処女の女冒険者に気をつけろ   作:三つ眼の荒木

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SSS級冒険者イズナ⑤

 

 空を見上げると北から重たい雲が流れてきていた。昼までには降り出しそうだ。

 

 宿の机に置いてきた手紙は、そろそろコルムが見つけている頃だ。王城に来てほしいとしか書かなかったがきっと来るだろう。読んだらすぐに靴を履いて飛び出してくる。そういう子だ。

 

 知らせを出さず王と会うのは初めてだった。

 王城の門に着くと、門兵が道を塞ぐ。

 

「お待ちください。本日イズナ様がお越しになるとは伺っておりません」

「結界の件で、陛下に急ぎの報告があるの。通してくれるかしら」

 

 門兵はそれ以上何も聞かなかった。道を空ける。

 門をくぐったところで私は振り返った。

 

「あ、そうだ。一瞬だけ手伝ってくれない?」

「は。私でよろしければ」

 

 門兵が持ち場を離れ、門の内側に入ってくる。その背中の向こうで重い門がゆっくりと閉じていった。

 門兵が外に出ることは二度となかった。

 

○

 

 玉座の間に入ると、陛下は玉座から腰を浮かせた。

 

「イズナ殿。結界に何かございましたか」

「突然押しかけてしまい、申し訳ございません」

 

 私は抱えていた布の包みを足元に置く。

 

「それで、結界の件というのは」

「ええ。その前に少しだけ昔話をしてもよろしいでしょうか」

 

 陛下は戸惑いながらも頷いた。

 

「王家とのお付き合いも、ずいぶん長くなりました。陛下は今おいくつになられましたか」

「60を超えました」

「そうですか。陛下が幼い頃のことは今でもよく覚えております。先代の後ろに隠れて、私の耳をじっとご覧になっていましたね」

 

 陛下は照れたように笑った。

 

「覚えておいででしたか」

「ええ。それに陛下は、これまでの王の中でいちばん私の話を聞いてくださった方です」

「父からよく聞かされました。イズナ殿がこの国を救ってくださった話も、父自身を救ってくださった話も。イズナ殿がいなければ、この国はとうに滅んでいたでしょう」

「先代は優秀な方でした。私をSSS級にしたのも、各街に結界を張るのを許したのも先代です」

 

 先代は賢い王だった。初めのうちは何かにつけて私を試してきたが、一度命を救ってやったらころっと懐いた。各街に結界を張りたいと申し出たときも、私が理由を並べ終える前に頷いていたものだ。

 

「それより前の代は、それはもう大変でしたけれど」

「と、申しますと」

「エルフだ冒険者だと差別されました。面倒な依頼は全部こちらに回ってきましたし、挙句の果てには王子と婚姻を結ばされそうになったこともございます。あの手この手で嫌がらせを受けたものです」

 

 陛下は困った顔をして、玉座の上で頭を下げた。

 

「……先祖が大変な失礼をいたしました」

 

 私はすぐに首を振る。

 

「いえ、こちらこそ申し訳ございません。陛下を責めるつもりで申し上げたのではないのです。言い方が悪かったですね。それでも彼らは、私を正当に評価してくれました。優秀な王たちだったから私はこの国を守ったのです。どれだけ差別しても陥れようとしても、私を見下すことだけはございませんでした」

 

 陛下の眉が寄っていく。褒めているのか責めているのか分からない、という顔だ。

 

「分かりにくかったでしょうか。そうですね……人は竜を見て見下したりはしないでしょう。鱗を剥いだり追い払おうとしたりはするかもしれません。でも決して警戒は解きません」

 

 私は陛下の目を見た。

 

「彼らは良い王ではありませんでした。でも強かではありました。陛下にはそれが足りません。野生の勘のようなものが。私が守りすぎて、平和ボケしてしまわれたのでしょう」

 

 言ってから少しだけ肩をすくめる。

 

「まぁ、SSS級冒険者としての私しかご存じないのなら、仕方のないことかもしれませんけれど」

「肝に銘じます。これからも精進いたします」

 

 陛下は真面目な顔でそう答えた。

 

 これから、と。

 

 私はすこし笑い真顔になる。陛下の顔から、つられかけた笑みが消えていく。

 

「まだ気づかないの?」

 

 自分の声が冷めているのが分かった。

 

「あなたは竜の逆鱗に触れたのよ」

 

 足元の包みを拾い上げ、玉座に向かって放り投げる。包みは陛下の膝で跳ね、結び目がほどけて中身が床に転がり出た。

 

 陛下が悲鳴を上げた。娘の顔から目を離せないまま、玉座の上で後ずさろうとしている。

 

「誰か!誰かおらぬか!」

「呼んでも来ないわよ。この城に生きている人は私とあなたしかいない」

 

 扉の向こうからは足音ひとつ返ってこない。

 

「彼女は悪くないわ」

 

 私は玉座に一歩近づいた。

 

「人を愛することは止められることではないもの。同じ男を愛した者として、せめてもの慈悲よ。気高く、安らかに逝かせてあげた」

 

 お慕いしておりました、と最後に告げた彼女の顔を思い出す。

 

 あれは私が見せた幻だったけれど、彼女にとっては最後愛する男を守るために死ねたのだ。

 

 苦しむものの顔ではなく、むしろ安らかな寝顔のようにも見えた。

 

「それでも、私に喧嘩を売ったのはいただけなかった。あれがなければ死にはしなかったでしょうに」

 

 陛下は首を横に振るばかりで言葉になっていない。

 

「でも、あなたは悪い」

 

 その肩がびくりと跳ねた。

 

「彼を護衛につけるとき、手を出させないと何度も言ったはずよ。少し調べれば、私が彼を育てていることくらいすぐに分かったでしょう。あなたは私の忠告に気づかず、娘を私という竜に近づけたようなもの」

「わ、私は……英雄を、国として……」

「国として?」

 

 声が勝手に大きくなる。

 

「式典に祝賀に南門の通り。あなたの娘が彼を見る目が変わっていくのを、あなたはいちばん近くで見ていたでしょう。それなのに止めるどころか、二人を並べて馬に乗せた」

「娘は、ただ英雄に憧れて……」

「その娘が、彼を近衛にすると言い出したのは知っている?あなたが彼に爵位を与えるつもりだとまで言ったのよ」

 

 陛下の口が開いたまま止まった。

 

「……しかしあの話は最終的に断ったはず」

「私が言ったからでしょう。本来子供が間違えたら、それを正すのが大人の務めでしょう。あなたは父親で、王だというのに」

 

 陛下の唇が震えている。もう言い訳も出てこなかった。

 

 言葉を重ねるたびに腹の底が熱くなっていく。この人は最後まで私を国の守り手だと思っていた。その結果、私が本当に守りたかったものを汚そうとした。

 

 玉座の前に立つ。陛下は背もたれに体を押しつけたまま、もう声も出ていなかった。

 

「そして、それが私にきっかけをくれた。本当に大切なものが分かった今、今まで守っていたものの価値にも気づいたのよ」

 

 杖を持ち上げる。

 

「安心して。一人では死なせないわ。さびしくないよう、すぐに送ってあげる」

 

 杖を振るうと陛下の首から血が噴き上がった。赤いものが玉座の背もたれを伝って座面に溜まり、私の外套にも降りかかる。

 

 窓の外で雷が鳴った。もう少しで彼がやってくるはずだ。

 

○

 

 コルムは私の外套から目を離さなかった。

 

 部屋がまた暗くなっても、彼の顔がこわばっているのは分かる。どこか怪我をしているんですよね、と聞いた彼に私は本当のことしか言っていない。

 

「王は私が殺したわ」

 

 彼の喉が小さく鳴った。一歩下がりかけて足を止める。

 

 逃げ出すかもしれないと思っていた。腰には剣も下げていない。今の彼にできることは、背を向けて走ることくらいしかない。

 

 けれど彼は私のほうへ一歩近づいた。

 

「すぐに逃げましょう」

 

 声は震えていたが言葉ははっきりしていた。

 

 なぜ殺したのかをコルムは聞かなかった。

 

「国を出て、他の国へ行きましょう。しばらくは街に出られないかもしれないけど、何年かして落ち着いたらまた魔物を狩って暮らせばいいです」

 

 山の中の暮らしを思い浮かべてみる。小さな小屋に二人で住んで、彼が獲物を担いで帰ってくる。私は火の番をしてそれを待つ。悪くない。慎ましやかで二人だけで完結した生活。

 

 ただ、その暮らしは隠れるためのものだ。何も悪いことをしていないコルムがどうして隠れて暮らさなければならないのだろう。王を殺したのは私で、彼は手紙で呼ばれてここへ来ただけだ。いくら考えても本当に分からなかった。

 

 私が黙っていると彼は続けた。

 

「先輩は俺が守ります」

 

 彼はそう言って、上がらない右腕の代わりに左手を私に差し出した。

 

 同じ台詞を少し前に聞いている。王女に見せた幻影の彼も、あなたは絶対に俺が守ると言った。コルムならこう言うだろうと思って私が言わせた台詞だ。

 

 今度は本物の彼が同じ言葉を口にした。胸の奥がじんと温かくなる。私が作った想像のコルムは、けっして頭の中だけの存在ではなかった。そしてその台詞を王女なんかではなく私に言ってくれた。

 

 その事実が何よりうれしかった。

 

「英雄ね」

「え?」

「でも、私だけの英雄でいいの。だから逃げるつもりはない」

「逃げないって……このままじゃ先輩が捕まります」

「誰に?」

 

 差し出された手には触れずに杖を持ち上げる。玉座の後ろの壁に向けて魔力を放つと石の壁が外側へ弾け飛んだ。

 

 雨混じりの風が吹き込んでくる。崩れた壁の向こうに王都が広がっていた。灰色の雨の下に屋根がどこまでも続き、通りには傘を差した人々が行き交っている。城の壁に穴が開いたことに下の誰もまだ気づいていない。

 

「先輩……?」

 

 私は崩れた壁の縁に立って城下を見下ろした。

 

 南門へ続く大通りがよく見える。ついこの前、コルムが王女と馬を並べて回った通りだ。あのとき沿道の人々は二人に花を投げて、お似合いだと囁き合っていた。今日は同じ通りを荷車がのろのろと進んでいる。

 

「ねえ。どうして私たちが逃げないといけないのかしら」

 

 彼は答えない。

 

「ずっと違和感があったのよ。どれだけ彼らを守っても彼らは私を何ひとつ満たしてくれなかった。遠くから来たあなただけが私を満たしてくれた」

 

 言葉にしてみると、ずいぶん簡単な話だった。

 

「価値のないものを長いあいだ守ってきたのに、今度は私たちの邪魔までするなんて。もういらないわ」

「先輩、何を」

 

 私はこの国を300年守り、王の代替わりを見送ってきた。振り返っても手の中には何も残っていない。あれだけの時間が何のためでもなかったのだと思うと、私の人生がちっぽけのように感じて胸が痛くなる。

 

 けれど300年がなければ、私はこの王都にいなかった。辺境から出てきたコルムに会うこともなかった。空っぽの長い時間は、全部彼に会うまでの道のりだったのかもしれない。そう思うと冷えた胸の底に小さな火が灯った気がした。

 

「この街を含めて、各街の結界は今日の朝に解けるようにしてあるの。魔物から自分の身を守ることが彼らにできるのかしらね」

「そんなことをしたら、みんな魔物に……」

「ええ。そうなるわね」

 

 遠い街の方角に目をやる。雨にけぶって何も見えない。けれどそこで何が起きているかは知っている。

 

 結界は音もなく消える。防壁の上の見張りはいつもの朝と同じように欠伸をしていただろう。最初に気づくのは森に近い畑の者たちだ。畝の向こうから見慣れない影が出てくる。鍬を放り出して走っても、魔物のほうが速い。

 

 鐘が鳴り出すころには門の前に群れが集まっている。結界に頼りきってきた街の門は、魔物を相手にできるほど厚くない。冒険者が駆けつけても数が足りない。

 

 私が各街に結界を張る前、辺境の街が一晩で消えるのを私はもう何度も見てきた。井戸で水を汲んでいた女も店を開けたばかりの商人も、逃げる間もなく倒れていった。今ごろはどの街でもあの頃と同じことが起きている。

 

 ただ、コルムの故郷、アナンタだけは違う。

 

 あの街には竜がいる。結界を張らないまま、竜のおかげで平和を保ってきた街だ。今朝も何ひとつ変わらない朝を迎えているだろう。コルムの故郷が無事なのは私にとってもほっとする出来事だ。

 

「ただ、この街は私がいるから魔物が寄ってこない」

 

 私は杖を城下に向けた。

 

「だからこうするわ」

 

 杖の先から巨大な魔力の塊を放つ。続けて次の塊を放ち、またその次を放つ。塊は雨の降る空の真ん中で音もなく解け、細かな線のように広がりながら街へ降り注いだ。

 

 線は屋根を抜け、石畳を抜け、その下にいた人々を貫いていく。

 

 大通りの人々が次々に倒れた。倒れた下から赤いものが雨に溶けて流れ出す。荷車を引いていた馬が前脚を折り、荷台の樽が石畳を転がっていった。

 

 少し遅れて悲鳴が上がる。悲鳴はすぐに数えきれなくなった。

 

「やめてください!」

 

 左の袖を掴まれた。彼の指が冷えきっているのは雨の影響だろうか。

 

「先輩、お願いです!やめてください!」

「濡れるわよ。もう少し下がっていなさい」

 

 私は腕を振り払わなかった。掴ませたまま、右手の杖で次の塊を放つ。

 

 袖を掴む力が少しずつ抜けていく。

 

 悲鳴は雨音と混ざって、下からいくらでも昇ってくる。耳を澄ませば一つずつ聞き分けられる。

 

 私は今まであってきた人々の顔と名前を思い出す。

 

 300年前初めてパーティを組んだ仲間。

 

 250年前、命がけで助けた子供たち。

 

 180年前、S級冒険者と認めてくれたギルドマスター。

 

 100年前、決して可愛くは無かったが幸せになった後輩。

 

 60年前に死んだ生意気な会計係。

 

 彼ら彼女らだけでなく数多の人々と出会ってきた。一人も欠かさず覚えている。

 

 彼らの子孫がこの下のどこかにいたかもしれない。

 

 人の命は何より大事なものだと、誰もが言う。私にとって、その言葉は中身を確かめたことのない預かりものの箱だった。皆が大事だと言うから大事にしてきた。持ってみて軽いことには、うすうす気づいていたのだと思う。それでも下ろす理由がないまま、300年抱えて歩いてきた。

 

 コルムに会って初めて、自分から欲しいと思うものができた。両手で抱きしめたい。そのために腕の中の箱を下ろして、ふたを開けてみる。中には何も入っていなかった。私は箱を蹴飛ばして空いた両手で彼を抱きしめることができる。

 

 城下では屋根が崩れ、どこかで火の手が上がっている。私はそれを眺めながら、コルムの前髪から雨が垂れているのが気になっていた。このままでは風邪をひく。あとで乾いた布を用意しよう。これからどこへ行くにしても、まずは暖かい部屋で体を温めてからの方が良い。

 

 彼の手が袖から離れた。

 

「どうして……俺は、俺はただ……」

 

 振り返ると、コルムは崩れた壁の手前に立ち尽くしていた。雨に濡れた顔で私と私の後ろの街を見ている。唇が続きを言いかけて止まった。

 

 頬を伝っているのは雨だけではなかった。彼は下で死んでいく見知らぬ人たちのために泣いていた。

 

「泣かなくていいのよ。あの人たちには、あなたが泣くほどの価値なんてないんだから」

 

 今なら言える。邪魔をするものはもう何もない。国も王も世間の目も、もう私を縛らない。しがらみから解き放たれた本当の私も、彼はきっと愛してくれる。そう私は信じている。

 

 濡れた髪を耳にかけ直す。外套の裾を握っていた指をほどいて、そっと彼のほうへ差し出した。指先が少し震えている。雨で冷えているはずの頬が熱い。彼の目をまっすぐ見られなくて視線が足元に落ちた。

 

「コルム、一度しか言わないから良く聞いておきなさい」

 

 なんて。本当は恥ずかしくて何度も言えないからだけど。

 

 城下から聞こえる悲鳴。火災で建物が崩れる音。血の匂いにつられ寄ってきた魔物の咆哮。どれもが鮮明に聞こえるはずなのに、自身の心臓の鼓動の音でかき消される。

 

 今まで生きてきて、声がこんなに小さくなるのは初めてだ。

 

「あなたのことが大好きです。私とつきあってください」

 

☆

 

 SSS級冒険者、イズナ=ヴィンターグレーンに気をつけろ

 

 改メ

 

 滅国の魔女、イズナ=ヴィンターグレーンに気をつけろ

 




0時にも投稿します。英雄と魔女編の最終話です。
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