首だけは落とす。
そのこと以外、もう何も考えられなかった。
右腕はもう上がらない。弾かれたときに肩から先の感覚が消えた。確認はしていないが、おそらくもう無いのだろう。まだ残っているにせよ使えないのなら同じだ。左手で剣を握り直して鱗の割れ目に刃先を当てる。雷竜の主が身をよじるたびに雷が全身を駆け巡り激痛がしたが根性で耐える。
刃はもう何度も弾かれていた。しかしついにひびが入った個所が割れ刃が肉へと到達する。。
体重と残りの魔力を乗せたつもりだがやけに体が軽く感じる。血が出すぎているらしいと他人事のように思った。それでも刃は進んでいる。進んでいるなら押し切れる。
筋が切れる音が手のひらに響いた。
そこから先は覚えていない。気がついたら雷竜の頭が胴から離れていて地面が近づいてきた。
誰かが走ってくる。
「動かないでください!」
王女殿下の声だった。結界の内側から出てこられたらしい。
「治癒を。早く、この人に」
「殿下。まだ近づかれては」
「今すぐに」
白い光が肩にかかった。感覚が戻ってきてそのぶんだけ痛みが来る。痛いのは構わない。生きている証拠だ。
頬に土をつけた殿下が顔を覗き込む。これだけ暴れたのだ。馬車も通ることができなかったのだろう
報告しないといけない。討伐が終わりました、とそれだけ言えばいい。しかし口は開いても音にならなかった。
視界が端から暗くなっていく。
最後に思ったのは、これを聞いたら先輩は褒めてくれるだろうかということだった。
○
目を開けるとそこは見知らぬ場所だった。
宿でも野営でもない。梁がむき出しで壁に薬草が吊るしてあるので、誰かの家を借りているらしい。
右を向いたら椅子があって、そこに王女殿下が座っていた。背もたれに体を預けて目を閉じている。膝に水を張った桶が乗ったままで、濡れた布がその縁にかかっていた。
すると殿下の目が開いた。
「……起きられたのですねっ!」
「殿下、えっと……」
「よかった。本当に、よかった」
そう言ってから自分が椅子で寝ていたことに気づかれたらしい。背を伸ばして髪を直している。
俺は起き上がろうとして右腕が持ち上がらないことに気づいた。動かないが痛みはないので繋がってはいるようだ。
「殿下。いつからそこに」
「二日ほどです」
「……その椅子で、ですか」
「付き人が代わると申したのですけれど、わたくしが見ていたかったので」
まずい。
王族の方を椅子で二晩寝かせた。先輩に聞かれたら何と言われるか分からない。
「申し訳ありません。俺のような者のために殿下がそのようなことを」
「構いません。私がしたくてそうしているのです」
「しかし――」
「それよりも、起き上がれますか。外へ出ましょう」
「外ですか?」
「英雄が目を覚ましたと街の者に知らせなければなりません」
英雄というのが自分のことだと分かるまで少しかかった。
外へ出た瞬間に声が上がった。
通りに人が出ていて屋根に上っている者もいる。誰かが俺の名前を呼んで、その声に別の声が重なり、声が次々と大きくなっていく。北の壁が崩れたところが見える。その手前に雷竜の頭が転がしてあった。
俺は王女殿下の指示の通り上がる方の腕を上げる。
歓声はさらに大きくなった。
街の人から次々と称賛の声がかけられる。
俺はありがとうございますと口で言いながら別のことを考えていた。
殿下が近い。
なぜか腕を組んでいる。
先輩から王女殿下と腕を組んではいけないとは言われていないが、どう考えても言われるまでもなく駄目な行為だろう。
俺はさりげなくほどこうとするが、余計彼女の力は強まり腕が絡む。
俺はおっかない気持ちで歓声を受けていた。
○
王都までは馬車で四日かかった。
護衛なので馬に乗るつもりだったが、右腕が使えないという理由で馬車に乗せられた。それもなぜか殿下のいる馬車にだ。
「コルム様は、どちらのお生まれですか」
「辺境の小さな街です。竜がいるので街の周りだけは安全で、その代わり山に入ると急に危なくなります」
「竜がいるのですね」
「はい。100年ほど前から街を守っているみたいです」
「ご家族はもそこに?」
「いえ。両親は早くに亡くなりました。育ててくれた人が一人います。今もあちらで冒険者をしています」
「お会いになりたいでしょう」
「そうですね」
聞かれたことに失礼が無いよう考えながら返答する。
「コルム様は、どのような方がお好みですか」
質問の風向きが変わった。
「……恐れ入りますが、殿下にお答えするような話ではないかと」
「何を言っているのですか。わたくしが聞きたいと言っているので失礼もありません」
「だとしてもです」
言ってから、これは失礼だったかもしれないと気づいた。
「まぁ、いいでしょう。いずれ聞きます。……では別のことを伺います。戦っている時怖くはなかったのですか」
「怖かったです。逃げたいとも考えました」
「逃げなかったのはなぜ」
先輩なら逃げないから。とは言えなかった。
「逃げたら殿下を守れません」
「つまり、私のために戦ってくれたのですね。これからもよろしくお願いしますね」
「殿下。俺はご滞在のあいだだけの護衛です。王都に着けば終わります」
「本当にそうでしょうか」
○
王都の門をくぐったら、そこから先は歩けなかった。
人が道の両側に出ていて前へ進むたびに声が上がる。誰かが花を投げた。花が肩に当たって落ちて、それを拾いに来た子どもが親に引き戻されていた。
英雄が帰ってきた、と誰かが言っている。
自分のことだと分かっていても実感が追いつかない。俺は雷竜の首を落としただけだ。落とすまでに途中で何度も死にかけた。倒した時も片腕は吹っ飛んでいたし、最後は情けなくしがみついて攻撃していた。それを英雄と呼ぶのなら、思っていたよりずっと情けない格好をした英雄だ。
人の声が急に途切れた。
顔を上げたら屋根より高いところから降りてくるものがあった。外套の裾が広がって、そのまま俺の正面に降りる。
「怪我はないっ?」
先輩は挨拶も名前もなくそれだけを聞かれた。
「もうほとんど治りました。右腕はまだ上がらないですけど、時間が経てば動くって神官の方が言ってました」
「見せなさい」
腕を出したら袖をめくられた。傷が塞がっているのを確かめてから先輩は手を離した。
「……そう。良かった……」
息を吐くのが分かった。
「帰り待っててくれたんですね」
「ええ。本当は迎えに行きたかったんだけど陛下に呼ばれていていけなかったのよ」
先輩が俺の後ろを見る。馬車が止まって、殿下が降りてこられるところだった。
誘えるのはきっと今しかない。
「先輩」
「なに?」
「今度、一緒に依頼を受けませんか」
先輩が驚いた顔でこちらを見る。
一瞬だけ、何を言われたのか分からないという顔をされてから笑った。
「ええ。もちろん。どんな依頼でも一緒に受けるわよ」
一年ぶりだった。この人と二人で受ける依頼を決めるのは。
歓声はまだ鳴っていたが、俺はもう次の依頼のことを考えていた。