家入さんのところへ帰りたい   作:an-ryuka

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18.

 

 五条が戻ってきたのは、翌日の昼過ぎだった。

 

 医務室の扉を開けると、硝子が机から顔を上げた。

 

「土産、そこ置いて」

「おかえりより先にそれ?」

「おかえり。そこ置いて」

 

 言われた机に、紙袋を置いた。

 硝子は中を覗き、箱をひとつ取り出した。

 

「傑は?」

「寮。空いてた和室の方」

「何してんの」

「子供二人、連れて帰ってきた」

 

 五条は、少し待った。

 続きがあると思ったが、硝子は箱の裏を読んでいた。

 

「……子供?」

「任務先で。呪力がある子」

「へえ」

 

 紙袋の持ち手を指から外した。

 

「怪我してた?」

「治した」

「ふうん」

 

 硝子が箱を机へ戻した。

 

「さっき、やっと昼寝したとこ。声、でかくすんなよ」

「俺、そんなうるせえ?」

「うるさい」

 

 五条は口を曲げた。

 扉に手を掛けたところで、硝子に呼ばれた。

 

「詳しいことは、夏油から聞け」

 

 振り返った。

 硝子は、今度は箱を見ていなかった。

 

「何かあんの」

「ある」

 

 五条は数秒、硝子を見た。

 

「あっそ」

 

 扉を閉めてから、思っていたより大きな音がした。

 

     *

 

 和室の襖は、半分ほど開いていた。

 

 夏油は、そのすぐ内側に座っていた。膝の上に紙を広げて、何かを書いている。

 五条に気づくと、ペンを止めた。

 

「おかえり」

「おう」

 

 奥に布団が二組あった。

 使われているのは、一組だけだった。小さな頭が二つ、並んでいた。

 

「これ?」

「これって言い方はないだろう」

「聞いた。子供、連れてきたって」

「硝子に?」

「うん」

 

 夏油は紙を裏返して置いた。

 五条が廊下の先を顎で示すと、首を振った。

 

「ここでもいいかい。起きたとき、見えるところにいたいんだ」

「いーけど」

 

 五条は向かいの壁へ背を預けた。

 夏油が立ち上がり、敷居を跨いだ。襖は、そのままにしておいた。

 

「で、何があったわけ」

 

 夏油は、五条の足元を見た。

 

「村で閉じ込められていたんだ。呪いが見えるせいで、被害を出していると思われていた。祓った後も、村の人間は納得しなかった」

「だから連れてきた?」

「うん」

 

 話が止まった。

 

 五条は待った。

 夏油の頬は、以前より薄くなっていた。前に顔を合わせたときも、そう思った。本人にも言った。夏のせいだという返事を、そのときは受け取った。

 

 夏油が、口を開いた。

 

「人を殺した」

 

 廊下の奥で、扉が閉まった。

 五条はそちらを見なかった。

 

「……誰が」

「私が。村の人間を、二人」

 

 夏油は、もうこちらを見ていた。

 冗談を言う顔ではなかった。五条が知っている、悪い冗談を言うときの顔では。

 

「その子らに、何かした奴?」

「閉じ込めて、殴っていた。私がいる前でも、殴ろうとした」

「ああ」

「止められたんだ。殺さなくても」

「だろうな」

 

 夏油の目が、僅かに動いた。

 

「お前が、そんな奴ら相手に手こずるわけねえし」

「……そうだね」

「何で殺した」

 

 夏油はすぐには答えなかった。

 和室の中で、布団が擦れる音がした。二人とも、そちらを見た。

 子供は起きなかった。

 

「あの子たちが悪いと、本気で思っていた」

 

 夏油の声は低かった。

 

「呪霊はもういないと言っても、聞かなかった。見えていたなら何故助けなかったんだと、あの子たちに言った」

「それで?」

「……腹が立った」

 

 五条は何も言わなかった。

 

「こんな人間を守るために、何をやっているんだろうと思った。ずっと。あの村に行く前から」

 

 夏油は壁へ目を向けた。

 そこには、何もなかった。

 

「昨日だけじゃないんだ、悟」

 

 五条は少し黙った。

 

「……殺して、どう思ったわけ」

 

 夏油の喉が動いた。

 

「死ななければよかったとは、今も思えない」

 

 言ってから、目を伏せた。

 

「そう言えば、君は呆れると思った」

「呆れるっていうか」

 

 五条は言いかけて、止めた。

 

 思い出したのは、拍手だった。

 腕の中に天内がいた。目の前には、笑っている人間がいた。

 あのときは、傑に聞けばよかった。

 

「あのとき、俺を止めたの、お前じゃん」

「覚えているよ」

「俺も、お前の言ったことでいいと思った」

 

 夏油は頷かなかった。

 

「今は、同じことが言えるか分からない」

 

 五条は夏油を見た。

 夏油も、目をそらさなかった。

 

「……何だよ、それ」

「だから、話しにくかった」

 

 それで少し分かった、とは思わなかった。

 目の前にいる男は、自分を止めたときのことを、同じように覚えていた。

 そのまま、人を殺したと言っていた。

 

「夜蛾には」

「この後、話す。久世先輩からは伝わっている」

「久世?」

「村から電話した」

 

 五条は口を閉じた。

 また開いた。

 

「俺には?」

 

 夏油が、息を吸った。

 

「君に連絡して、何を言えばいいか分からなかった」

「久世には分かったんだ」

「子供を連れて帰りたいと。……それから、殺したことを話した」

 

 五条の携帯には、夏油からの着信はなかった。

 それは、帰ってくる途中で見て知っていた。

 

「何て言われた」

「帰っておいでって」

 

 五条は、一度だけ廊下の先を見た。

 誰もいなかった。

 

「お前、それ、帰ってくんなって言われたらどうしたんだよ」

 

 夏油は黙った。

 考えた末の沈黙なのか、考えたくないのか、分からなかった。

 

「……分からない」

 

 返ってきた声を聞いて、五条は奥歯を噛んだ。

 

「傑」

「うん」

「今も、他の奴を殺したい?」

 

 夏油の視線が、和室へ動いた。

 

「昨日は、残った村の人間も殺そうと思った」

「今、聞いてんの」

 

 夏油は顔を戻した。

 

「今は、ここにいたい」

 

 答えになっているようで、なっていなかった。

 五条は、もう一度聞こうとした。

 

「……誰?」

 

 部屋の中から、小さな声がした。

 

 夏油が振り向いた。

 布団から、子供が半身を起こしていた。隣の子の腕を掴んでいる。

 

「起きたのかい」

 

 夏油は敷居のところへ戻った。

 子供の目が、五条に向いた。

 

「五条悟。私の同級生」

 

 五条は片手を上げた。

 

「どーも」

 

 子供は挨拶を返さなかった。

 夏油に、何かを小声で言った。

 

「うん。行こう。美々子は、まだ寝ている?」

 

 子供が頷いた。

 夏油は五条へ振り返った。

 

「少し、ここにいてくれるかい」

「何」

「お手洗い。起きたら、そう伝えてほしい」

 

 五条は、布団に残った頭を見た。

 

「分かった」

 

 夏油は子供と一緒に廊下を歩いていった。

 いつもより、ずっと遅かった。

 

 五条は開いた襖の横へ腰を下ろした。

 二人が曲がった廊下を見ていた。

 

     *

 

 久世の携帯が鳴ったのは、夜蛾と話している最中だった。

 

 表示された名前を確認して、音を止めた。

 

「出なくていいのか」

「父です。後で掛け直します」

 

 夜蛾は、机に置かれた紙へ目を戻した。

 久世が作った報告の案だった。

 

「呪霊による被害。その場にいた術師は、被害を防げなかった」

「はい」

「これを、俺のところから出せと言うんだな」

「その方が通ります。久世家が先に出れば、東京校が何を把握しているか、余計な問い合わせが増える」

 

 夜蛾は紙を置いた。

 

「通し方を聞いているんじゃない」

 

 久世は、夜蛾を見た。

 

「夏油が殺したと知って、こう書けと言っているんだな」

「そうです」

 

 夜蛾はしばらく、久世を見ていた。

 

「今回の任務に口を出した家のことも、ここで持ち出すつもりか」

「最初からは出しません。任務の割り振りと、情報の扱いについて話を通したい。先に家名を出せば、そちらの争いにされます」

「夏油の状態を、その材料にする」

「本人には話しました。細かい内容は、まだです」

「なら、まだ決まっていない」

 

 久世は頷いた。

 

「そうですね」

 

 夜蛾は、報告の案を手元に引いた。

 

「夏油とは、俺が話す」

「はい」

「お前の前では言えなかったことも、あるかもしれん」

「あると思います」

 

 その返事に、夜蛾の眉が動いた。

 久世は続けた。

 

「先生の前でも、言えないことはあるでしょう。僕が聞いたところは、先ほどお話しした通りです」

「分かっている」

 

 

「お前は結果が出るから厄介なんだ」

 

「褒めてます?」

「違う」

 

 夜蛾の声は、少し強かった。

 久世は口を閉じた。

 

「今回、夏油を処分に回せばいいとは、俺も思っていない。ただ、お前の筋書き通りに話させるつもりもない」

「はい。お願いします」

 

 夜蛾は、久世の顔を見た。

 久世は頭を下げた。

 

 部屋を出てから、父へ電話を掛け直した。

 

「遅くなりました」

 

 父は挨拶を返さず、東京校にいるのかと聞いた。

 いると答えると、短く鼻から息を吐いた。

 

『……家の行く末をメールで済ませるんじゃない』

「はい」

『どこまで見ている』

「直近は現場の対応と、補助監督の報告が真っ直ぐ通るところまでです」

『それを通すんだな』

「はい」

 

 父は少し黙った。

 

『お前は昔から、失うと分かっているものには手を出さん』

「……なんの話です?」

『算段があるんだろう。直接聞く』

 

 廊下の向こうに、白い頭が見えた。

 久世は歩みを止めた。

 

「……はい」

『久世家を継ぐ覚悟をしておきなさい』

 

 電話が切れた。

 

 五条が、数歩先で立っていた。

 

「誰?」

「父親」

「何だって?」

「……秘密かな」

 

 五条は笑わなかった。

 

「話、あんだけど」

「僕も。場所を変えようか」

 

     *

 

 空き教室に入ると、五条は机の端へ腰を下ろした。

 久世はその隣の机から、置きっぱなしにしていた書類を取った。

 

「夏油君から聞いた?」

「聞いた」

「どこまで」

「殺したこと。お前が、事故にするって言ってること」

 

 久世は頷いた。

 

「夜蛾先生には、今、案を見てもらっている」

「本当に通んの、それ」

「必ずとは言わない。ただ、現地にいた人間には、誰の呪霊かは分からない。調べに行った術師の報告が、まず基準になる」

 

 五条が、久世の手元を見た。

 

「お前は、傑がやったって知ってんじゃん」

「だから、僕は嘘をつくよ」

 

 久世は、書類を机に戻した。

 

「二人が亡くなったこと自体は、変えられない。村との間で片づけることも残ってる。今日、ここで書けば終わりではないね」

「そっちの話は分かった」

 

 五条は、机に片手をついた。

 

「傑がお前の頼み断ったら、それ、どうなる」

 

 久世は五条を見た。

 視線が、机の上の書類に落ちていた。

 

「何も変わらないよ」

「そう」

「夏油くんを使わない、別の手段を考えるだけだからね」

 

 五条は黙っていた。

 久世は、もう一度言い直すことはしなかった。

 

「今のうちに言っておくと、君にも頼みたいことはある」

「お前、よくその流れで言えるな」

「後で言う方が嫌だろう?」

 

 五条は、鼻で息を吐いた。

 

「何」

 

 久世は、書類の束から別の紙を抜いた。

 夏油へ渡した聞き取りの記録と、任務の割り振りをまとめたものだった。

 

「夏油君が、気になった任務をまとめてくれていたんだ。担当を決めるときに、ここの口添えが続いてる」

 

 家名を指すと、五条は目を細めた。

 

「ああ。知ってる」

「そうだろうね」

「何。傑に嫌がらせしてたわけ?」

「簡単に言うとそうだね。まぁ、他にもメンツやら金やら色々絡んでる」

 

 五条は紙を取った。

 数行を読んでから、机へ戻した。

 

「そいつんとこ行きゃいい?」

「来週、会う場を作りたい。君も来ると伝えていいかな」

「来週?」

「実際に任務を割り振っている人にも、同席してほしいんだ。その日程を合わせたい」

「今から呼べば来んだろ」

「来ると思う。でも、上の人だけが君に謝って終わっても、何も変わらない。手段が変わるだけだ」

 

 五条は、机の下で片足を揺らした。

 

「謝らせて終わるつもりねえよ」

「うん。だから、一緒に行きたい」

 

 久世は聞き取りの記録を開いた。

 

「今回、調査をした人は、子供のことを書いていた。村の人間が非協力的なことも書いていた。それが、夏油君へ渡す資料には入っていなかった」

「それで」

「人が嫌がることを、理解してやっているのは誰だろうねって話だよ」

「そんなの上の腐ってるヤツら全員だろ」

「一纏めにするのはよくないよ。苦労してる人もいる」

 

 五条が、久世を見た。

 

「何がしたい」

「知りたいんだよ。腐ってる中の、使える人間と、いらない人間」

 

 久世は、机に残していた綴りを開いた。

 部署と役職、人の名前。担当している仕事の横に、別の名前がいくつか添えてある。

 

「……替えがきくかどうか」

 

 五条は、一番上の紙をめくった。

 その下にも、似たような一覧があった。

 

「……これ、昨日からやってたわけじゃねえよな」

「うん」

「今回のことがなくても、俺んとこ持ってくる気だった?」

「もっと形になってからね」

 

 五条は綴りを閉じた。

 

「こいつらが、素直に席譲ると思う?」

「思わない」

「俺に何させる気?」

「呪術界のクーデター」

 

 五条の足が止まった。

 久世は綴りを、自分の方へ引き寄せた。

 

「全部任せるつもりはないよ。これは僕がやりたいことだ。君に押し付ける気もない」

 

 久世は紙の端を揃えた。

 

「まだ、誰にも言わないで欲しいけどね。」

「それ、本気?」

「そうだよ」

 

 五条は久世を見た。

 久世も、見返した。

 

「今回の件だけで、そこまでやろうとは言ってないよ。来週は、まず話を聞きたい」

「……あっそ」

 

 五条の目が、閉じた綴りに戻った。

 

「傑にも、見せてんの」

「この一覧は見せてない。任務の調査については、怪しい人物のリストは見せたよ」

「そっか」

 

 五条は机から下りた。

 

「来週、俺が会うって言っていい。誰が来るか、先に送って」

「ありがとう。決まったら連絡する」

 

 五条は扉へ向かい、途中で止まった。

 

「なあ」

「うん?」

「傑が村にいる間、お前、あいつが殺してるかもって考えた?」

 

 久世は、すぐには答えなかった。

 

「人に手を出すかもしれないとは、思った。殺すところまで行くとは、見積もっていなかった」

「電話来たとき、何考えた」

「夏油くんを呪詛師にしないための根回し経路かな」

 

 五条の眉が、僅かに寄った。

 

「その場にいて、僕にできることは少ない」

 

 久世の口調は、先ほどまでと同じだった。

 

「でも、確実にこれから起こる事を、仕方なかったで済ませたくはない」

 

 五条は扉を開けた。

 

「……大きい方の計画は、まだ決めてねぇからな」

「うん」

「来週は、行く」

 

 扉が閉まった。

 久世は少しの間、それを見ていた。

 

 机へ戻り、綴りを鞄へしまった。

 父に送る書類は、別にした。

 

     *

 

「足、まだ痛い?」

 

 硝子が訊くと、美々子は夏油を見た。

 

「さっきは、歩けていたけど」

「お前に聞いてない」

 

 夏油は口を閉じた。

 

 硝子は、美々子へ顔を戻した。

 

「歩けても、痛いことはあるから。どう?」

 

 美々子は、自分の足の指を動かした。

 

「……痛くない」

「分かった。菜々子は?」

 

 菜々子も、足を動かした。

 痛くないと言った。

 

「じゃ、今日は終わり」

 

 二人が椅子から下りた。

 夏油も立とうとしたところで、硝子に止められた。

 

「お前は、まだ」

 

 夏油は硝子を見た。

 菜々子が、下りかけた椅子へ戻った。

 

「怪我したの」

「いや、私は」

「してなくても、具合は聞く」

 

 硝子は机の椅子を寄せた。

 

「飯は」

「食べたよ」

「どのくらい」

 

 夏油は、少し考えた。

 菜々子が、茶碗の半分くらいを手で示した。

 

「……見ていたのかい」

 

 菜々子は答えず、隣の美々子を見た。

 

「おかずも残した」

 

 美々子が小さく付け加えた。

 

 硝子は夏油を見た。

 

「何」

「いや」

「気持ち悪い?」

 

 夏油は、今度は答えを選んだ。

 

「食べ始めると、もういいと思う」

「いつから」

 

 はっきりとは思い出せなかった。

 夏になってから。もっと前だったかもしれない。

 任務の行き先なら、手帳を開けば分かった。食事をどれだけ残したかは、どこにも書いていなかった。

 

「……しばらく前から」

 

 硝子は、それでは分からないとは言わなかった。

 睡眠のことを訊いた。

 夏油は答えた。答えられないところは、そう言った。

 

 終わった頃には、窓の外の色が変わっていた。

 

「夜蛾んとこ、この後?」

「うん」

「この子ら、ここにいてもらってもいいよ」

 

 夏油は二人を見た。

 

「先生と話してくる。その間、ここで待っていられるかい」

 

 菜々子が、医務室の扉を見た。

 

「遠い?」

「同じ建物。終わったら迎えに来る」

 

 二人は、少しだけ顔を寄せた。

 やがて菜々子が頷いた。

 

「……うん」

 

 夏油は立ち上がった。

 硝子へ礼を言おうとして、その前に別の言葉が出た。

 

「村のこと、聞いた?」

「昨日」

 

 硝子は答えた。

 夏油は、椅子の背に手を置いたまま動かなかった。

 

「何か、言いたい?」

 

 訊かれて、夏油は口を開きかけた。

 二人の子供が、すぐ横にいた。

 

「……後で」

「じゃ、後で」

 

 硝子はそれ以上、聞かなかった。

 

     *

 

 久世が医務室を訪ねたのは、子供たちを夏油に返した後だった。

 

 硝子は、椅子に背を預けていた。

 机の上には、五条の持ってきた菓子の箱があった。ひとつだけ、包みが開いていた。

 

「帰るの?」

「その前に、君に会いたくて」

「で、用件は」

 

 久世は鞄に掛けた手を止めた。

 

「……分かる?」

「分かるだろ」

 

 久世は紙を一枚取り出した。

 硝子は受け取り、目を通した。

 

「術師の心理的な負担、ね」

「そういう問題として、今回の報告を出したい」

「夏油は?」

「夜蛾先生と話して、しばらく任務を止めることになった。報告の内容については、明日、僕からも確かめる」

 

 硝子は、紙を机に置いた。

 

「これ、よくなったかどうか、後から聞かれるよ」

「うん」

「誰に答えさせるつもり」

 

 久世は椅子を見た。

 硝子が足で少し押し出したので、そこへ座った。

 

「そのときの状態を、君にも聞くことにはなると思う」

「私、どっちかと言うと外科なんだけど」

「知ってるよ」

 

 久世は菓子の包みを折った。

 

「でも、勉強してるのも知ってる」

「……はぁ」

 

 硝子は資料を机の端へ寄せた。

 

「五条、何だって?」

「来週、一緒に話をしに行ってくれる」

「上の連中と?」

「任務に口を出していたところへ」

「ふうん」

 

 硝子は、椅子に座り直した。

 

「喧嘩しなかった?」

「どうだろう」

「分かんないのかよ」

 

 久世は、僅かに口元を緩めた。

 

「僕は仲良くしたいんだけどな」

「雅臣が言うと別の意味に聞こえる」

「心外だな」

「自業自得でしょ」

 

 久世は返事をしなかった。

 硝子は、それを待たずに箱を寄せた。

 

「食べる?」

「五条君の?」

「土産」

 

 久世はひとつ取った。

 包みを開ける間だけ、部屋が静かになった。

 

「硝子ちゃん」

「何」

「君に会いたかったのは、本当だよ」

「別に疑ってないけど」

 

 久世は硝子を見て笑った。

 硝子も顔を上げた。

 

「可愛いよね。硝子ちゃん」

「……煩い」

 

 菓子を食べた。

 思っていたより甘かった。

 

「最近、仕事の話しすぎ」

「最近?」

 

 久世が眉を上げた。

 

「そう?」

「多い」

 

 久世は、少し考えた。

 

「君は退屈?」

「時々」

 

 久世は笑った。困ったような、短い笑いだった。

 

「それは、先に教えてほしかったな」

「顔には出してたつもりだけど」

 

 久世は硝子の顔を見た。

 見られた硝子が、何だよ、と言った。

 

「今は?」

「今、仕事の話してないだろ」

 

 久世は口を閉じた。

 それから、もうひとつ取っていいかと聞いた。

 硝子は箱を押した。

 

     *

 

 寮へ戻ると、五条が廊下の窓を開けていた。

 

「暑っ。ここ、風通んねえな」

 

 夏油は足を止めた。

 

「まだいたのかい」

「俺の寮でもあるんですけど」

「そういう意味じゃないよ」

 

 五条が振り返った。

 夏油の後ろから、菜々子が顔を出した。美々子はその後ろにいた。

 

「あ、戻ってきた」

 

 菜々子が言った。

 五条が、自分を指した。

 

「俺?」

 

 菜々子は頷いた。

 

「さっき、いなかった」

「ちょっと用事」

 

 それ以上は聞かれなかった。

 二人は夏油の横を通って、和室へ入った。菜々子が襖を動かし、美々子が畳の上に座った。

 

 夏油は鞄を置いた。

 

「夜蛾、何だって?」

「しばらく、任務はなしだ。学校にいるように言われた」

「ふうん」

 

 五条は窓枠に肘を置いた。

 

「それで?」

 

 夏油は、何を聞かれているのか考えた。

 

「……明日、行かなくていいと聞いて、ほっとした」

 

 五条は、すぐには何も言わなかった。

 

「なら、明日は寝てろよ」

「二人のこともある」

「硝子も夜蛾もいんじゃん」

 

 夏油は和室を見た。

 菜々子は、開いた窓の方を見ていた。美々子が何か言うと、そちらへ顔を戻した。

 

「……そうだね」

 

 五条が窓枠から肘を離した。

 

「俺、明日、朝から出る」

「うん」

「夜には戻る予定」

 

 夏油は五条を見た。

 

「さっきの話」

「うん」

「終わったつもり、ねえから」

 

 五条は、少し眉を寄せた。

 

「まだ、分かんねえし」

 

 夏油は敷居へ目を落とした。

 何を話せば分かってもらえるのか、自分にも分からなかった。

 それでも、もう話さない方がいいとは思わなかった。

 

「……うん」

 

 五条はそれ以上言わず、自分の部屋の方へ歩き出した。

 

 部屋へ入ると、美々子が顔を上げた。

 菜々子が、もう一組の布団を少し引いていた。二つの間が離れているのが、気になるらしかった。

 

「動かしてもいいよ」

 

 言うと、菜々子は布団の端を持ち直した。

 夏油も反対側を持った。

 

 鞄から、携帯の音がした。

 五条からだった。

 

『飲み物なくなった。明日買っといて』

 

 夏油は画面を見た。

 しばらくして、親指を動かした。

 

『自分で買えばいいだろう』

 

 送って、携帯を置いた。

 また音がしたが、菜々子が布団を引き始めたので、そちらを先に持った。

 

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