Dr. SPIDER-MAN ドクタースパイダーマン 作:サクラザキアツヤ
午後7時。夕食後、白月優兎は学生寮の自室に戻っていた。
机の上には、彼が集めてきた廃材――歯車、基盤、金属板、壊れた電子部品――が所狭しと並んでいる。優兎はそれらを器用に組み合わせ、新たなサポートアイテムを試作していた。
体内ではヴェノムが眠っている。昼間に食べさせすぎたのだ。鴨肉、馬刺し、カエルの肉――力を蓄えるためとはいえ、さすがに過剰だったらしい。
その時だった。
――ズキンッ。
まるで頭の奥に稲妻が走ったかのような衝撃。
「……っ!」
優兎は思わず頭を押さえた。
スパイダーセンスだ。だが、本来スーツから鳴るはずの警告音はない。ヴェノムがスーツごと自分の中に取り込んでしまったせいで、装置を介さず、直接頭に衝撃が来るようになっていた。
優兎(今かよ……しかも、今回は遠いな)
優兎は近くにあった鉄の棒を二本手に取り、思い切り打ち鳴らした。
カンッ――キィィィン!
耳をつんざく高周波音。
ヴェノムが飛び起きる。
ヴェノム「ぁぁぁぁあ! やめてくれよ! 本当に! オレたちシンビオートはこの音がダメなんだって言ってるだろ!」
優兎「それは分かったから! 早くスーツを! ――今回は初めから50%で!」
一瞬の静寂。
次の瞬間、優兎の体から黒い液体が噴き出した。
――ドクン。
黒い液体が彼を包み込み、光を飲み込むように広がる。
ヴェノム50%――「ハーフ・シンクロナイゼーション」発動。
赤と青は消え失せ、全身は漆黒。白いクモの模様だけが浮かび上がる。鋭い複眼が冷たく光った。
優兎は窓を蹴り、夜の街へと飛び出した。
――――――――――――――――――――――
スパイダーセンスが導く先――それは、巨大な港だった。
コンテナが山のように積まれ、クレーンが静かにそびえ立つその場所で、“それ”は暴れていた。
巨大なワニ。
だが普通のワニではない。角が何本も生え、体長は現代最大級のイリエワニすら軽く超えている。まるで図鑑で見た太古のワニ――デイノスクスのような異形。
バキィィィン――!
その顎が閉じると、小型の船がいとも簡単に真っ二つになった。
優兎「……こりゃ、街に出ちゃまずいな」
優兎「ヴェノム! 昼間食った動物の力、もう使えるんだよな?」
ヴェノム「あぁ。50%ならいつでもいけるぜ」
黒い液体が優兎の腕を覆い――次の瞬間、そこから漆黒の翼が生えた。鴨の力――「プレデター・アシミレーション」が発動する。
優兎は一気に空へ舞い上がる。
しかし――
優兎(……これは、今使うべきじゃない)
そう判断し、翼を引っ込めて地面に着地する。空からの一撃は派手だが、着地の隙が大きすぎる。今の相手には向かない。
足に力を溜める。
ウサギの跳躍力。馬の瞬発力。
――そして、全力解放。
ドォンッ!
優兎は弾丸のように地面を蹴り、ワニへと突っ込んだ。
拳が唸る。
ガキィィィンッ!
黒い拳が怪物の顎を捉え、牙を数本粉砕。生えた角も折れ飛んだ。
怪物は咆哮し、巨大な尾を振り回す。優兎は糸を放ち、クレーンに張り付きながら空中で体勢を整える。
スパイダーウェブが幾重にもワニの足へ絡みつく。
優兎は高速で移動しながら打撃を重ねる。跳躍、着地、回避、反撃――すべてが以前より速い。
しかし、怪物は冷静だった。劣勢に追い込まれたワニは海へと逃げ出す。
優兎「逃がすか……!」
優兎は迷わず海へ飛び込んだ。
体が黒い液体に包まれ、水の中でも自由に呼吸できる――白身魚(サワラ)の力だ。「プレデター・アシミレーション」が完全に機能している。
水中で一瞬にして距離を詰め、優兎は渾身の一撃を叩き込んだ。
ドンッ――!
衝撃が海中に広がる。巨大なワニは力なく沈み、暗い深海へと消えていった。
――二度と浮かび上がることはなかった。
――――――――――――――――――――――
優兎は海から上がり、静かに寮へ戻る。
スーツを解除し、ドクに電話をかけた。
だが――画面に表示された文字は無情だった。
“This number is invalid.”(この電話番号は無効です)
優兎「……まさか」
優兎「ヴェノム、スーツ」
ヴェノム「またかよキョウダイ……人使いが荒すぎるぜ」
黒い液体が優兎を包み、再びスーツが形成される。
通信機のボタンを押す。
優兎「ねぇドク、聞こえる?」
すぐに返事があった。
ドク「あぁユウト、聞こえるぞ」
優兎「なんでこのスーツじゃないと連絡できないのさ!」
ドク「それはアルタイルに見つからないよう、私が作った特殊な電波回線を使っているからだ。私の作った装置でなければ、場所も特定できないし通信もできない」
優兎「おいおい! それ、最初に言ってくれよ……一番大事なことじゃないか!」
優兎は今日戦ったバイソンとワニの怪物について報告した。
ドクはしばらく黙り、やがて口を開く。
ドク「……私もシンビオートについて調べてみた。どうやら――人間は適合者が圧倒的に少ないが、動物はおよそ80%が適合できるらしい」
ドク「動物は生きるために必死だ。邪心も善意もない。その純粋さが関係しているのかもしれない」
ドク「いずれにせよ――シンビオートとの本格的な戦いは、すでに目の前まで迫っている。引き続き慎重に動いてくれ。では!」
一方的に通信は切れた。
ヴェノム「ははっ……こんなに人使いが荒いオマエでも、あのおっちゃんの自分勝手さには敵わねぇな」
優兎は笑わなかった。
優兎(ヴェノムのような存在が、他にもいる……)
優兎(しかも敵として現れたら――)
静かな恐怖が、胸の奥に広がっていた。
優兎はそのままシャワールームへ向かうのだった。