直哉は、部屋へ入ってすぐ足を止めた。
五条悟がいた。
座卓の向こうで片膝を立て、菓子の包みを開けている。こちらを見て、口の端を上げた。
「あぁ、来たね」
久世雅臣は、窓際で電話を終えたところだった。
「急に呼んで悪いね」
「……悟君もいるとは聞いてへんけど」
「言ってないからね。座って」
直哉は、久世の顔を見た。
愛想のいい顔をしている。家を継いでからも、そこだけは変わらない。
「ええ話なんやろな」
「君にも得はあると思うよ」
答えになっていない。
それでも、聞く価値はある。久世はそういう奴だったから、直哉は座った。
久世が鞄から出したのは、薄い紙の束だった。
「さて。呪術界上層部へクーデターをしようか」
五条の手が、次の菓子へ伸びた。
「やっと?」
「それだけ根深いんだよ。君には説明しただろう」
「それ何年も前じゃん」
「うん。長かった」
直哉は紙を取った。
一枚目に、三十人を超える名前が並んでいた。
いずれも知っている。そのうち二人とは、よく顔を合わせていた。
「これ、全員?」
「殺すつもり」
久世は茶を注いだ。
「その下は、空いたところを埋める人たち。役職をそのまま渡す人と、仕事だけ分けて渡す人がいる。禪院家に関係するのは三枚目から」
直哉は読み進めた。
二枚目にいた男を、指で叩く。
「こいつの親も殺そや」
「ダメ。仕事ができる。埋める人が足りない」
「人売っとるで」
「知ってる。取引を保証してるのが、一枚目の上から三番目」
直哉は紙を一枚戻した。
「こっちを消して、取引は止める。仕入れ先と保管場所は、他が回りだした後、口を割らせる」
「また同じことしたら?」
「その時は、僕が見逃したルートが残ってたってことだね。 呪術規定に則って正面から捌こう。今度は庇う人がいない」
「混乱中にやったらどうすんの」
五条が言った。
口の中の菓子を飲み込み、紙を横から引いた。
「あいつそんな行儀良くねぇよ」
「そこに人を割く余裕は無い。確率も低いと見てるけど、動かれたらしばらくは放置かな」
「殺せばよくね?」
久世は二枚目を見た。
「……直哉はどう思う」
「俺は嫌いや、そいつ」
「仕事はできる人なんだけどなぁ……。代わり、今から探すことになるよ」
「探せば?」
「……分かった。条件付きで対象に入れる」
ペンを出して、余白に書き足した。
"親も追加。条件あり。代替の作成可否"
五条は、その手元を見てから紙を返した。
「で、俺の担当これ?」
「受けてくれるなら」
「やるよ。上、ずっと鬱陶しかったし」
直哉は三枚目を開いた。
禪院家の外で、誰が誰に金を渡し、家中のどの顔を立てているのか。久世がどこまで掴んでいるのか、二行目まで読んだところで分かった。
「……よう調べたな」
「家の仕事で会う人は多いから」
「親父は?」
「殺さない。君のお父上がいなくなったら、今の君は家の中だけで手一杯になるだろう」
直哉が目を上げると、久世は笑った。
「早めに代替わりできるようにはする。呪術界全体。次の当主には君がなれよ。その前提で計画立ててるんだ」
「元から俺や。雅臣君に決めてもらわんでも」
「頼もしいね」
直哉は、もう一度三枚目を見た。
久世はその中の二つの名を指した。
「この二人には死んでもらう。君が何か始めるたびに、扇様へご注進に行く人たちだ」
「扇くんも死んだら、もっと早いやん」
「戦力が減る」
「俺がおるやろ」
「君に、扇様が今受けている任務を全部回してもいいなら」
直哉は鼻で笑った。
「いらんわ。働かしとき」
久世の指が紙から離れた。
「これ、親父に持っていってもええの」
「その紙はいい。最初の二枚は置いていって」
「先に全部喋ったら、どないする?」
「お父上は君より有利な条件を取りに来るだろうね。君を間に挟む必要もなくなる」
直哉は鼻で笑った。
「性格悪いわ」
「君と話が合うからね」
五条が、紙を卓へ投げた。
「ねえ。やっぱ全員でよくない?」
久世が五条を見た。
「上の連中なんて全員腐ってんじゃん。残したってまた面倒なことするだろ。まとめていなくなった方が早いって」
久世はすぐには答えなかった。
「……君はずっとそれだね」
紙を手繰り寄せ、裏返し、空いたところに何かを書いた。
「やりたいならいいよ。総監部所属は皆殺しってとこかな」
直哉は五条の顔を見た。
五条も、少しだけ眉を上げていた。
「いいんだ」
「ただ、現場の混乱は今の計画の比じゃない。助けられたかもしれない人間が大勢死ぬのは見積もりに入る」
紙に書かれたのは呪術師、補助監督、日本の人口。その推移予測だった。
「僕は構わない。まっさらな所から道を引いた方が綺麗なのは確かだ」
久世は五条へと書いた紙を寄せる。
「君がやりたい方で構わないよ。力を持っているのは君だからね」
「何それ。力持ってんの俺だから、俺が決めていいって?」
久世が答える前に、紙を指で押す。
「お前が何年も調べたんだろ。誰残して誰外すか決めたのもお前じゃん」
「僕は君に力では勝てないからね。だからこうやって何年も積み上げてきた」
「僕がやりたいことと、君がしたい事は別でいい。そのうえで僕はこれがいいと君に打診してる。君がへそを曲げて全て投げ出すよりは皆殺しの方が僕は動けるからね」
「誰がへそ曲げんだよ」
「悟くんしかおらんやん」
五条は直哉の声で顔を顰めた。
久世はそれを見て、声を軽くして笑った。
「選んでくれ。何を選んだからと言って、すべての責任が君にある訳じゃないよ」
「……久世は、その三十人で足りると思ってんだな」
「足りるように四年かけた」
五条は資料を投げ出して、後ろへと倒れ込んだ。
「じゃ、それでいい。全員やるとか、考える方がもうめんどくせぇ……」
久世はペンを止めた。
「うん。その方が僕は助かる」
「雅臣くん、悟くんの扱い雑すぎるやろ」
「丁寧に扱うと調子に乗る」
「もう乗っとるやん」
五条が「聞こえてるんだけど」と言ったが、誰も謝らなかった。
「で、もう一人の特級は使わへんの?お友達やろ?」
直哉の問いに、久世は目を上げた。
「あの子は考えすぎるからね。全部自分のせいだと抱え込まれても困るんだ。殺さないと済まない話には、できれば巻き込みたくないね」
「傑が聞いたら嫌な顔するよ、それ」
「そうかもしれないね」
久世は少し苦笑した。
「別のことを頼むつもりだよ。腹いせにでも、狙われたら困る人もいるから。東京校に集まって貰って、そっちの守りを」
「そっちはもう話したん?」
「まだ」
直哉は呆れた。
「断られたらどないすんねん」
「君に頼んでみようかな」
「嫌やわ。何が悲しゅうて、足手まといのお守りせなあかんの」
「そうだよね」
久世は、五条へ向き直った。
「その場合、君には――」
「傑に聞いてからでよくない?」
「そうしよう」
「お前は何すんねん」
直哉が聞くと、雅臣は書類をまとめた。
「僕はちょっと天元様とお話してくるよ」
「は?」
「五条くんと直哉がいるなら、僕はいらないと思うしね」
「いやいるやろ。首謀者やぞ」
「首謀者が前線にいる必要はない。邪魔だし」
「自覚あるんかい」
五条が起き上がった。
「天元様って、会えんの?」
「普通なら無理だよ」
「じゃあ?」
「普通じゃない手続きを踏む」
「それ、違法って言わない?」
「裏道の多い正当な手続きだよ」
直哉は額を押さえた。
こいつはいつもそうだ。真っ黒なことを、白い紙に包んで差し出す。しかも包み方が上手いので、受け取った側が気づく頃には判子まで押している。
「申請は通ったんだ。正確には、まだご本人に会えると決まったわけじゃないけど」
「君たちが卒業して四年も経つのに、あの同化失敗の後始末を、誰もちゃんと説明できないんだよ」
久世は書類を揃えた。
「上を替えてから、根幹がもう使えませんでした、じゃ困るだろう。硝子ちゃんも連れていきたい」
「女連れで神頼みかいな」
直哉が言うと、久世が顔を向けた。
「家入さん、ね」
「いつ会えるん」
「僕の当主会の日に、顔は見ただろ」
「近づけさせへんかったの誰やねん」
五条が笑った。
久世は否定もせず、一枚目を自分の前へ戻した。
*
硝子の部屋に着いた時、久世は夕飯を済ませていた。
硝子はまだだった。
「何か食べる?」
「冷蔵庫にあるやつ温めて」
久世が台所へ行った。
硝子はソファに座り、煙草に火をつけた。
「何日いるの」
「明後日には京都に戻ると思う」
「思う、ね」
「明日の夜に、ちょっと大きな用事があるから」
「何すんの」
電子レンジが動き始めた。
その音に紛れる程度の声で、久世が言った。
「人事異動かな」
硝子は煙を吐いた。
「面倒くさそ」
「硝子ちゃん、全部それでまとめないでよ」
「何人?」
「予定では三十人くらいご退席していただくよ」
「……へぇ。五条も関わるの?」
「五条君と直哉」
「雅臣の友達だっけ」
「うん」
久世が戻ってきて、隣に座った。
「それで、明日の夜、僕と一緒に天元様のところへ来て欲しい」
「何で」
「同化に失敗してからのお身体を確認したい。僕一人じゃ、見ても分からないことが多いから。医者として、君の意見を聞きたい。反転術式で直せるかどうかも」
硝子は煙草を灰皿の上へ動かした。
「連れてくと安全だから、も入ってる?」
「少しはね」
「正直じゃん」
久世が、硝子の手を見た。
「それ、貰っていい?」
「今そういう話してないだろ」
「うん」
それでも視線が残っていたので、硝子はもう一口吸ってから渡した。
自分で買ってきた箱が、すぐそこにある。何年経っても、こいつはこれを欲しがる。
「怪我人が出たら?」
「硝子ちゃんが優先したいなら止めないよ。でも、僕は来て欲しいと思ってる」
「私が行かないって言ったら?」
「東京校にいてくれると助かる。夏油君にも頼むつもり」
「まだ頼んでないのかよ」
久世は小さく笑い、煙草を口元へ運んだ。
一度吸って、ゆっくり息を吐いた。
「……行くよ」
硝子は言った。
「ただ、千年生きてるのが本当なら、人間の器官そのままなわけ?見ても何も分かんなかったらどうすんの」
「それならそれでいい。専門家が見たままの意見が欲しいんだ」
「あと、戻れって連絡が来たら戻る。お前の話が途中でも」
「分かった」
電子レンジが鳴った。
久世が立ちかけたところで、硝子は煙草を取り返した。