家入さんのところへ帰りたい   作:an-ryuka

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※歌姫は京都校出身を採用してます。


11.

 

 久世雅臣について聞かれたとき、歌姫は、わりといい後輩だと答えることにしている。

 

 挨拶ができる。連絡を返す。時間を守る。

 こちらの話を最後まで聞き、分からないところは尋ね、納得できなければちゃんとそう言う。

 

 これだけ揃っているだけでも、呪術師の後輩としては相当なものだった。

 

 ただし、一緒になって腹を立ててほしいときには向かない。

 

「だから、向こうの確認不足でしょ。こっちがもう一回行くのおかしいじゃない」

「そうですね」

「あんたもそう思う?」

「はい。なので、先ほど断りました」

 

 廊下を歩きながら、久世は鞄から一枚の紙を出した。

 歌姫の名前が入っていた欄には、線が引かれている。

 

「断れたの?」

「引き受けると、また同じことが起こるだけですから」

「いつもの根回しね……よくやるわよ」

 

 歌姫が四年、久世が三年だった頃の話だ。

 その後に誰が行くのか尋ねると、改めて人を手配する担当のところへ返したという。久世自身が引き受けたわけではなかった。

 

「どうしても今日中なら僕が行ってもよかったんですが、三日前から分かっていたそうなので」

 

 涼しい顔で言う。

 ああ、と歌姫は思った。

 これは、向こうが嫌いなときの声だ。

 

 露骨に態度へ出すことは滅多にない。むしろ、気に入らない相手ほど丁寧に扱う節があった。何か頼まれて、久世がにっこりと「詳しく伺っても?」と言ったら、歌姫は少し離れることにしている。

 長くなるからだ。

 

 礼儀正しく、仕事ができて、腹の中はそれほど可愛くない。

 それでも話は通じる。嫌なら嫌だと言えばいいし、引き受けられないものは理由を示せば無理に押しつけてこない。

 

 だから、東京校の一年生を好きになったと聞いたときも、最初はそう身構えなかった。

 

 硝子なら、嫌なものは嫌と言うだろう。

 久世なら、それは分かるだろう。

 

 そこまでは、今でも間違っていなかったと思っている。

 

     *

 

「歌姫先輩。京都の久世って、普段もあんな感じ?」

 

 東京校へ寄った帰り、二人で入った店でのことだった。

 硝子は運ばれてきた飲み物のストローを、袋から抜きかけていた。

 

「あんなって?」

「なんか、ずっと感じいい」

「ああ」

 

 歌姫は水を飲んだ。

 

「そうね。感じはいいわよ」

「その言い方」

「悪い子じゃないの。ちょっと、話してる途中で相手が帰れなくなってたりするけど」

「悪い奴じゃん」

「先に変なこと言った方も悪いのよ」

 

 硝子が小さく笑った。

 久世から聞いていたのは、礼をしたくて訪ねたことと、また会いに行くつもりだということだけだった。反転術式に興味があるとも言っていたが、それだけで京都から何度も出かけていくほど暇な後輩ではない。

 

「何か困ってる?」

「別に。帰れって言えば帰るし」

「ならいいけど」

「付き合ってほしいとは言われた」

 

 歌姫はグラスを置いた。

 

「あんた、そういうの先に言いなさいよ」

「断ったよ」

「……あ、そう」

「うん」

 

 硝子はメニューの端を指で押さえた。

 

「これ頼んでいい?」

「いいけど。久世は何て言ってたの」

「残念、って」

 

 それから硝子は店員を呼び、普通に注文をした。

 本当に、そこで話が終わったらしい。

 

 振られたのか、あいつ。

 つい昨日も、次に東京へ行く日を楽しそうに話していた気がする。

 

「まだ来てるんでしょ?」

「来るね」

「気まずくない?」

「向こうが気まずそうにしてないし」

 

 硝子はストローの袋を細く折った。

 

「あと、面倒なの断ってくれる」

「面倒なの?」

「会ってほしいとか、顔だけ出してほしいとか。反転術式の話だって聞いてたのに、知らない家の息子がいるやつ」

 

 歌姫は眉を寄せた。

 

「そんなの来るの?」

「来る。あいつに言うと来なくなる」

 

 便利な虫除けの話をするような調子だった。

 久世の顔を思い浮かべる。おそらく、相当嬉々としてやっている。

 

「それ、自分の分まで断られてるの分かってるのかしら」

「言ったよ。誰とも付き合う気ないって」

「何て?」

「じゃあ全部いらないね、って」

 

 歌姫は額に手を当てた。

 

 分かっている。間違いなく分かっている。

 そのうえで、ほかの男もまとめて近づけなくなったことを喜んでいる。

 

「……仕事はできるのよ」

「知ってる」

 

 注文した皿が来ると、硝子はすぐにそちらを向いた。

 久世の話はもう出なかった。歌姫が京都校のことを話しても、特に名前を拾いはしなかった。

 

 帰り際、硝子は「今日のは言わなくていいから」とだけ言った。

 

「どれ?」

「久世のこと聞いたやつ。いちいち喜びそう」

 

 それは、まあ、喜ぶだろう。

 無駄な期待を持たせたくないのかもしれない。

 

 歌姫は頷いた。

 

     *

 

 翌年、卒業してからも、後輩との縁は切れなかった。

 切りたい縁ほど切れない、ということも知った。

 

「歌姫、まだ怒ってんの?」

「あんたは喋るな」

 

 洋館から戻った歌姫は、東京校で借りたタオルを膝に置いた。

 髪の中に、まだ細かな埃が残っている。結界に閉じ込められていた間に思った以上の時間が過ぎていた。体を落ち着かせると急に腹が減って来たのに気づく。

 その疲労を、五条は順調に増やしていた。

 

「助けに来たのに」

「助けてもらったことにはお礼言ったでしょ。その後に何を言ってもいいことにはならないの」

「悟。今はやめておこう」

「今じゃなくてもやめろ!」

 

 硝子が、歌姫の肩に付いていた木屑を取った。

 

「先輩、お茶」

「ありがと、硝子……」

 

 隣に座ってくれる後輩は本当に可愛い。

 向かいの二人は見ないことにして、湯呑みを両手で包む。そのとき、脇に置いた携帯が鳴った。

 久世からだった。

 

『ご無事と伺いました。お疲れかと思うので返信は結構です。資料は来週で構わないとの事です』

 

 そういえば、京都校から借りていたものを返す予定だった。

 完全に忘れていた。

 

「ほら、こういう後輩になりなさいよ」

 

 思わず言うと、五条が顔を上げた。

 

「誰」

「久世。無事でよかったって」

「僕は無事にした方なんだけど?」

 

 それはそうだが、そういう話ではない。

 

「それにあいつ、歌姫が嫌ってる連中にも、ああいう感じじゃん」

「それは知ってるわよ」

「じゃあ何で僕と比べんの」

「連絡の仕方の話してるの!」

 

「久世君か。彼とは最近、少し仕事をしたよ」

 

 冥冥が、開いていた携帯を閉じた。

 

「どうでした?」

「いい取引だった。追加の仕事には追加の対価が要ることを、よく分かっている」

「ああ……」

「ただ、私の値段を下げる前に、依頼の方を削り始めたのは面白かったね」

 

 歌姫には、その場面がかなりはっきり想像できた。

 ではこちらは不要です、これは別に頼みます、それならいかがですか。たぶん、ずっと愛想よく。

 

「金はあるんだから、払えばいいじゃん」

「悟。そういうことじゃない」

 

 夏油は苦笑してから、歌姫を見た。

 

「でも、話はしやすいですよ。知らない家の名前が出ても、聞けば説明してくれますし」

「で、長くなるんでしょ」

「……まあ、多少は」

 

 少し考えた間に、心当たりの量が出ていた。

 

「こないだもさ。傑が一個聞いたら、あいつ、その話の二代前まで戻ったんだぜ」

「今の当主同士の不仲の理由だよ。知っておく必要はあった」

「お前、その前は僕と出かける話してたよな」

「だから途中で切り上げただろう」

「僕が切ったの」

 

 硝子は黙って菓子の袋を開けていた。

 歌姫が目をやると、自分の分を取る前に袋をこちらへ傾ける。

 

「硝子は聞かないの?」

「聞いてない。あいつ、夏油がいるとよく喋るし」

「ほら。硝子も嫌がってんじゃん」

「長い話がでしょ」

 

 硝子は袋の中から一つ取った。

 歌姫は、その手元を何となく見た。

 

「久世君は、ずいぶん熱心だそうだね」

 

 冥冥が硝子へ向けた声には、からかいとも品定めともつかない響きがあった。

 

「そうですね」

「彼の家にも都合がいい相手だ。反対する理由は少ないだろう」

「冥冥さん」

 

 歌姫が口を挟むより先に、硝子が答えた。

 

「家の出番って、まだ先じゃないですか」

 

 まだ、という単語に反応しかけて、歌姫はやめた。

 硝子は、ただ順番の話をしている顔だった。

 

「そうだね。まず君に選んでもらわないと」

 

 冥冥も、それ以上は踏み込まなかった。

 

「あいつさ、硝子に振られると普通にへこむんだよ」

 

 五条が笑った。

 

「こないだ来て五分くらいで追い出されてさ。門んとこで会ったら、すげー顔してんの」

「仕事で呼ばれたんだよ」

「知ってる。あいつも言ってた。なのにへこんでんの」

 

 硝子の指が、袋の口をつまんだまま止まった。

 

「……ふぅん」

 

 それきり、何も言わなかった。

 ただ、少しして携帯を出した。画面は歌姫から見えない角度だった。

 

 追い出したことを気にしたのか。

 今度来る日を確認したのか。

 久世と関係のない連絡だったのかもしれない。

 

 歌姫は菓子を一つ取り、見ていなかったふりをした。

 

     *

 

 夏が過ぎてから、硝子と二人で会う機会は少し減った。

 

 東京で起きたことは、歌姫にも伝わっていた。

 硝子が何を見て、何をしたのか、その全部を知っているわけではない。

 

 秋の終わり、東京校を訪ねると、硝子は医務室で本を読んでいた。

 

「これ、駅で見つけたから」

「あ。ありがとうございます」

 

 紙袋を差し出すと、硝子が机の上を空けた。

 歌姫が椅子を引く間に、本へ栞を挟み、湯呑みを二つ出す。湯を沸かす手つきが、前より少し慣れていた。

 

 仕事の話をして、寒くなったという話をして、京都でよく行っていた店が臨時休業だった話をした。

 

「あいつも、そこ行く?」

 

 歌姫は菓子の包みを破る手を止めた。

 

「あいつって?」

「久世先輩」

「行くわよ。何度か一緒に行ったことあるし」

「何頼むの」

「ええと……日替わりじゃない? あんまり覚えてないけど」

 

 硝子は頷いて、自分の包みを開けた。

 歌姫は、もう一度その顔を見た。

 

「何?」

「ううん」

 

 去年は、京都校の話をしていても名前を拾わなかった。

 まして、昼に何を食べるのかなんて。

 

「気になる?」

「京都で何してんのか、知らないから」

「聞けば教えるでしょ。喜んで」

「あいつに聞いたら、仕事の話になる」

 

 それは、なりそうだった。

 

「じゃあ、仕事じゃない話を聞きたいって言えば?」

「そこまでして聞くことでもないし」

 

 そう言って、こちらには尋ねるのか。

 歌姫は菓子を口へ運んだ。ここで笑うと、たぶん続きを聞けなくなる。

 

「学校では、普通よ。課題やって、任務行って。空いてる時間も家の用事してること多いのはいいとして、昼食べながら電話してるのよ。怒られてるわ」

「誰に」

「私」

 

 硝子が笑った。

 

「先輩にも言われてんだ」

「あんたも言うの?」

「飯のときくらい黙れって。こっちが頼んだことじゃないのまで、ずっと喋ってる」

 

 言いながら、硝子は机の端へ置いた携帯をずらした。

 紙袋を広げるためだった。中にはまだ二つ残っている。

 

「この前も、もういいって言ってるのに、その後どうなったかまで説明し始めて」

「報告したいんでしょ」

「聞いてないって」

「でも、あんたが困らないようにやってることなんじゃないの?」

 

 硝子は少し眉を寄せた。

 

「だったら、終わったなら終わりでいいじゃん」

 

 言葉が、そこで切れた。

 湯呑みを持ち上げかけて、持ち直す。

 

「……いつまでその話すんだよってなる」

 

 歌姫は、口を開きかけた。

 面倒事を片づけるために来た男なら、片づけた話をするのはおかしくない。

 硝子も以前は、便利そうにその話をしていた。

 

 今は、報告が終わるのを待っている。

 

「ほかの話がしたいのね」

「同じ説明何回も要らないだけ」

 

 返事は早かった。

 歌姫はそれ以上追わず、お茶を飲んだ。

 

 少ししてから、硝子が言った。

 

「京都でも、ああなの?」

 

 去年も同じことを聞かれた。

 歌姫は今度も、「ああって?」と聞き返した。

 

「休んでるとこ、見たことない。こっちが本読んでたら、自分も何かやってるし」

「何もすることがない時間を、あんまり作らないわね」

「やっぱり」

「迷惑なら言いなさいよ。仕事するならよそでやってって」

「邪魔じゃないよ。静かだし」

 

 すぐに答えてから、硝子は湯呑みへ目を落とした。

 

「別に、何もしてなくてもいいのに」

 

 歌姫は、もう菓子の包みを触らなかった。

 

 何となく気づいていたつもりだった。

 断った男が落ち込んでいたと聞いて、気にする。その男が地元で何を食べるのか、自分といない時間に何をしているのか、知りたがる。

 ただ、それだけなら、親しい相手を心配しているのだと言われても頷けた。

 

 けれど、今の一言は。

 

「硝子」

「何」

「あんた、結構ほだされてない?」

 

 硝子は歌姫を見た。

 笑わなかったし、嫌な顔もしなかった。

 少しだけ、返事を選ぶような間があった。

 

「……歌姫先輩は、あいつ勧める?」

 

 思っていなかった問いだった。

 歌姫は椅子へ座り直した。

 

「仕事相手なら」

「それは知ってる」

 

 また、間が空いた。

 今度は硝子も、その返事を取り消さなかった。

 

「……正直に言うと、久世の家は面倒だと思う」

「うん」

「本人も、話が通じるからって、いつもこっちの望むことするわけじゃないし。言わなきゃ分からないことはあるわよ」

「分かっててもやることあるよね」

「あるわね」

 

 二人とも、別の出来事を思い出していそうだった。

 

「でも、嫌なことを嫌だって言って、話を続けられる相手だとは思う」

 

 硝子は湯呑みの縁を指でなぞった。

 

「ただね。あんたといるときの久世を、私はそんなに知らないのよ」

「あんまり変わんないでしょ」

「そう?」

 

 歌姫が知っている久世は、誰かに五分で追い返されて、門まで落ち込んで歩いていくような男ではなかった。

 少なくとも、それを五条に見つかるほど不用心ではない。

 

 けれど、その話を繰り返すのはやめておいた。

 

「あんたの方が知ってることも、あると思うけど」

 

 廊下で足音がした。

 硝子が先に、扉へ目を向けた。

 

     *

 

「庵さん。いらしてたんですね」

 

 扉を開けた久世は、制服ではなかった。

 濃い色のスーツに、畳んだコートを腕へ掛けている。東京で人に会ってきたのだという。

 

「あんた、またこっち?」

「はい。夜蛾先生にお渡しするものがあったので」

 

 歌姫の向かいで、硝子が小さく鼻を鳴らした。

 久世はそちらを見る。

 

「それと、家入さんに会いに」

「最初からそう言えば」

「庵さんに説明してたんだよ」

 

 歌姫はお茶を飲んだ。

 私には別に、取り繕わなくていいのだが。

 

 久世は机の上を一度見てから、空いている椅子へ鞄を置いた。

 

「お邪魔だったかな」

「別に。そっちは終わったの」

「うん。今日はもう帰るだけ」

 

 答えたところで、携帯が鳴った。

 硝子の目が、その音のしたポケットへ落ちる。

 

 久世は表示を確認し、わずかに口元を引き締めた。

 

「ごめん。少しだけ」

 

 廊下へ出る。閉まりきらなかった扉の向こうから、声が聞こえた。

 

「はい。それは先ほどお伝えしました。……いえ、僕から返事をしていい話ではありません。そちらでお決めになってから、ご連絡を」

 

 歌姫は、つい硝子を見た。

 硝子は菓子の紙袋を畳んでいた。聞こえてはいるだろうが、驚いた様子はない。

 

「……あの声、知ってる?」

「たまに聞く」

 

 硝子は何でもないことのように答えた。

 

「もっと感じ悪い日もある」

 

 そうか。

 感じのいい顔だけを見せて、ここまで来たわけではないらしい。

 

 戻ってきた久世は、短く謝って携帯をしまった。

 

「庵さん、帰りは何時頃ですか」

「私はもう少ししたら出るけど」

「よければ駅までご一緒しませんか。僕も帰るので」

 

 歌姫が答える前に、硝子が顔を上げた。

 

「もう帰んの」

 

 久世の手が、鞄に触れたところで止まった。

 

「……まだいてもいい?」

「帰るだけなんでしょ」

「うん」

「じゃあ座れば」

 

 硝子は残っていた菓子を一つ、机の向こうへ置いた。

 久世がそれを見て、それから硝子を見る。

 

「ありがとう」

「歌姫先輩が買ってきたやつ」

「ああ。ありがとうございます、庵さん」

 

 礼を言い直した顔を見て、歌姫は少し困った。

 普段もよく笑う後輩だ。それは間違いない。

 けれど、こんなに簡単に、見ている側まで気恥ずかしくなるような顔をしただろうか。

 

 硝子が三つ目の湯呑みを出した。

 

「あ。それなら僕が」

「座ってて」

 

 久世は座った。

 少し考えて、鞄を開きかける。

 

「それも今いい」

「……分かった」

 

 膝に戻された手を見て、歌姫は口元を押さえた。

 

「庵さん?」

「何でもない。お茶、熱くて」

 

 もう、そんなに熱くはなかった。

 

 硝子は何も言わず、久世の前へ湯呑みを置いた。椅子に戻る途中、彼の首元に目を止める。

 

「それ、苦しくない?」

「え?」

「ネクタイ。もう終わったんだろ、仕事」

 

 久世は襟元へ手をやり、少し迷ってから結び目を緩めた。

 硝子はその手元を見ていたが、歌姫と目が合う前に自分のお茶へ視線を戻した。

 

「お二人は、何のお話をしてたんですか」

 

 久世が歌姫へ尋ねた。

 

「京都の話」

「僕の悪口でも?」

 

 いつもの、愛想のいい顔だった。

 歌姫は頷いた。

 

「昼ご飯の途中で電話するなって話」

「それは……気をつけます」

「今も気をつけなさいよ」

 

 久世は苦笑して、携帯を鞄の中へ移した。

 硝子が、その鞄を自分の足元から少し遠ざける。

 

 ほかにも話した。

 何を食べるのか、何をして過ごすのか。

 休んでいるところを見たことがないと、この子がどんな顔で言ったか。

 

 久世の知らない話が、今日はずいぶん増えた。

 

「あんた、来年卒業でしょ。少しは暇になるの?」

「どうでしょう。家の方が増えるとは思いますが」

 

 久世は考えてから、硝子へ目を向けた。

 

「東京には来るよ」

「そこは聞いてない」

 

 硝子は菓子の包みを開けた。

 それ以上は言わなかったので、久世も追いかけずにお茶を飲んだ。

 

 歌姫は帰りの時間を確かめようと、携帯を開いた。

 向かいから、小さく声がした。

 

「来るときは、連絡して」

「うん」

「いない日もあるから」

「分かってる」

 

 聞き慣れたやり取りなのだろう。

 久世は笑って、硝子は何でもない顔で菓子をかじった。

 

 歌姫は携帯を閉じた。

 

「久世」

「はい」

「それ、もう一個あるわよ」

 

 紙袋を押しやると、久世は中を見てから硝子へ向けた。

 

「家入さんは?」

「半分」

 

 久世が包みを開き始める。

 硝子は当然のように、受け取る手を出して待っていた。

 

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