酒場の隅で自分の話が聞こえた。
「例の坊主、また一人で片付けたらしいぞ」
「一人で片付けたっつっても、どうせ横に保護者がついてだろ。それに依頼を最初から誰も取れねえようにしてよ」
「まあな。イズナ様の七光りだよ」
反論したくなった感情を押し殺し俺は杯を置いて店を出た。
宿へ帰る道で考える。
イズナ先輩には感謝してもしきれない。王都で数多くの依頼を受けることができるのは、彼女が裏で根回しをしてくれるおかげだというのは、鈍感な俺でも感づいた。ただ、彼女は俺に知られたくないみたいなので、こちらから言うことはないが。
でも、なぜ俺なんだろう。
実力も頭脳も俺より高い人は何人もいるはずだ。当然、俺みたいに彼女のサポートを受けず等級を上げていった人なので、俺よりも活動歴は長い。彼女と面識もどこかであるだろう。だからきっと年月じゃない。
一年と少し前、あの人に組んでくれと言ったあの日から俺は何一つ彼女に返すことができていない。
A級に上がって2カ月。陰口を言われるのは慣れてきたが、一度も反論しないのは理由がある。俺が弱いからだ。結局俺が弱いから、皆の期待に応えられていないからこのようなことが言われるんだ。
あの人の後輩として恥ずかしい人間だと言われるのは嫌だ。
なりたい。
イズナ先輩が育てた後輩としてふさわしい立場。それこそ英雄のような存在に。
○
「先輩!来週の南の森のやつ、一緒に行きませんか」
「あなた一人で足りるでしょう」
A級になってから少しだけ疎遠になった彼女に、依頼を提案する。しかし帰ってきた言葉はそっけないものだった。
「足りますけど、二人のほうが早いですよ」
「コルム、A級は冒険者として一人前ってことよ。確かにちょっと前まで一緒に依頼を受けていたけれど、一人前になったのだからこれからは一人で受けなさい」
背を向けて顔を合わせない先輩を見ながら俺は頭をかく。
「俺、まだ一人前って感じがしないんですけど」
「たとえあなたがそう感じても、等級は他人が決めるものなの。胸を張って堂々としていなさい」
俺ははいと答える。
依頼を断られたのは残念だが嬉しかった。認められたということなのだから当たり前だ。
ただ、彼女と一緒に受ける依頼や、報酬の話をする時間が減ったのは少しさびしかった。今では一人で受けて一人で帰る日々を送っていた。
この一年。先輩に依頼を手伝ってもらっていたので、自身の実力の評判が悪いのか、誰にもパーティには誘われない。自分から募集しようかとも思ったが、俺は先輩の言葉を思い出す。
『――だから依頼を受けるときは、私以外とは組まないようにしなさい』
いつかまた一緒に依頼を受けてくれる日は来るのだろうか。先輩と正式にパーティを組むことができるには俺はどれだけ強くなればいいのだろう。
○
などとは言ったが、別に避けられているわけではなく、飲みの誘いだけは断られたことはなかった。
気を付けてはいるのだがいつの間にか酒を飲んでしまい、毎回記憶が途中からなくなるのだが、彼女曰く何度も相談に乗っているらしい。
覚えていないので相談内容を覚えていないのは致命的だが、決して後輩として認められていないわけじゃないのだろう。
「先輩。俺、昨日はどうやって帰ったんでしたっけ」
「一人で帰ってたわよ」
「一人でですか」
「ええ。しっかり歩いてたわ」
「起きたら靴が揃えてあったんですけど……」
「あなたが揃えたんでしょう」
「先輩が送ってくれたんですよね。靴なんていつもは揃えませんよ」
「……じゃあ昨日は偶々揃えていたのよ」
はぐらかされるが、彼女が家まで送ってくれていたのは明白だった。
それに一度だけ覚えている。
どこかの夜だった。目を開けたら天井が流れていて、それが止まって背中が沈んだ。ベッドに下ろされたのだと少し遅れて分かった。顔の近くで何かが揺れているのが見える。すると先輩がベッドの上に表れ顔が近づいてくるのが見えた。
俺は寝ぼけた頭で先輩、と言った気がする。
次に目を開けたときには朝で、窓が明るくてやはり靴は揃えて置いてあった。
あの時の記憶は彼女が部屋まで送りベッドに寝かしてくれていた時のものだろう。
一人で帰ったというのは俺に気を遣わせないための嘘だと思う。
たとえ依頼を一緒に受けずとも、先輩はやはり面倒見のいい先輩なのだ。
★
コルムがA級になった日、二人で受ける依頼書を持って受付へ行ったら止められた。
「イズナ様。こちらは、コルム様お一人で受けていただくわけには参りませんでしょうか」
「なんで?」
「各地のギルドに、コルム様へ依頼を回すようお声がけをされていますね」
「ええ、しているわ」
「あれは、もう冒険者の側にも伝わっております」
当然、伝わっているでしょう。牽制の意味もあるのだからむしろそれが狙いだった。
「それで」
「英雄というのは、ギルドが決めるものではございません。民衆、そして同じ冒険者が認めて、初めてそう呼ばれます。イズナ様が横にいらっしゃるかぎり、どれだけ実績を積まれても、あの方はイズナ様の後ろにいる人のままです」
それは痛い指摘だった。確かに私は効率よくギルドの等級を上げることばかり考えていたが、英雄となるとギルドだけの話ではない。
「……イズナ様と組んで片付けた依頼は、イズナ様がなさったことにもなります。どれだけコルム様が前に出られても、人々はイズナ様に感謝するでしょう」
私はため息をつく。つくづく民衆というのは面倒くさい。見たいものしか見ない奴らだ。
「分かったわ。私が邪魔なのよね」
「そうは申しておりませんが……」
「ええ分かっている。コルムは一人で英雄とならなければいけないということでしょう」
この職員を含めて、コルムのギルドからの評価はとても高い。彼の人格面は勿論、実力はA級に匹敵していることは把握しているし、なにより私が保証しているからだ。
今度はそれを冒険者並びに一般の人々にもアピールする必要ができた。
私は依頼書を持ち帰って彼の元に戻る。
「あれ、先輩。どうしました?」
「私はいいわ」
「え」
「良く考えたらあなたはもうA級でしょう。一人で受けなさい」
彼は一瞬、不安な驚いた顔つきをする。それと同時に不安に思うような表情も。
「この依頼ならあなた一人でも十分だって信用しているから言っているの。私なんかがいなくてもできるわよ」
そう言うと、彼の顔つきはぱっと明るくなる。
素直な彼を騙しているみたいで心苦しかった。
以降、私は彼が受けた依頼を職員を通じて確認するようになった。あの子が何を取ったかを確かめて、取った先の魔物や地形に危ないところがないかを考える。大抵は実力を考えたら大丈夫だし、たとえ考えたところで口は出せない。しかし彼が依頼で帰ってこない夜はひどく寝つきが悪くなった。
彼に特定の依頼を受けさせるよう用意したこともある。たとえ一緒に受けずとも、私が選んだものを持っていてほしかった。
なんで、こんなことをしなければいけないのだろうか。
彼のことが好きなのになんで彼から離れないといけないのか。
私は苦悩するが何度考えても答えは決まっている。
英雄になるまでだ。
私が神格化されすぎているから、隣に立つ人間には同じだけの格が要る。あの子がその領域までくれば世間のほうから勝手に言い出すだろう。あの二人はお似合いだと。そうなれば誰も私とあの子が釣り合わないとは言わなくなる。
そのときまでの、辛抱だ。
だから、早く、早く。
彼を英雄と認めなさい。愚か者ども。
○
飲みの誘いだけは断らないことにしている。
別に彼と一緒に依頼を受けてはいけないだけで、彼と交流を絶たないといけないわけではない。
その夜も彼は一杯で潰れた。背負って宿まで運んで階段を上がって、ベッドに下ろして靴を脱がせる。いつもの手順だ。慣れるくらいには回数を重ねている。
靴を揃えて彼に近寄る。
そっと髪を触り整えたところで手が止まった。
私の中である考えが浮かび上がる。
この子が朝まで起きないことは何度も確かめている。
翌日に聞いても何も覚えていないことも。
つまり今ここで何が起きても、明日の朝この子が知ることになるのは私が話した内容だけだ。
昨夜はこうだったと私が言えば、純粋なこの子はきっと信じるだろう。
例えば裸の私が隣で寝ていればなおさら。
酔った勢いで体を重ねてしまったと。
そして私の初めてだったと言えば、責任感の強い彼だ。
きっと彼が取れる方法で何でもしてくれるはずだ。
そこまで考えて、当然の反論が思い浮かぶ。
犯罪だ。
こんないたいけなまだ成人したばかりの青年を襲うなんて許される行いではない。
そう思ったそばから反論とはまた違う、一種の開き直りのような感情が溢れる。
犯罪だとして、誰が私を咎めるのだろう。
この街、いやこの国に私を咎める人間はいない。ギルドマスターは私に頭を下げるし、陛下は私を女神と呼ぶ。仮に咎める人間がいたとしてその人間が私を捕らえられるのか。衛兵が来るのか。騎士団が来るのか。来たところで私は全員を一秒もかからず消し炭にすることができる。
言うならば私は真の意味で無敵なのだ。
実績でも権力でも、そして暴力でも私に適うものはいない。
その私がなぜ咎める力もない人たちの機嫌をうかがって、こんな思いをしなければいけないのか。
なぜ私は自由なのに不自由を選んでいるのか。
彼の首元を見る。
鎖骨が少し浮き出ており女性とは違う喉元からは男を感じられた。
ごくりと唾を飲みこむ。
私はベッドに膝をつき彼をまたいで、寝間着の合わせに手をかけた。
そしてそのまま彼をめちゃくちゃに――
「……せんぱい?」
目が開いていた。
焦点は合っていない。彼はそれだけ言ってまた目を閉じた。息がすぐ寝息に変わる。
私は勢いよくベッドから降りた。
降りてから自分の手が震えているのに気づく。
この子に嫌われたら終わりだ。
嫌われたあとの顔が浮かんだ。挨拶はするだろう。報告にも来るだろう。ただ二度と、この子は私を先輩とは呼ばない。呼ばれなくなったら私はこの街でまた、ただのイズナ=ヴィンターグレーンに戻る。
それだけは耐えられない。
寝間着の合わせを直して上掛けをかけて、部屋を出た。
心臓の鼓動は鳴りやまない。
部屋に帰って私は一睡もできなかった。
その日、私は何百年かぶりに自身を慰めた。
○
「先輩。昨日はどうやって帰ったんでしたっけ」
「一人で帰ったわよ」
「一人でですか」
「ええ。しっかり歩いてたわ」
覚えていないことを確かめほっとする。
そのあとで別のことに気がついた。
昨日私がやりかけたことを他の誰かがやらない保証など、どこにもなかった。
あの子はこれから一人で依頼を受ける。地方へ行く。知らない宿に泊まる。宿の娘が酒を出す。または、依頼主の家に招かれる。娘のいる家もある。あの子は酒に弱いし、弱いことを隠さないし警戒もしない。
誰かが私と同じことを思いついたとして、あの子にはそれが分からないだろう。
気づかないまま朝を迎えて、そういうことがあったらしいと言われてそうですかと受け入れる。
想像したら寒気がした。
駄目だ。彼が受ける依頼はやはり私が選ばなければならない。
そうだ、貴族の護衛依頼を受けさせよう。
A級なら指名が来るし、屋敷に詰めているあいだは危ない場所へ行かない。女の冒険者も街の娘も近づけない。S級に上がれるだけの魔物が出るまでそこで時間を潰させればいい。
考えてすぐに穴が見えた。
最近の貴族は私と繋がりたがっている。あの子を通して私に話を通したい家が、あの子に娘をあてがわないと誰が言えるのか。そうだ。貴族だって信用ならない。むしろそのために取るだろう。護衛の名目で屋敷へ入れて娘と二人にする。無礼講だと酒を進めて寝入った隙に――
――駄目だ。貴族は使えない。
ギルドの依頼なら一人で行かせることになる。宿も屋敷も駄目で、かといって私が横にいるのも駄目だと言われている。
八方ふさがりだった。
私は三日三晩悩みに悩んで、ある一つの方法を思いついた。
○
王城へは正式な手続きをして行った。取り次ぎを頼んで日を決めて、決められた日に決められた門から入る。そういう順番を踏んだのがいつ以来か思い出せない。いつもは呼ばれて飛んでいくだけだ。
陛下は私を見ると立ち上がられた。
「イズナ殿。よくぞお越しくださった」
「お時間をいただきまして恐れ入ります」
「何をおっしゃる。この国が三百年続いておるのは、半分はあなたのおかげだ。女神の来訪を断る王がどこにおる」
「買いかぶりですわ」
大げさだ。本当にそう思うのだが、この手の言葉に一つずつ付き合っていると日が暮れる。私は本題に入った。
「第三王女殿下が、近く辺境へ視察に出られると伺いました」
「うむ。街道の整備を見せに出す。あれも年頃だ、外を知っておいたほうがよい」
「護衛に冒険者を一人つけてはいただけませんか」
陛下が眉を上げられる。
「近衛では不足か」
「不足ではございません。念のためです。街道の外に出るものは、城の中とは動きが違いますので」
「ふむ。……して、なぜイズナ殿がそれを」
「今こちらで期待している子がおります。王家の方をお守りしたという経歴は、あの子の先々で役に立ちますので」
半分は本当だ。
「イズナ殿が期待するとは、よほどの者か」
「腕は確かです。たった一年でA級に上がるほどの実力です。そしてなにより腕よりも人柄でお預けしたいのです。誠実な子ですから、王女殿下に無礼を働くようなことは決してございません」
そこまで言ってもう一言足した。
「平民の冒険者と王女殿下のあいだに、間違いなど起こりようがございません。万に一つもございませんし、もし起きかけたとしても私が起こさせません」
言ってから念を押しすぎたと自分でも思った。
しかし陛下は笑われる。
「はっは。イズナ殿がそこまで言うなら間違いはなかろう。好きにさせなさい」
○
出発の朝は王城の前庭がざわついた。
SSS級の冒険者が第三王女の見送りに来ていると周囲には見えているからだ。集まった人たちが何か言っていたが、耳に入れないことにした。聞いてやる義理もない。
「先輩!わざわざ来てくれたんですか」
「殿下の前では、あなたから先に口をきかないこと」
「え」
「馬車の前を横切らない。名前でお呼びしない。食事に誘われても断りなさい」
「そんなに違うんですか、王族の方って」
「全然違うわ。あなたが失礼をしたら、困るのはあなたを推薦した私よ」
「うわ、それは困ります!気をつけます」
これで本気で気をつけるだろう。そういう子だ。
馬車の窓から王女殿下が顔を出された。歳は十七か十八だったか。母君によく似ておられる。
「イズナ様。お見送りいただけるとは」
「王女殿下はこの子が守りますから、ご安心ください」
「心強いですわ」
「それと殿下。彼がいくら顔がいいからといって、惚れないでくださいね」
王女殿下は目を丸くされてから笑われた。
「イズナ様のご加護があればこの度の視察は大丈夫ですわ」
私も笑う。
王家の方なら身分が違いすぎるので間違いなど起こるはずもない。この国でいちばん硬い囲いに、あの子を入れた。
その夜は久しぶりによく眠れた。
○
十四日、何もしていない。
会議には出たし書類にも目を通した。ただ終わってから、自分が何をしたのか思い出せない日が続いている。受付の子が一度だけ、コルム様はいつお戻りですかと聞いてきた。そんなこと私が知りたい。
十五日目の昼にその受付の子が二階まで駆け上がってきた。
「イズナ様!辺境の、街道沿いの街に雷竜の主が」
「いつ?!」
「一昨日の夜です。北から下りてきて、そのまま」
「各街に私が張った結界があるでしょう。雷竜程度だったら――」
「……越えられました。北側が丸ごと」
手が止まった。
あれを越えるものがいるのか。私が張ったものでここ100年は突破されたことはなかった。
コルムの身を心配したかったが私は遠回しに聞く。
「王女殿下は無事?」
「ご無事です。付き人の方々が結界を張られて、そのあいだに」
「あの子は?」
「……コルム様が、討たれました」
心臓が止まったかと思った。
「討たれた?」
「あ、いえ!コルム様が討ち取られたのです。雷竜の主を、お一人で」
言葉が入ってこなかった。
「重傷を負われましたが、王女殿下の付き人に治癒の使い手がおいででして、命に別状はございません。もう意識も戻られたと」
下の階が沸いていた。名前を叫ぶ声がして杯を掲げる音がして、それが一つずつ増えていく。英雄が出た、と誰かが言った。その言葉が下を回っていく。
私は椅子に座ったまま動けなかった。
私は何もしていない。
私が一年かけて敷いた道の、外側で。
彼は英雄になった。
それは喜ばしいことではあったが、完全に想定外の事実だった。