五条が戻ってきたのは、翌日の昼過ぎだった。
医務室の扉を開けると、硝子が机から顔を上げた。
「土産、そこ置いて」
「おかえりより先にそれ?」
「おかえり。そこ置いて」
言われた机に、紙袋を置いた。
硝子は中を覗き、箱をひとつ取り出した。
「傑は?」
「寮。空いてた和室の方」
「何してんの」
「子供二人、連れて帰ってきた」
五条は、少し待った。
続きがあると思ったが、硝子は箱の裏を読んでいた。
「……子供?」
「任務先で。呪力がある子」
「へえ」
紙袋の持ち手を指から外した。
「怪我してた?」
「治した」
「ふうん」
硝子が箱を机へ戻した。
「さっき、やっと昼寝したとこ。声、でかくすんなよ」
「俺、そんなうるせえ?」
「うるさい」
五条は口を曲げた。
扉に手を掛けたところで、硝子に呼ばれた。
「詳しいことは、夏油から聞け」
振り返った。
硝子は、今度は箱を見ていなかった。
「何かあんの」
「ある」
五条は数秒、硝子を見た。
「あっそ」
扉を閉めてから、思っていたより大きな音がした。
*
和室の襖は、半分ほど開いていた。
夏油は、そのすぐ内側に座っていた。膝の上に紙を広げて、何かを書いている。
五条に気づくと、ペンを止めた。
「おかえり」
「おう」
奥に布団が二組あった。
使われているのは、一組だけだった。小さな頭が二つ、並んでいた。
「これ?」
「これって言い方はないだろう」
「聞いた。子供、連れてきたって」
「硝子に?」
「うん」
夏油は紙を裏返して置いた。
五条が廊下の先を顎で示すと、首を振った。
「ここでもいいかい。起きたとき、見えるところにいたいんだ」
「いーけど」
五条は向かいの壁へ背を預けた。
夏油が立ち上がり、敷居を跨いだ。襖は、そのままにしておいた。
「で、何があったわけ」
夏油は、五条の足元を見た。
「村で閉じ込められていたんだ。呪いが見えるせいで、被害を出していると思われていた。祓った後も、村の人間は納得しなかった」
「だから連れてきた?」
「うん」
話が止まった。
五条は待った。
夏油の頬は、以前より薄くなっていた。前に顔を合わせたときも、そう思った。本人にも言った。夏のせいだという返事を、そのときは受け取った。
夏油が、口を開いた。
「人を殺した」
廊下の奥で、扉が閉まった。
五条はそちらを見なかった。
「……誰が」
「私が。村の人間を、二人」
夏油は、もうこちらを見ていた。
冗談を言う顔ではなかった。五条が知っている、悪い冗談を言うときの顔では。
「その子らに、何かした奴?」
「閉じ込めて、殴っていた。私がいる前でも、殴ろうとした」
「ああ」
「止められたんだ。殺さなくても」
「だろうな」
夏油の目が、僅かに動いた。
「お前が、そんな奴ら相手に手こずるわけねえし」
「……そうだね」
「何で殺した」
夏油はすぐには答えなかった。
和室の中で、布団が擦れる音がした。二人とも、そちらを見た。
子供は起きなかった。
「あの子たちが悪いと、本気で思っていた」
夏油の声は低かった。
「呪霊はもういないと言っても、聞かなかった。見えていたなら何故助けなかったんだと、あの子たちに言った」
「それで?」
「……腹が立った」
五条は何も言わなかった。
「こんな人間を守るために、何をやっているんだろうと思った。ずっと。あの村に行く前から」
夏油は壁へ目を向けた。
そこには、何もなかった。
「昨日だけじゃないんだ、悟」
五条は少し黙った。
「……殺して、どう思ったわけ」
夏油の喉が動いた。
「死ななければよかったとは、今も思えない」
言ってから、目を伏せた。
「そう言えば、君は呆れると思った」
「呆れるっていうか」
五条は言いかけて、止めた。
思い出したのは、拍手だった。
腕の中に天内がいた。目の前には、笑っている人間がいた。
あのときは、傑に聞けばよかった。
「あのとき、俺を止めたの、お前じゃん」
「覚えているよ」
「俺も、お前の言ったことでいいと思った」
夏油は頷かなかった。
「今は、同じことが言えるか分からない」
五条は夏油を見た。
夏油も、目をそらさなかった。
「……何だよ、それ」
「だから、話しにくかった」
それで少し分かった、とは思わなかった。
目の前にいる男は、自分を止めたときのことを、同じように覚えていた。
そのまま、人を殺したと言っていた。
「夜蛾には」
「この後、話す。久世先輩からは伝わっている」
「久世?」
「村から電話した」
五条は口を閉じた。
また開いた。
「俺には?」
夏油が、息を吸った。
「君に連絡して、何を言えばいいか分からなかった」
「久世には分かったんだ」
「子供を連れて帰りたいと。……それから、殺したことを話した」
五条の携帯には、夏油からの着信はなかった。
それは、帰ってくる途中で見て知っていた。
「何て言われた」
「帰っておいでって」
五条は、一度だけ廊下の先を見た。
誰もいなかった。
「お前、それ、帰ってくんなって言われたらどうしたんだよ」
夏油は黙った。
考えた末の沈黙なのか、考えたくないのか、分からなかった。
「……分からない」
返ってきた声を聞いて、五条は奥歯を噛んだ。
「傑」
「うん」
「今も、他の奴を殺したい?」
夏油の視線が、和室へ動いた。
「昨日は、残った村の人間も殺そうと思った」
「今、聞いてんの」
夏油は顔を戻した。
「今は、ここにいたい」
答えになっているようで、なっていなかった。
五条は、もう一度聞こうとした。
「……誰?」
部屋の中から、小さな声がした。
夏油が振り向いた。
布団から、子供が半身を起こしていた。隣の子の腕を掴んでいる。
「起きたのかい」
夏油は敷居のところへ戻った。
子供の目が、五条に向いた。
「五条悟。私の同級生」
五条は片手を上げた。
「どーも」
子供は挨拶を返さなかった。
夏油に、何かを小声で言った。
「うん。行こう。美々子は、まだ寝ている?」
子供が頷いた。
夏油は五条へ振り返った。
「少し、ここにいてくれるかい」
「何」
「お手洗い。起きたら、そう伝えてほしい」
五条は、布団に残った頭を見た。
「分かった」
夏油は子供と一緒に廊下を歩いていった。
いつもより、ずっと遅かった。
五条は開いた襖の横へ腰を下ろした。
二人が曲がった廊下を見ていた。
*
久世の携帯が鳴ったのは、夜蛾と話している最中だった。
表示された名前を確認して、音を止めた。
「出なくていいのか」
「父です。後で掛け直します」
夜蛾は、机に置かれた紙へ目を戻した。
久世が作った報告の案だった。
「呪霊による被害。その場にいた術師は、被害を防げなかった」
「はい」
「これを、俺のところから出せと言うんだな」
「その方が通ります。久世家が先に出れば、東京校が何を把握しているか、余計な問い合わせが増える」
夜蛾は紙を置いた。
「通し方を聞いているんじゃない」
久世は、夜蛾を見た。
「夏油が殺したと知って、こう書けと言っているんだな」
「そうです」
夜蛾はしばらく、久世を見ていた。
「今回の任務に口を出した家のことも、ここで持ち出すつもりか」
「最初からは出しません。任務の割り振りと、情報の扱いについて話を通したい。先に家名を出せば、そちらの争いにされます」
「夏油の状態を、その材料にする」
「本人には話しました。細かい内容は、まだです」
「なら、まだ決まっていない」
久世は頷いた。
「そうですね」
夜蛾は、報告の案を手元に引いた。
「夏油とは、俺が話す」
「はい」
「お前の前では言えなかったことも、あるかもしれん」
「あると思います」
その返事に、夜蛾の眉が動いた。
久世は続けた。
「先生の前でも、言えないことはあるでしょう。僕が聞いたところは、先ほどお話しした通りです」
「分かっている」
「お前は結果が出るから厄介なんだ」
「褒めてます?」
「違う」
夜蛾の声は、少し強かった。
久世は口を閉じた。
「今回、夏油を処分に回せばいいとは、俺も思っていない。ただ、お前の筋書き通りに話させるつもりもない」
「はい。お願いします」
夜蛾は、久世の顔を見た。
久世は頭を下げた。
部屋を出てから、父へ電話を掛け直した。
「遅くなりました」
父は挨拶を返さず、東京校にいるのかと聞いた。
いると答えると、短く鼻から息を吐いた。
『……家の行く末をメールで済ませるんじゃない』
「はい」
『どこまで見ている』
「直近は現場の対応と、補助監督の報告が真っ直ぐ通るところまでです」
『それを通すんだな』
「はい」
父は少し黙った。
『お前は昔から、失うと分かっているものには手を出さん』
「……なんの話です?」
『算段があるんだろう。直接聞く』
廊下の向こうに、白い頭が見えた。
久世は歩みを止めた。
「……はい」
『久世家を継ぐ覚悟をしておきなさい』
電話が切れた。
五条が、数歩先で立っていた。
「誰?」
「父親」
「何だって?」
「……秘密かな」
五条は笑わなかった。
「話、あんだけど」
「僕も。場所を変えようか」
*
空き教室に入ると、五条は机の端へ腰を下ろした。
久世はその隣の机から、置きっぱなしにしていた書類を取った。
「夏油君から聞いた?」
「聞いた」
「どこまで」
「殺したこと。お前が、事故にするって言ってること」
久世は頷いた。
「夜蛾先生には、今、案を見てもらっている」
「本当に通んの、それ」
「必ずとは言わない。ただ、現地にいた人間には、誰の呪霊かは分からない。調べに行った術師の報告が、まず基準になる」
五条が、久世の手元を見た。
「お前は、傑がやったって知ってんじゃん」
「だから、僕は嘘をつくよ」
久世は、書類を机に戻した。
「二人が亡くなったこと自体は、変えられない。村との間で片づけることも残ってる。今日、ここで書けば終わりではないね」
「そっちの話は分かった」
五条は、机に片手をついた。
「傑がお前の頼み断ったら、それ、どうなる」
久世は五条を見た。
視線が、机の上の書類に落ちていた。
「何も変わらないよ」
「そう」
「夏油くんを使わない、別の手段を考えるだけだからね」
五条は黙っていた。
久世は、もう一度言い直すことはしなかった。
「今のうちに言っておくと、君にも頼みたいことはある」
「お前、よくその流れで言えるな」
「後で言う方が嫌だろう?」
五条は、鼻で息を吐いた。
「何」
久世は、書類の束から別の紙を抜いた。
夏油へ渡した聞き取りの記録と、任務の割り振りをまとめたものだった。
「夏油君が、気になった任務をまとめてくれていたんだ。担当を決めるときに、ここの口添えが続いてる」
家名を指すと、五条は目を細めた。
「ああ。知ってる」
「そうだろうね」
「何。傑に嫌がらせしてたわけ?」
「簡単に言うとそうだね。まぁ、他にもメンツやら金やら色々絡んでる」
五条は紙を取った。
数行を読んでから、机へ戻した。
「そいつんとこ行きゃいい?」
「来週、会う場を作りたい。君も来ると伝えていいかな」
「来週?」
「実際に任務を割り振っている人にも、同席してほしいんだ。その日程を合わせたい」
「今から呼べば来んだろ」
「来ると思う。でも、上の人だけが君に謝って終わっても、何も変わらない。手段が変わるだけだ」
五条は、机の下で片足を揺らした。
「謝らせて終わるつもりねえよ」
「うん。だから、一緒に行きたい」
久世は聞き取りの記録を開いた。
「今回、調査をした人は、子供のことを書いていた。村の人間が非協力的なことも書いていた。それが、夏油君へ渡す資料には入っていなかった」
「それで」
「人が嫌がることを、理解してやっているのは誰だろうねって話だよ」
「そんなの上の腐ってるヤツら全員だろ」
「一纏めにするのはよくないよ。苦労してる人もいる」
五条が、久世を見た。
「何がしたい」
「知りたいんだよ。腐ってる中の、使える人間と、いらない人間」
久世は、机に残していた綴りを開いた。
部署と役職、人の名前。担当している仕事の横に、別の名前がいくつか添えてある。
「……替えがきくかどうか」
五条は、一番上の紙をめくった。
その下にも、似たような一覧があった。
「……これ、昨日からやってたわけじゃねえよな」
「うん」
「今回のことがなくても、俺んとこ持ってくる気だった?」
「もっと形になってからね」
五条は綴りを閉じた。
「こいつらが、素直に席譲ると思う?」
「思わない」
「俺に何させる気?」
「呪術界のクーデター」
五条の足が止まった。
久世は綴りを、自分の方へ引き寄せた。
「全部任せるつもりはないよ。これは僕がやりたいことだ。君に押し付ける気もない」
久世は紙の端を揃えた。
「まだ、誰にも言わないで欲しいけどね。」
「それ、本気?」
「そうだよ」
五条は久世を見た。
久世も、見返した。
「今回の件だけで、そこまでやろうとは言ってないよ。来週は、まず話を聞きたい」
「……あっそ」
五条の目が、閉じた綴りに戻った。
「傑にも、見せてんの」
「この一覧は見せてない。任務の調査については、怪しい人物のリストは見せたよ」
「そっか」
五条は机から下りた。
「来週、俺が会うって言っていい。誰が来るか、先に送って」
「ありがとう。決まったら連絡する」
五条は扉へ向かい、途中で止まった。
「なあ」
「うん?」
「傑が村にいる間、お前、あいつが殺してるかもって考えた?」
久世は、すぐには答えなかった。
「人に手を出すかもしれないとは、思った。殺すところまで行くとは、見積もっていなかった」
「電話来たとき、何考えた」
「夏油くんを呪詛師にしないための根回し経路かな」
五条の眉が、僅かに寄った。
「その場にいて、僕にできることは少ない」
久世の口調は、先ほどまでと同じだった。
「でも、確実にこれから起こる事を、仕方なかったで済ませたくはない」
五条は扉を開けた。
「……大きい方の計画は、まだ決めてねぇからな」
「うん」
「来週は、行く」
扉が閉まった。
久世は少しの間、それを見ていた。
机へ戻り、綴りを鞄へしまった。
父に送る書類は、別にした。
*
「足、まだ痛い?」
硝子が訊くと、美々子は夏油を見た。
「さっきは、歩けていたけど」
「お前に聞いてない」
夏油は口を閉じた。
硝子は、美々子へ顔を戻した。
「歩けても、痛いことはあるから。どう?」
美々子は、自分の足の指を動かした。
「……痛くない」
「分かった。菜々子は?」
菜々子も、足を動かした。
痛くないと言った。
「じゃ、今日は終わり」
二人が椅子から下りた。
夏油も立とうとしたところで、硝子に止められた。
「お前は、まだ」
夏油は硝子を見た。
菜々子が、下りかけた椅子へ戻った。
「怪我したの」
「いや、私は」
「してなくても、具合は聞く」
硝子は机の椅子を寄せた。
「飯は」
「食べたよ」
「どのくらい」
夏油は、少し考えた。
菜々子が、茶碗の半分くらいを手で示した。
「……見ていたのかい」
菜々子は答えず、隣の美々子を見た。
「おかずも残した」
美々子が小さく付け加えた。
硝子は夏油を見た。
「何」
「いや」
「気持ち悪い?」
夏油は、今度は答えを選んだ。
「食べ始めると、もういいと思う」
「いつから」
はっきりとは思い出せなかった。
夏になってから。もっと前だったかもしれない。
任務の行き先なら、手帳を開けば分かった。食事をどれだけ残したかは、どこにも書いていなかった。
「……しばらく前から」
硝子は、それでは分からないとは言わなかった。
睡眠のことを訊いた。
夏油は答えた。答えられないところは、そう言った。
終わった頃には、窓の外の色が変わっていた。
「夜蛾んとこ、この後?」
「うん」
「この子ら、ここにいてもらってもいいよ」
夏油は二人を見た。
「先生と話してくる。その間、ここで待っていられるかい」
菜々子が、医務室の扉を見た。
「遠い?」
「同じ建物。終わったら迎えに来る」
二人は、少しだけ顔を寄せた。
やがて菜々子が頷いた。
「……うん」
夏油は立ち上がった。
硝子へ礼を言おうとして、その前に別の言葉が出た。
「村のこと、聞いた?」
「昨日」
硝子は答えた。
夏油は、椅子の背に手を置いたまま動かなかった。
「何か、言いたい?」
訊かれて、夏油は口を開きかけた。
二人の子供が、すぐ横にいた。
「……後で」
「じゃ、後で」
硝子はそれ以上、聞かなかった。
*
久世が医務室を訪ねたのは、子供たちを夏油に返した後だった。
硝子は、椅子に背を預けていた。
机の上には、五条の持ってきた菓子の箱があった。ひとつだけ、包みが開いていた。
「帰るの?」
「その前に、君に会いたくて」
「で、用件は」
久世は鞄に掛けた手を止めた。
「……分かる?」
「分かるだろ」
久世は紙を一枚取り出した。
硝子は受け取り、目を通した。
「術師の心理的な負担、ね」
「そういう問題として、今回の報告を出したい」
「夏油は?」
「夜蛾先生と話して、しばらく任務を止めることになった。報告の内容については、明日、僕からも確かめる」
硝子は、紙を机に置いた。
「これ、よくなったかどうか、後から聞かれるよ」
「うん」
「誰に答えさせるつもり」
久世は椅子を見た。
硝子が足で少し押し出したので、そこへ座った。
「そのときの状態を、君にも聞くことにはなると思う」
「私、どっちかと言うと外科なんだけど」
「知ってるよ」
久世は菓子の包みを折った。
「でも、勉強してるのも知ってる」
「……はぁ」
硝子は資料を机の端へ寄せた。
「五条、何だって?」
「来週、一緒に話をしに行ってくれる」
「上の連中と?」
「任務に口を出していたところへ」
「ふうん」
硝子は、椅子に座り直した。
「喧嘩しなかった?」
「どうだろう」
「分かんないのかよ」
久世は、僅かに口元を緩めた。
「僕は仲良くしたいんだけどな」
「雅臣が言うと別の意味に聞こえる」
「心外だな」
「自業自得でしょ」
久世は返事をしなかった。
硝子は、それを待たずに箱を寄せた。
「食べる?」
「五条君の?」
「土産」
久世はひとつ取った。
包みを開ける間だけ、部屋が静かになった。
「硝子ちゃん」
「何」
「君に会いたかったのは、本当だよ」
「別に疑ってないけど」
久世は硝子を見て笑った。
硝子も顔を上げた。
「可愛いよね。硝子ちゃん」
「……煩い」
菓子を食べた。
思っていたより甘かった。
「最近、仕事の話しすぎ」
「最近?」
久世が眉を上げた。
「そう?」
「多い」
久世は、少し考えた。
「君は退屈?」
「時々」
久世は笑った。困ったような、短い笑いだった。
「それは、先に教えてほしかったな」
「顔には出してたつもりだけど」
久世は硝子の顔を見た。
見られた硝子が、何だよ、と言った。
「今は?」
「今、仕事の話してないだろ」
久世は口を閉じた。
それから、もうひとつ取っていいかと聞いた。
硝子は箱を押した。
*
寮へ戻ると、五条が廊下の窓を開けていた。
「暑っ。ここ、風通んねえな」
夏油は足を止めた。
「まだいたのかい」
「俺の寮でもあるんですけど」
「そういう意味じゃないよ」
五条が振り返った。
夏油の後ろから、菜々子が顔を出した。美々子はその後ろにいた。
「あ、戻ってきた」
菜々子が言った。
五条が、自分を指した。
「俺?」
菜々子は頷いた。
「さっき、いなかった」
「ちょっと用事」
それ以上は聞かれなかった。
二人は夏油の横を通って、和室へ入った。菜々子が襖を動かし、美々子が畳の上に座った。
夏油は鞄を置いた。
「夜蛾、何だって?」
「しばらく、任務はなしだ。学校にいるように言われた」
「ふうん」
五条は窓枠に肘を置いた。
「それで?」
夏油は、何を聞かれているのか考えた。
「……明日、行かなくていいと聞いて、ほっとした」
五条は、すぐには何も言わなかった。
「なら、明日は寝てろよ」
「二人のこともある」
「硝子も夜蛾もいんじゃん」
夏油は和室を見た。
菜々子は、開いた窓の方を見ていた。美々子が何か言うと、そちらへ顔を戻した。
「……そうだね」
五条が窓枠から肘を離した。
「俺、明日、朝から出る」
「うん」
「夜には戻る予定」
夏油は五条を見た。
「さっきの話」
「うん」
「終わったつもり、ねえから」
五条は、少し眉を寄せた。
「まだ、分かんねえし」
夏油は敷居へ目を落とした。
何を話せば分かってもらえるのか、自分にも分からなかった。
それでも、もう話さない方がいいとは思わなかった。
「……うん」
五条はそれ以上言わず、自分の部屋の方へ歩き出した。
部屋へ入ると、美々子が顔を上げた。
菜々子が、もう一組の布団を少し引いていた。二つの間が離れているのが、気になるらしかった。
「動かしてもいいよ」
言うと、菜々子は布団の端を持ち直した。
夏油も反対側を持った。
鞄から、携帯の音がした。
五条からだった。
『飲み物なくなった。明日買っといて』
夏油は画面を見た。
しばらくして、親指を動かした。
『自分で買えばいいだろう』
送って、携帯を置いた。
また音がしたが、菜々子が布団を引き始めたので、そちらを先に持った。