……何だとっ!?」
隣で起きた信じがたい手際を目の当たりにし、銭形警部が目を剥いて驚愕する。
「フフフ、人魚の鱗、獲ったどー。なんちて!」
「そ、その声は……まさかルパンっ!!」
「気づくのがおせえぜ、とっつぁん!」
宣言と同時に、男は自分の顔を乱暴に剥ぎ取って変装を解除する。そこにはいつもの鮮やかな赤いスーツをまとったルパンの姿があった。
「じゃあなー、とっつぁん!」
軽快にウィンクを飛ばすと、ルパンは一目散に走り出した。
静かだったオークション会場は一瞬にして大パニックの渦へと呑み込まれる。すぐに警備隊が悲鳴を上げる富豪たちを安全なエリアへと押し込みながら、逃げるルパンめがけて容赦なく銃弾を浴びせた。
だが、ルパンは飛来する銃弾の嵐を紙一重の身のこなしですり抜け、むしろ楽しげに笑いながら廊下を駆け抜けていく。
その退路を塞ぐように立ちはだかった警備員たちに向かって、給仕のコック服に身を包んでいた次元大介が不意に姿を現した。愛用のコンバットマグナムを巧みに操り、相手が構える銃の銃身を的確に弾き落としていく。
「おっと、邪魔するぜ」
さらに、会場の暗がりに忍び込んでいた石川五ェ門も流れるように合流する。上階のキャットウォークからサブマシンガンを乱射してくる警備隊の銃口に向かって、鋭い一閃を放った。五ェ門の斬鉄剣が唸りを上げ、警備員の持っていたサブマシンガンは一瞬にして木端微塵にされ、警備隊はみるみるうちに無力化されていった。
そのまま隣の巨大な展示会場へと雪崩れ込むと、そこには古代の恐竜の全身骨格が悠然とディスプレイされていた。五ェ門は天井からそれを吊るしていた強靭なピアノ線をひと振りで断ち切る。
ガシャアアアンと、数トンはあろうかという巨大な恐竜の化石が崩れ落ち、追撃してきた警備隊の頭上に盛大に降り注いだ。その瓦礫の山を華麗に飛び越え、ルパンたちは一気に会場のメインエントランスへと辿り着く。
出口を塞いでいた分厚い防犯用のシャッターも、五ェ門の斬鉄剣にかかれば豆腐のようにバラバラに切り裂かれ、一気に外の世界への脱路が切り開かれた。
しかし、銭形の執念はそんなことでは衰えない。包囲網を突破したにもかかわらず、銭形は部下を引き連れてルパンたちのすぐ背後へと猛然としっぽを食らいついてくる。
「おいルパン、このままじゃ埒が明かねえぞ!」
全力で走り抜けながら、次元が愛銃を片手に舌打ちする。
「仕方ねえ! ここは一旦、三手に分かれるぞ!」
ルパンの合図とともに、次元と五ェ門がそれぞれ脇道へと鮮やかに身を翻し、左右に散らばっていく。これで追っ手も分散するはずだった――が、銭形の執念は伊達ではなかった。
「おおい、あっちの二人は無視だ! 狙うはルパンのみ、絶対に逃すな!!」
なんと警備隊の全戦力がルパン一点に狙いを定め、猛烈な勢いで全員がそのままルパンの後を追いかけてきた。
「やっぱ、そうなるよね~っ!」
背後から迫る無数の足音と怒号を聞きながら、ルパンはひたすらお台場の街を全力疾走で逃げるのだった。
【ポップコーン売りの少女】
時間は少しさかのぼる。
勇太と真魚は東京・お台場の特設オークション会場の前に来ていた。幸いにも、世界中の富豪や裏社会が注目する大々的なオークションであり、その開催場所や日程はインターネットで簡単に調べることができた。
だが――現実に突きつけられた壁は厚かった。正面の重厚なエントランスで、二人はあっさりと警備員に門前払いを食らわされてしまったのだ。
「申し訳ありませんが、お引き取りください。本オークションにご入場いただけるのは、事前に厳正な身元審査をパスされたご招待客のみでございます」
「そんなこと言わずにさ、何とかならねえか。俺たちはちょっと中を確認したいだけなんだ」
「お客様、本オークションには世界中から集められた選りすぐりの珍品やお宝が出品されております。厳重なセキュリティの面から、いかなる理由があろうとも関係者以外の一切の立ち入りはお断りしております。お引き取りください」
びくともしない受付スタッフの態度に、これ以上押し問答を続けても無駄だと悟る。
「……そうか、すまなかったな」
完全に交渉の余地はなかった。勇太はなすすべもなく、重い足取りで会場の敷地を離れ、周辺の通りをあてもなくぶらつき始めた。
(……八百比丘尼、とんでもねえ無茶な約束を残してくれたもんだぜ。金も伝手もない一般人がどうやって人魚の鱗なんか手に入れたらいいんだ……)
途方に暮れて歩道を歩いていると、会場へと続く大通りの一角で、小さな露店ワゴンを引いてポップコーンを売っている少女の姿が目に入った。
年の頃は小学校高学年か、あるいは中学生くらいか。真魚よりもさらに幼く見えるほどあどけない少女が、一人で細々と店番をしていた。
「勇太、あれ食べたい」
真魚がピタリと足を止め、ワゴンから漂う香ばしいバターの匂いに鼻をひくつかせながら指をさした。
「ポップコーンか?」
「うん」
思えば、つい二日前まで朝から晩まで現場で働き詰めの毎日だった。ここで少しばかりの気晴らしや労いは必要だろう。勇太は財布を取り出すと、少女のワゴンへと歩み寄った。
「お嬢ちゃん、ポップコーンを一つくれ」
「はい、ありがとうございます」
少女は紙製の容器にポップコーンを詰めていく。真魚はパッと顔を輝かせ、嬉しそうに両手で容器を受け取ると、待ちきれないとばかりに早速それを一つまみ口へと放り込んだ。サクサクと心地よい音が響く。
「勇太の分は買わないのか?」
「俺はいいよ」
「そうか。これはやらないぞ」
「だから、いいってば」
真魚はその場で足を止め、夢中になって黙々とポップコーンを食べていく。だが、半分ほどを食べ進めたところで、ふと動きを止め、容器を勇太の胸の前にぐっと押し付けてきた。
「……やっぱ、勇太も食べろ」
「えっ、いいよ別に。俺に遠慮はいらないぞ」
「違う。一人で食べてても、なんだか味気ない……」
少し照れながら、ぶっきらぼうに呟く真魚。その横顔を見て勇太は小さく苦笑を零した。
「そうか。それじゃ、いただきます」
素直に受け取った勇太は、ポンと一つをつまみ上げ、無造作に口へと放り込んだ。香ばしい塩気とほのかな甘みが口の中に広がる。
緊迫したオークションの現実と、八百比丘尼との途方もない約束。その重苦しい空気が、この何気ないひとときは少しだけ和らいでいるように感じられた。
その時だった。遠方から、ただ事ではない激しい喧騒が聞こえてきた。ざわめきに顔を向け、勇太と真魚が目を凝らしてみると、鮮やかな赤いスーツを身にまとった男を筆頭に、大量の警官隊が猛然とこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。
「な、何だ一体!?」
勇太が驚いて声を漏らしていると、まさにその赤いスーツの男――ルパンが、目の前でポップコーンを売っていた少女へと突然飛び込んできた。
「悪いなお嬢ちゃん、ちょっとこのポップコーン、ワゴンごと全部売ってくんない!?」
「えっ……あ、はい……」
圧倒的な勢いに気圧されながら、少女が戸惑いながら返事をする。
「わりいな、今ちょっと持ち合わせがなくてよ。あとでちゃんと弁償すっから!」
そう言い捨てるやいなや、ルパンは少女の返事を待つこともせず、自慢の身のこなしでワゴンをごろごろと動かすと、背後から猛然と迫り来る警官隊の群れに向けて、そのワゴンを勢いよく突き飛ばした。
「お、おわっ……!?」
突然目の前に飛んできたポップコーンのワゴンをモロに受け、突撃してきた警官隊の大部分は勢い余って転倒し、あちこちに飛び散った甘いポップコーンまみれになってしまう。足元に群がってきた大量の鳩たちに突っつかれ、現場は大混乱に陥った。
しかし、その中で数名の警官や警備員が、そのワゴンを巧みに回避してそのまま赤いスーツの男を追いかけていく。その混乱の最中、勢い余った一人の警官が、逃げる男を追うことに夢中になるあまり、脇に立っていた少女の身体を激しく突き飛ばしてしまった。
「危ないっ!」
すぐ近くで様子を見ていた真魚が咄嗟に身を翻し、少女の身体を力強く庇い込む。だが、突進してきた大人の勢いをそのまま受け止めてしまい、真魚は少女を抱いたまま硬いアスファルトの地面へと激しく倒れ込んでしまった。
その時――運悪く、道路の端にあった尖ったタイルの角に、真魚のむき出しになった腕が激しく打ちつけられ、皮膚が大きく引き裂かれて鮮血が滲み出した。
「あっ……お姉ちゃん、怪我っ!」
覆い被さるようにして自分を守ってくれた真魚の腕を見て、少女が青ざめながら心配そうに声を上げる。
「大丈夫だ、こんなもの」
次の瞬間、少女が目を見開いたまま息を呑む。なんと、切り裂かれて血を流していた真魚の腕の傷口が、少女の見ている目の前で、何事もなかったかのように綺麗に塞がっていく。
「えっ……お姉ちゃん、それ……。まさか、私のお姉ちゃんと同じ……?」
「えっ?」
思いがけない少女の言葉に、真魚は思わず動きを止めた。すぐ傍らに立っていた勇太も、ハッとした表情で聞き返す。
「今、何て言った?」
「私のお姉ちゃんもね、どんな大怪我だってあっという間に治っちゃうんだよ」
その言葉を聞き、勇太と真魚は顔を見合わせた。日本各地を渡り歩く中で、自分たち以外の「人魚の肉を口にした者」の存在に出会うことは今までに何度もあった。しかし、こんな東京の片隅の、ただのポップコーン売りの少女の口から、そんな言葉が飛び出すとは予想もしていなかった。
「勇太、もしかしたら仲間か?」
「あぁ、もしかしてこの嬢ちゃんの姉さんも、人魚の肉を食ってるのかも知れねえ……」
目の前の少女を見つめながら、勇太の瞳に鋭い光が宿る。
「これは、詳しく話を聴く必要がありそうだな」
――この時の二人はまだ知らなかった。
目の前の少女との出会いが、人魚の鱗を巡る運命を大きく変えることになるとは――。
続く