家入さんのところへ帰りたい   作:an-ryuka

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15.

 

 九十九由基が立ち上がりかけたところで、廊下の向こうから声がした。

 

「九十九さん、ですか」

 

 夏油は顔を上げた。

 書類の入った封筒を手に、久世雅臣がこちらを見ていた。いつもの、用事があるのかないのか分からない訪問とは違った。九十九の顔を確かめると、迷わず進路を変えてくる。

 

「そういう君は?」

「久世雅臣です。お話し中でしたか」

「久世。ああ、封印屋の」

 

 九十九は浮かせた腰をベンチへ戻した。

 

「じゃあ久世君。君はどんな女がタイプかな?」

「家入さんですよ」

 

 夏油は目を伏せた。

 少しくらい考えてから答えればいいものを。

 

「へえ。具体的だね。家入硝子のどこがタイプなの?」

 

 今度は考えた。

 久世は封筒の端を指で揃え、ややあって首を傾げた。

 

「僕のこと、どうでもよさそうに見てきたところですかね」

「変わった入り口だな」

「でも今は、何をしてても大体可愛いと思ってしまうので。あまり参考にならないかもしれません」

「それ、本人には?」

「言ってますよ。付き合ってますから」

 

 九十九が声を立てて笑った。

 夏油には、最後に硝子が久世の話をしていたときの、ひどく面倒そうな顔が思い出された。あれを可愛いに含めているのだから、まあ、話は合っている。

 

「で、その家入さんを通り過ぎて、私に何の用だい?」

「お会いしたかったんです。呪霊を発生させないための研究をなさっていると伺って」

 

 声の調子は変わらなかった。

 けれど、封筒を持つ手が止まった。

 

「ずいぶん評判のいい伝わり方をしたね」

「任務を受けずに何をしているんだ、という話でした」

「そっちか」

「それで、何をしているのか聞いたんです」

 

 九十九は笑いを残したまま、夏油を見た。

 

「ちょうど、その話をしてたところだよ」

 

     *

 

 久世が求めたのは、研究の成果を簡単に教えてくれという話ではなかった。

 

 呪力を人からなくすのか。それとも、人が漏らさないようにするのか。現在、どちらを追っているのか。

 九十九が答えるたびに、次の問いが少しずつ細かくなる。

 

「制御を覚えさせる方なら、訓練でどうにかなる範囲は、どれくらいあるんですか」

「非術師全員に教えれば済むなら、話は早いんだけどね」

「習得できないのか、教え方がないのか」

「そこを一緒にしないでくれるのは助かるよ。ただ、君んちの訓練をそのまま持っていっても無理だ」

「ええ。ウチに来るのは、既に術式がある人たちですから」

 

 制御が難しい術師の訓練に、久世の家が立ち会うことは夏油も知っていた。

 暴走しかけた術式を止める。そのために呼ばれる家だ。

 

「封じている間、呪力の漏れ方まで観察した記録はある?」

 

 今度は九十九が尋ねた。

 

「僕の担当分には。昔のものは確認しないと分かりません」

「止まった術式の記録だけじゃなくて、止まらなかったものも見たいな」

「出せる範囲を調べます。個人名は伏せますが」

「条件と経過を削らなければ、それでいい」

「では、連絡先を伺っても?」

 

 九十九はあっさり携帯を取り出した。

 

「資料一枚と引き換えに、私の予定まで買えると思わないでね」

「まず読んでいただけるものを出しますよ」

 

 久世も携帯を出した。

 家の名を使うとき、この人は隠さない。使うことができる場所を見つけると、ためらいなくそこに置く。

 

「できれば任務の方も、少しお願いしたいんですが」

「やだね」

 

 返事は早かった。

 久世は入力していた指を止め、顔を上げた。

 

「現場の負担は増えています」

「私が一件祓ってる間、私の研究を進めるのは誰?」

「だから研究をやめろとは申し上げていません。同時に進めるべきだと言っています」

「同時に進める人員を用意してから、私の配分に口を出してくれ」

 

 久世は少し黙った。

 

「……それは、そうですね」

 

 折れた、という声ではなかった。

 要求を通すだけのものを持っていないと、数え直した声だった。

 

「でも、成果が出る時期を読めない以上、その間を今の人数で持たせるわけにもいかないでしょう」

「うん。そっちは変えなよ。研究が終わるまで待ってなくていい」

「そのつもりです」

「なら、私の不在を理由に止まらないでくれよ」

 

 九十九は番号を送信した。

 久世の携帯が、短く鳴った。

 

 夏油は二人の顔を見ていた。

 自分が口にするときには、怠慢を責める以外にならなかったことが、ここでは担当の取り合いになっている。

 結局、明日の任務に来る人間は増えていない。

 

「もう一つ、君にも聞こうか」

 

 携帯をしまいながら、九十九が言った。

 

「さっき夏油君が出した案なんだけどね。呪霊を生む非術師がいなくなれば、呪霊は生まれなくなる」

「非術師を皆殺しにする。どう思う?」

 

 久世の視線が、夏油へ動いた。

 

 夏油は目を逸らさなかった。

 さっき口にしたときには、これほどはっきり自分に結びついた言葉ではなかった気がした。

 

「目的が、呪霊のない世界なら。ありでしょうね」

 

 久世は答えた。

 

「ただ、呪術師からも非術師は生まれますよね」

「生まれるね」

「だったら、残した人たちの子供も選別し続けることになる。呪霊を殺していた人間が、今度は呪霊を生む人間を殺す。仕事が終わるようには見えませんが」

「殺される圧力がかかれば、生き残るために人間の側が変わる可能性はある。術師になる方向へね」

「変わるまで、何代ですか」

「分からない」

「途中で変わらなかったら?」

「そこまで分かってる研究じゃないよ」

 

 九十九は平然としていた。

 久世も、それを失点として扱う様子はなかった。

 

「では、変わらない間も回せるか考える必要があります。自分の子が対象になっても従うか。従わせ続けるために誰を使うか。そこまで含めた制度になりますね」

「君は、実施した翌日からのことを考えるんだな」

「後で困りますから」

 

 久世は封筒を持ち直した。

 

「それに、人が減る不便さの方が勝ります。呪霊が消えても、食べるものにも移動にも困るようでは、僕には魅力がない」

「その辺が全部片づくとしたら?」

「その条件で、他の方法と比べます」

 

 夏油の指先に、ぬるくなった缶の水滴がついた。

 

 誰も、口にしたことを咎めなかった。

 九十九は可能性を答え、久世は運用を考えている。口にしてしまった異常な考えが、二人が答えることで急に現実の形を帯びた。

 

「先輩は、非術師がいる世界を残したいんですね」

 

 久世がこちらを見た。

 

「うん。僕はそこで暮らすつもりだから」

 

 九十九は二人を交互に見た。

 しばらくして、膝に手をついた。

 

「さて。私は行くよ」

「お引き留めしました。資料は、出せるものからご連絡します」

「期待してる。家の宣伝用にきれいにした成功例はいらないからね」

「失敗した人に怒られない範囲で、なるべく」

 

 九十九が笑い、夏油の前で足を止めた。

 

「夏油君。さっきの方法が成立するかどうかと、君がそれをやりたいかどうかは、別の話だよ」

 

 見上げると、彼女の顔から笑みが薄れていた。

 

「私たちの返事だけで、そこまで決まったことにしないでくれ」

 

 夏油が何かを答える前に、九十九は片手を上げた。

 靴音が廊下を遠ざかっていった。

 

     *

 

「先輩は、反対すると思っていました」

 

 靴音が聞こえなくなってから、夏油は言った。

 

「非術師を殺す話?」

「ええ」

「賛成はしてないよ」

「もっと、考えるまでもなく」

 

 久世は少し困ったように眉を寄せた。

 夏油の隣には、九十九が座っていた分の空きがあった。

 そこへ封筒を置きかけて、やめる。自分が座り、膝に載せた。

 

「夏油君は、どうしてその話を?」

 

 蝉が鳴いていた。

 尋ねられた途端、口にできることがひどく少なくなった。

 

「……私たちが祓っているものは、非術師から生まれるそうです」

「うん」

「その処理をして、術師が死ぬ。私たちがどれだけ祓っても、彼らはまた呪霊を生む。そのことさえ、知らないまま」

 

 久世は口を挟まなかった。

 

「私たちは、それを守っている」

 

 缶の縁を、親指でなぞった。

 守るべきだと言っていた。同じ言葉で、悟にも説いていた。

 

「知らない人間を、知っている側が一方的に憎むのは、筋が通らないと思うけどね」

 

 静かな声だった。

 夏油は親指を止めた。

 

「見えない人からすれば、呪霊なんて知りようもない。それを知っていて、教えないことにしてるのは、誰だ?」

「私が決めたことではありません」

「そうかな。教えたことで呪霊が増えるから話さない。どうせ信じないから話さない。そういった選択を呪術界の人はしている。僕含めてね」

 

 拍手の音がした。

 もちろん、そこではしていなかった。

 

「あの人たちは、人が死んだことを知っていましたよ」

 

 久世の目が細くなった。

 

「盤星教の連中か」

「見えなくても、知っていた。女の子が一人死んだことを喜ぶくらいには」

「なら、それはあいつらの責任だ。呪霊が見えるかどうかとは関係ない」

「その連中も、私たちが守る人間の中にいる」

 

 久世は即答しなかった。

 夏油は、今度こそ相手の方を見た。

 

「そうでしょう。祓った呪霊が、誰を殺すはずだったかなんて選べない」

「……祓うことで、あいつらも助かる。それはそうだね」

「だから、相手ごとに分ければ済む話でもない」

 

 久世は膝の封筒へ視線を落として、息をついた。

 

「それと呪霊を放っておくことは別の問題だよ」

「じゃあ誰があいつらに責任を取らせるんですか」

「そこを気にするなら、調べろ。知れ。手が届くところからだ。金を出した人間も、処分を止めた人間もいるだろう」

「その間に、また祓う」

「そうだね」

 

 久世は、そこを誤魔化さなかった。

 

 夏油は、口の中に残る味を飲み込んだ。

 

「私は、知られずに済むなら、それでいいと思っていました」

「今は?」

「それでいいはずだと、思っています」

 

 久世がこちらを見る気配がした。

 夏油は前を向いたままでいた。

 

「非術師には、知らなかったと言える。私には、知っているんだから自分で選べと?」

「知らない人間と、知っている人間に、同じ判断は求められない」

「知ってしまったら、選ばされる」

「選べるんだよ」

 

 その返事を、ひどく残酷だと思った。

 久世は否定してくれなかった。

 

「……私が断ったら、他へ回ります」

「それは、組んだ人間に返していい話だ」

「誰が行くんですか。悟ならいいんですか。後輩達なら?」

 

 夏油は言った。

 

「決める人間には見えなくても、現場に出れば、助けられる人がいるんです」

 

 声が少し強くなった。

 

「まだ助けられるのに、帰るんですか」

 

 久世が息を吐いた。

 

「十人を助けさせて壊すより、八人助けて明日も八人助けられる方がいい」

「残りの二人には、明日がありません」

「そうだね」

「それで終わりですか」

「終わらせてるのは誰だよ」

 

 声の底が、急に硬くなった。

 

「その二人を助ける人間がいないなら、そこを先に問題にするべきだろう。どうして君が無理をすれば届くからって、無理をすることまで入れてある?」

「十人助ければ必ず壊れると、決まっているわけじゃない」

「八人なら壊れないとも決まってない。だから、本人がまだ出来ると言っている間は使っていい、というやり方をやめろと言ってる」

 

 久世は封筒を握り直した。

 

「断れば仲間に行く。行かなければ誰かが死ぬ。その二つを現場の人間に突きつけて、十助けろと押し付ける。命令してる側は、最後の二人が助かったら、自分の配置で足りたことに出来る。君が削った分は、どこへ行った?」

 

「先輩は、そこで帰れるんですか」

 

 久世の手が止まった。

 

「……自分が倒れると次がもっと悪くなると判断したら、帰るよ」

「目の前にいても?」

「いるからといって、僕に出来ることが増えるわけじゃない」

 

 夏油は黙った。

 

 久世は、人を見捨てることを知らずに言っているのではなかった。

 この人は、見てからでも離れると言っている。

 

「天内のときも、そうでしたね」

 

 久世は何も言わなかった。

 

「彼女のことより、天元様だった」

「あの時は、天元様に何が起きているのか分からなかったから」

「分かっていますよ」

 

 そんなことは、もう知っている。

 結界がどうなるか。あの任務が何のためにあったか。知らずに彼女を連れて歩いていたわけではない。

 

 夏油は唇を結んだ。

 

「私は、先輩みたいには考えられません」

「うん」

「人のためにやることを、そんなふうには」

 

 久世はしばらく黙っていた。

 

「誰かのために、という言葉ほど、脆い言葉はないと思ってるけどね。僕は」

 

 夏油が眉を寄せると、久世は続けた。

 

「戒めだよ。僕はどうやら、人のために動くのが好きなようだからね」

 

「それの何が悪いんです」

 

「誰も頼んでない。勝手にやるな、とは何度も言われてる」

 

久世は少し笑った。

 

「だから、実際に動く前に、僕がどうしてそれをしたいのかは考えるようにしてるんだ」

 

「君が納得して引き受けられる間はいい。でもそれは、相手のために動きたいから動いたという選択であるべきだ」

 

「だから、守るべきだと考えるんです。好き嫌いで選ばないために」

「好き嫌いで選べばいいと言ってる」

 

 返事が出なかった。

 

 引き受けたくない、と答えることも出来なかった。

 

 久世は答えを催促しなかった。

 それが待ってくれているのか、もう自分で考えろということなのか、夏油には分からなかった。

 

     *

 

「僕は、君にもっと働けと言えるほど祓ってない」

 

 しばらくして、久世が言った。

 

「君の術式を、君と同じように使ったこともない。祓うかどうかを僕に決められたくないのは、当然だと思う」

 

 風が通った。

 封筒の口が、かさりと鳴った。

 

「でも僕は、君がまだ引き受けると答えてもいない分まで、上が予定に入れることには口を出すよ。君にやるならそのうち僕の家にも、同じようなことをやるからね」

 

 夏油は目を上げた。

 

「危険な呪詛師をいつまで拘束するのか、次に誰が引き取るのか。それを決めないまま、止めておけと言ってくる。向こうが決めない時間まで、こっちが術を保たされる。断れば危険だ、被害が出るぞと言われる」

「断るんですか」

「期限も引継ぎも決めないままには受けない。既に受けたものなら、安全に手を離せる段取りを先に作る。その手間も請求する」

 

 久世の声に、わずかな苛立ちが残った。

 

「出来る人間がその場にいるから、そいつに持たせておけばいい。そういう扱いを続けさせたくないんだよ」

「私の任務に、引継ぎ先はありません」

「だから、同じ方法で解決するとは思ってない。ただ、命令を出した人間が何を決めずに済ませたかは調べられる」

 

 久世は鞄から手帳を出した。

 白いページを一枚、切り取る。

 

「断る。数を減らす。学校を離れる。今のまま続ける。それぞれ誰が何を考え選んだか。どこまでが悪意で、どこまでがただの無知か」

 

 紙に、番号と短い項目を書いていく。

 

「任務の割り振りや査定でおかしいものがあるなら、話を聞ける人間を探せ。すぐ変えられるとは言わない」

「変える気のない人間ばかりなら?」

「決める席から降ろす」

 

 ペンが止まらなかった。

 

「降りなければ?」

「降ろせる力を集める」

「悟ですか」

 

 そこで久世が顔を上げた。

 

「彼が引き受けてくれるならね。それを前提では動かないよ。彼は気まぐれだ」

 

 夏油は、書きつけられていく文字を見ていた。

 そこにあるのは覚えておくべき情報と優先順位、何を気にして誰と連絡を取るべきか。

 

「先輩が上に立てば、今度は先輩の都合で人を動かすんでしょう」

「そうなるね」

 

 久世はペンを置いた。

 

「そのために、今も人に会ってる」

 

 正しい人間を据える、とも、みんなのためになる、とも言わなかった。

 

 久世は書き終わった紙を差し出す。

 

「僕が動かしたい話には、君を誘うこともあると思う」

「協力しなくても?」

「いいよ。話を理解した上で君がそれを選ぶなら」

 

 夏油は紙を受け取らなかった。

 久世は差し出し続けず、二人の間に置いた。

 

「先輩は、何のために呪霊を祓ってるんです?」

 

 問いが少し変わったことに、久世は気づいたようだった。

 表情がわずかに緩む。

 

「ウチは家が家だからね……」

 

 苦笑して、手帳を閉じた。

 

「期待されてることをこなして、したくないことを減らして、したいことをする。そのためかな」

「全部ですか」

「出来れば」

 

 久世は笑った。

 

「力がないから大変でね」

「先輩が、それを言いますか」

「僕はまだ当主じゃないし、九十九さんの予定一つ変えられないよ」

 

 夏油は、さっきまで彼女が座っていたことを思い出した。

 この人は本当に、あれを出来なかったこととして数えている。

 

「嫌なものを全部なくせるわけでもないでしょう」

「そうだね。なくせるものまで、そのままにしておく理由にはならないけど」

 

 携帯が鳴った。

 久世は画面を見て、メールを開いた。目元が少しだけ変わった。

 

「家入さん?」

「うん。仕事が終わったって」

 

 短い返事を打ち、携帯を閉じる。

 紙を受け取れとも、考えておけとも言わず、久世は立った。

 

「じゃあ、僕は行くよ」

 

 夏油は頷いた。

 

 隣が空いてから、置かれた紙を見た。

 これを読んだ所で、次に飲み込むものの味が変わるわけではない。

 盤星教の人間を思い出しても平気になるわけでも、非術師を守るべきだという考えが、元の形で戻るわけでもなかった。

 

 紙の端を押さえた。

 

「先輩」

 

 久世が振り向いた。

 

「先輩が上に行くために、私のことも使うんですか」

「使うよ。君は力があるだろう」

 

 夏油は少しの間、久世を見ていた。

 

「どこか変だった任務の報告、要りますか」

 

 久世の視線が、紙へ落ちた。

 

「うん。欲しい」

「私の方で、詳細が分からなかったら?」

「分からないままでいい。そこからは僕が調べる」

 

 夏油は紙を二つに折った。

 

「……分かりました」

 

 久世が廊下を歩き出す。

 夏油は携帯を取り出し、直近の任務の連絡を開いた。

 

 指示の本文を、上まで戻した。

 

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