断罪の徘徊者   作:牛倉弥兵衛

4 / 9
ネヴェリス=リーフ編:黒檀の影

――記録:星草商会とネヴェリス=リーフ

 

医療・薬草・織物・ナノ技術。

それらを束ね、銀河各地で「癒やし」の商いを広げてきた巨大組織――星草商会。

 

それは軍でも国家でもない。

けれど星々の生活にいつも先に届いている。

戦争の翌日に届く止血材。

焼けた都市に戻る織物の天幕。

検疫線の外で配られる淡い薬草茶。

星草の紋章は勝者の旗ではなく“平常”の印として見なされていた。

 

その旗艦拠点のひとつが、海と緑に満ちた交易星《ネヴェリス=リーフ》である。

軌道上から見下ろすと、青い海がひかりの膜のように広がっている。

沿岸には白い港湾都市が張り付く。

港の外縁には浮桟橋の列。

内側には温室群と研究棟が段々に並ぶ。

海から上がる湿った風が薬草の匂いを薄く運んでくる。

 

昼、都市は明るすぎるほど整っている。

石畳は摩耗していない。

排水溝は詰まらない。

救急搬送のレーンは途切れず、貨物の流れは静かに滑る。

騒がしいはずの交易星なのに音が尖らない。

人々が急いでいても苛立ちが表に出ない。

星草商会の手が入った都市は、だいたいそういう顔をしている。

 

港のクレーンには葉を模した紋章が小さく刻まれていた。

倉庫のシャッターにも、医療用パッケージにも、船舶のドックにも同じ印がある。

どこにでもあるのに主張が薄い。

視界の端に残り続ける生活のラベルみたいなものだ。

 

入港審査は厳格だった。

だが露骨ではない。

武装は止める。

危険物は止める。

感染は止める。

その手続きが早いぶん誰も文句を言いにくい。

ここは中立港で、そして星草商会の星だ。

中立を守るために、都市の隅々まで“整っている”。

 

そして整いすぎた街には影ができる。

明るい場所ほど見えない場所が増える。

 

黒檀部門(エボニー・セクション)。

公式記録に残らない取引。

禁止された研究。

政治的な調整。

星草商会の、本に書かれない側面。

 

その看板は地上には出ていない。

かわりに、地下へ降りる風の流れと、通信の空白と、やけに静かな搬入口だけがある。

 

かつてその商会の記録部に属していた男が、いま再びその門を叩こうとしていた。

 

〈星間特務班《シグマ=レコード》任務ログ:オラクル・ダスク〉

 

任務番号:SD-04 / 対象:交易星ネヴェリス=リーフ・星草商会黒檀部門

目的:

 ① 星草商会黒檀部門との非公式接触

 ② 《第三観測会》に関する商会内部記録の確認および入手

 

構成員:

 隊長   アシェル=ヴェルグ

 解析担当 ユノ=スレイト

 技術担当 ザイ=ノーヴァ

 情報担当 レア=ミーネ

 

備考:

 本件は星草商会内の情報筋からの報告に基づく。

 表向きの名目は星草商会記録監査室による視察とする。

 ネヴェリス=リーフは中立港につき武装の持ち込みは不可。

 

帰ってきた星

 

母艦《オラクル・ダスク》はネヴェリス=リーフの軌道上にあった。

降下艇が母艦を離れる。

入港審査は数分で終わった。

降下艇は港の発着場に脚を下ろした。

 

「……変わってないようで、ちゃんと変わってるな」

 

降下艇のタラップを降りながら、アシェル=ヴェルグがぽつりと言った。

 

潮風の匂い。

港に並ぶ白いビル群。

その合間を星草商会のロゴを付けた輸送艇が忙しなく行き交っている。

 

「ここが、隊長の“前の職場”の本拠点ってわけですね」

 

レアがからかうように笑う。

 

「本拠点のひとつだ。俺のいた記録部はもっと辺境寄りだったが」

 

アシェルは肩をすくめる。

 

「監査のたびに、報告書を抱えてここまで上がってきた。

 星草商会の街はどこも似た匂いがするが、ここは特に濃い」

 

「いい匂い、の意味? それとも仕事の匂い?」

 

ユノが横から口を挟む。

 

「両方だな。

 ハーブと消毒薬と、未整理の書類の匂いだ」

 

「最後のはいらねえなあ」

 

ザイが苦笑する。

 

カルナ=ミール。

アルセリアの記憶の森。

ヴァストリムの演算殿。

 

その三件で見えてきた“第三観測会”という得体の知れない影。

その名が星草商会の内部記録にも残っているという。

 

「黒檀部門と正面から接触してもいいの?」

 

ユノが歩きながら小声で聞く。

 

「正面から、ではない」

 

アシェルは首を振る。

 

「今回は“潜入”じゃなくて“古い縁を訪ねる”だけだ。

 向こうも完全に敵じゃない」

 

「でも、星草商会の“暗部”ですよね?」

 

レアが眉をひそめる。

 

「暗部があるのは、大きくなりすぎた組織の持病みたいなもんだ」

 

ザイが肩をすくめる。

 

「問題は、そこの人間が全部“悪人”かどうかじゃねぇ。

 どういう理屈で動いてるか、って話だ」

 

「黒檀部門が“第三観測会”の尻尾を掴んでいる可能性がある。そこに賭ける」

 

港の発着場から大通りへ出る。

 

石畳は白い。

角が欠けていない。

継ぎ目にも砂が溜まっていない。

 

通りの端を救急搬送のレーンが一本走っている。

無人の搬送台が低い駆動音を立てて行き交う。

一台が過ぎると次の一台がもう見えている。

途切れる瞬間がない。

 

「……ほんとに途切れないんだね」

 

ユノが端末を下ろしたまま言う。

 

「搬送の間隔がほぼ一定だよ。混雑の揺れもほとんどない」

 

「交易星だろ。もっとごちゃついてるもんじゃねぇのか」

 

ザイが通りを見回す。

 

「露店の呼び込みもねぇ。怒鳴り声もねぇ。

 きれいすぎて据わりが悪い」

 

「文句を言う場所が見つからないのも、落ち着かないものですね」

 

レアが小さく笑う。

 

街灯の支柱。

ごみの回収箱。

搬送台の側面。

どれにも葉を模した紋章が小さく入っている。

目で追えば数え切れない。

追わなければ一つも目に入らない。

 

通りの一本裏には温室の屋根が段々に連なっている。

海風が抜けるたびに湿った薬草の匂いが流れてきた。

消毒薬の匂いがそこに薄く混じる。

 

アシェルはその匂いの中を黙って歩いた。

 

記録部のあった支部の街も、こういう整い方をしていた。

道は割れない。

搬送は遅れない。

苦情の窓口はいつも空いている。

 

そしてそういう街ほど記録が薄かった。

事故の報告が少ない。

揉め事の調書も少ない。

書くことがないのだと当時は思っていた。

 

「隊長?」

 

レアが振り返る。

 

「……いや」

 

アシェルは首を振った。

 

「整った街は書くことが少ない。そう思っていた頃があっただけだ」

 

「今は違うんですか?」

 

「書かれていないことと、起きていないことは別だ」

 

ユノがちらりとアシェルを見る。

それ以上は何も聞かなかった。

 

大通りの先で、アシェルは足を止めて見上げた。

 

巨大なガラス張りのタワー。

その側面には星草商会の大きな紋章。

一般向けロビー。

受付カウンター。

笑顔のスタッフ。

 

大通りから脇へ折れる道の先に、タワーの裏手が覗いている。

地下へ下る搬入口が口を開けている。

搬送車の出入りはない。

人の姿もない。

海からの風だけがそこへ吸い込まれていく。

 

「まずは表の顔から、だ」

 

二枚看板のビル

 

「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件で?」

 

ロビーの受付嬢がにこやかに頭を下げる。

 

レアが一歩前に出て、柔らかな笑顔で応じた。

 

「星草商会・記録監査室から参りました。

 事前に通達したはずですが、黒檀部門の責任者の方とお話ししたくて」

 

「記録監査室……でございますか?」

 

受付嬢が一瞬だけ目を瞬かせる。

ネヴェリス=リーフ本社でも、そう頻繁にお目にかかる部署ではない。

 

「上層部からの事前通達、確認いたしますね」

 

彼女が端末に何かを打ち込む。

数秒後、わずかに目の動きが固くなった。

 

(“話が降りてきてない”顔ですね)

 

レアが心の中で苦笑する。

 

だがその隣でユノはすでに動いていた。

受付の背後にある内部ネットワークへ、さりげなく侵入する。

 

「上層からの“検討中”フラグは立ってるね」

 

ユノが小声で呟く。

 

「現場まで降りてきてないのは、アルセリアのときと同じパターンだよ」

 

「じゃあ、同じ手を使うか」

 

アシェルが静かに言う。

 

「上層に繋げ、とまでは言わない。

 ただ“黒檀部門連絡担当”のラインだけ借りる」

 

レアが受付嬢に微笑む。

 

「もしよろしければ。

 本社記録監査室と黒檀部門の間で、すでに共有されているはずの案件です。

 そちらの内部窓口の方に、直接確認をお願いできますか?」

 

受付嬢は少し迷った様子を見せた。

最終的には頷いた。

 

「少々お待ちくださいませ」

 

――数分後。

 

「黒檀部門・窓口のイレーナ様がお会いになるそうです。

 専用エレベーターをご案内いたします」

 

「ありがとうございます」

 

レアが礼を言うと、受付嬢はほっとしたように微笑んだ。

 

案内された先は、タワーの正面ロビーからは見えない裏側。

従業員用フロアでもない。

さらに下の階層へと続くエレベーターだ。

 

「やっぱり、二枚看板だね」

 

ユノが軽く笑う。

 

「表が“緑の星草商会”。

 こっちが“黒檀の星草商会”」

 

「同じ木から生えてる枝だ」

 

アシェルはエレベーターの壁に刻まれた古い紋章を見つめる。

 

葉ではなく、黒く塗りつぶされた木目。

そこにはもうひとつの部門名が小さく刻まれていた。

 

《EBONY SECTION:内部調整・機密記録管理》

 

「内部調整ねぇ」

 

ザイが小さく笑う。

 

「言い方ひとつでずいぶん印象変わるもんだ」

 

エレベーターが降り始める。

階数表示は途中で消えた。

 

ユノの端末の隅で外部回線の表示が一本ずつ落ちていく。

港湾網。

都市網。

商会の一般回線。

 

「……外、全部切れたよ」

 

ユノが画面を見せる。

 

「残ってるのは、黒檀部門の専用回線だけ」

 

「帰り道を向こうに預けるってわけか」

 

ザイが天井を見上げる。

 

箱は音もなく沈んでいく。

 

黒檀部門の部屋

 

エレベーターの扉が開く。

そこはさきほどまでのロビーとはまるで空気が違っていた。

 

照明は落とし気味。

壁一面のスクリーンには、各地の支部の物流状況や株価、政治ニュースが流れている。

端末に向かう人影がいくつかある。

四人が入ってきても誰も顔を上げない。

 

葉の紋章は、どこにもなかった。

 

部屋の奥のガラスパーティション越しに、一人の女が立っていた。

 

長い黒髪をラフにまとめ、細身のスーツに身を包んでいる。

目は鋭い。

それでいてどこか眠たげで、奇妙なバランスをしていた。

 

「ようこそ、ネヴェリス=リーフの地下へ」

 

彼女はガラス扉を開け、軽く会釈した。

 

「黒檀部門・対外窓口、イレーナ=ヴァルディスです。

 ……久しぶりね、アシェル=ヴェルグ」

 

「ああ。久しぶりだ」

 

アシェルは短く頷いた。

 

「相変わらず、死人みたいな顔」

 

イレーナがいたずらっぽく笑う。

 

「そっちも相変わらず、“なんでもお見通し”みたいな顔だ」

 

「職業柄よ」

 

二人のやりとりを、ユノたちは少し意外そうに見ていた。

 

「隊長、あの人と面識あったんですね」

 

レアが小声で囁く。

 

「星草商会記録部時代の“監査担当”だ」

 

アシェルが答える。

 

「こっちが書いた記録の“嫌なところ”を突いてくる側」

 

「つまり、同業者かつ天敵だね」

 

ユノが納得したように頷いた。

 

イレーナは四人を、ガラスの内側の簡素な会議スペースに通した。

テーブルの上には湯気の立つハーブティーが五つ。

 

「表向きは“記録監査室からの視察”ってことになってる。

 それで、本当の用件は?」

 

「単刀直入に言う」

 

アシェルは背もたれにもたれず、前のめりにもならず、ただ真っ直ぐにイレーナを見た。

 

「カルナ=ミール。アルセリア。ヴァストリム。

 この三件に共通して“第三観測会”という影が見え隠れしている。

 星草商会の内部記録にもその名があるはずだ」

 

イレーナの目がほんのわずかに細くなる。

 

「……さすが。また面倒なところを突いてくる」

 

彼女はハーブティーに口をつけ、少しだけ間を置いた。

 

「第三観測会。

 公式には存在しない“検討部会”よ。

 高位の記録研究者、企業の情報部門、軍の分析官……

 “観測することそのもの”を集団で研究している人たち」

 

「星草商会も、そこに“誰かを出している”?」

 

ユノが問う。

 

「ええ。ごく少数だけどね。

 その一部が、どうも“暴走している”形跡がある」

 

イレーナの視線が端末の方へと流れる。

 

「カルナ=ミールとアルセリアの案件が動き始めた頃から、

 商会内部でも“記憶の扱い”に変な圧力がかかるようになったのよ。

 『一部の記録は、見せなくていい』『統計的に処理しろ』ってね」

 

イレーナが端末を操作する。

テーブルの上に報告書の表示が浮かび上がった。

 

《医療支援報告:辺境検疫区 第十二区画》

《対象患者数:四千二百十一》

《回復率:九十六・二%》

《備考:なし》

 

「半年前の報告書よ」

 

「きれいな数字だな」

 

ザイが言う。

 

「元の記録はこっち」

 

イレーナがその隣にもう一枚を開く。

表示されたのは閲覧制限の赤い枠だけだった。

 

《個別診療記録:統計処理済み / 原本閲覧不可》

 

「四千二百十一人分の診療記録。

 誰がいつ運ばれて、何を訴えて、どう治ったか。

 治らなかった百六十人ほどが、どこで何を言い残したか。

 全部あの九十六・二%にまとめられてる」

 

レアが表示を見つめたまま口を開く。

 

「……残りの三・八%は」

 

「数字としては残ってる。

 名前としては残ってない」

 

ユノが小さく息を吐く。

 

「嘘は書いてないんだね。

 見えなくしてあるだけで」

 

「アルセリアの《記憶の森》で起きていた“偏り”と似ているな」

 

アシェルが低く言う。

 

「全部の裏に第三観測会がいる、とは言わない。

 でも“観測の在り方をいじりたい人たち”が、

 あちこちの構造に指を突っ込み始めてるのは確か」

 

アシェルは赤い枠の表示から目を離していなかった。

 

「あなたは記録部にいた頃から変わらないわね」

 

イレーナがカップを置く。

 

「書いたものは全部読ませたがった」

 

「読まれない記録は、残していないのと同じだ」

 

「覚えてる? 第七倉庫の漏洩事故」

 

イレーナが言う。

 

「あなたの報告書は四十二枚あった。

 夜勤の搬送員全員の証言まで付いてた」

 

「必要だったからだ」

 

「私は三枚に削れと差し戻した。

 あなたは三枚の本文に、四十二枚を別添で付けて出し直した」

 

ザイが小さく吹き出す。

レアが肘でつつく。

 

「二回目も差し戻したわ」

 

「三回目は通った」

 

「通したのは上よ。

 別添は誰にも開かれないまま保管庫に回った」

 

アシェルは答えなかった。

 

「私はああいう記録を突いて、どこまで見せるかを決める側だった。

 黒檀部門に来ても、それが仕事よ」

 

イレーナは端末の画面を伏せた。

テーブルの上の表示が消える。

 

「見せ方を決めた時点で、観測はもう選ばれてる。

 私たちはそれを帳簿の中でやってる。

 第三観測会がやろうとしてるのは、それを星ごとやることよ」

 

アシェルはしばらく黙っていた。

 

「どこで線を引くかは、誰が決める」

 

「今までは私たちだった」

 

イレーナが小さく笑う。

 

「これからは、わからない」

 

イレーナは上着の内ポケットから小さなデータディスクを取り出した。

 

「これが、うちの黒檀部門が掴んでいる“第三観測会関係ログ”の抜き出し。

 全部じゃないけど、要所は押さえてある」

 

「それを渡して、あなたのほうは大丈夫なの?」

 

レアが首をかしげる。

 

「私の立場?

 『記録の健全性を守るために外部監査と共有した』って言えばいいわ。

 黒檀部門は、そういう“言い訳のプロ”でもあるの」

 

イレーナはデータディスクをアシェルの方へ滑らせた。

 

アシェルはそれを受け取った。

一度だけ、指先で重さを確かめるように握る。

 

「条件は?」

 

「さすが、話が早い」

 

イレーナが笑う。

 

「条件はひとつ。

 このログを見て、必要だと思ったら――」

 

彼女の視線が、アシェルの胸に付いた《REQUIEM》の記章をかすめる。

 

「“必要な場所だけ”で刃を振るえ。

 星草商会の根っこを燃やすような真似は、しないでほしい」

 

アシェルは少しだけ目を伏せた。

 

「……約束はできない」

 

「正直ね」

 

イレーナの口元にかすかな笑みが浮かぶ。

 

「でも、これは言える。

 星草商会そのものを壊すのは、俺の仕事じゃない」

 

「それなら十分よ」

 

イレーナは椅子から立ち上がった。

 

「もうひとつだけ、個人的なお願い」

 

「なんだ」

 

「もしどこかで“第三観測会の暴走”を止めることになったら――

 その報告書のコピーを、どこかの経路で黒檀部門にも流しておいて」

 

「律儀だな」

 

イレーナはすぐには答えなかった。

ガラスの向こうで、顔を上げない人影がスクリーンの光を浴びている。

 

「自分の職場がどんな病気で倒れかけたのか、知っておきたいのよ。

 記録部にいた人間なら、わかるでしょ?」

 

少し間を置いて、イレーナは付け足した。

 

「今度は、四十二枚でも全部読む」

 

アシェルはほんのわずかに頷いた。

 

「……考えておく」

 

イレーナはエレベーターの前まで四人を送った。

扉が閉まるまで、彼女は何も言わなかった。

 

箱が上がり始める。

 

地上に戻ると、ユノの端末に外部回線が一本ずつ戻ってきた。

商会の一般回線。

都市網。

港湾網。

 

港までの大通りは来たときと変わらない。

搬送台が同じ間隔で行き交っている。

 

「……隊長」

 

ユノが歩く速さを変えずに言う。

 

「さっきから同じ中継器が、私たちの端末を三回拾ってる」

 

「故障じゃねぇのか」

 

ザイが前を向いたまま言う。

 

「位置照合の要求だけ来て、応答を返す前に切れてる。

 故障ならもっと雑だよ」

 

レアが街灯の支柱を目で追う。

葉の紋章の横に小さな受光部がある。

来るときは紋章しか見ていなかった。

中継器はそこに組み込まれているらしい。

 

「黒檀部門ですかね」

 

「かもしれない」

 

アシェルは足を止めなかった。

 

「そうじゃないかもしれない」

 

「切る?」

 

ユノが短く聞く。

 

「いい。見せておけ」

 

発着場に着くまでに、中継器はもう一度だけこちらを拾った。

それきり何も来なかった。

 

降下艇にて:黒檀のデータ

 

ネヴェリス=リーフの白い港湾都市が遠ざかっていく。

軌道の《オラクル・ダスク》へ上がる降下艇の中は、短い静けさに包まれていた。

 

「ディスク、解析するよ」

 

ユノがアシェルから受け取ったディスクを端末に繋ぐ。

 

ザイは後方で警戒用コンソールを開いている。

追ってくる船影はない。

港からの照会信号もない。

それでもザイは画面から目を離さなかった。

 

「星草商会内部ログ、第三観測会関連タグ……

 いろんな星の名前が並んでるけど、

 優先度フラグが高いのは――二つだね」

 

モニターに座標が浮かび上がる。

 

ひとつは灰色で囲まれた印。

 

「廃星《イグゼリア》。

 ……かつて入植に失敗して、“災害指定”された星です」

 

レアが読み上げる。

 

「入植から六年で撤退命令が出てます。

 理由欄は“複合的環境要因”だけ。

 添付されてるはずの詳細調査報告書は、ここにもありません」

 

「入植者はどうなった」

 

ザイが聞く。

 

「全員退避済み、の一行です。

 退避先の記録は見つかりません」

 

「さっきの第十二区画と同じ書き方だね」

 

ユノが呟く。

 

「もうひとつは?」

 

アシェルが促す。

 

「イグゼリア近縁の未登録宙域――ノード:C-0-R3。

 航路図にも載っていないポケット領域。

 そこに“実験体No.77 / 対観測存在”ってタグが付いてる」

 

ユノがもう一つの印を拡大する。

 

「対観測存在?」

 

ザイが眉をひそめる。

 

「観測されることに耐性を持つ。

 もしくは“観測から逃れる”ことを目的とした存在――

 ってとこだろうね」

 

ユノが推測する。

 

「記録にも残りにくい。

 記憶にも刻みにくい。

 ある意味、レクイエム・コードにとっては最悪の相手だね」

 

「第三観測会が、その実験を?」

 

レアが不安げに問う。

 

「ログを見る限りだと、星草商会の一部研究部門が協力させられてた形跡があるね。

 ヴァストリムの演算アルゴリズムも使われてるよ」

 

ユノが画面をスクロールする。

 

「《実験体No.77》の搬送ルート……

 最初の観測点が廃星イグゼリア。

 その後、巡回船《ミレサス》の航路に紛れて、ノード:C-0-R3へ」

 

「巡回船《ミレサス》?」

 

アシェルが聞き返す。

 

「そう。記録では“遭難扱い”になってるね。

 実際は、“実験体のコンテナごと姿を消した”ってのが本当みたいだけど」

 

レアが別の記録を重ねる。

 

「《ミレサス》の乗員は十四名。

 最後の寄港地がイグゼリアなのは記録に残ってます。

 積荷の欄は未記載。

 イグゼリアを出たあとの航跡は、C-0-R3へ向かう途中で途切れてます」

 

「途切れた理由は」

 

ザイが聞く。

 

「未確認です。

 事故の記録も、救難信号の記録もありません。

 遭難扱いにした根拠も書かれてない」

 

「乗員の名前は」

 

アシェルが聞く。

 

「名簿は残ってます」

 

レアが一覧を開く。

十四人分の名前と所属が並んでいた。

名前はある。

その先がない。

 

アシェルは一人ずつ目で追った。

最後の行まで読んでから、ようやく顔を上げた。

 

ザイが航跡図の途切れた先を指でなぞる。

 

「ってことは、ミレサスが通ったルートを辿れば、C-0-R3に近づけるってことか」

 

「たぶん、そうなる」

 

ユノが頷く。

 

「ただし、ノード:C-0-R3そのものは航法データが穴あきになってる。

 誰かが消したのか、最初から記録できてないのかはわからないよ。

 “記録に残らない宙域”ってのは、あながち比喩でもなさそう」

 

レアがため息をついた。

 

「記録を扱う仕事ばかりしてると、“記録に残らない”って単語が一番怖く感じますね」

 

「だからこそ、行く価値がある」

 

アシェルが座席から立ち上がる。

 

「順番としては――まず廃星イグゼリアだ。

 ミレサスがそこで“何を積んで出ていったのか”。

 そこを押さえたうえで、ノード:C-0-R3を目指す」

 

ユノがモニターに新たなウィンドウを開く。

 

「じゃあ次の任務ログ、作っちゃうね」

 

次の宛先

 

〈星間特務班《シグマ=レコード》任務ログ:オラクル・ダスク(予備案)〉

 

任務番号:SD-05 / 対象:廃星《イグゼリア》

目的:

 ① 《ミレサス》最終寄港地における積荷記録および残骸の調査

 ② 実験体No.77 / 対観測存在に関する記録の収集

 ③ 未登録宙域ノード:C-0-R3への航路の断片を特定

 

備考:

 当該案件は第三観測会および星草商会内部研究部門の越権行為と関連の可能性あり。

 必要に応じて、記録構造の断絶または一時封印を検討。

 

「……こんな感じでいいかな?」

 

ユノが振り返る。

 

「ああ、それでいい」

 

アシェルは頷き、窓の外の星々を見詰めた。

 

ネヴェリス=リーフの青と緑はすでに遠い。

その代わりに、どこまでも黒い虚空が広がっている。

 

「隊長」

 

レアが声をかける。

 

「黒檀部門のイレーナさん、あれで信用していい人なんですか?」

 

「黒檀部門は“星草商会の暗部”だ」

 

アシェルはゆっくりと言う。

 

「でも、あいつは記録屋だ。

 “暗さ”より前に、“辻褄が合うかどうか”で動くタイプだ」

 

ザイが笑う。

 

「つまり、辻褄が合ってる限りは味方、ってことか」

 

「逆に言えば、辻褄が合わなくなった瞬間に容赦なく切り捨ててくるだろうね」

 

ユノが肩をすくめる。

 

「それでいい」

 

アシェルは静かに目を閉じた。

 

カルナ=ミールの廃墟。

アルセリアの森。

ヴァストリムの演算殿。

そしてネヴェリス=リーフの地下で差し出された、小さな黒いディスク。

 

それらの点が少しずつ線として繋がっていく感覚があった。

 

第三観測会は“観測することそのもの”を研究しているという。

アナ・スタインもまた、観測し続ける側の人間だった。

その二つが同じ線の上にあるのかどうか。

それはまだわからない。

 

軌道上で待つ《オラクル・ダスク》の艦影が窓の外に大きくなっていく。

降下艇が格納庫に滑り込む。

 

「――《オラクル・ダスク》より管制へ。

 任務SD-04、ネヴェリス=リーフ非公式接触、終了。

 次の宛先は、廃星イグゼリア。

 航路データの更新を要請する」

 

通信を送りながら、アシェルは心の中でひとつだけ言葉を付け加えた。

 

(ここから先は、たぶん“断罪の徘徊者”の仕事だけじゃ足りない)

(観測と断罪のあいだで、どこまで踏み込めるか――それを試される)

 

《オラクル・ダスク》がネヴェリス=リーフの軌道を離れる。

格納庫の床に、ゆっくりと加速の振動が伝わってきた。

 

“黒檀の影”はひとつの通過点に過ぎない。

だがその影が照らした座標は、確かに次の門を示していた。

 

第四話 ネヴェリス=リーフ編:黒檀の影 了

 

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