発情期限定で足が生える人魚、温かい部屋と焼いた肉が美味すぎて海に帰りたくない ――なお、他の人魚は解剖されたり密輸されたりしている模様 作:神座鬼神
1. 十一日目の黄昏と、同行の決断
上陸して、十一日目の黄昏。
西の空が赤銅色から濃紺へと沈みゆく中、私たちは前もって決めていた段取りを一つ終えたところだった。
日没前の引き潮に合わせて西の廃船干潟へ立ち寄り、一本目の捕集器を水路の古い木杭にしっかりと固定してきたのだ。
干潟側の標本は、一晩かけて潮の満ち引きを通過させた後、明朝の引き潮で回収することになっている。
そして今夜――真夜中の大潮の最干潮に合わせて、二本目の捕集器を仕掛ける本命の目的地こそが、外海に面した『南の黒岩礁』だった。
「ローナ、君は留守番をしていてほしい。干潟と違って、黒岩礁は外海の波が直接打ち寄せる険しい岩場だ。君の足では危険すぎるし、夜の海風は骨まで凍える。寒がりの君を連れていくわけにはいかないよ」
標本室で厚手の長靴を履きながら、テオドールが真剣な顔で言った。
だが、私には彼を一人で行かせるわけにはいかない、絶対に譲れない理由があった。
(一人で行かせるなんて、冗談じゃないわ……!)
南の黒岩礁は、沖合を回遊する同族たちが夜間に深海魚を追って近づく、彼女たちの通り道なのだ。
もしテオドールが一人で暗闇の海に足を踏み入れ、狩りの最中の同族たちと鉢合わせたらどうなるか。
互いに何をされるか分からない恐怖から、どんな混乱や衝突が起きるかも分からない。少なくとも彼が人魚を目撃して大騒ぎになれば、私の正体も、この標本室での暖かな暮らしも、すべてが一瞬で破滅してしまうのだ。
「テオ、馬鹿なこと言わないで! 誰のおかげで深海クラゲを固定できて、干潟の水路を見つけられたと思っているの? 潮の満ち引きや波の癖を一番分かっているのは私よ。学者先生が理屈だけで夜の黒岩礁に入ったら、潮位の変化に気づかず、あっという間に波に呑まれちゃうわ!」
「う……それは、確かに君の海への勘には敵わないけれど……でも、君の足では岩場を歩くのも一苦労だろう?」
「だから、あなたがいるんじゃないの! 陸の上ではあなたが私を支えて、波のことは私があなたに教えてあげる。二人で行くのが一番安全に決まってるでしょ!」
私が仁王立ちで胸を張ると、テオドールは困ったように眉を下げ、やがて降参したように息を吐いた。
「……分かったよ。ただし、絶対に僕の傍を離れないと約束しておくれ」
「もちろんよ! その代わり、これを持っていきましょ」
私が台所から誇らしげに掲げてみせたのは、厚手の布と羊毛の端切れで幾重にも厳重に包み込んだ、大きな陶器の壺だった。
蓋を開けると、ふわりと暴力的なまでに香ばしい湯気が立ち上る。
昨日の残りの豚の骨と端肉をじっくり煮込み、カリカリに炒めた豚の脂身をたっぷりと浮かべた、熱々の特製肉汁スープだ。
「これ……スープかい? 毛布で包んで保温してあるのか」
「そうよ! 昼間、あなたが試験管を布で包んで温度を保っているのを見て思いついたの。熱々のスープを陶器に入れて羊毛でくるんでおけば、凍える夜の海でも温かいまま飲めるでしょ? 冷えた身体には、温かい脂が一番効くんだから!」
「保温容器……なるほど、理にかなっているね。素晴らしい工夫だよ、ローナ」
テオドールが目を細めて微笑み、私の頭をぽんと軽く撫でた。
その瞬間――。
(――っ……)
下腹部の奥に、きゅんと甘く痺れるような微熱が走った。
十一日目。変態の第2期に入ってから、皮膚の知覚は日増しに敏感になっている。
テオドールが近くに寄るだけで、彼の体温や匂いに胸がざわめき、喉の奥が微かに熱を帯びるのだ。
私はドギマギする胸の鼓動を隠すように、慌ててスープ壺を抱え込み、防寒用の毛織りの上着を羽織ったのだった。
2. 漆黒の岩礁道と、二人の歩み
深夜零時過ぎ。
新月の夜の海は、まさにインクを流し込んだような完全な闇に包まれていた。
南の黒岩礁へと続く海岸線は、険しい玄武岩の岩棚が幾重にも重なる難所だった。
吹きつける潮風は氷のように冷たく、濡れた海藻がびっしりと張り付いた岩場は、油を引いたように滑りやすい。
「きゃっ……!?」
土踏まずのない私の足は、不規則に尖った濡れ岩の上ではまともに踏ん張りが利かない。
小股のペンギン歩きではすぐにバランスを崩し、足首がぐらりと傾いた。
だが、岩肌に倒れ込む寸前、たくましい腕が私の腰をしっかりと抱きとめた。
「危ない! 大丈夫かい、ローナ?」
テオドールだった。
彼はカンテラの覆いを細く開け、足元だけを淡い光で照らし出しながら、私の身体を支え直してくれた。
「ほら、僕の手をしっかり握って。僕が先に足場を確かめるから、僕が踏んだのと同じ平らな岩を選んで足を置くんだ」
「……う、うん」
差し出されたテオドールの手を、両手でぎゅっと握りしめる。
寒風に晒されているはずなのに、彼の手のひらは驚くほど温かかった。
テオドールは自分の首に巻いていた予備の厚手マフラーを解くと、私の首元に幾重にも巻き直し、隙間風が入らないように端を丁寧に押し込んでくれた。
顔が触れ合うほど近づいた彼の吐息が、冷えた私の頬にかかる。
(……あ……)
下腹部の奥の疼きが、波紋のようにじわりと広がっていく。
人間の雄に守られ、温もりを与えられることへの、抗いがたい心地よさ。
打算で始まった共同生活のはずなのに、この青年に触れられるたび、身体の奥深くが甘い熱で満たされていくのを止められなかった。
だが――岩礁の突端、轟音を立てて白波が砕ける波打ち際に近づいた瞬間、私たちの立場は一変した。
「ひどい波だ……! 足元が吸い込まれそうだ……」
テオドールが足を止め、漆黒の怒濤を見つめて息を呑んだ。
陸の上では頼もしかった彼の足が、暗黒の海を前にしてすくんでいる。
視界の利かない夜の海は、陸棲の人間にとって底知れぬ恐怖そのものなのだ。
けれど、私にとっては違った。
「テオ、立ち止まらないで。足元の震動を感じて」
私はテオドールの手を引き、岩の稜線へと導いた。
目に見えなくとも、足裏の岩肌を伝わってくる微細な周波数、引き波が底石を転がす重い音、そして空気を震わせるうねりの周期が、手に取るように分かった。
「あの白波が砕けてから、次のうねりが立ち上がるまで、心臓の鼓動で十五回分の間があるわ。その隙に、向こうの突き出た岩棚の陰へ渡るのよ。あそこなら波の直撃を受けないし、水深のある本流の水路が足元を通っているわ」
「え……? 鼓動十五回分……?」
「いいから、私についてきて!」
私は彼の手を引き、波が引いた瞬間の濡れた岩棚を、迷いなく渡り切った。
指示通りの高台の岩陰に滑り込んだ直後、私たちがさっきまでいた足場を、鈍い地響きとともに白い砕け波が洗い流していった。
「す……すごいよ、ローナ……」
テオドールは眼鏡の奥の瞳を丸くし、呆然と私を見つめた。
「君は、夜の海が怖くないのかい? まるで、この暗闇の波の下がすべて見えているみたいだ……」
「ふふん、言ったでしょ? 波のことなら、私に任せなさいって!」
私は得意げに胸を張ってみせた。
海と陸。お互いの得手不得手を補い合いながら、私たちは目的の調査地点へと無事に辿り着いたのだった。
3. 満ちゆく潮と、水中のクリック音
私たちが陣取ったのは、水面から二メートルほど高い位置にある、安定した玄武岩の棚だった。
その真下には、外海からの潮流が勢いよく流れ込む、幅三メートルほどの狭い水路(チャンネル)が口を開けている。
テオドールは決して無謀な真似はしなかった。
彼は持参した太い麻縄――回収索の端を、私たちがいる高台の岩の深い亀裂にクサビを打ち込んで頑丈に結び留めた。
そして、その索の先端に結びつけたガラス管の捕集器を、岩棚の上から慎重に手繰り出し、下方の水路の底近くへと沈めたのだ。
「よし、固定完了だ。これなら波に流される心配もないし、回収するときも下の濡れた足場に降りる必要がない。この安全な高台から索を手繰り寄せれば、安全に回収できる」
「さすがね、テオ。学者先生らしい慎重さだわ」
「これでも野外調査の心得はあるからね。潮が水路を満たし、しっかりと海水がフィルターを通過するまで、三十分ほど待とう」
テオドールはカンテラの火を極限まで絞り、岩の窪みに腰を下ろした。
風を遮る岩陰に入ると、二人分の吐息が白く漂う。
「さあ、テオ! お待ちかねのあれを開けましょ!」
私は抱えていた毛布を解き、陶器の壺の蓋を開けた。
立ち上る熱い湯気。
冷え切った暗闇の中で漂う、濃厚な肉と豚脂の匂いは、それだけで奇跡のように贅沢だった。
「わあ……本当にまだ湯気が立っているよ……!」
テオドールが感嘆の声を漏らし、木製のお椀にスープを注いで私に手渡してくれた。
私は待ちきれずに、ふうふうと息を吹きかけ、熱々の脂身とスープを一気にすすり込んだ。
「んんんんっ……!! あったかい……! 美味しい……!」
凍えていた胃袋の奥に、熱い燃料が注ぎ込まれたように、全身の血が巡り出す。
表面に浮いたぷるぷるの豚脂が舌の上でとろけ、冷えた内臓を芯から温めていく。
テオドールもスープを口にし、ほっと息をついた。
「美味しいね……。夜の岩礁で、こんな温かいものが食べられるなんて思わなかったよ。君の発想には、いつも驚かされる」
「でしょ? 寒さに震えてちゃ、いい観察なんてできないもの!」
暗闇の岩陰で、肩を寄せ合い、温かいスープを分け合う時間。
波の轟音に包まれながらも、ここだけは小さな温室のように満ち足りていた。
だが――その平穏は、唐突に破られた。
(……え……?)
スープを飲み干し、岩肌に手を置いた瞬間だった。
濡れた玄武岩を伝わって、私の手のひらから腕の骨、そして頭蓋の奥の内耳へと、微細な音響の震動が突き刺さってきたのだ。
チッ、チッ、チチチ……ピュイィィ……。
人間の耳には、波の砕ける低音にかき消されて決して聞こえない、極めて周波数の高い音。
それは海中を伝わる、エコーロケーション(反響定位)のクリック音と、仲間へ位置を知らせる共鳴笛――人魚たちの声だった。
(同族が……来ている……!?)
私の身体が、一瞬で石のように強張った。
視線を外海へと向ける。
漆黒の波間、新月の暗がりの中――沖合から水路へ向かって押し寄せてくるうねりの中に、青白く光る夜光虫を纏った、三つ、四つの滑らかな流線型の影が、獲物の魚群を追いながら猛烈な速度で泳ぎ寄ってくるのが見えた。
4. 波間の救助と、水中の警告
満ち潮の勢いは、刻一刻と増していた。
沖合で発生した周期の長い重いうねりが、黒い丘のように盛り上がりながら、岩礁全体を軋ませている。
「そろそろ三十分だね。……おや、水路の潮足が急に速くなって、回収索が岩の角に擦れているようだ。ガラス管が岩に叩きつけられる前に、索の角度を直して引き上げよう」
テオドールが立ち上がった。
彼は無謀に飛び出したわけではなかった。退路となる足場を確かめ、沖のうねりの間隔を見計らいながら、索を張り直すために慎重に一段低い岩棚へと足を進めたのだ。
だが、海は人間の予測を嘲笑うかのように動いた。
沖合から、数本分の波が重なり合った、ひときわ重いうねりが音もなく立ち上がってきたのだ。
海底の砂利がゴロゴロと不気味な音を立てて引きずられ、水路の海水が一気に沖へと吸い出されていく。
(まずい……! 引き波が大きすぎる……!)
「テオ、戻って!!」
私の叫びにハッとして、テオドールはすぐに足を引いて高台へ戻ろうとした。
退路への意識は確かにあった。だが、満ちてきた潮に洗われたばかりの濡れ岩は想像以上に滑りやすく、厚い海藻に足をすくわれて大きく体勢を崩してしまったのだ。
すぐ背後には、星明かりすら遮る漆黒の水の壁が迫っていた。
俊敏に飛び跳ねることなど、土踏まずのない私の足にはできない。
私は立ち上がろうとせず、瞬時に身体を低く倒し、四つん這いの姿勢を取った。
両膝と手のひらを濡れた岩肌に隙間なく吸い付かせ、重心を極限まで低くして岩を這う。
そして、人魚特有の強靭な背筋と遊泳で鍛え上げられた腕力を総動員し、一段下で倒れかけたテオドールの厚い外套の襟首と帯を、両手で鷲掴みにした。
「ぐっ……うぅぅっ……!!」
全身の筋肉を軋ませ、火事場の馬鹿力でテオドールの巨体を強引に引き倒す。
大人一人の体重を、腕力だけで安全な高台のくぼみへと力任せに引きずり戻した――その刹那。
ドォォォォォォンッ――!!
数トンの質量を持つ漆黒の怒濤が、テオドールがさっきまでいた岩棚を粉砕するように叩きつけた。
凄まじい水煙が夜空高く吹き上がり、重い飛沫が雨のように私たちの頭上へ降り注ぐ。
テオドールは私の腕の中で荒い息を吐き、水没した足場を見つめて顔を蒼白にしていた。
「あ……あ……っ」
救助は成功した。テオドールは無事だ。
――だが、本当の危機は、その直後に訪れた。
ザザァァァッと大波が引き潮となって水路へ落ちていく中、その渦巻く白泡のすぐ下、水深わずか一メートルの浅瀬へと、魚群を追ってきた同族たちの黒い影が、迷いなく進入しようとしていたのだ。
(ダメ……! 入ってきちゃダメ……!!)
水路の幅はわずか三メートル。
ここに同族が入り込めば、岩陰でカンテラを持つテオドールと至近距離で鉢合わせしてしまう。
見知らぬ人間と夜の狭い浅瀬で接触すれば、恐怖と混乱から何が起きるか分からない。テオドールが無事で済む保証もなければ、人魚の存在が露見して私の秘密も完全に終わってしまう。
(ここで何もしなければ、怪しまれずに済む……? ううん、ダメよ! 鉢合わせたら取り返しがつかない!)
私は迷いを振り切った。
「ローナ……?」
呆然とするテオドールの視線の前で、私は高台の岩棚の縁へと身を乗り出した。
岩肌を洗った潮が滝のように流れ込み、下の水路へと直接通じている深い岩の窪み――冷たい海水が渦を巻くその水面へ、私は迷うことなく自分の顔と口元を突っ込んだ。
ゴボッ……。
仮設声帯を使う空気呼吸の発声ではない。水棲動物としての本来の器官から、水中に向けて高周波のソナー信号を激しく打ち鳴らす。
水という媒質を介して直接放たれたその音響は、水路を満たす海水の中を鋭い衝撃波のように伝播し、海中へと突き刺さった。
――『人間がいる! 浅瀬に罠がある! 近づくな、潜れ!!』――
水路を満たす海水全体が、ビリビリと震動した。
水路の入り口に頭を突っ込みかけていた同族たちの流線型の影が、その警告音を受け取った瞬間、ピタリと静止した。
パニックに陥って暴れるのではない。
彼女たちは、水中に響いたその明確な「仲間の警告」を正確に理解したのだ。
直後、高台から水面を見下ろしていたテオドールの目の前で、信じられない光景が繰り広げられた。
バシャンッ!
水路の白泡の中から、巨大な尾ひれが力強く海面を叩いた。
青白い夜光虫の光を纏った複数の流線型の影が、滑らかに弧を描いて反転し、水路には入らず、沖合の底知れぬ深海へと音もなく潜航して消え去っていったのだ。
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### 5. 深夜の帰還と、残された問い
ぷはっ……!
冷たい海水から顔を上げ、濡れた前髪を払う。
私の肩は小刻みに震え、吐き出す息は白く乱れていた。
水路には、ただ引き波の白い泡が静かに漂っているだけだった。
「……ローナ……?」
背後から、掠れたテオドールの声が聞こえた。
彼の手は岩肌に置かれたまま、沖合の闇と、びしょ濡れの私の姿を交互に見つめていた。
水路の奥で大きな生き物が身を翻し、深海へと去っていったその姿を、彼は確かにその目で目撃していた。
「テオ……大丈夫?」
「あ……ああ、怪我はないよ。……満潮が来る前に、撤収しよう」
テオドールは短くそう言うと、震える手で回収索を握った。
私たちは下の濡れた足場へは降りず、安全な高台から、二人で力を合わせてロープを手繰り寄せた。
ズシッとした重みとともに、水路からガラス管の捕集器が引き上げられた。
カンテラの覆いをわずかに開け、テオドールが捕集器を改める。
ガラス管の中央――石英砂と脱脂綿のフィルターの表面に、白濁した粘液のような膜と、微細な有機物の残渣がしっかりと吸着されていた。
「捕集できている……! 水中の浮遊物が、フィルターにトラップされているよ」
「よかった……!」
「ああ。だが……これが干潟で見つかった皮膚片と同じものかは、ここじゃ分からない。干潟は夕方から一晩かけての長時間の捕集だし、ここは満ち潮の三十分間だけだ。採集時間も潮の段階も違うから単純な比較はできないけれど……明日の朝、干潟の捕集器を回収して、研究室で顕微鏡と突き合わせれば、重要な手掛かりになるはずだ」
テオドールは捕集器を厚い布で包み、緩衝材を敷いた木箱の中へ慎重に収めた。
私たちは足早に黒岩礁を後にした。
それから半時間後。
険しい岩場を抜け、ようやく研究所近くの砂浜へと辿り着いた。
空にはまだ夜明けの気配はなく、深夜二時の冷たい闇と星明かりが、静まり返った砂浜を青白く照らしていた。
緊張の糸が切れたのか、私の膝がガクガクと震え、冷たい砂の上にぺたりとへたり込んでしまった。
「ローナ!」
テオドールが慌てて駆け寄り、砂の上に膝をついて私の身体を支えてくれた。
彼は自分の乾いた厚手の外套を脱ぐと、海水で濡れそぼった私の肩にすっぽりと羽織らせ、前をしっかりと合わせてくれた。
「寒かっただろう……すまない、僕を助けるために、君にこんな無茶をさせてしまって……」
「ううん……テオが無事で、本当によかったわ……」
私が外套をかき抱きながら小さく微笑むと、テオドールは私の顔をじっと見つめた。
カンテラの淡い光に照らされた彼の瞳には、深い感謝と、そしてどうしても拭い去ることのできない、一つの重い疑問が宿っていた。
「……ローナ。一つだけ、どうしても聞きたいんだ」
「……え?」
「君はなぜ、あの冷たい海の中に顔を浸けたんだい?」
「――っ」
「君が水中に向けて何かをした直後、岩肌を通じて、骨を震わせるような鋭い音が響いた。そして……水路へ向かってきていたあの大きな生き物が、まるで合図を受け取ったように、一瞬で沖へ反転していったんだ」
テオドールの声は低く、静かだった。
責めるような響きはどこにもない。
ただ、自分の命を救ってくれた少女が、あまりにも人間離れした行動を取ったという厳然たる事実を、どう受け止めればいいのか迷っているようだった。
「…………」
私は何も答えられなかった。
記憶喪失のせいだと言い訳することも、海の感覚だと取り繕うこともできなかった。
あの瞬間の私の行動は、明らかに水中の生き物と意思を通じ合わせるためのものだったからだ。
テオドールは沈黙する私の強張った横顔を見つめ、それ以上問い詰めることはしなかった。
彼は静かに立ち上がると、震える私の手をそっと握り、立ち上がらせてくれた。
「……冷えるね。帰って、温かい火を起こそう」
「……うん」
深夜の冷たい潮風が、二人の足元を吹き抜けていく。
確かな標本を手に入れた喜びの代わりに、私たちの間には、容易には埋められない静かな問いが残されていた。