空は赤く、月は黒い。
深界、ビルに挟まれた大通り。
象法師しか入れない世界は静謐に包まれていた。
その中に、ばちりっ、という小さな音が鳴る。
車道を高速で駆け抜けた瑠璃色の光が、通路の中央で動きを止める。
地面をスキッドして現れたのは少女。
氷見弥生だ。
黒のスーツに、腰の裏にベルトに曲刀二本を交差している。
ブーツや肩の周囲に稲光の残滓を残しながら、彼女は空を見上げた。
「来たか」
「来た、よ」
黒い月を背にして空に浮かぶ少女。
浅羽翠。
ゴシック調のドレスの上からローブを羽織っている。
手には古めかしい、身の丈もあるような杖。
杖の頭には綺麗な翡翠の宝石がはめ込まれていた。
魔女、あるいは魔法少女とでも呼ぶべき装いだ。
翠はゆっくりと降下し、弥生の前に降り立った。
「お昼ぶり、だね」
「ひどい目にあった」
「その割には、楽しそうだったけ、ど」
「楽しかったのは否定しないよ。……まぁ、これでも不良で通ってるし? 実際は≪言の海≫の仕事で公欠になって出席率が酷いことになってるだけだけど。あぁいう行事に、しっかり参加したのは初めてだったし」
「私も、も。病弱で通してる、から、ね。……楽しかった、なぁ」
「ん。まぁ、そうだね」
弥生は微笑み、翠も同じように笑って、
「≪万葉≫、≪千速降≫氷見弥生」
弥生は腰の刀を引き抜き、
「≪クラスセブン≫、≪アリストテレス≫浅羽翠」
翠は手にした杖を掲げ、表情から感情が抜け落ちた。
「悪いけど、生徒会は数を減らしてもらう」
「いいや。空衣唯は私が確保するため、残念ながら組織として瓦解することになる」
●
何よりも早く起きたのは、ばちり、と雷が弾ける音だった。
その音を翠が認識し、掲げていた杖を振るおうと予備動作を取った瞬間、
「―――遅いよ」
すでに、弥生は翠の背後に到達していた。
瑠璃色の雷光を全身から発しつつ、曲刀は振り抜かれている。
その行先は翠の首筋。
機械的な刀身の刃は、青白く発光していた。
光刃が翠の首筋に到達し、
「!」
肌からわずか一センチほどの隙間を挟んで、刃が制止した。
何か硬いものの激突したような感触。
目に見えない空気の壁が弥生の刃を阻んでいた。
「そちらは甘いな、≪万葉≫」
ぶっきらぼうな口調に変化した翠は視線だけで振り返るの共に、足元に円形の魔法陣が展開。
周囲の地面が隆起し、鋭い槍とになる。
それが、翠を中心に半径三十メートルの範囲に展開された。
足の踏み場はなく、一斉に出現した殲滅の槍群。
魔法陣の展開から槍群の発生まで一秒もなかった。
だが、
「まだ遅いね、≪クラスセブン≫」
弥生は槍群の範囲より外にいた。
「防御は、反応がいいというより事前展開してた? 攻撃の速度が今のじゃあ、私には一生追いつかないよ」
アキレス腱を伸ばした彼女は薄い笑みを浮かべる。
対し、翠の表情は変わらなかった。
「承知している。元よりお前に対して攻撃速度の土俵で競おうと思っていない」
翠は指運で杖を回し、再度魔法陣を展開した。
直系二メートルほどのものが彼女の背後に。
但し、その数は数十にも至った。
一つ一つが、槍群と同等の攻撃象法。
「……うっわ」
「私は量で戦わせてもらおう」
一斉に発動された。
「地水火風・四象、
●
自らに迫る無数の象法を、弥生は目撃した。
炎槍、水刃、竜巻、石槍、溶岩弾、氷礫、風塊、砂塵、その他諸々の無数の攻撃手段。
一つ一つの破壊は、実のところ弥生に重傷を負わせることができるものだ。
耐久力、という点において氷見弥生は特筆するべきものではない。
弥生が誇れるものはただ一つ。
「――!」
全身から稲妻が迸り―――世界が停滞していく。
迫っていた翠の攻撃がスローモーションになっていき、ほとんど静止した状態となった。
その中で、弥生だけは普段通りに動くことが可能だ。
停滞世界の中、弥生は周囲を見渡した。
眼前、翠の攻撃が壁のようになっているので、真っ直ぐ突っ切るのには面倒。
彼女は右を向く。
その先にはビルが並んでいる。
弥生はそこへ向かった。
停滞世界の中、重力が弱くなかったかのように跳ね、体のあちこちから稲妻が伸びる。
そのままビルの壁に向かい、
「っと」
そのまま垂直に駆け上がった。
加速し、ビル壁面を駆けながら、翠の攻撃を迂回して回避していく。
全身から瑠璃色の雷を生み出しながら。
その稲光が、氷見弥生の象法だ。
瑠璃色の雷は『何より速く、目指す所へ至る』という象力が形になったもの。
いわば、稲妻状の運動エネルギーだ。
音速を越えながら移動しつつ、本来生じるようなソニックブームは生み出さない、半ば物理法則を無視したもの。
その雷を生み出し、纏う限り、弥生は超高速の世界で走り抜けられる。
走った。
ビルを、翠の攻撃を越え、正反対の位置に。
停滞が終了した。
「消えっ――後ろかっ」
放たれた攻撃のうち、半分ほどが反転し、背後の弥生へと向かう。
その上で杖を頭上に掲げ、
「地火風・三象・
赤い空に直径三十メートル規模の大魔方陣を展開する。
そこから生み出されるのは硬質な金属塊が、超加熱されることで赤熱し、それらが強烈な熱風と共に押し出される溶岩の大雨だ。
「流れ落ち、焦がし払え」
灼熱が降り注ぐ。
魔方陣から放たれた絨毯爆撃は、翠の宣告通りに街を焼き払った。
わずか五秒で繁華街に並び立っていたビル群は残らず崩壊し、もう五秒後には原型を失い、さらに五秒掛けて何もかもが灰燼と帰す。
極大規模の殲滅攻撃。
その中で、
「音より速く」
翠の象法が発動する寸前、弥生は身をかがめた。
クラウチングスタートの態勢を取ると、ブーツが変形。
仕込まれていた機械機構が、膝下までを覆う脚甲に。
「稲妻より速く」
弥生の腕や指の指輪やアクセサリーもそれぞれが変形と拡大を繰り返しながら手甲に。
さらに彼女の右耳につけられていたイヤリングは一度砂のように分解された後、彼女の目元と口元を覆うゴーグルとマスクへ変貌した。
「―――光よりも、速く……!」
自らへ叫び、弥生は瞬発した。
そして、世界は停滞し、稲妻だけが加速する。
「……!」
降り注ぐ流星雨の合間を縫い、砕けたビルの破片を飛び越え、溶岩弾自体を時に切り払いながらも彼女は走った。
十五秒間で街を消滅させる破壊に対して、ただ走るだけで乗り越えられるのか?
氷見弥生にとっては是である。
その光景を翠も目撃していた。
都市部一つを破壊する炎の中、瑠璃色の輝きは損なわれない。
「≪万葉≫……!」
翠が口にしたのは、弥生が持つ日本象法界における称号だ。
象法師の階級―――その最上位。
通常、五から一級まである中の、例外階級。
現在日本においては僅か四人。
一騎当千ならぬ一騎当万の象法師であること。
かつての世界大戦で二度、日本に落とされた戦略兵器と同等であることを求められ、≪万葉≫が健在であることが象法世界における外交カードにもなり得るもの。
護国のための最強の盾にして矛。
事実、≪特異点≫の少女が普通の生活を続けられているのも、≪万葉≫である氷見弥生の存在が大きい。
「ちっ……!」
翠の視界では、瑠璃の稲光が連続しているようにしか見えない。
それは、翠の攻撃を回避し続けていることだった。
≪万葉≫を始め、世界各国の名だたる組織や機関の象法師の中でも最速とさえ呼ばれるのを、翠は知っていた。
瑠璃色のスピードスター。
史上最速の少女。
それこそが、≪千速降≫の氷見弥生に他ならない。
そして、流星雨が終わる。
十五秒間の破壊は、都市部を飲み込み灰燼とした。
焼け野原となった街。
「お疲れ」
しかし、弥生は傷一つなかった。
全身に瑠璃色のスパークをまとった彼女は、翠の対面五十メートルほどに離れた位置で足を止め、
「次は私の番だ」
両手に握っていた曲刀の柄をぶつけ合わせる。
柄頭に仕込まれていた合一機構が始動し、二つの刀を一つに繋げる。続けて、左右の刃の切っ先同士が青白い光で繋がり、形を得た。
弓だ。
その弦を一度、弥生は右の人差し指と中指で爪弾いた。
壊れた街と黒い夜空に鳴り響く、弦の音。
「――布瑠部」
弥生が周囲に放出していた雷光が、右手の中に収束する。
再度爪弾き、
「由良由良止」
雷が矢の形を得た。
瑠璃色の雷は運動力の具象化したものだ。
目指す場所に到達するという象力。
疾走の際に生じていた余剰分を累積させ、一つにまとめたものがその矢。
弥生が流星雨の対処をするのに効果範囲外に逃げるのではなく、わざわざ破壊の中を駆け抜けたのはそれが理由。
十五秒の疾走により蓄えられた雷は、矢となって番えられ、
「布瑠部――――≪千速降:武御雷≫」
放たれた。
それは極大の雷の柱だった。
光が閃光し、稲妻が走り、音が遅れて轟く。
翠の流星雨が街を焼き払うものならば、弥生の稲妻は街を両断するものだ。。
本来であれば三日三晩は祝詞を唱えなければならないような象法だが、機械刀内部に鋳込まれたデータチップ内に保存された電子祝詞によって手間を省略。
最新技術によって、準備工程を省略された雷光は回避も防御も迎撃も許さず、光の速度で翠へと到達し、
「虚象・
次の瞬間、瑠璃色の何もかもが消え去っていた。
●
≪言の海:万葉≫は日本最強を意味する称号である。
ならば、古来より全世界に根を張る技術者組織における≪
答えは、『傑作』である。
技術による革命が世界を突き動かす、という主義における傑作とは、その主義を実現しうるだけのスペックを秘めたもの。
連合のうち、超人部門によって浅羽翠は
そこでは生まれる前から最先端の科学技術による遺伝子操作が行われる。
結果生まれるのは、常人とは隔絶された象法の才能を持つ天才。
生まれてしまえば近代的な武器武装補助の類を用いず、固有の発動媒体のみで全ての象法行使を行う
浅羽翠の製造コード、≪アリストテレス≫。
偉大なる哲学者にして四大元素を司る象法師。
彼の再現体として生み出された翠は、同じく地水火風の四つの要素を用いる。
その上で、真髄は別にあった。
世界を構成する四つの元素、地水火風。
加えて、
「第五架空元素―――エーテル」
アリストテレスが提唱した五つ目。
紀元前より提唱されながらも現在に至るまで発見されていなかったこの世に存在しない『虚空』。
弥生の極大雷撃に対して、翠はそうした。
彼女の周囲に出現したのは不定形の翡翠だった。
形状も材質も質感も、何もかもは言語化不可能。
ただ、輝く翡翠ということしかわからない。
なぜならそれはこの世に存在しないものだからだ。
象力とは意味の力。
そして、その疑似エーテルは他者に理解させることを拒絶したもの。
故に、あらゆる象力は疑似エーテルの前では意味を為さない。
「音速、雷速、光速であっても関係ない。それは、理解できる範疇だ」
自分の攻撃を無効化され、硬直した弥生に翠は杖を向けた。
それに従って疑似エーテルが鞭のように伸び、
「っ!?」
彼女は一切の抵抗もできずに、胴体を両断された。
なぜならそれは理解できないから。
理解できないものに回避も防御も出来ようがない。
最強の盾であり、最強の矛。
「――――これで、終わ、り」
上半身と下半身が分けられた弥生を見て、翠は空を仰いだ。
数秒後に彼女は死ぬ。
そうすれば、もう誰も翠を止められない。
後は、今夜のうちに唯を誘拐してしまえばいい。
目を伏せると、瞼に浮かぶのは、
「たのしかった、な」
先輩と後輩の姿で。
目を開けると、
「……ぁえ?」
瑠璃色の稲光を見た。
●
理解不能の何かが弥生の体を両断した。
数秒後には死ぬだろう。
その数秒の中で、弥生は全身から雷光を放出する。
何もかもが停滞し、さらには停止し、
「―――事象は変えられない」
断たれていた体が、逆回しに接合。
翡翠の疑似エーテルもまた、軌道を遡っていく。
巻き戻ったのは、時間にすればほんの二秒ほど。
だが、確かに時間は『逆行』し、
「事象は変えず、決定に至る前に―――――」
正しく時間が進みだしながら超加速を敢行した。
「因果律よりも速く―――――!」
停滞された世界の中で弥生は疑似エーテルからほんの少しだけ体をずらした。
認識不可能な攻撃だが、しかし一度行われた事象だ。
結果として起きたこととして理解できる。
それにより、体を両断するはずだった攻撃は、腹部を僅かに掠めるに留まっていた。
「っはぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
そして、停滞を終えた直後の弥生は頬に手を当て、顔を覆っていたゴーグルとマスクの展開を解除する。
息は荒く、滝のように汗をかいていた。
「氷見弥生……君は……」
その様を見て、絶句する翠。
だが、その気持ちは弥生も似たようなものだった。
翠は無表情で、弥生は憮然としながらも、互いに睨み合った。
「……危ういことをする」
「お互い様、でしょ」
●
「随分とまぁ……ギリギリのことをしとるのぅ」
そして、その光景を遠くから見ていたヘイは呆れ気味に嘆息し、
「ヤバい、俺の先輩と後輩がバケモノ過ぎないか?」
拓斗は二人の戦闘行為にドン引きしていた。
次回クライマックスです
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