――記録:イグゼリア中継環・中央サーバー室
その夜、中継環の配信記録の更新は取り消された。
取り消しの理由の欄には「整合性の不成立」とある。
実験体No.77の欄は残っている。
檻の前に打ち込んだ定義は、時刻とともに薄れている。
参照先の欄は、空いていない。
〈星間特務班《シグマ=レコード》任務ログ:オラクル・ダスク〉
任務番号:SD-11(継続) / 対象:イグゼリア中継環・中央サーバー室
目的:
① 実験体No.77の処置
② 檻への配管の停止
③ 黒檀部門への引き渡し
構成員:
隊長 アシェル=ヴェルグ
解析担当 ユノ=スレイト
技術担当 ザイ=ノーヴァ
情報担当 レア=ミーネ
備考:
管理責任者は転送により離脱。転送先は記録なし。
上の制御区画の生体反応、消失。
中継環からの予記の配信は不成立。
残されたエラー
ドクターの姿が消えた後も、サーバー室の空気は張り詰めたままだった。
静寂ではない。
耳鳴りに似た低い唸り、あるいは空間そのものの軋む音が、部屋全体を震わせているのだ。
それは、限界まで引き絞られたワイヤーが千切れる直前のような、神経を逆撫でする不協和音だった。
「……まだ、止まってないのか」
アシェルが呻くように言った。
鼻血を拭った袖が重い。だが、休んでいる暇はなさそうだ。
部屋の中央。
硝子の檻の中、《実験体No.77》の影が宙に浮いたまま、膝を抱えるように丸まっていた。
影の輪郭は、見ていて落ち着かないほど不安定に明滅していた。
ある瞬間には、ドクターが望んだような滑らかな球体になる。
次の瞬間には、苦痛に歪むトゲトゲしいノイズの塊へと弾ける。
二つの姿が高速で入れ替わり、そのたびに周囲の空間に青白い光の破片が散る。データ干渉の余波だ。
「数値、安定しません!」
レアが端末を操作しながら、悲鳴に近い声を上げた。
「檻の定義、切れかけています! それと配管です。ポンプがまた回り始めました。こちらからは何もしていません、外からです!」
檻の基部で、止まっていたはずのポンプが低く唸り始めていた。
「受け口は閉じてあります。でも、この子の参照先は、まだ予記に繋がったままです。定義が切れたら、また引き込まれます。このままじゃ、No.77自身が自己矛盾で崩壊します!」
「崩壊だと……? 爆発でもするってのか」
「爆発なんて生易しいものじゃありません! この子は今、座標の上では『現在』にいるのに、参照先だけが予記の中の未来に繋がっています。肉体と魂が、数億光年離れた二か所に固定されているようなものです。このズレが限界を超えれば、この子は弾け飛びます。……そうなれば、繋がっているこの中継環ごと、半径数キロの空間が消滅します!」
ザイが舌打ちをした。
「あの野郎、置き土産に時限装置を残していきやがったか。逃げたあとまで、綺麗事の夢を押し付けようってか。執念深いこった」
ザイはアサルトライフルの銃口をNo.77に向け、スコープを覗き込む。
だが、すぐに顔をしかめて銃を下ろした。
狙えない。
対象が物理的にそこにいない感覚。スコープの中で像がブレて、焦点が定まらないのだ。
「どうする? イチかバチか、力ずくでぶっ壊すか? このサーバーごと吹き飛ばせば、強制終了できるかもしれねえぞ」
「ダメだよ!」
ユノが叫んで、ザイの銃口の前に立ちはだかった。
両手を広げ、震えるNo.77を庇うように睨みつける。
「箱を壊しても、あの子に繋がってる参照先は切れない! それに……そんなことしたら、あの子自身も死んじゃうよ! ドクターの身勝手でこんな目に遭わされて、最後は部屋ごと吹き飛ばされて終わりなんて……そんなの、あんまりじゃんか!」
「……だろうな。俺も同感だ」
ザイは短く息を吐き、完全に銃を下ろしてセーフティを掛けた。
「だが、俺の銃じゃあ、その『幽霊』は殺せねえ。物理が無効なら、俺にできることはもうねえよ」
ザイは肩をすくめ、ゆっくりとアシェルの方へ振り返った。
「お手上げだ。……世話になりっぱなしだが、この散らかった現場、隊長の手で〆てくれ」
参照先
アシェルは、明滅するNo.77を見上げた。
影から溢れ出す膨大なデータ干渉が、物理的な熱量となって肌をチリチリと焼く。
目に見えない無数の針が、全身の皮膚を突き刺してくるような感覚だ。
アシェルの鼓膜の奥で、幻聴が響いた。
何億という笑い声、何億という泣き声、産声、そして断末魔。
それらが一つに混ざり合い、耳をつんざくようなノイズとなって、サーバー室を吹き荒れている。
それは、No.77の中から漏れ出している魂の悲鳴だった。
『誰か助けて』
『痛いのは嫌だ』
『でも、あの完璧な嘘の幸せも怖い』
言葉にならない感情の濁流。
アシェルはその濁流の中に、無数の、あり得たかもしれない未来の幻影を見た。
ドクターが演算した、誰も傷つかない世界。誰もが微笑み、誰も老いず、誰も育たない、完璧な絵画のような歴史。
「……あいつは、未来を見すぎている」
アシェルが、吐き捨てるように呟いた。
その声は、轟音のようなデータの風にかき消されそうになった。
「え?」
ユノが強風に煽られながら振り返る。
「ドクターの作った予記だ。あのクソ医者は、あいつの中に、何億という筋の未来をねじ込んだ。本来なら星一つ分の容量が必要なほどの歴史が、あいつ一人に直結されている」
アシェルは、檻の中の影を指差した。
「今のあいつは、両側から引かれている。予記に引き込まれても、引き裂かれても、あいつは残らない」
アシェルは杭を抜かなかった。
自分の胸に手のひらを当てる。
心臓の打つ場所の、さらに奥。
ノイズが沈み、霧が素通りしていった一か所がある。
何も書かれていない。
何にも触れない。
「杭は使わない。杭は定義を押し付けるだけだ。もう一度打てば、あいつは破損データのまま固まる」
アシェルは手を下ろした。
「壊す必要はない。参照先を断てばいい」
「参照先を……?」
レアが怪訝な顔をして、即座に端末を弾いた。
「理論上はそうです。でも、その参照先は『確定予記』の論理リンクです! ドクターの最高権限で保護されていて、物理的な刃物では触れることすらできません。ハッキングで外そうにも、相手はこちらの演算をはるかに超える速度を持つ自律プログラムです。こちらの解析が追いつく前に、私たちが焼き切られます!」
「ハッキングじゃない」
アシェルは一歩、前に出た。
「俺を使う」
彼は、嵐のようなデータの風圧の中を、No.77へと歩み寄っていく。
一歩進むごとに、情報の暴風がアシェルの精神を削り取ろうとする。
(幸福になれ)(痛みを捨てろ)(正解を選べ)
そんな甘い囁きが、脳の血管を内側から食い破るように響く。
それは頭の奥まで届いた。
胸の底の一か所にだけは、届かなかった。
「索引は参照点がなければ動かない。イレーナがそう言った」
アシェルは歩きながら言った。
「あいつの参照先を、俺の中に向ける。俺の中には、何も書かれていない場所が一か所ある。何も書かれていない場所は、参照できない。参照できなければ、索引はそこで止まる」
「……向けるって、まさか」
ユノが息を呑み、血相を変えて叫んだ。
「ちょっと、本気!? そんなことしたら、あの子に押し込まれてた予記が、全部アシェルの中に流れ込んでくるんだよ!?」
ユノはアシェルの腕を掴んで止めようとした。
手が震えている。
「無理だよ! あんなバカでかいデータ、人間の頭が耐えられるわけないじゃん! 何億って筋の未来だよ!? 何億って人の人生だよ!? それを全部頭に流し込まれたら、アシェルの人格なんて砂粒みたいに吹き飛んじゃうよ! 一瞬で脳が焼き切れて、廃人になるか、発狂して死ぬだけだよ!」
「耐えるさ」
アシェルは淡々と言い、ユノの手をそっと外した。
「普通の人間ならそうなるだろうな。自分の人生という器が満杯だから、余計な水を注げば溢れて壊れる。俺の器も、傷でいっぱいだ。だが一か所だけ、底が抜けている」
アシェルは胸を指先で軽く叩いた。
「捨て場が一つ空いてるだけだ。誰の役にも立たない、行き場のない未来の残骸くらい、いくらでも引き受けてやる」
アシェルは微かに口の端を歪めてみせた。
空白の抱擁
アシェルは、檻まで辿り着いた。
硝子に手を当てる。
檻の前に打ち込んだ定義は、もう薄れていた。
手が、水面に沈むように向こう側へ通る。
黒いノイズの嵐が、彼を押し返すように吹き荒れる。
アシェルは止まらず、その嵐の中へ腕を伸ばした。
「泣きつかれるのは迷惑だと言ったのは、俺だったな」
アシェルは誰にともなく言った。
「だから引き取る。泣く場所ごとだ」
「……怖がるな」
アシェルの手が、黒い影の奥にある実体に触れる。
冷たく、硬直した感触。
まるで凍りついた機械のような、あるいは死体のような温度。
「お前を殺しに来たんじゃない。ただ、お前の荷物が重そうだから、半分貰ってやるだけだ」
HUDの端に、文字列が浮かんだ。
《REQUIEM-CODE//LINK》
いつもなら、次は断罪に入る。
断罪は記憶の鎖を切る。切り方を間違えれば、本人が残らない。
だから、こちらからは切らない。
鎖の先を、自分に繋ぎ替える。
《REQUIEM-CODE//SEAL》
封印する場所は、胸の底の一か所。
No.77から伸びていた参照先の鎖が、ゆっくりとアシェルの方へ振れた。
「参照先、向きが変わりました!」
レアの声が裏返った。
「行き先は……隊長です!」
瞬間、世界が白く染まった。
ドクターの改訂の時とは比較にならない。
もっと荒々しく、鋭い奔流だった。
絶対零度に近い情報が、アシェルの腕を通じて脳内になだれ込んでくる。
(完璧な都市)(争いのない世界)(約束された幸福)(計算された死)
(無数の笑顔)(無数の人生)(エラーのない歴史)
ドクターが夢見た、何億という筋の未来。
その一つ一つに、街と人と死までが書き込まれている。圧倒的な正しさの質量。
それが一瞬にして、アシェルというちっぽけな個人の自我を押し潰し、塗り潰そうとする。
(――重い……!)
アシェルは歯を食いしばり、膝が砕けそうになるのを堪えた。
物理的な重さではない。これは意味の重圧だ。
脳の血管一本一本に、百科事典をねじ込まれるような激痛。
だが、アシェルは呑まれなかった。
彼の中には、一か所だけ底がない。
何も書かれていないから、果てもない。
「……悪いが、このファイルは破損している」
アシェルは低く言い渡した。
流れ込んでくる煌びやかな理想郷を、ただの不要なデータとして処理する。
「参照先:空白。この未来は、俺の現実には存在しない」
彼は自分の中の一か所の蓋を開けた。
中には、光も音もない。
下へ向かって、静けさだけが続いている。
押し寄せる完璧な未来を、すべてそこへ誘導し、投棄する。
空間そのものが、質量を持った情報の濁流に耐えかねて、低く重苦しい悲鳴を上げた。
現実の裏側で、巨大な鉄骨がへし折れるような圧壊音が響く。
データが滝となって、アシェルという一点に向かって落下していく。
だが、溢れない。
すべては音もなく吸い込まれ、底のない暗がりへと沈んでいく。
参照先は、何も書かれていない場所を指していた。
読むものがなかった。
鎖は、そこで切れた。
帰還
光が収束した。
空間を歪めていた圧力が消滅し、部屋を軋ませていた震えが、嘘のように消え失せる。
張り詰めていたものがほどけ、世界が本来の重力と、薄汚れた空気を取り戻した。
アシェルは、糸が切れた操り人形のようにその場に膝をついた。
膝頭が床を打つ鈍い痛みが、彼を現実へと引き戻す。
だが、その痛みすら遠くに感じるほど、内側の感覚がおかしい。
「……ッ、ぅ……」
全身の毛穴から脂汗が吹き出し、胃の腑が裏返るような激しい嘔吐感が襲う。
(……きついな、これは)
自分の中に、強烈な異物が入り込んでいる。
決して実現することのない、何億通りの幸せな未来。
それらがアシェルの空白の中で行き場を失い、腐敗し、ドロドロとした澱(おり)になって沈んでいく。
他人の見た夢の死骸が、底のない場所をどこまでも落ちていく感触。
澱は何も語らない。
読めるものには、ならなかった。
顔を上げると、目の前にはもう何も荒れていなかった。
データの嵐も、完璧な楽園の幻影もない。
ただの、薄暗いサーバー室だ。
「……ん……」
小さな、頼りない声。
黒いノイズの影が晴れた檻の底に、一人の少女が倒れていた。
痩せこけた体。ボロボロになった灰色の拘束衣。
手足は小枝のように細く、あちこちに点滴や電極の痕が残っている。
だが、その体には確かな質量と、人間としての体温があった。
彼女は薄く目を開け、焦点の定まらないままアシェルを見た。
怯えた子供の瞳だった。
自分を繋ぎ止めていた鎖が切れたのだと理解したのか、安堵したように深く息を吐き、泥のように眠りに落ちた。
「……参照先、消失しました」
班の中で最初に口を開いたのは、レアだった。声が震えていた。
信じられないという顔で、モニターとアシェルを交互に見ている。
「観測波形、正常化。No.77の生体反応、安定しています。彼女はもう、どの未来にも、どの過去にも接続されていません。ただの……一個の人間として、そこにいます」
「やったな、隊長」
ザイが大きく息を吐き、ライフルを肩に掛け直した。
「あの化け物じみたデータを丸飲みしちまうとはな。……とんだ悪食だぜ」
ザイは檻の基部に屈み込み、配管の弁を締め上げた。
継ぎ目を銃床で叩き潰す。
ポンプの唸りが、細くなって止んだ。
「これで、外から回しても流れねえ」
「アシェル……!」
ユノが駆け寄り、倒れそうなアシェルを支える。
その手の温かさが、冷え切った体に沁みた。
「アシェル……大丈夫? 意識、ある?」
「……あぁ」
アシェルは少女の寝顔を一瞥し、軋む体を無理やり起こした。
掌を見る。
火傷の跡は、まだそこにあった。
頭痛がする。
「ただの燃えないゴミだ。……腹の底に溜めとくさ」
ユノが檻の扉を開け、少女を抱え出した。
驚くほど軽かった。
欠片は一つではない
数時間後。
中継環の最下層、第四ドック。
サーバー室の騒ぎは、もう遠い。
重いオイルの臭いと、冷えた鉄の感触だけがあった。
搬入口のゲートが開く。
白い蒸気の向こうから、一団が降りてきた。
星草商会黒檀部門の回収班だ。
黒い封印服に身を包み、誰も口を開かない。
手にしているのは銃ではない。封緘具と記録器だ。
無言のまま、葬列のように展開していく。
ゲートの外には、別の一団が残っていた。
星草商会輸送警備部の護衛だ。
こちらは銃を提げている。装甲服の肩に、葉の紋章がある。
彼らはゲートの線から内へは入ってこない。
回収班の中心に、イレーナがいた。
濃紺の実務装束。暗い色でまとめた髪。
彼女が歩くと、護衛たちが身を強張らせ、視線を逸らした。
銃を持つ者が、銃を持たない女を避けている。
封印管理者は、記録の上で人の名前を数字に変えられる。
イレーナはそれを気にも留めず、アシェルたちの前で足を止めた。
「……随分と派手にやったものね」
イレーナはボロボロになったシグマ=レコードの面々を見回した。
「搬送便のテレメトリは、こちらにも流れていたわ。行き先がここなのも、着いた時刻も」
回収班が散っていく先へ目をやる。
「上の制御区画は空だった。人も端末も、座標ごと消えている。檻への配管は、壁の中を通って外へ抜けていた。回したのが誰かは、どこにも書かれていない」
一度だけ、息を吐く。
「……少なくとも今夜、世界が書き換わることはなくなった」
「報告書は回す。今度も四十二枚だ」
アシェルはぶっきらぼうに答えた。
「全部読むわ」
イレーナは短く返した。
アシェルは背後のストレッチャーを顎でしゃくった。
そこには、医療ポッドの中で眠る少女――かつての《実験体No.77》が収容されている。
彼女の顔色はまだ蒼白だが、その輪郭はもう明滅していない。ただの人間として、静かな寝息を立てていた。
「こいつも、お前らが引き取るんだな?」
「ええ。彼女はもう索引の参照点ではないけれど、改訂派の所業を証明する重要な証人よ。私たちが責任を持って保護するわ。記録の写しは、第三観測会の連絡担当にも回す。……彼女自身が、普通の生活を望むのなら、それを用意することもできる」
合図ひとつで、回収班がポッドを運び出していく。
イレーナはそれを見送り、アシェルの方へ一歩寄った。
「でも、油断しないで、アシェル」
声を潜め、警告のように囁く。
「今回あなたが断ったのは、参照先の一本に過ぎない」
アシェルは眉を顰め、煙草を取り出した。
「……なんだと?」
「核は割れる、と言ったはずよ」
イレーナは、ドックの天井を見上げた。その先の暗い宇宙を見るように。
「割れた欠片は、イグゼリアの一つだけじゃない。私の箱の中にも一つある。ほかにも、まだこの宇宙のどこかに眠っている。改訂派の理念は死んでいないわ。彼らは必ず、次の欠片を探し出す」
アシェルは、作戦室の卓に広げたままの紙を思った。
索引核の概形。
その線の先は、まだ描かれていない。
「……また、同じことを繰り返す気か」
「そうさせないために、私たちがいる。でも……」
イレーナの表情が曇る。
「ほんの一瞬だけ観測されたの。あなたが参照先を断ち切った、まさにその瞬間。その衝撃に呼応するように、“無記の海”の向こう側から……何かが、こちらを覗き込んだ気配が」
アシェルも天井を見上げた。
分厚い装甲板の向こうに広がる、観測不能の領域。
何も見えない。
だが胸の底の、何も書かれていない場所が微かに疼いた。
覗き込んできたものは、怪物の形をしていなかった。
物理法則も論理定義も通用しない、観測することすら許されない記録の外の意思だ。
そいつと、目が合った気がした。
覗き込むな、と言ったのは自分だった。
背筋を冷たいものが這い上がる。
(……上等だ)
アシェルは震えそうになる指先を抑え込み、煙草のフィルターを強く噛んだ。
火はつけない。ここは火気厳禁のドックだ。
「欠片が幾つあろうが、藪医者が何人来ようが関係ない」
アシェルは吐き捨てるように言った。
「散らかったら、また俺たちが掃除しに行くだけだ。……それが、俺たち用務員の仕事だからな」
彼は踵を返し、仲間たちの方へ歩き出した。
ザイが大きな欠伸をし、銃の手入れをしている。
レアが機材の最終チェックを終え、重そうにケースを抱え上げた。
ユノが「もう、無茶ばっかりするんだから」と呆れたように笑い、アシェルに手を差し伸べる。
誰もが傷だらけで、泥だらけだ。
「帰るぞ」
アシェルは仲間たちに声をかけ、ドックの出口へと向かった。
足取りは重かった。
「……腹が減った」
「あ、私も!」
「俺もだ。肉が食いてぇ。合成肉じゃなくて、本物の」
「経費で落ちますかね……?」
とりとめのない会話が、冷たい通路に反響していく。
艦に戻ると、アシェルは通信卓で管制を呼んだ。
「――《オラクル・ダスク》より管制へ。
任務SD-11、イグゼリア中継環にて終了。
中継環からの予記の配信、不成立。
管理責任者は転送により離脱。転送先は記録なし。
檻への配管、停止。
実験体No.77の参照先を断絶。No.77は黒檀部門へ引き渡し。
断絶した参照先の受け先は、記載しない」
断罪の徘徊者たちの長い夜は、ひとまず静かに明けていった。
第十三話 観測規約改訂の夜:索引の断絶 了
観測規約改訂の夜 完