拓斗が学校から帰宅するとリビングにヘイの姿はなかった。
だが電気は付いてるから、家の中にはいるのだろう。
……昨日の話の続きを聞きたいんだがな。
『神遺物』とかいう物騒なものがこの街にある。
そして、放っておけば大勢が死ぬことになってしまうという。
いまいちピンと来なかったが、話はそこで一度終わりになった。
拓斗に疲れが有り、ヘイが眠って、続きは次の日にという話になったのだ。
しっかり眠り、朝ごはんもヘイとともに食べ、彼女に見送られたのだが、
「……ふむ?」
首を傾けつつ、リビングを出る。
秋宮邸は広い。
使っていない部屋も多く、拓斗も管理しきれていないほどだ。
廊下を進み、いくつかの部屋を通り過ぎると縁側に出る。
縁側の先には庭が広がっており、小さな池と松の木がある。
まず、差し込む夕焼けに目を細め、
「あぁ、タクかえ。おかえり」
そこに、ヘイはいた。
松の木にもたれかかり、素足の指先を池の表面に振れさせている。
黄昏色の光が彼女の漆黒の髪やチャイナドレスを照らし、不思議な雰囲気を漂わせていた。
見慣れたはずの自宅の庭が、全く別の世界のように感じる。
九月の終わりという時節、残暑も厳しいがこの場だけ涼しくさえあった。
何をしている、というわけでもない。
ただ、庭で座っているだけなのに。
……神様は、伊達じゃないってことか?
拓斗は自分でもあまり感じたことのない感覚に陥りつつ、ヘイへと言葉をい返した。
「ただいま。そんなところでなにを?」
「特になにかしとるわけではないのぅ。風情のある場所があるから、涼んでいただけじゃ」
「風情ね」
もう一度周囲を見てみる。
確かにヘイを中心とすれば風情があるかもしれない。
ただ、
「その池は、どうなんだ? 管理しきれてないから、綺麗とは言えないと思うんだが」
祖母が存命の時は鯉なんかも飼っていたらしいが、拓斗が引っ越した時はもういなかった。
今では定期的に薬剤を放り込んで、虫や異臭が湧きにくくしているだけ。
それも最近怠っていたので、今の池は緑に濁っていて、衛生的とは言えない。
「かかっ。これもまた命の営みの結果と思えば、悪いものではないのぅ」
ヘイの足が水面をなぞり、細い指先に緑の藻が引っかかる。
水面で遊ばせた足先に視線を送り、
「タク、そこに座りや。あぁ、いや。飲み物でも取ってくる来たほうが良いかもの」
「昨日の続きか?」
「否」
漆黒の瞳が拓斗に向けられた。
「お主の話が聞きたい」
●
キッチンに戻って、拓斗は言われた通り飲み物を用意した。
自分は無糖のアイスコーヒー。
ヘイはカフェオレ。
グラスを片手に、拓斗は縁日に腰掛け、ヘイは三人分ほど空けて右に座った。
日が沈んでいく中、生ぬるい風を頬に感じつつ、拓斗は首をひねった。
「俺の話……と言っても、何をすればいい?」
「妾は、死を気配として感じることができる」
……いきなりふわっとした感覚来たなー。
半目で右に視線を送りながら、彼女の言葉を聞く。
「妾が対処する『神遺物』なんかはその死が、それ自体に纏わりついているように感じるわけじゃな」
「死相、みたいなものか?」
「いや、ちと違う。来るべきはずの黄昏がたどり着かぬ……ぅんむ。感覚的すぎるから説明が難しいのじゃが、とかく妾は死から遠ざかっているものを感じることができると思うておくれ」
「わかった」
「よし。その上で、妾がお主を殺したのは、お主が『神遺物』だと思ったからじゃ」
「つまり……それは、俺が不死の類だと思ったって?」
「無論、勘違いじゃ。痛恨のミスとも言える。だが、妾が勘違いするほどに、お主は死に近かった……これは、本来在り得ぬはずのことじゃ」
「どのくらい在り得ない?」
「太陽が西から昇るくらいかのぅ」
「………………それは、不思議だな。そのわりには、ラーメン屋に連れて行かれて尋問されて終わったが?」
「妾側の関係者かと思ったから探りを入れたがそうでもなかったし、『神遺物』の気配もなかったからのぅ。一端リリースしたんじゃ」
「魚みたいなことを」
「ちゃんとキャッチしに行ったじゃろ。あぁなったのは妾も想定外ではあったから驚いたぞ?」
どこか楽しそうにヘイは肩を揺らし笑っていた。
拓斗は何度か首を振り、
「そうだな……」
アイスコーヒーを口に含む。
冷たい苦みが舌の上に広がり、その余韻を感じつつ、言う。
「死ぬことを、よく考えるんだ」
視界の中、庭には池と松の木。さらに奥には塀。
別に珍しくもない光景だ。
だが、それを見て拓斗は思う。
……いくらでも、死ぬことができる。
「池の縁の石、塀に上手い具合に転んで頭をぶつけたら死ぬ。池に頭を突っ込んで数分もしたら死ぬ。木の枝だって首をくくることができる。手に持ってるグラスも割ってしまえばガラスの破片だ。首に当てて横に引けば死ねる」
「自殺志願か?」
「別に、やりたいとは思わないよ」
我ながら奇妙な癖だと思っている。
人に言うことでもない。
ただ、何故そんなのことをするようになったか、だ。
「家族の話をしたよな?」
「天涯孤独になってこの家を貰っておる」
「そう。とにかく、家族はみんな亡くなってる。ただ……その中でも特別なのが父さんの死だった」
拓斗は思い出す。
「生まれてすぐ母さんが死んで、父さんは男手一人で育ててくれた」
「立派な御仁じゃの」
「ありがとう、俺もそう思う。良い父だったし、そうあろうと頑張っている人だった」
幼い記憶だが、父はいつも頑張っていたことを拓斗は覚えている。
幼稚園や小学校の諸々の雑務や家の家事に加えて父自身の仕事について。
シングルファーザーの多忙さは筆舌にしがたかっただろう。
「会話が多かったわけでもないと思う。俺も活力がある方ではないし、父も静かな人だった」
「それでも、愛があった」
「あぁ」
暗くなっていく空を見上げる。
父が亡くなってもう五年近くが経っていた。
「……冬だった。雪でスリップして、事故があったんだ。電柱に正面からぶつかった。それで、運転席が歪んで父さんは出られなくなった。でも、後部座席にいた俺を、父さんは頑張って車の外に出してくれた」
だから、拓斗は生きている。
「だけど、父さんは間に合わなかった。脱出する前に車が炎上して……父さんは死んだ」
車の外に逃げることができた拓斗の目の前で、車のエンジンが爆発して、父を炎が飲み込んだ。
その光景を覚えている。
「辛い経験をしたのぅ」
「死神様に言われるのは、不思議な感覚だ。……一時期は、家族がみんな死んでしまうから、自分が死神だとか思ったこともあったが……」
「残念ながらお主は死神ではないの。妾が保証しよう」
ウィンクするヘイに、拓斗は頷き、
「焼き付いてるのは、父さんの最後だった」
それは、
「笑ってたんだよな」
「……」
「俺を車から出したけど、父さんはまだ車の中にいた。でも、父さんは笑っていた……」
拓斗はヘイを見た。
沈んでいく夕日の中、漆黒の彼女は夜に溶けているようだが、それでも夜の闇より彼女の瞳は輝いている。
……黒に輝く、なんて変な話だが。
死に笑うにも変な話ではないだろうか。
「どうしてだと思う?」
「それを妾に聞くか?」
呆れ気味のヘイだったが、拓斗は大真面目だった。
「死だか、終わりの神様なんだろ? どう思う?」
「ややこいことを……個人の心象までは妾の管轄外じゃ。妾はもっと観念的なものであるからして……まぁよい」
彼女はため息を一つ。
「愛する息子を守れたのじゃ。父であるならば、己が身が死に瀕していても、微笑むには十分すぎる理由ではなかろうか」
「やはりか」
「おぉ? おおお? なんじゃ貴様。その反応あるかえ?」
「いや、悪い。俺もそういう想像はした。そう言ってくれる人もいた。そうなんだとも、思っている。愛を疑っているわけでもない」
ただ。
だとしても。
「死を前にして、自らの死を受け入れながら笑えるというのはどんな気分なんだろう」
そのことを、拓斗はずっと自問自答している。
答えはない。
聞くこともできない。
父はもういないのだから。
想像することはできても、確信はない。
信じることはできても、
「俺には、わからない。自分が死ぬのを想像するのは恐ろしい」
だからこそ、拓斗は死を想像し続けるのだ。
「俺は知りたい。あの時父さんが笑っていられるようなものが、なんなのか。それが俺にも手に入れられるのかを」
つまりそれは、
「このためなら死んでもいいかーーーそう笑えるものを知りたい」
ヘイに殺された時、前者は満たされた。
彼女のような美しいものに殺されるのならと、素直にそう思った。
でも、笑えはしない。
父のそれとはまた違う状況だったから。
「だからずっと、死を考えている。俺に死の気配を感じるなら、それが理由じゃないか? 悪いが、他には思いつかない」
「なるほどのぅ」
ヘイはグラスを傾け、空を見上げ、
「もう夜じゃ」
つられて、拓斗も視線を追う。
少し前までオレンジだった空はもう黒になっていた。
廊下の明かりが背に降り注ぐ。
「タク、お主はあれじゃな」
「なんだ?」
「辛気臭いのぅ」
拓斗は肩をすくめる。
そう言われても仕方がない。
……実際よく言われるしな。
ただ、とヘイは言葉を続けた。
「だからこそ、我が『契約者』に相応しいのかもしれん」
●
夜の街を拓斗はヘイと共に歩く。
昨夜とは少し離れた繁華街。
行き交う人は多く、カラオケや漫画喫茶、居酒屋、コンビニ、それらを含んだ雑居ビルが立ち並んでいる。
その中で傘にチャイナドレスの少女なんて相当に目立ちそうなものだがそんな様子はまったくなかった。
「面倒じゃからの。不思議なパワーでちょちょいと認識を弄っておる。この姿でも補導なんぞされんし、酒だって買えるわけじゃ」
「昨日の帰りのコンビニ店員が仕事をしてないわけじゃなかったのか……それはそれとして、どこに向かっている?」
「『神遺物』の前にお主と共有しておかんとならぬことがあるからの」
「『真我』とか『神遺物』以外にか?」
「それらは前提知識じゃ。今からは実践知識と行こうか」
ヘイが右手を掲げ、
「まずはこれじゃ」
指を鳴らす。
瞬間、どぷんっ、という水面を通り抜ける感覚。
拓斗は思わず足を止めた。
「これは……」
デジャブを覚えつつ、周囲を見渡せば、通行人は消え、空の色が変わっていた。
赤い空に黒い月。
「『深界』という」
ヘイも足を止め、こちらに振り返った。
「深海?」
「深い海と思うておるじゃろ。深い世界で『深界』じゃ。世界の裏側、普段お主が過ごしてきた世界と隣り合うもう一つの現実と覚えておけ」
「『深界』、わかった。こっち側に『神遺物』が?」
周囲を見回すと無人であることと色が違うこと以外はいつも通りといえばいつも通り。
「うむ、大体はの。タクも『真我』や『神遺物』なんて知らんかったであろ? 基本的に妾たちのような者は秘匿されておる。その要因の一つがこの世界じゃ。基本的には、こっちで派手にやる限り、表側の世界には影響はない」
「……基本的には?」
「そう、場合によっては影響が出るという意味でもあるな」
ヘイが再び歩き出す。
「昨日、水道管が破裂して復旧しておるとか言うてたじゃろ? それが『深界』からの影響で起きた事故じゃの」
「確かなのか?」
「無論。実際に赴いて確認した。今この街は、中々ややこい状況となっておるようじゃのぅ」
「こんな田舎でか?」
「妾がいる時点で相当にややこい状況ではあるがのぅ。ま、それは今は良い」
くくく、と彼女は三度笑う。
そして、歩みを進め歩道を越えて車道に足を踏み入れた。
……危な、くないのか。
一瞬、制止しかけたが、誰もいなければ、当然車も走っていない。
「『
車道の真ん中でヘイは足を止める。
傘をくるくると回しながら言葉を続けた。
「話した通り、妾のような『真我』は人と契約し、『契約者』とすることで世に関わることが許される。だが同時に、我が契約者は『神遺物』と戦うことを余儀なくされるのじゃ」
「察している。俺に何ができるのか分からないが……」
「そこじゃよ、タク」
傘の回転が止まった。
「お主、普通に話を聞いておるし、自分から話しておるから妾もこれ幸いと進めておるが、このままでよいのかのぅ」
「どういう意味だ?」
「『契約者』であるのは、わりと危険じゃ。妾は強いが、危険がないわけではないからのぅ。昨日の蛇のような化物と戦うことになるであろう」
「あぁ……そういうことか」
「うむ。つまりは、確認じゃな」
ヘイの言いたいことはシンプルだ。
……引き返すなら今、ということか。
昨日から彼女は知識を与えてくれ、拓斗自身の話も聞いてくれていたが具体的な行動に関してはまだ口にしていなかった。
指図をせず、ただ知らせてくれていただけだ。
その上で、拓斗は気づく。
……俺、最初から話に乗り続ける気しかなかったな。
特に戸惑いとかなく、ヘイの話を受け入れ続けている。
理解しきれているかどうかは別として。
その理由を考え、すぐに答えがである。
「まず、そもそもの話。その『神遺物』が野放しになって、人が死ぬとして。俺がそれを止める力になれるなら、止めたいと思う」
だって、
「人が死ぬのは悲しいし、辛い」
ずっとそれに苛まれ続けてきた拓斗だからこそ思うのだ。
「俺が父さんの死に囚われるような人が増えるのは嫌だ。それに……」
「ぅんむ?」
「俺を殺した責任、取ってくれないと困る」
肝要なのは、そこだ。
心臓を握り潰す彼女に魅入られてしまったのだから。
「カカッ。タク、お主、妾を口説くのが上手いのぅ」
「そんなつもりはないんだが……」
「責任に関しては忘れておらん。だからこそ、丁寧に説明しているわけじゃしの」
「ならいいさ。一先ず、できる限りはやってみるよ」
「カカカ、結構。お主は無辜の人々の命を守る。妾は不死を殺し、お主に対する責任を取る。それでよいか?」
「あぁ」
「うむ」
ヘイが傘を閉じる。
「それでは解説の続きに戻るかの。力の使い方からじゃな」
「あの、黒い剣とか、粒子のことか?」
記憶、というより若干トランス状態だったのか意識が曖昧だったが確かに妙な力を拓斗は奮っていた。
黒い粒子と剣、四肢に巻き付いていた布のようなもの。
「然り。剣は良いが、粒子の方は卵みたいなものじゃ。『契約者』の解釈によって在り方を変えるわけじゃが……」
ヘイが周囲を見回した後、ある一点を向く。
拓斗が視線を追った先は雑居ビルが並んでおり、
「ーーーーーシィィィィ」
その先に、蛇がいた。
一体ではない。
昨夜の大型の双頭蛇が二体。
加えて人間大くらいの大きさはある小型の双頭蛇が十数体。
ビルの隙間から湧き出てくるように出現していた。
「丁度良いのぅ。実戦で学んでいこか」
「…………ヘイ」
「なんじゃ?」
「さっきの会話で、俺が日和ったらどうするつもりだったんだ?」
「無論丁重に護りきって家に帰すつもりじゃったよ? そうなるとは思わなかったが」
「……そっか」
なら、まぁいいか、と拓斗は思った。
「タク、手を出せ」
ヘイが拓斗へ手を伸ばした。
「『契約者』の力はどこかしら触れた状態で、祝詞を唱える必要がある。覚えてるかえ?」
「あー……」
確かに、何か呪文のようなものを唱えた気がする。
「あった。あれを口にすれば良いのか」
「左様」
拓斗はヘイの手を取った。
小さく細い指を握り、祝詞とやらの言葉がなんだっか思い出す。
記憶は、すぐに浮かび上がってきた。
「黄昏を目指しながら、旅の意味を問う」
拓斗が紡ぎ、
「涙と共に踏み出し、微笑みと共に至る果てに約束を」
ヘイが繋げた。
黒の粒子が二人を包み込む。
ヘイの姿が消え、拓斗の四肢が黒を纏い、
『真器形成、<<終告剣・サイハテ>>」
漆黒の漢剣を握りしめる。
拓斗の背後には半透明となったヘイが浮かんでいた。
「シィィ……!」
姿を変えた拓斗に双頭蛇たちが警戒の声を上げる。
『さて、タクよ。妾の力、どう形とする?』
「どう、と言われてもな……」
『なぁに、難しく考えんでよい。さしあたり、お主なりの死と終わりをイメージすればいいんじゃ』
「……なるほど?」
拓斗は首を傾けつつ、剣を握り直した。
「――――そういうことなら、得意かもな」
感想評価よろしくお願いいたします。