断罪の徘徊者   作:牛倉弥兵衛

2 / 9
アルセリア編:記憶の森の兆候

――記録:惑星アルセリア

 

惑星アルセリア。

かつて魔界と地上が戦火を交えた星。

ひとつの“共鳴”によって和平へと傾いた星。

 

戦争と平和。その両方の記憶を抱えた聖地――《記憶の森》。

いまは銀河各地の鎮魂儀式と記憶研究の基点となっている。

厳重な保護のもとに封じられた場所だ。

 

外縁は軍と神殿警護隊による多層防衛。

内部についてはこう言われていた。

「森に選ばれた者だけが客人として通される」

 

最近、その森の深部で異常な記憶波動が観測された。

記憶災害の“前駆”とも取れる兆候。

 

星間特務班《シグマ=レコード》に調査依頼が届いたのは、その直後のことだった。

 

〈星間特務班《シグマ=レコード》任務ログ:オラクル・ダスク〉

 

任務番号:SD-02 / 対象:惑星アルセリア《記憶の森》

目的:

 ① 記憶波動異常の調査

 ② 必要に応じた記憶構造の調整および断絶処理

 

構成員:

 隊長   アシェル=ヴェルグ

 解析担当 ユノ=スレイト

 技術担当 ザイ=ノーヴァ

 情報担当 レア=ミーネ

 

備考:

 《記憶の森・平和共鳴ケース》は銀河記録倫理の原初モデルとして扱われている。

 記録構造体への直接破壊行為は最終手段とし、可能な限り“保存と調整”を優先すること。

 

母艦《オラクル・ダスク》はアルセリアの軌道上にあった。

降下艇が母艦を離れる。

窓の外に青と白の星が広がっていた。

 

大気は深い青の膜を何層も重ねたように澄んでいる。

海があるのか。

海に似た何かが惑星の肌を覆っているのか。

輪郭を見ているだけで胸がざわつく。

 

雲は白というより薄い石灰の色だった。

光を含んでいる。

風に削られた刷毛目のように長く伸びていた。

 

雲の裂け目から地表が覗く。

青みの強い森が群れをなして広がっている。

ところどころで白亜の山脈が刃のような稜線を空に突き立てていた。

氷雪なのか。石灰岩なのか。別の鉱物なのか。

白は無垢であるほど見分けがつかない。

 

海の青と森の青がわずかに違って見える。

その差だけがこの星が“生きている”ことを静かに示していた。

 

戦場の残骸だらけの星ばかり見てきた目には、この穏やかさがかえって不気味だった。

ただの平和な静けさには見えない。

何かを隠すために整えられた静けさにも思えた。

 

「……きれいな星だね」

 

ユノがぽつりと言った。

 

「だな。あんまり俺たちが来るタイプの場所じゃねぇ」

 

ザイが腕を組んだまま足を組み替える。

 

「“記憶災害の聖地巡礼ツアー”って感じじゃないよね」

 

レアが冗談めかして笑う。

 

「でも記録屋にとっては一度は見ておきたい場所。アルセリアの《記憶の森》ってそれくらい特別」

 

「観光気分で行く場所じゃない」

 

アシェルが短く言った。

窓の外を見たまま視線だけをわずかに伏せる。

 

「ここは戦争を終わらせた記憶の“祠”だ。

 ……その祠が軋んでいる。

 そういう星に俺たちは呼ばれた」

 

「はいはい、真面目モード入りました~」

 

レアが肩をすくめる。

ユノが続けた。

 

「でも実際その通りだよ。

 アルセリアの《記憶の森》モデルがなかったら、カルナ=ミールみたいな記録構造体も生まれてない。

 私たちの仕事の、ずっと“祖先”みたいな場所だね」

 

「カルナ=ミールのログにも、ここの参照がぶら下がっていた」

 

アシェルが窓の外を見たまま言う。

ユノが目を瞬かせた。

 

「……帰りの降下艇で独り言言ってたの、それ?」

 

「ああ」

 

「祖先んとこに文句言いに行くのか、俺たち」

 

ザイがぼそっと言う。

レアが少し笑った。

 

「文句っていうより健康診断じゃない?

 『ちょっと血圧高くなってますね~』くらいの」

 

「それで済めばいいけどな」

 

アシェルは腰のホルスターに触れた。

カルナ=ミールでも使った《レクイエム・コード》のインターフェースが収まっている。

 

(焼き払うためじゃない。

 棚に戻すための刃だ――)

 

心の中でそう繰り返し、アシェルは短く息を吐いた。

 

聖地への接近

 

降下艇は地上港に降りた。

 

アルセリアの軌道港から《記憶の森》までは専用の軌道エレベータと地上交通網が整っている。

観光客ならそれを使えばいい。

だが《シグマ=レコード》は観光客ではない。

 

「で、カバーストーリーは?」

 

地上のシャトルに乗り換えながら、アシェルがレアに尋ねた。

 

「“記憶倫理監査室・巡回チーム”です!」

 

レアが胸のIDを示す。

銀河アーカイブの紋章入り。

偽造とはいえ出来は完璧だった。

 

「アルセリア側からも、銀河標準倫理基準との整合性チェックを頼まれてるって建前ですね。

 実際そういう話が水面下で進んでるのは事実なので」

 

「半分本当で、半分嘘か」

 

「嘘ばっかりだとバレやすいですからね。

 本当の話にちょっとだけ色を足す。それが長持ちする偽装のコツですよ」

 

レアの自慢げな笑みにユノがくすっと笑った。

 

「森の管理庁との通信、つなげるね」

 

ユノがコンソールに触れる。

数秒のノイズのあと、落ち着いた声が返ってきた。

 

『こちら記憶の森管理庁・外郭セキュリティ部。身分証明と訪問目的をどうぞ』

 

レアがすかさず応対する。

 

「こちら銀河アーカイブ本部・記憶倫理監査室、臨時巡回チームです。

 事前に送付した監査計画に基づき、《記憶の森》内部の記録処理状況を――」

 

必要な単語を正しい順番で並べていく声。

アシェルはそれを聞き流しながら窓の外を眺めた。

 

森へ近づくにつれて景色が変わっていく。

復興の進んだ都市の建物が減る。

なだらかな丘が続く。

やがて深い緑が視界を埋めた。

 

森をぐるりと囲む白い壁が見えてきた。

電磁防壁と物理障壁を組み合わせた多重のセキュリティリング。

その手前に警戒線が張られている。

軍用車両と神殿騎士団の制服が入り混じっていた。

 

「……厳重、だね」

 

ユノが感心とも呆れともつかない声を漏らす。

 

「世界を一度救った森だ。

 簡単に触らせたくはないだろう」

 

アシェルの言葉にザイが鼻を鳴らした。

 

「そんだけ厳重に守っといて、中身が壊れかけてるってのが皮肉だな」

 

シャトルが検問所の前で停まる。

重武装の兵士とローブ姿の神官が近づいてきた。

 

「――身分証の提示を」

 

手続きは表向きスムーズだった。

レアの偽造IDは、少なくとも端末上では“本物”として認識されている。

 

問題はその先だった。

 

『内部監査の予定なら、事前に上から通達があるはずだが』

 

通信の向こうの声がわずかに硬くなる。

 

「通達はすでに上層経由で送ってあると聞いていますが……」

 

レアがしれっと返す。

その間にユノが管理庁のネットワークへ静かにアクセスしていた。

 

「……上層と現場の間で情報が途切れてるみたいだね」

 

ユノが小声で言う。

 

「上では確かに“銀河側との共同監査を検討中”になってる。でも実務レベルには共有されてないよ」

 

「ありがちだな」

 

ザイが肩をすくめる。

 

「で、どうする?」

 

アシェルは少し考えてから、レアの肩を軽く叩いた。

 

「――表のゲートはいったん諦めよう」

 

レアが片眉を上げる。

 

「裏口に回る、と?」

 

「ここは聖地だ。

 表の顔と裏の顔がある。

 ……森が本気で“客人”を招きたいなら、表玄関以外の道もきっと開いている」

 

ユノが少し楽しそうに笑った。

 

「そう来ると思ったよ。

 じゃあ正規ルートはレアの偽装で時間稼ぎ、だね」

 

「え、私、足止め要員ですか?」

 

「適任だろう?」

 

アシェルが淡々と言う。

 

「“上から話が降りているはずだ”と、できるだけ丁寧に食い下がってくれ」

 

「はぁ……了解。

 じゃあみんなは、さっさと裏口探してきてくださいね」

 

ため息まじりの声を背に、アシェルとユノとザイの三人はシャトルの反対側から静かに降りた。

 

森の門、裏側

 

「セキュリティリングの外周に、サイドゲートが二つ。

 メンテナンス用のサービスハッチが三つ。

 あとは……」

 

ユノが腕の端末を素早く操作する。

 

「地下に古いアクセスルートが一本残ってるね。

 星草商会の記録員が森に入るのに使ってた通路。

 今は閉鎖されてる扱いだけど」

 

(星草商会――)

 

アシェルはその名前を口に出さず、別のことを聞いた。

 

「電源は?」

 

「……切られてるように見せかけて、最低限の監視だけは生きてるよ」

 

「監視だけなら、切るより抱き込んだ方が早ぇ」

 

ザイがにやりと笑う。

 

「やっぱ地下ルートしかねえか」

 

アシェルは頷いた。

 

「表向きは使われていない。

 だが“森に招かれた者”のために、閉ざされきってもいない。

 ――そういう匂いがする」

 

三人はサービス用の路地を抜けた。

壁の影に古い石造りの入口が隠れていた。

表の白い防壁とは違う質素な石のアーチ。

薄れかけた古い文字が刻まれている。

 

《招かれた者のみ通ることを許される》

 

「招待状なんて持ってないんだけどね」

 

ユノが苦笑する。

 

「まぁ“記憶災害の後始末屋”って職業自体、だいたい招かれざる客だからな」

 

アシェルがアーチに手を触れた。

 

ひんやりとした石の感触。

次の瞬間、胸の《REQUIEM》の記章がごくわずかに熱を帯びた気がした。

 

「……開いた」

 

軋む音とともに石の扉がわずかに隙間を作る。

 

「隊長、今の、術式反応あったよ」

 

ユノが端末を覗き込む。

 

「これ、電子セキュリティじゃない。

 カルナ=ミールでも使われてた原初共鳴系の一種だね」

 

「アルセリア式“招待の魔法”ってやつか」

 

ザイが感心したように口笛を吹く。

 

「ってことは、一応“歓迎”されてるってことか?」

 

「歓迎かどうかは知らんが、“拒絶はされていない”な」

 

アシェルは静かに言い、暗いトンネルへ足を踏み入れた。

 

記憶の森

 

トンネルを抜けると空気が変わった。

 

ひんやりとした湿り気。

遠くで葉の擦れる音。

そして何より――

 

「……うわ」

 

ユノが思わず声を漏らす。

 

視界いっぱいに深い緑が広がっていた。

 

古木が立ち並んでいる。

どれも幹が太い。

長い時間をそこで過ごしてきた重さがあった。

 

枝葉が頭上で重なり合い、天蓋のように空を塞いでいる。

葉の間から光が差し込む。

光は柔らかく散り、薄布をかけたように森全体を包んでいた。

霧のような霞があたりを漂っている。

 

音は少ない。

木々の間を抜ける風。

遠くの葉のさざめき。

聞こえるのはそれだけだった。

時間が外よりゆっくり流れている気がした。

 

「ここが《記憶の森》……」

 

ザイでさえ、しばらく言葉を失っていた。

 

「セキュリティサイン確認。反応なし」

 

ユノが端末を操作する。

画面に敵性反応はない。

 

「さっきまでの防衛ラインは、ここで全部終わってる。

 電子的な監視も、魔術的な警戒も、森の外縁まで。

 中は――なにもないよ」

 

「なにも“ない”というよりは」

 

アシェルはレーダーではなく、肌で空気を読むように周囲を見渡した。

 

「ここから先は人間が仕掛けたセキュリティじゃない。

 森そのものが“誰をどこまで通すか”を決めている」

 

「セキュリティを抜けた瞬間に、セキュリティの概念が変わるってわけだね」

 

ユノが感心したように頷いた。

 

「……たしかに歓迎されてる感覚はある。

 圧迫っていうより、“座っていけ”って感じの空気だね」

 

「座ってたら仕事になんねぇけどな」

 

ザイのぼやきにアシェルの口元がかすかに緩んだ。

 

「ユノ。異常波動の方向は?」

 

「森の中心核……《共鳴の泉》の方角。

 ただ直接の位置特定は難しいね。

 この森全体が記憶フィルタになってて、観測するたびに座標がずれるんだよ」

 

「歩きながら、森に“案内させる”しかないか」

 

アシェルは一歩前に出た。

足元の落ち葉が柔らかく鳴る。

 

その瞬間、森の奥から風がふっと流れてきた。

「こちらだ」と道筋を示すように。

 

「……今の、感じた?」

 

ユノが目を瞬かせる。

 

「風向きが、隊長の足の動きに合わせて変わったみたい」

 

「気のせい、ってことにしねえか?」

 

ザイが肩をすくめる。

 

「どちらにしても進むしかない。

 ――行こう」

 

森は黙って彼らを迎え入れた。

 

兆候

 

どれくらい歩いただろうか。

時間の感覚が少しずつ曖昧になっていく。

 

同じような木々。同じような霧。

だがアシェルにはわかっていた。

一歩ごとに森の“記憶密度”が濃くなっている。

 

「……ユノ」

 

「うん。

 記憶フィールドの層が複数重なってる。

 平和共鳴の記録。戦争時の記録。それよりもっと古い自然の記録。

 全部が静かに重なってて、本来なら穏やかな共鳴になってるはずなんだけど――」

 

ユノが言い淀む。

 

「どこかで齟齬が出てるのかな。一箇所だけ“混ざり方がおかしい”層がある。

 それが今回の異常の震源だね」

 

やがて開けた場所に出た。

 

池とも泉ともつかない水面が広がっていた。

水は透明だった。

映っているのは空でも木々でもない。

無数の“光の破片”だった。

 

「……これが《共鳴の泉》?」

 

ザイが息を呑む。

 

「ううん。泉そのものは、もっと静かなはずだよ」

 

ユノが端末を確認する。

 

「いま表層で“何か”が暴れてる。

 本来なら沈んでるはずの記憶が、勝手に浮かび上がってきてるんだよ」

 

光の破片はときおり映像の形を取った。

泉の表面から気泡のように浮かぶ。

空中で一瞬だけ輪郭を結ぶ。

ほどけて散る。

意志があるようには見えない。

熱が上がるように記憶が勝手に立ち上がってくる。

 

焼ける街。

瓦礫の隙間から炎が舌を出している。

煤が細かな雪のように降っていた。

石畳は赤黒く灼けている。

鐘楼だけが焼け残った骨のように突っ立っていた。

 

泣き叫ぶ子ども。

声は届かない。

濡れた頬の筋と、握りしめた袖口のよれだけがやけに鮮明だった。

その瞳に映っているのは炎ではない。

崩れていく人影の輪郭だった。

 

剣を捨てて膝をつく兵。

刃が土に突き立つ。

金具が外れ、肩が落ちる。

甲冑の硬さより先に膝下の泥の冷たさが伝わってくる。

 

握手を交わす代表者たち。

白い卓。乾いたインク。旗布の重み。

整った笑みの下で目だけが疲れを隠しきれていない。

背後の護衛は誰も瞬きをしない。

 

その後ろで、誰かがそっと目を閉じる。

安堵なのか。弔いなのか。

それとも終わらせるための沈黙なのか。

瞼が落ちた瞬間だけ光がわずかに濃くなり、すぐに溶けた。

 

一度だけ、白い洗濯物が風に鳴る景色が立ち上がりかけた。

すぐに煤と炎に押し流された。

 

「……戦争の記憶と和平の記憶が、ごちゃまぜだね」

 

ユノの声が低くなる。

 

「しかも偏ってる。

 “平和の美談”の方を過剰に強調するみたいに」

 

「抑え込んだはずの戦争の記憶が、バランスを崩してるってことか」

 

ザイが低く言う。

 

「……」

 

アシェルは答えなかった。

泉のそばへ歩み寄る。

足元に何かが触れた。

 

見下ろすと、赤い布切れのようなものが落ちていた。

拾い上げる。

子ども用のマントの切れ端のようだった。

 

「隊長、それ――」

 

ユノが息を呑む。

 

「その布に残ってる記憶、さっきの光景と同じだよ。

 “戦争の日”と“戦争が終わった日”。

 その狭間で取り残された誰かの記憶だね」

 

アシェルは静かにマントの切れ端を泉の上にかざした。

 

光が跳ねる。

一瞬、世界が揺らいだ。

 

森の声

 

「――見ないで」

 

誰かの声がした。

 

耳で聞いた音ではない。

思考に直接響くささやきだった。

ユノとザイも同時に肩を震わせる。

 

「今の……」

 

「全員に届いたな」

 

アシェルは泉から目を離さない。

 

水面に新たな影が浮かび上がっていた。

 

ぼやけた人影だった。

年齢も性別も判然としない。

ただ、マントとよく似た布を肩にかけている。

 

「あなたが、この異常の“核”か」

 

アシェルが問いかける。

 

影はしばらく黙っていた。

 

「私は、“記憶の森が隠したかったもの”」

 

ようやく返ってきた声は、幼いようにも大人のようにも聞こえた。

不安定な響きだった。

 

「ここは、平和の記憶を見せる場所になった。

 皆、ここに『よかったね』を見に来る。

 なら――『よくなかった日』は、どこへ行けばいいの?」

 

ユノが唇を噛む。

 

「戦争の記憶は、封じられた。

 でも、消えたわけじゃない。

 森の深くに沈められて、それでも、時々浮かび上がってくる」

 

影は続ける。

 

「皆が笑うその後ろで、泣いていた人たちの記憶。

 それがここに溜まりすぎて、泉の底が割れかけている」

 

ザイが低く唸る。

 

「綺麗な部分だけ切り取って、記念碑にしちまったツケか」

 

「森は、全部覚えてる。

 でも、“見せる記憶”を選ばなきゃいけないって、誰かが決めた。

 だから、私はここに押し込められた」

 

影の輪郭が少し揺らぐ。

 

「ここから出たいわけじゃない。

 ただ、ちゃんと“居場所”がほしいだけ。

 『なかったこと』にされるのは、もういや」

 

ユノがそっとアシェルを見た。

 

「隊長。

 このケース、カルナ=ミールとは逆だね。

 あっちは終わり方がわからなくて、全部をループさせ続けた。

 ここは終わりをきれいにしすぎて、残りを押し込めた」

 

「どちらも記録屋の悪い癖だな」

 

アシェルは小さく息を吐いた。

 

「全部残したい。

 でも全部は見せられない。

 ……その葛藤の行き先が、これか」

 

泉の水面にアシェル自身の顔が映り込む。

その隣に、別の誰かの横顔が重なった気がした。

 

鋭い眼差し。

ペンを握る細い指。

戦場でそれでも書き続けていた女の姿。

 

(全部を記録しろ。ただし、全部を見せるな)

 

アナ・スタインの声が遠い記憶から蘇る。

 

「……アシェル?」

 

ユノが不思議そうに覗き込む。

 

「いや」

 

アシェルは首を振った。

 

「やることはそう変わらない。

 ここでも“全部燃やす”んじゃない。

 棚を作り直す」

 

断罪ではなく、棚おろし

 

アシェルは影に向き直った。

 

「君の言う“よくなかった日”の記憶は、この森にとって不要か?」

 

影は即答しなかった。

 

やがてゆっくりとかぶりを振る。

 

「いらないなら、とっくに消えてる。

 森は、消さなかった。

 ただ、見えないところに隠しただけ」

 

「なら、断罪じゃないな」

 

アシェルは胸の記章に手を添えた。

 

「ここでの“断罪”は、“全部まとめて消す”ことじゃない。

 ――“押し込め方”の方を壊す」

 

ユノの目が輝く。

 

「記憶インデックスの再編成だね。

 戦争の記憶を平和の記憶の真下に並べるんじゃなくて、別の“棚”に分ける。

 そのうえで“見る人”の条件を変える」

 

「簡単に言えば、“この泉に全部ぶち込むのをやめさせる”ってことだ」

 

ザイが腕をまくる。

 

「技術的には、いけそうか?」

 

「泉の基盤構造、解析中。

 いちばん下に古い記憶定着コアがある。登録名は《ムネモシュネ》。

 この森そのものが、このコアから育ってるんだよ」

 

ユノの指が一度止まる。

 

「……コアから広がってる記憶ネットワーク。署名、Stein-Protocolだね」

 

「またアナかよ」

 

ザイが低く言う。

アシェルは答えなかった。

 

「その上にアルセリア式の共鳴魔法。後から積み増しされた術式。それから最近増設された閲覧システム。

 ぜんぶ層になってるから、抜く場所さえ間違えなければ――」

 

ユノがもう一度指を止めた。

 

「……あった。

 “平和共鳴用フィルタ”と“戦争記憶封印シンク”。

 フィルタもシンクも、後から積まれた層の方だね。コアの設計にはない。

 この二つを結んでるラインを切り離す。

 戦争記憶用に別の“静かな棚”を用意してやれば、圧は下がるはずだよ」

 

「隊長のレクイエム・コード、使わせてもらえる?」

 

「いいのか? お前の得意分野だろう」

 

「“始める”のは私の仕事だけど、“終わらせる”のは隊長の役目だからさ」

 

ユノが冗談めかして笑った。

 

アシェルは泉の縁に膝をついた。

手のひらを水面の少し上にかざす。

冷たい気配が指先を撫でた。

 

《REQUIEM-CODE//PARTITION》

 

HUDの端にその文字列が浮かんだ。

 

カルナ=ミールで使ったのとは違うサブルーチン。

断絶ではなく、区分けのための刃。

 

泉の中で光の層が動き始める。

平和の記憶と戦争の記憶。

その間に中途半端に挟まっていた“よくなかった日”の記憶が、ゆっくりと別の流れへ移っていく。

 

影の輪郭も少しずつ変わった。

ぼやけていた形が少しだけはっきりとする。

 

「……どこへ、連れていくの?」

 

「ここから少し離れた場所だ」

 

アシェルは静かに答える。

 

「森の中に新しい“部屋”を作る。

 今すぐ誰かが見に来る場所じゃない。

 でも“なかったこと”にはされない場所だ」

 

影はしばらく黙っていた。

 

やがて、ほっとしたように息をついた。

 

「それなら――少し、眠れる気がする」

 

アシェルは手の中の布切れを水面に下ろした。

赤い布は沈まなかった。

水の上をゆっくりと滑り、影の肩の布に重なる。

そのまま影の輪郭と一緒に光の中へほどけていった。

 

光が静かに沈んでいく。

 

泉の水面がようやく本来の静けさを取り戻し始めていた。

 

森をあとに

 

「記憶波動、安定したよ」

 

ユノが端末を見て笑う。

 

「平和共鳴のレイヤーも本来の形に戻ってる。

 戦争記憶は……深い層に静かに沈んだまま。

 でもアクセスルートは完全には閉じてない。

 必要なときに、ちゃんと辿れるようになってるよ」

 

「異常なし、って報告しておいていいのか?」

 

ザイがぼそっと言う。

 

「“異常波動は沈静化。

 ただし特定の記憶層にストレスが蓄積していた形跡あり。

 閲覧ポリシーの見直しを推奨”」

 

アシェルが淡々と言う。

 

「それくらいの書き方なら、現場と上層の両方の顔が立つ」

 

「相変わらず、レポートの文面だけ妙にこなれてるね」

 

ユノがくすりと笑う。

 

森を出るとき、また風が吹いた。

 

行きとは逆に、背中をそっと押すような風。

振り返ると、木々の間にさっきとは違う光が見えた気がした。

 

泣き顔でも笑い顔でもない。

少しだけ安堵したような表情の――誰かの横顔。

 

「隊長?」

 

「いや」

 

アシェルは首を振った。

 

「“なかったこと”じゃなくなった顔ってのは、ああいう顔なのかもな。そう思っただけだ」

 

任務ログと、次の星

 

壁の外でレアが腕を組んで待っていた。

 

「おかえりなさい。

 こっちはこっちで、けっこう大変だったんですからね?」

 

「悪かったな、足止め担当」

 

ザイが笑う。

 

「笑いごとじゃないよ。

 神官さんに同じ説明を三回して、四回目でやっと上層の担当者を呼び出してもらったんだから」

 

レアが指を折ってみせる。

 

「で、上から『共同監査は検討中。現場は協力するように』って降りてきた。

 ほんとに降りてきちゃったのよ」

 

「半分本当の話が、全部本当になったか」

 

アシェルが言う。

 

「だから言ったじゃないですか。

 本当の話にちょっとだけ色を足すのがコツだって」

 

「で、どうでした? 解決はしましたか?」

 

レアがアシェルを見る。

 

「森の外側の防衛システムに異常なし。

 森の内側は……」

 

アシェルはほんの少しだけ笑った。

 

「少し棚の整理をしてきた」

 

「は?」

 

レアが目を瞬かせる。

 

「詳しくはレポートで。

 ざっくり言うと、記憶災害の前駆状態は解消。

 森は“客人を迎え入れる顔”を取り戻した」

 

「そう、ですか」

 

レアはほっとしたように息をつく。

 

「じゃあ記憶倫理監査室の“巡回チーム”としては、

 『非常に興味深い構造でした。今後も共同研究を期待します』くらいのコメントで締めておきますね」

 

「頼む」

 

降下艇が地上港を離れる。

 

窓の外にアルセリアの青が広がっていた。

その一角に深い緑の森が小さく見えた。

 

「アシェル」

 

隣の席からユノが小声で呼びかける。

 

「カルナ=ミールも、アルセリアも。

 どっちもアナ・スタインの残したものに繋がってる……」

 

「ああ」

 

アシェルは短く答える。

 

「でも、どっちも“彼女のせいだけ”じゃなかった。

 カルナ=ミールは、終わり方を忘れた人間たちの星。

 アルセリアは、綺麗な終わり方だけを残そうとした人間たちの森だ」

 

「……じゃあ、彼女は?」

 

ユノの問いに、アシェルは少し目を閉じた。

 

「始まりの書き方を教えた奴だ。

 終わりの書き方までは、教えてくれなかった」

 

「だから今こうして私たちが、各地で“終わり方”を探してる。ってわけだね」

 

アシェルは笑わなかった。

ただどこか納得したように、静かに息を吐いた。

 

窓の外に《オラクル・ダスク》の艦影が近づいてくる。

 

「――オラクル・ダスクより管制へ。

 任務SD-02、アルセリア《記憶の森》調査、完了。

 次の案件を受け取る準備はできている」

 

通信を送り、アシェルは窓の外の星々を見上げた。

 

棚に戻した記憶の、そのさらに上の棚にはまだ手が届かない。

だがいつか、そこにも手を伸ばすときが来るだろう。

 

終わり方を探して星を渡る“断罪の徘徊者”として。

 

第二話 アルセリア編:記憶の森の兆候 了

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。