家入さんのところへ帰りたい   作:an-ryuka

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22.最終話

 

 あの夜から、また数年が経った。

 

「来週の木曜には、京都へ戻ります」

 

 東京の事務所で、久世雅臣は電話を耳に当てていた。

 相手は、京都の本邸にいる父だった。

 

「午前中に工房を見て、午後は京都校へ。実習用の封具を替えるので、庵先生と確認を」

『泊まっていくのか』

「いえ。その日のうちに帰ります」

『家に戻るのに、日帰りとはな』

「家には毎日帰っていますよ」

 

 父が鼻で笑った。

 硝子と東京で暮らし始めて、もう何年も経つ。同じ話は何度かしたが、そのたびに久世の答えは変わらなかった。

 

 久世家の本邸も、呪物を保管する蔵も、封具を作る工房も、京都に残っている。日々の管理は父や叔母、古くからの職人たちに任せた。

 当主の久世が東京にいても、注文のたびに電話を待つ必要はない。

 

 呪霊の存在を世間にじわじわと浸透させていた。心霊の存在、お守り、そういった名前で一般人向けの呪具をばらまいた後に、本物を公共機関へと混ぜていった。

 呪術界が隠し続けていた技術を、非呪術師が使うための会社を作り、手の足りない仕事はほかの家と組んだ。研究に金を出す組織も設けた。

 

 今の久世は、それらの事業に人と金を振り分け、新しい仕事を始める時には、取引先と条件を決める。

 そのための東京事務所には、京都の本邸にいた頃より、よほど多くの人間が来るようになった。

 

 電話を切ったところで、扉が開いた。

 

「やあ。今日はこっちだと聞いてね」

 

 九十九由基が、厚い封筒を持って立っていた。

 

     *

 

「九十九さん」

「何かな」

「これ、何ですか」

「船」

「読めば分かります」

 

 机の上には、海外の領収書が並んでいた。

 渡航費、宿泊費、調査用の機材。そこまでは、出発前に聞いていた。

 船一隻を借り切る費用は、聞いていない。

 

 九十九は向かいへ腰を下ろした。

 

「その島でしか採れない試料があったんだよ。次の定期便を待ってたら、観測したい時期が終わる」

「必要だったのは分かってるんですよ」

「ならいいじゃないか」

「なぜ連絡をしないんですか」

「したよ」

 

 久世は携帯を出した。

 該当するやり取りは、すぐに見つかった。

 

『少し寄り道する。戻るのが遅れるよ』

 

「このどこに船の話が?」

「海の向こうだとは思わなかった?」

「思いません」

 

 九十九が笑った。

 

 呪霊を生まなくするための研究には、今も久世が金を出している。成果がいつ出るか分からない研究を、目先の売り上げだけで判断されたくなかったので、そこは自分の手元に残した。

 金の計算や振り込みをする者は別にいる。しかし、九十九から予定と報告を聞き出し、追加の支出を認める役は、なかなか代わりが見つからなかった。

 

「せめて借りる前に、額だけでも送ってください」

「断った?」

「断りません」

「だろう?」

「僕が同じことをして、九十九さんに払ってもらうことになったら?」

「私は逃げるね」

 

 久世は黙った。

 九十九は楽しそうに、鞄から小さな箱を取り出した。

 

「で、こっちが船の成果」

 

 中には石片が並んでいた。採取した場所と時刻が、一つずつ添えてある。

 人の住む側と、住んでいない側。同じ島で採った石なのに、後から込めた呪力の残り方が違うという。

 

「半日経つと、こっちだけ薄くなる。もう一度込めても同じだった」

「抜けた分は、どこへ?」

「それを調べたい。周りへ漏れてるだけなら、あまり嬉しくないね」

「ほかの条件は揃えたんですか」

「まず、これを見て」

 

 九十九が記録を広げる。

 久世は領収書を脇へ寄せ、椅子を引き寄せた。

 五分ほど説明を聞いた後で、顔を上げる。

 

「次の調査は、いつからですか」

「来月。今度は島で採った直後から調べたい」

「機材も増えますね」

「そうなんだよ」

 

 久世は予定表へ手を伸ばしかけ、止めた。

 九十九が笑っていた。

 

「……今日は、その費用も決めてから帰ってください」

「話が早くて助かるよ」

「早く済ませたいんです」

 

 誰か代わってくれないだろうか。

 頭の中で何人か並べ、久世は小さく息を吐いた。研究を止めずにこの人へ文句を言い続ける役は、たぶん自分が一番向いている。

 

「それと、今回の報告書を」

「今、説明したじゃないか」

「書いてください」

 

 机の端へ、紙とペンを置いた。

 

     *

 

 午後、七海が持ってきたのは、眼鏡の修理を頼む契約書だった。

 

 非呪術師の人にも呪霊が見える眼鏡。

 久世家や禪院家が共同で金を出し、禪院側の会社が製作と販売を担当している。久世側は、呪力を保つための部品を納めていた。

 ただ、蝶番やフレームの修理まで術師がやる必要はない。そこは一般の眼鏡会社へ頼むことになっていた。

 

「この条件では、修理会社の社員が休日まで呼び出されます」

 

 七海が、赤線の引かれた箇所を示した。

 

「緊急時は速やかに対応すること。……また?」

「またです。試験販売の段階で、日曜日に修理の依頼が来たそうです」

「何が壊れたの」

「鼻に当たる部品が取れた、と」

「それで緊急?」

「販売担当者は、客が困っているのだから緊急だと言っています」

 

 久世は契約書を引き寄せた。

 

 一般企業へ勤めた後、呪術師へ戻ってきた七海には、こうした取引の点検も頼んでいる。

 術師なら呼べば来る。来なければ次の仕事を減らす。その感覚で外の会社と付き合おうとする者は、まだいた。

 それで揉めてから久世へ話が来るより、先に七海に見てもらう方がいい。

 

「休日の修理は受け付けない。販売店で代わりの品を貸せば済むよね」

「そのための在庫が必要です」

「販売費から出してもらおう」

「禪院さんには、すでにお伝えしました」

 

 携帯が鳴った。

 画面に出た名前を見て、久世は七海へ目を向けた。

 七海は、どうぞ、と頷いた。

 

『雅臣君、またうちに面倒なん回してきたやろ』

「予備の眼鏡を用意する話?」

『それもや。毎日よう分からん電話ばっかり来るんやで。見えすぎて気持ち悪いから返品したい言う奴までおる』

「見える眼鏡を、何だと思って買ったんだろうね」

『知らんわ。お前んとこで聞いたれや』

「元締めやりたいって言ったの君だろう」

「儲かる話だけ言うたんや」

「責任もセットだよ」

 

 電話の向こうで、直哉が舌打ちした。

 

『ほな、受付に人増やす。その分、こっちの取り分も増やすで』

「費用を出して。ほかに出資している家にも見せる」

『そっちはお前が話しといてや』

「金額を見てからね」

 

 禪院家は久世家の部下ではない。利益が少なければ条件を変えろと言うし、納得しなければ仕事を引き受けない。

 久世も、頼まれた額をそのまま出すつもりはなかった。

 結局、受付を共同で設ける案と、禪院側だけで人を雇う案の、両方を比べることになった。

 

『いつ京都来るんや』

「来週の木曜。京都校の後なら寄れるよ」

『親父もお前に話ある言うとったわ。飯食ってけや』

「遅くならなければ」

『また東京帰るんか。こっちにも家あるやろ』

「あるよ。君も泊まりに来たことがあるだろう」

『女のとこ帰りたいだけやん』

「うん」

 

 向こうが黙った。

 

「何か?」

『……別に。ほな木曜な』

 

 電話が切れた。

 久世は契約書へ目を戻した。

 

「予備の品で対応する方針は、これでいいかな」

「はい。あとは、この納期です」

 

 七海が次の頁を開いた。

 

「こちらは、先輩の会社が出した条件ですね」

「……そこも?」

「連休が考慮されていません」

 

 久世はカレンダーを見た。

 呪術界の中だけで仕事をしていた頃は、あまり気にしなかった赤い数字が並んでいた。

 

     *

 

 夕方、久世は東京校へ車を回した。

 夏油に渡す見学会の案内と、仕事を終えた硝子を迎える用事があった。

 

 校舎へ入る前に、見慣れた白い頭が窓から出た。

 

「先輩。硝子、もう帰ったよ」

「……もう?」

「遅いから先帰るって」

 

 携帯を見ると、確かに連絡が来ていた。

 その下には、牛乳を買ったから買うな、とある。

 

「振られてんじゃん」

「同じところへ帰るんだよ」

「はいはい。あ、これもらった」

 

 五条が菓子の箱を持ち上げた。

 先週、硝子へ渡したものだった。

 

「それは君にあげたんじゃないんだけど」

「硝子が、持ってけって」

「ならいいよ」

 

 五条は今も特級術師として現場へ出ながら、ここで教師をしている。

 忙しさに波はあるが、何でもかんでも五条へ投げるしかなかった頃よりは、随分ましになった。

 

 市販のお守りで防げる程度の呪霊なら、普通の人でも対処できる。眼鏡と呪具を使えば、非呪術師でも対応できる幅は増えた。警察には早々に、呪霊対策用の呪具契約を結んでいた。

 それで済まないものに、訓練を受けた術師が出る。

 ここまで持ってくるのに、何年もかかった。

 

 段階を踏んで呪霊の存在を公にしても、恐怖からかえって被害が増えた時期はあった。

 当時の判断を、今も責める人はいる。

 

 羂索を追っていた数年間には、久世たちの事業そのものを敵に利用されかけた。五条や夏油とようやく片をつけた後も、計画は何度もやり直した。まだ完全には終わっていない。

 

 呪霊がいなくなったわけでもない。

 それでも、見える子供を見つけた時、どこへ相談すればいいかは、普通の学校の教師にも伝わるようになった。

 

「先輩、お待ちしていました」

 

 その相談を受けて、子供たちのところへ出向いている夏油が、廊下へ出てきた。

 親や学校と話し、必要なら保護し、高専を含めた受け入れ先を探す。呪霊を祓う以外にも、夏油の仕事は増えていた。

 

「案内、持ってきたよ」

「ありがとうございます。ただ、一箇所変えようと思っています」

 

 夏油は渡された紙を開き、見学後の予定を指した。

 

「この、当日に進路希望を提出するという部分です」

「寮や実習の人数は、早めに決まった方がいいだろう?」

「そのために、来るのをやめようとしている子がいます」

 

 久世は紙へ目を落とした。

 

 呪術高専へと来る子供が増えた。自分の呪力を扱う練習をする。その一環で呪具に呪力を込め、向いていれば製作の仕事へ進むこともできる。討伐へ進むのは、適性と本人の意思を確かめてからだった。

 見学会では、その両方を見せる予定になっている。

 

「その子には、戦わなくてもいいとは伝えた?」

「ええ。ですが、仕事もまだ選びたくないそうです」

「希望を出したからといって、必ずそこへ行かせるわけじゃないよ」

「私たちはそう分かっています。その子には、ここへ来たら決めなければ帰れないように見えるんですよ」

 

 窓際で、五条が菓子を噛んだ。

 

「見学なんだから、見て帰ればよくない?」

「そうしてもらいたいんだよ。私も」

 

 夏油は久世を見ていた。

 久世は、ペンを出した。

 

「……返事は帰ってから。次の募集に回ってもいい。その間、呪力の扱いだけ習いに来ることもできる。これなら?」

「いいと思います。継続して教える人員は、私から夜蛾先生に相談します」

「その実習に使う封具は、こちらで余分に用意するよ。京都校でも同じ相談が出るだろうから、庵先生にも話しておく」

 

 受け入れを決め、教えるのは学校だ。

 久世が引き受けるのは、両校で必要になる道具の手配と、その費用を出す家や会社との調整だった。高専で制御を学んだ者に、将来仕事を頼みたい家は多い。

 

「君、昔より遠慮なく言うようになったね」

「言わないと、そのまま決まってしまいますから」

 

 夏油は、直された案内を受け取った。

 五条が隣から覗き込む。

 

「これ、僕も何かやる?」

「当日は生徒の相手をしてくれ。壊さない範囲で」

「何を?」

「全部」

 

 久世が笑ったところで、携帯が震えた。

 

『飯、先に食うぞ』

 

 硝子だった。

 久世はすぐに、帰る、と打った。

 

     *

 

 玄関の鍵が回る音を聞いて、硝子は鍋の火を弱めた。

 

「ただいま」

「遅かったな」

「高専までは行ったんだよ」

「五条から聞いた」

 

 鞄を置きかけた久世が、顔を上げる。

 

「何を?」

「振られて帰ったって」

「それは僕も寂しかったんだけど?」

 

 東京に借りた二人の家は、高専から車で三十分ほどの場所にあった。

 京都の本邸ほど広くないし、食事を用意してくれる人もいない。先に帰った方が何か作るか、二人とも遅ければ買って済ませる。

 久世は引っ越してきた頃、勝手に食器の位置を変えて怒られた。それ以来、台所で何かを動かす時は、硝子に聞くようになっている。

 

 久世は上着を掛け、そのまま冷蔵庫を開けた。

 見慣れない容器を見つける。

 

「これ何?」

「駅で買った。雅臣好きそうだろ」

「うん。好き」

 

 蓋を開けて、そのまま一つ摘まんだ。

 

「皿、出しなよ」

「後でいい」

 

 硝子はソファーに座ったまま、その横顔を見ていた。

 

 久世はもう一つ摘まみ、容器を冷蔵庫へ戻した。

 

「風呂、先入れば。沸かすの面倒ならシャワーで」

「……先に、ちょっとだけ」

 

 硝子が久世を見た。

 久世は硝子へと腕を伸ばした。

 

 背中に手を回すと、硝子は吸っていた煙草を灰皿へ置いた。

 

「仕事は?」

「明日は休み」

「そう」

 

 硝子の手が背中へ回った。

 久世は、ようやく肩から力を抜いた。

 

 しばらくして、硝子が言った。

 

「ちょっとだけって、何分?」

「もう少し」

「お前のそれ長いんだよ」

 

 久世は顔を上げた。

 硝子が何か言いかける前に、頬へ短く唇を寄せた。

 

「……そういう誤魔化し方すんな」

「嫌だった?」

「風呂入れ」

 

 背中を一度叩かれた。

 久世は笑って手を離した。

 

 硝子の吸いかけに手を伸ばし、そのまま流れるように吸いきった。揉み消すと、硝子へと振り返る。

 

「ねぇ、硝子ちゃん」

「ん?」

「……僕と結婚してくれる?」

 

 久世は硝子を見ていた。

 さっきまで笑っていた口元が、今は閉じている。返事を待っているらしかった。

 

「……まだしてなかったっけ」

 久世が、ゆっくり瞬きをした。

 

「してないよ」

「そっか」

「うん」

 

 久世が黙った。

 

「いいよ。結婚しても」

 

 久世の口元が緩む。何か言おうとしたようだったが、その前に抱き寄せられた。

 

「……ちょっと、強い」

「ごめん」

 

 腕は緩まなかった。

 

 背中へ手が回り、肩口に顔を伏せられる。

 

「久世家の方は、僕から——」

「今、実務の話したらやめるぞ」

「やめないで」

 

 硝子は肩に乗った頭を一度撫でた。

 

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