【完結】断罪の徘徊者   作:牛倉弥兵衛

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インターミッション:アルディーネの青い陽光

――記録:リゾート惑星アルディーネ

 

ヴィラ・アナスタシアの予約記録に、スイート四名分が書き込まれた。

期間は三泊四日。食事付き。

支払者の欄には「星草商会黒檀部門」とある。

費目の欄には「技術料」とある。

宿泊者の氏名の欄は、四つとも空いている。

 

〈星間特務班《シグマ=レコード》任務ログ:オラクル・ダスク〉

 

任務番号:なし / 対象:リゾート惑星アルディーネ

目的:

 ① 休暇

 

備考:

 費用は星草商会黒檀部門の負担による。

 

似合わない休暇と、荒野の煙

星草商会が開発したこの星は、銀河で最も美しい人工の楽園として知られている。

空は計算され尽くした抜けるような蒼。

海は宝石を溶かしたようなエメラルドグリーン。

白い砂浜は、不純物を一切含まないほどに磨き上げられている。

その、絵葉書を切り取ったような波打ち際で、場違いなほど重厚で、食欲をそそる香ばしい煙が上がっていた。

「……煙い」

パラソルの下、アシェルは不機嫌そうにサングラスの位置を直した。

彼が着ているのは、いつもの防刃コートではない。

現地の土産物屋で売っていた、派手な柄の開襟シャツだ。

似合っていないことは、自分でも痛いほど自覚している。

「いいじゃん、アシェル。タダなんだし」

隣のデッキチェアで、ユノがトロピカルジュース――果実が山盛りにされ、小さな傘が刺さった浮かれた飲み物――を啜りながら笑った。

彼女は白い水着にパレオを巻き、この場の空気に完全に適応している。

「イレーナからの『技術料』に含まれてたんでしょ? 『最高級ヴィラ・アナスタシアのスイート四名分。三泊四日の食事付き』。断ったらもったいないよ」

「口止め料だろ」

アシェルは寝そべったまま、サイドテーブルのビールに手を伸ばした。

「『余計なことを喋る前に、口に美味いものでも詰め込んで黙っていろ』っていう、黒檀の連中なりのメッセージだ」

「おう、そのメッセージなら喜んで受け取るぜ。……見てみろ、この完璧な『バーク(樹皮)』を」

少し離れた場所で、ザイが巨大な鉄の塊――円筒形のオフセット・スモーカー(燻製器)と格闘していた。

直火で炙るのではない。

薪を燃やした熱と煙だけを循環させ、低温で長時間、巨大な肉塊を育て上げる。

かつて古代地球の荒野で生まれたとされる、最も原始的かつ技術的な調理法だ。

「これぞ肉料理の原点、『ロー・アンド・スロー(低く、ゆっくり)』だ」

ザイは愛おしそうにスモーカーの蓋を開けた。

中には、粗挽きの黒胡椒と塩で真っ黒になった巨大なブリスケット(肩バラ肉)が鎮座している。

「合成肉じゃこうはいかねえ。繊維の一本一本が煙を吸って、とろけるようなゼラチン質に変わる。……焼くんじゃねえんだ。煙で撫でるんだよ」

「ザイ、こだわりすぎ。もう六時間も経ってるよ?」

レアがパラソルの影で、防水仕様の端末を指先で弾きながら言った。

彼女もまた、普段の実務服ではなく、ラフなラッシュガード姿だ。

「観光ガイドによると、この星は商会の『創業にまつわる古い伝承』をモデルに造成された場所らしいけど……まさかその時代から、こんな煙たい料理があったの?」

「あったさ。開拓者たちの魂だ」

ザイはナイフを取り出し、黒い塊に刃を入れた。

抵抗なく刃が沈み、断面から美しいピンク色の層(スモーク・リング)と、溢れ出す肉汁が現れる。

「ハイテクなオーブンじゃ出せない味だ。……ほらよ、隊長」

切り分けられた肉が、紙皿に乗せられてアシェルの前に差し出された。

ソースはいらない。塩と胡椒、そして薪の香りだけで完成された味。

「制御された楽園で、野蛮な肉を食う、か」

アシェルはサングラス越しに、完璧すぎる青空を見上げた。

ドクターが作ろうとした漂白された幸福には、決して存在しない泥臭い旨味。

それは、彼ら用務員の生き方そのものだった。

「……悪くはない」

アシェルは手づかみで肉を放り込み、冷えたビールで流し込んだ。

強烈なスモークの香りと、濃厚な脂の甘み。

腹の底に沈んだ、重苦しいデータの残滓が、圧倒的な生命の味で上書きされていく。

アシェルは胸ポケットから煙草を一本抜いた。

ドックで噛むだけだった一本だ。

今度は火をつけた。

「煙いって言った人が煙を足すんだ」

ユノが呆れたように笑った。

「ザイ、もう一枚だ。……一番脂の乗ったところをよこせ」

 

アルディーネ・コーストライン

翌朝。

アシェルは、死を覚悟したとき特有の、あの研ぎ澄まされた静寂の中にいた。

場所は硝煙香る戦場ではない。

雲ひとつなく、残酷なほどに美しい、アルディーネの海岸線を走るスカイライン・ロードだ。

だが、彼が乗せられている乗り物は、平和なリゾートには明らかにオーバースペックだった。

「ヒャッハー! 最高だぜ隊長! この振動! このG! 風が肺に叩き込まれてくる! これこそが『生きてる』って感覚だろ!?」

運転席で吠えているのはザイだ。

彼が操っているのは、現地でレンタルした(と主張している)軍用規格の四輪バギー。

タイヤは岩場を噛み砕くために肥大化し、フレームは剥き出しの鉄骨。

安全装置という軟弱な概念は、おそらく設計段階で海に捨てられている。

「……前を見ろ、ザイ。前を」

アシェルは助手席のロールバーを、指の関節が白くなるほどの力で握りしめていた。

風圧でサングラスが飛びそうになるのを必死で耐えながら、低い声で呻く。

「俺たちは休暇に来たんだ。事故死しに来たんじゃない」

「ハッ、戦場の弾幕に比べりゃあ、ここのカーブなんて赤子のハイハイだぜ!」

ザイは豪快に笑い、アクセルをさらに踏み込んだ。

エンジンが野獣のような咆哮を上げ、車体はガードレールすれすれのラインをドリフトで駆け抜ける。

その瞬間、アシェルの視界が一気に開けた。

息を呑むような、圧倒的な色彩の暴力。

眼下には、エメラルドグリーンの海がどこまでも広がっていた。

波打ち際はクリスタルのように透き通り、沖へ行くほどに深い藍色へとグラデーションを描く。

白い断崖絶壁には、この星特有の極彩色の花々が咲き乱れ、風に揺れるたびに甘い香りを振り撒いている。

それは、血と鉄錆にまみれた彼らの日常とは対極にある世界だ。

あまりにも鮮やかで、あまりにも平和で――だからこそ、幻のように儚く見える。

「……お前、昔から運転だけは荒かったな」

アシェルは風に声を張り上げた。

ふと、数年前の記憶が蘇る。

「あの砂漠のコロニーでもそうだった。部隊が全滅して、お前一人だけが残ったあの戦場だ。回収しに行った俺たちの装甲車を奪って、『俺が運転する』と言い出したときも……これくらいの無茶な速度だった」

「ああ? そりゃそうだろ!」

ザイはハンドルを切り返し、ニヤリと笑った。

その笑顔は、少年のように無邪気で、どこか寂しげだ。

「止まったら死ぬ状況だったからな。走り続けるしかねえ。……生き残ったのが俺一人だけなら、なおさらだ。死んだ連中の分まで、アクセル踏んで前に進むしかねえだろうが」

ザイの言葉が、風に溶けていく。

彼はただのアウトドア好きの筋肉馬鹿ではない。

生きることに、誰よりも貪欲で、真摯な男だ。

死んだ仲間たちの分まで「生」を味わい尽くそうとする、その渇望が彼を走らせている。

「……だがな、隊長」

ザイは少しだけ速度を緩めた。

エンジン音が落ち着き、タイヤがアスファルトを噛む音と、潮騒だけが耳に残る。

「今は違うぜ。今は『逃げる』ために走ってるんじゃねえ。この風を、光を、ただ感じるためだけに走ってるんだ。……贅沢な話だよな」

ザイは目を細め、キラキラと輝く水平線を見つめた。

そこには敵もいない。追っ手もいない。

ただ、どこまでも続く自由な青があるだけだ。

「戦場じゃ、景色なんて見てる余裕はねえ。空が青かろうが赤かろうが、次に飛んでくる弾のことしか考えねえからな。……だからこそ、こうして何もしないで、ただ綺麗なモンを眺める時間が、すげえ尊く感じるんだよ」

アシェルは、隣の男の横顔を見た。

そして、ゆっくりとロールバーから手を離し、背もたれに体を預けた。

強張っていた筋肉が、少しずつ緩んでいく。

「……そうだな」

視線を海に向ける。

視界いっぱいに広がる青と緑。

陽光が海面に反射し、無数のダイヤモンドのように煌めいている。

記録に残す必要のない、ただ流れて消えていくだけの美しい景色。

だが、その一瞬の輝きこそが、彼らが命を削って守ろうとしているものの正体なのかもしれない。

「悪くない風だ。……ただし、速度は法定内にしてくれ」

「へいへい、了解!」

ザイは楽しげに口笛を吹き、ギアをトップに入れた。

結局、速度は下がらなかったが、アシェルはもう文句を言わなかった。

頬を撫でる風が、冷房の風とは違う、確かな生きた温度を含んでいることに気づいたからだ。

 

アルディーネ・センターモール

ザイの絶叫ドライブで一日を費やし、泥のように眠った翌日。

三日目の午後にアシェルを待っていたのは、安息のベッドではなかった。

ヴィラのロビーで待ち構えていたユノとレアによる、強制連行だった。

場所は、アルディーネ・センターモール。

星草商会の流通網をフル活用し、銀河中のハイブランドからローカルな民芸品までが集結した巨大な商業施設だ。

空調は完璧、照明は煌びやか、そして行き交う人々は皆、幸せそうに財布の紐を緩めている。

「……帰りたい」

アシェルはショーウィンドウの前で、心底疲れ切った声を漏らした。

だが、その両脇は二人の女性によってガッチリと固められている。

「ダメ。逃がさないよ、アシェル」

ユノがアシェルの右腕を抱え込み、不満げに頬を膨らませた。

「せっかくのリゾートなのに、その土産物屋で買った『謎の海藻柄アロハ』はずっと気になってたんだから。アシェルのファッションセンスが壊滅的なのは知ってるけど、一緒に歩く私たちの身にもなってよね」

「同感ですねぇ」

左側でレアが、タブレット端末をくるくると指先で回しながら、どこか楽しげに同意した。

「隊長の色彩構成って、平常時は『黒・灰色・くすんだカーキ』で九十八%でしょう? そんな殺伐とした色使いじゃ、『休暇中の観光客』っていうより、『休暇中に要人暗殺に来たヒットマン』ですよ。セキュリティAIが過剰反応して、警報鳴らしちゃいますって」

「……誰がヒットマンだ」

「データ上の見た目はそうだって話ですよ」

レアはくすりと笑い、目の前のブティック――極彩色のリゾートウェアが並ぶ店――を指差した。

「というわけで、今回のミッションは『隊長の視覚的無害化』。もっと簡単に言えば……『怖くない隊長を作ろうキャンペーン』です。さ、行きますよ」

「おっしゃー! 総員、突撃!」

「おい待て、俺の意思は――」

アシェルの抵抗は虚しく、極彩色のジャングルのような店内へと引きずり込まれた。

そこからは、アシェルにとっての地獄――ユノにとっては天国のような時間が始まった。

「見て見てアシェル! これとかどう!? これくらい明るくないと!」

ユノが満面の笑みで持ってきたのは、目が覚めるようなショッキングピンクのシャツだった。背中には、なぜかサングラスをかけたフラミンゴが刺繍されている。

「……却下だ。鳥は食うものだ、背負うものじゃない」

「えーっ、可愛いのに! じゃあこっちは? 蛍光イエローのタンクトップ!」

「目が潰れる。それに露出が高すぎる」

「いいじゃん、筋肉見せていこうよ! せっかくザイ並みに鍛えてるんだからさあ」

ユノは次々と、アシェルのハードボイルドなイメージを粉砕するようなアイテムを持ってきた。

彼女は楽しんでいる。

普段、眉間に皺を寄せて難しい顔をしている隊長を、おもちゃにして反応を見るのが楽しくて仕方がないのだ。

「隊長、こちらなんてどうですか?」

レアが飄々とした足取りで割り込んできた。

彼女が持ってきたのは、ユノの選んだものよりは幾分落ち着いた、幾何学模様のシャツだ。ただし、襟の形がアシンメトリーで、ボタンが異常に多い。

「最新のアルディーネ・モードらしいですよ。隊長の骨格データと筋肉量を計算に入れてシミュレーションしてみたんですが、シルエットだけは抜群に綺麗に出るはずです。……まあ、着るのにちょっとパズルみたいなコツがいりますけど」

「……ボタンが二十個もあるぞ。着るだけで日が暮れる」

「慣れですよ、慣れ。それに、この無駄に複雑な感じが、隊長の『面倒くさい性格』を表現していて、ある意味お似合いじゃないですか?」

「……お前、俺を褒めてるのか貶してるのかどっちだ」

「さあ? どっちでしょうねぇ」

レアは食えない笑みを浮かべ、アシェルの背中をポンと押して試着室へと追いやった。

「ほらほら、つべこべ言わずに着てみてください。データ収集も兼ねてるんですから」

狭い個室で、アシェルはため息をつきながら着替えた。

カーテンを開けるたび、二人の審査員による容赦ないジャッジが下される。

「うーん、なんか違う。アシェルがいかつ過ぎて、服が負けてる」

「隊長の目つきが殺伐としているせいで、ファンシーな柄と喧嘩してますねぇ。もうちょっとこう、愛想よくできません?」

「もっと笑ってよ! ニッコリ!」

「……無理を言うな」

十着目だろうか。

アシェルは鏡の中の自分を見た。

淡いブルーのリネンシャツに、ベージュのチノパン。

足元は革靴ではなく、リゾート用のデッキシューズ。

普段の自分なら絶対に選ばない、軽薄なほどに爽やかな格好だ。

だが不思議と、鏡の中の男は、いつもの疲れた用務員よりも少しだけ若く見えた。

肩の力が抜け、憑き物が落ちたような顔をしている。

「……ねえ、アシェル」

ふと、ユノが真面目な声を出した。

鏡越しに目が合う。彼女は少しだけ照れくさそうに、でも真っ直ぐにアシェルを見ていた。

「どうした」

「たまにはさ、そういう『普通の色』も着てよ」

ユノは手に持っていた別のシャツをぎゅっと握った。

「仕事中は真っ黒でいいけどさ。アシェルは幽霊でも影でもないんだから。ちゃんと生きてる人間なんだから……たまには、生きてる人間っぽい色、纏っててほしいんだよね」

アシェルは言葉に詰まった。

隣でレアも、いつもの軽口を叩かずに、静かに頷いている。

「推奨しますよ。隊長が『人間』らしくいてくれないと、部下の私たちが気苦労しますからねぇ」

こいつらは、俺を着せ替え人形にして遊んでいるだけじゃない。

俺をこちらの世界に繋ぎ止めようとしているのだ。

未来のデータや、胸の底の空白に飲み込まれないように。

鮮やかな色を塗りたくることで、俺の輪郭をはっきりさせようとしている。

「……参ったな」

アシェルは小さく息を吐き、自分の頭を無造作に掻いた。

そして、観念したように、シャツの襟を直した。

「わかった。……この青いのは、貰う」

「本当!?」

ユノの顔がパッと輝いた。

「ああ。悪くない」

アシェルは短く言い、それから釘を刺すように付け加えた。

「ただし、あのピンクのフラミンゴだけは絶対に無しだ。あれを着るくらいなら裸で歩く」

「ちぇーっ。可愛かったのに」

ユノは唇を尖らせたが、その目は笑っていた。

それから、レジの横の籠から貝殻の髪留めを一つ取った。

「それは」

「あの子に。普通の生活ができるようになったら渡すの」

アシェルは何も言わず、それも請求書に入れるようレアに目で合図した。

「はいはい、それじゃお買い上げってことで」

レアが手元の端末を操作し、決済画面を呼び出した。

「ちなみにこのシャツ、現地素材を使った一点物なんで、お値段もそこそこ『鮮やか』ですよ? ……ま、イレーナへの請求書に乗っけておきますけど」

「……好きにしろ」

「了解です。――さて、外見(ガワ)の補修は終わりましたけど」

レアはアシェルの顔をじっと覗き込み、いたずらっぽく口角を上げた。

「次は地肌(テクスチャ)の磨き上げですね。服だけ綺麗になっても、顔色が『ゾンビ一歩手前』じゃ台無しですから」

「……おい、まだ何かあるのか」

アシェルの背筋に、嫌な予感が走った。

「予約してあるんですよ、極上の『メンテナンス』を。逃がしませんよ、隊長?」

 

ヴィラ・アナスタシア、メディカル・スパ

極彩色のショッピングから解放されたアシェルを次に待っていたのも、やはり安息のベッドではなかった。

ヴィラに併設された最高級メディカル・スパ。

薄暗い照明の中、環境音楽が流れ、そこだけ時間の流れが遅くなっているような空間だ。

「……で、なんで俺がここにいるんだ」

アシェルは施術台の上に座らされ、不満げに眉を寄せた。

だが、その格好はすでにバスローブ一枚だ。

「観念してくださいよ、隊長」

レアが、施術師の横で涼しい顔をして立っていた。

手には自分の端末を持ち、画面を指先で遊び半分に弾いている。

「さっきのショッピングでわかったでしょう? いくら綺麗な服を着せても、中身がボロボロじゃあ映えないんですよ。今の隊長、はっきり言って『磨く前の古タイヤ』みたいな質感ですし」

「……言い草が酷くないか」

「事実ですからねぇ。肌の水分量、皮脂バランス、筋肉の硬直度……どれも『生き物』としての推奨値を下回ってます。このままじゃ、次の任務の前に体が錆びついて動かなくなりますよ? ギシギシいわせながら戦う隊長なんて、見たくないでしょう?」

レアはくすくすと笑った。

その目は冷徹にデータを解析しているようにも見えるが、口調はあくまで軽い。

心配しているのか、面白がっているのか。その境界線をあえて曖昧にしているような態度だ。

「それに、ここの料金も全部イレーナ持ちです。あの黒檀の女狐に、高い請求書を送りつけるチャンスですよ? 徹底的に『メンテナンス』して、ピカピカになってやるのが最大の復讐だと思いません?」

「……復讐の方向性がおかしいだろ」

アシェルはため息をついたが、これ以上の抵抗は無駄だと悟った。

レアは一度言い出したら、飄々とした態度で外堀を埋めてくる。

「はいはい、諦めて力を抜いてください。――お願いします、先生。この偏屈な用務員さんを、新品同様にリフレッシュしてあげてください」

レアの合図で、数人の施術師たちが動き出した。

温かい泥パックが顔に塗られ、熱した石が背中に置かれ、凝り固まった筋肉が容赦なく揉みほぐされていく。

「……ぐ、ぅ……ッ」

「おや、痛いですか? そこ、自律神経が参ってる証拠ですねぇ」

レアはアシェルの苦悶の表情を、楽しげに端末で撮影している(記録用、と言い張りながら)。

「いいですね、毒素が出てる顔です。大丈夫、死にはしませんから。終わる頃には生まれ変わってますよ」

アシェルの意識が、ハーブの香りと温熱の中で遠のいていく。

戦場の緊張感とは違う、強制的な脱力。

(……あいつら、本当に好き勝手やりやがる)

そう思いつつも、泥のように重かった体が、少しずつ軽くなっていくのを否定できなかった。

 

サンセット・テラス

日が沈み、空が深い群青色に染まる頃。

ヴィラのテラスには、心地よい夜風と、極上のスモークの香りが満ちていた。

いよいよこのバカンスも、最後の夜だ。

「あー、食った食った! やっぱ肉だよな、肉!」

ザイが満足げに腹をさすりながら、ビール瓶を傾けている。

その横で、ユノもデザートの果物を摘みながら、うっとりと夜景を眺めていた。

「買い物もしたし、美味しいものも食べたし……これでもう少し休暇が長ければ最高なんだけどな」

「贅沢言わないの。三泊四日でも奇跡なんだから」

レアが端末を片手に戻ってきた。

「さて、そろそろ隊長の『オーバーホール』が終わる頃かな」

「オーバーホールって……機械じゃないんだから」

ユノが笑ったその時、テラスのガラス戸が開いた。

「……待たせたな」

現れたアシェルを見て、三人の動きが止まった。

新しいリネンのシャツに身を包んだアシェル。

その表情はいつもの不機嫌そうな仏頂面なのだが――

肌が、輝いていた。

長年の過労と寝不足で土気色だった肌が、ゆで卵のようにツヤツヤと潤い、血色が良く、頬には健康的な赤みが差している。

目元のクマも消え失せ、瞳には生気が宿り、全身からマイナスイオンのような清浄なオーラが漂っていた。

「……っ、ぶッ!!」

ユノが耐えきれずに吹き出した。

「あ、アシェル!? 顔! 無駄に輝いてる! 誰!?」

「健康優良児だな、隊長」

ザイも腹を抱えて笑った。

「渋さがねえ! ハードボイルドが台無しだぞ! どこの新人俳優だよ!」

「……うるさい」

アシェルは顔を背け、自分の頬を触った。

指が滑るほどにスベスベだ。

掌を返す。

火傷の跡は、そこに残っていた。

「傷には触らないように頼んでおきました」

レアが端末から目を上げずに言った。

「消したら怒るでしょう、隊長」

「レア、お前……あそこで俺に何をした」

「何って、標準的な『蘇生コース』ですよ?」

レアは飄々と肩をすくめた。

「ちょっと高級な美容液をボトル一本分くらい浸透させた気もしますが……まあ、経費ですから。どうです? 体が軽いでしょう?」

「……軽すぎて、調子が狂う」

アシェルはため息をつき、テーブルの席についた。

だが、そのため息さえもどこか爽やかだ。

「まあ、いいじゃないのさ。ピカピカのアシェルも」

ユノが笑いながら、アシェルの皿に肉――ザイが丹精込めて育てたブリスケット――を取り分けてあげた。

「ほら、エネルギーも満タンになったことだし。明日からはまた、泥だらけの仕事が待ってるんだから」

「……ああ、そうだな」

アシェルは苦笑し、フォークを手に取った。

輝くような肌と、淡い青のシャツ。

似合わない休日の終わり。

だが、この浮かれた時間があったからこそ、明日からまた、あの暗い海へ潜っていける。

「食うぞ。……冷めないうちにな」

アシェルが肉を口に運ぶと、仲間たちも再びグラスを掲げた。

アルディーネの夜が、彼らの笑い声と共に更けていく。

その夜遅く、レアの端末に短い返信が届いた。

差出人は黒檀部門・対外窓口。

『請求書は受け取った、全部読むわ』

添付された明細は、四十二行あった。

 

第十四話 インターミッション:アルディーネの青い陽光 了

 




ここで一度完結とさせていただきます。
続きを思いつけばまた書くかも知れません。
読んでいただいてありがとうございました。
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