その日は、書類の山を三つに分けるところから一日が始まった。
昨日、何気なく通りがかった時に書類がたまっているのが見えていた。
ギルドマスターと補佐が席を外しているせいで、仕事が溜まっているのだろう。明日まで残っていたら私がやろうと思っていたので、私は席に座りながら内容を見て確認していく。
どうせ、大切な内容はギルドの運営会議で聞くのだし今の内から知っていて損はないはずだ。それに昔はこういった仕事も手伝わされたものだ。
「イズナ様、そちらは私どもでやりますので」
仕訳を行っているとギルド職員から声を掛けられる。そして手紙の束を持っていかれた。
「まだ半分も見てないけど」
「お手を煩わせるほどのものではありませんから」
そう言うと彼は後ろへと下がっていく。
昔は散々手伝わされたのだが……彼が知っていないのも無理はない。
午後からは運営会議が行われた。
「北の街道の件ですが、討伐隊の編成をどうするかで割れております」
「人を集めるしかないでしょう。巣ごと潰すにはそれなりにいるわ」
「数はどれくらいがよろしいでしょうか」
「え?まぁ30人はいれば大丈夫でしょうけど」
「ではそのように」
私が言った通りに決まる。
反対が出ないのは私の案が正しいからではない。私が言ったからだ。前はこう簡単には決まらなかった。頭の固い会計係が食ってかかってきて二時間揉めて、結局折衷案に落ちるなんて茶飯事だ。あれは面倒だったが嫌いじゃなかった。
その会計係はもういない。彼女が亡くなったのももう60年も前か。
会議のあと、北の街道の紙を受け取ろうとしたらまた止められた。
「こちらで人を集めますので」
「私が行くと駄目なの」
「駄目ということは決してございません。ただ、イズナ様がお出になるような案件では」
ワイバーンの群れは、そこそこ危ない。冒険者が亡くなることも珍しくはない案件だ。それでいて面倒なのでA級冒険者は受けたがらず、経験の浅いB級が受けがちだった。
結局、自分で名前を書いて提出する。受付の子は困った顔をしていたが受理してくれた。
今のギルドマスターに変わってから、つまり二十年くらい前からずっとこうだ。
それより前はもう少し文句も言われたし、もう少し雑に扱われた。それでもあの頃の方が居心地は良かった。
これもしょうがないことかもしれない。私がSSS級になり神格化が強くなったのは50年近く前。今の子達は冒険者の私をほとんど知らないのだろう。
受付の子が紙を持ってきたのを見て私は声をかけた。どうやら地方のギルドマスターからの推薦状らしい。
地方からの移籍で、等級の据え置きを求めているみたいだった。
アナンタ。ギルドマスターの名前は変わったみたいだが判は覚えている。問題ないはずだ。
「本物よ。等級は据え置きでいいわ」
「ありがとうございます。お手を煩わせてしまい申し訳ございません」
「ギルドマスターがいないもの。むしろ私の仕事みたいなものよ」
「いえいえ。イズナ様は冒険者ですので、本来我々の業務をしていただくのは恐れ多いです」
昔は都合のいいとき冒険者扱いされたのだが、今ではすっかり私の都合を気にされていた。
○
件の冒険者と組むことになったのは二日後だった。
邪魔をしないよう部屋の端に立っていたら、まっすぐ歩いてきて組んでくれと言われた。周りが止めようとしたので私が止める。私も冒険者だ。ルールの上では彼が正しい。
それに、久しぶりだった。こうやってチームに誘われるのは。
馬車の中で喋ってみて、分かったことがいくつかある。
B級冒険者、コルムはとても良い子だ。
とても謙虚だ。何といったって、自分一人ではこの等級になっていない、と初対面の相手に先に言った。普通の若い冒険者は強く見せようと逆を言いがちだ。
それに自分が褒められる以上に、彼の師匠が褒められるのが嬉しいみたいだった。
「その師匠さんは、王都には来ないの」
「来ないと思います。アナンタのギルドが回らなくなるので」
「あら。そんなに」
「昔からいる人なんで、みんな師匠に聞きに行くんですよ。俺も最初そうでした」
正直で気持ちのいい子というのは実のところかなり珍しい。冒険者は仕事の内容上、粗雑な人が多い職業だ。また、指名を受けるために多少の嘘を言うのは良くあることだし、正直者は損をする世界でもある。それでも彼のような人物がいないわけではないが、たいていはパーティのリーダーをやっている。人が寄ってくるからだ。
なのにこの子はソロだった。おそらくその師匠とやらに大切に育てられたのだろう。
下手なパーティを組ませるより、自分で面倒を見た方が育つと踏んだのだ。リーダーをしていると他のパーティのリーダーと組んで擦れていく人も珍しくない。
彼の師匠はそれを嫌ったのかもしれない。
そう思えるくらいにはコルムは純粋で元気な若者だった。
○
崖から影が落ちてきたので私が落とすつもりだった。
「じゃ、落としてきます」
言い終わる前にいなくなっていた。
崖を蹴って駆け上がっていく。バフを三つ乗せたとはいえ、あの脚の運びは魔法の分ではない。落ちてくるのを待たずに上を取りに行った。顔を蹴られたワイバーンが体勢を崩して落ちる。あの子はもう下に降りていて、落ちてくる場所で待っていた。
剣の振り方に無駄がない。習った形というより、体が先に覚えた形だ。それ故に判断が速い。
「あ、二匹目来ました。行ってきます!」
考えるより先に体が動くタイプなのだろう。
こういう戦闘センスは才能の領域だ。この年でB級になれるのも頷ける実力だった。
○
「イズナさん!ハイタッチ!」
彼とハイタッチをして私は少し笑みがこぼれる。
この子は私の手を叩くのに何の断りも入れなかった。触れる前に伺いを立てられないなんて、いつぶりだろう。
……そうだ。昔はこういうことをしていた。どんな依頼も一生懸命で、だから成功した時はお互いを褒めあい称えあった。どんな小さな依頼でも達成感があった。
「イズナさん、打ち上げしましょう!」
「……え」
「討伐が終わったら打ち上げって、師匠が言ってました」
断る理由を探したが見つかる前に背中を押される。
「ここ、教えてもらった店です」
「いや、私がさっき教えたけど」
私はフードをかぶって顔を隠してから店の中に入る。顔を出して入ると店主が奥の席を空け始めるからだ。ここ何十年かはずっとこうしている。私が知っている店内とは印象が変わっていたが、注文してみるとおいしさは変わっていなかった。
「普段は飲んだりしないんですか」
「誘われないのよ」
「誘えばいいじゃないですか」
「向こうが困るでしょう」
「困らないですって。俺は先輩に誘われたら嬉しいですよ」
「そう言ってくれるのはあなただけよ。私は先輩と言われるにはちょっと年を取りすぎたのよ」
私は彼に普段の皆の反応を話す。途中から愚痴のようになっていた私の言葉を彼はしっかりと聞いてくれる。
止まらない。おかしい。こんな話は誰にもしたことがないのに。
いや、したことがないのではなくする相手がいなかっただけか。話せば気を遣われる。気を遣われるのが嫌だという話を気を遣ってくる相手にできるわけがない。
「そうなんですね。よく分からないけど分かりました!」
何もわかっていないみたいだった。
それでいい。分かられたところで気を遣われるだけだ。
聞いてくれる人がいるだけで杯が進むものらしい。長く生きてきて今更知ることになるとは。
〇
一杯目の途中であの子の喋る速度が落ち、二杯目で机に突っ伏した。
「弱いなら先に言いなさい」
「……言おうと思ってました」
「思ってただけじゃ意味ないのよ」
店の人に水をもらって飲ませ、宿まで歩かせる。魔法で運ぼうかとも思ったが肩にもたれかかれてしまったので、何とか体を支える。
宿屋につきベッドに寝かせると、彼と目が合った。
「せんぱい」
「……何?」
「先輩、強いですね」
「まぁ、そうね」
「でも、絶対いつか先輩くらい強くなってみせますから」
返事をする前に寝息になった。
先輩、と呼ばれたのは久しぶりの経験だった。
様でも、方でも、お方でもない。この子の中の私は少し強い先輩でしかないのだろう。
悪くない。というより、ずっとこのままでいてほしいくらいだ。
○
翌日ギルドで会ったら頭を下げられた。
「イズナさん、昨日はすみませんでした。何も覚えてなくて宿の人に聞きました」
「覚えてないの」
「途中からまったく」
「じゃあ忘れたままでいなさい。私も酔ってて余計なことを話しすぎたわ」
彼はきょとんとしていた。どうやら本当に覚えていないらしい。
「あと、先輩でいいわ」
「え」
「昨日そう呼んでたでしょう。様付けよりずっといい」
「……じゃあ、イズナ先輩で」
「それでいい」
声をかける前、彼が掲示板の前で唸っていたのを思い出す。次に何を受けるか決めかねているらしい。
「どれがやりたいとかはあるの」
「俺個人としては全部受けたいくらいの気持ちなんですけどね」
「流石に全部は無理ね……」
私は自然と彼の相談に乗る。
誰かに面倒を見てもらう側でも、腫れ物に触るように扱われる側でもなく、ただ横に立って一緒に紙を選ぶ。
可愛い後輩ができるのは実に200年ぶりのことだった。