ギルドの二階へ上がったら、あの子が笑っていた。
同じくらいの年の冒険者が三人。全員B級で、最近このあたりでよく見る顔ぶれだった。そのうち一人は女の子で、話しながらあの子の腕を軽くつついている。あの子は特に気にした様子もなく身振りをつけて何か説明していた。
何を話しているのだろう。
別に聞きたいわけではない。ただ依頼の話なら私も混ざれるし、混ざれる話かどうかを確かめておくのは悪いことではない。そう自分に言い聞かせながら階段を上がりきったところで、三人が固まった。あの子だけが気づいて手を振ってくる。
「先輩!見てくださいこれ、次の依頼」
紙を受け取って目を通す。北の湿地の掃除で報酬は悪くない。その間に女の子のほうがさっと一歩下がった。
「あの、私たちはこれで」
「ごめんなさい、邪魔したわね」
「とんでもないです!失礼します!」
三人は階段を降りていった。あの子は不思議そうにその背中を見送っている。
「みんな急いでたんですかね」
「そうね」
そんなわけがない。
私が近づくと人がいなくなるのはいつものことで、それにはもう慣れた。けれど、あの子まで一人にするのは話が別だ。この子は王都に来てまだ二月も経っていない。同じ年頃の相手と組んで覚えることもあるだろうし、私が横にいるせいでそれが減るのは決して良くない。
それなのにどこかほっとしている私がいる。
「さっきの人たちとは前から?」
「いえ、先週知り合ったばかりです。今度一緒に受けようって話してたんですけど……」
紙を返す手が少し止まったのが自分でも分かった。
「しょうがないわね。今回は私が一緒に受けるわ」
「いいんですか?でもこの前も一緒に……」
「気にしなくていいのよ。先輩なんだからこれくらい当然でしょう」
そう、先輩だから。これくらい普通のことだ。私はそう自分に言い聞かせた。
○
その数日後だった。
夕方のギルドの一階で、年上の冒険者が三人であの子を囲んでいるのが二階から見えた。
「一人前になった祝いだって。行こうぜ」
「行くってどこにですか」
「いいとこだよ。お前も男なんだから興味あるだろー」
「いいとこ?」
行き先の見当はついた。悪気があるわけではないのだろう。
若い男が一人前になったときに連れて行く場所としては昔からそう決まっている。
気づいたら手すりを掴んでいた。木がみしりと鳴って、下の三人がこちらを見上げる。
「その子、明日も依頼が入ってるの」
「……あ、イズナ様。いえ、その」
「連れて行くなら別の日にして。私が今組んでる相手だから」
三人は何度も頭を下げて出ていった。残されたあの子がこちらを見上げて口を開く。
「あの、助かりました」
「え」
「行き先、なんとなく分かってたので。断りづらくて」
思っていた反応と違った。てっきり行きたがっていたところを邪魔したのだと思っていたし、そのつもりで割り込んだのに。
「……嫌いなの?」
「嫌いっていうか、苦手です。そういう場所があるのは知ってますし、行く人を悪いとも思わないですけど、俺はちょっと」
「そう」
「皆には笑われますけどね。師匠は女買ったっていいことないからそれでいいって言われましたけど。それに……」
それからあの子は少し困った顔で笑いながら言う。
「一途に一人の女性を想う方が格好良いじゃないですか」
私の心臓が思い切りはねる。
返事をしようとしたら喉が言うことを聞かなかった。
私は何とか言葉を出す。
「そ、そう。じゃ、じゃあ私はこれで」
「え、ああ、はい」
彼の返事を聞かずに速足でその場を後にする。
ああ、本当に。
絶対ダメなのに。
止めることができない。
早まった鼓動を。浮かんでしまう口角を。
この想いを。
〇
消えてなくなりたい。
認めよう。私は彼に恋をしている。
齢300を超えて16歳の少年にキュンキュンしてしまっている。
相手は十六歳。私は三百歳を超えている。二十倍だ。あの子の曾祖父どころか、その曾祖父が生まれる前から私はこの街で依頼を受けている。
しかも初恋である。三百年生きて初恋。
自分で言っていて頭が痛くなってきた。
年齢だけの話ではない。私が隣に立った人間は、次の日からイズナ様のお相手として扱われる。誰もその人の名前を呼ばなくなる。釣り合う釣り合わない以前に、私は並んで立たせてはいけない相手なのだ。
なのに、思い返してしまう。
誰も近寄らない私のところへまっすぐ歩いてきて、組んでくれと言ったこと。断られるとは少しも思っていない、あの顔を。組んだあと一度も様付けしなかったこと。呼び方に迷った時間がまるでなかった。断りもなくハイタッチしたあとの、いえい、という気の抜けた声を。すごくないと言った私に、じゃあ優しいんですと言い返してきたこと。あんなに必死に人を褒める子を私は知らない。愚痴を最後まで聞いて、何も分かっていないくせに分かりましたと笑ったこと。あのまっすぐな目を。酔って先輩と呼んで、絶対に追いつくと言って、返事も待たずに寝てしまったこと。
そして――一途に一人の女性を想う方が格好良いじゃないですか、って言った時のあのはにかみを。
……駄目だ。良いところしか出てこない。
もういい。
三百年も生きて、初めてやりたいことができたのだ。それの何が悪い。
私は彼と付き合いたい。
○
自覚してしまえば話は早い。
まず食事に誘おうとした。
「明日の予定は――」
「北の森です!角兎が大量発生しているらしくて」
「そう。じゃあ明後日は――」
「来週の討伐会議で潰れますね。何か依頼あるんですか?」
「あ、そういえば良さそうな依頼が来てたのよね。まだ貼られてはいないけ――」
あ、依頼の話になってしまった。
食事ってどうやって誘えばいいんだっけ?
とりあえず店を先に選ぶことにした。昔よく行った、静かで料理のうまい店がある。あそこなら顔を隠さなくても騒がれないし、話も落ち着いてできる。そう思って様子を見に行ったら潰れていた。確かに、前言ったのは100年近く前だったっけ。
結局いつも通り打ち上げでいつもの酒場に行くことにした。
よし、このままいい雰囲気に――と思っていたらあの子は一杯で寝た。
お酒に弱いことを忘れていた。
当然距離は全く縮まっていない。
贈り物もした。昔腕の良い職人からもらった小盾を渡した。何でできているかを話したら彼の顔が青ざめていく。
「受け取れませんよ!家が買えます!」
「あら、家が良かった?」
「そういう話じゃないです!というかこれ、俺が持つと盾のほうがかわいそうです」
「でも使えない私が持ってても……」
「いや、先輩。魔法使いですけど普通に近接戦闘できますよね」
「そ、そんなことないわよ」
「目が泳いでますよ。知ってるんですからね。魔力が枯渇して杖でドラゴン殴り倒した話」
「ご、誤解よ。それにドラゴンっていっても地竜だから――」
結局、持って帰ることになった。
○
それを聞いたのはギルドの裏の廊下だった。
「あの坊主、いくらなんでも馴れ馴れしすぎだろ」
「いくらイズナ様が許しているとはいえ、目に余る行動ばかりだ」
「悪い奴じゃないのは分かるけどな。ああいうのは周りが教えてやらないと」
「身の程ってもんがあるしな」
声に棘はなかった。彼らの中では私を守っているつもりなのだろうし、たぶん明日にはあの子へ親切に忠告してやるつもりでいる。
「今の話、もう一度言ってくれる?」
三人が振り返った。
「……イ、イズナ様」
「私と話をするのに誰かの許可がいるのかしら。もしいるのなら教えてほしいわ」
いるわけがない。三人は青い顔で何度も頭を下げて下がっていった。
腹の底が熱い。
あの子は何一つ悪いことをしていないのに、あの子だけが悪く言われる。きっと私の知らないところで今みたいな話は何度もされているのだろう。ギルドの隅で、酒場の隅で、私がいない場所で。
いつかあの子はそれを素直に聞いてしまうかもしれない。
あの子は人の言うことをよく聞く子だ。その子に周りの大人が揃って身の程を知れと言ったらどうなるか。考えて、納得して、そして自分から引く。
挨拶は今まで通りにするだろう。報告にも来るだろう。ただ二人で受ける依頼が少しずつ減って、そのうち誘われるのを待つ側になって、最後には私が誘わないと何も起きなくなる。あの子は悪気なくそうするし、私は気づかないふりをするしかない。
それだけは絶対に嫌だ。
そう思ったときにあることに気が付く。
……そうか。簡単な話だ。
隣に立っているのがB級だから馴れ馴れしいだの身の程だのという話になる。あの子の中身は何ひとつ変わらないのに等級の一文字が変わるだけで周りの言い分はまるごとひっくり返る。もしあの子がA級なら、S級なら、いやそれ以上になればそんな話もなくなるだろう。
あの子を私の隣にいて誰も文句を言えない冒険者にすればいい。
幸い素質はある。剣の腕だけならもう並のA級に届いているし、足りないのは実績と、それを認めさせる場だけ。
まずは北の湿地。三日泥に浸かるというだけで誰も受けたがらないが、ギルドは五年前から困っている。片付ければ、北のギルドもあの子の名前を覚えるだろう。
次は東の渓谷の主。あれを落とせば名前が残る。三十年前に一度討伐隊が出て、生きて帰ったのは半分だったはずだ。
どちらも私が横にいれば死なない。死なせない。
それにこれは全部あの子のためでもある。
あの子は強くなりたいと言っていた。いつか私くらい強くなってみせると言った。私はその手伝いをするだけだ。誰に恥じることもない。
むしろ周りもお似合いだと私たちをくっつけてくれるかもしれない。
完璧な作戦だった。