台所の方から、何やら炒め物をしているような、弾ける音がして来ている。ここは壁一つ程離れた場所では有るが、微かながらにも、焼ける肉とタレの匂いが香って来ていた。俺は自室で固定電話の受話器を取り、コール音を聞く。
「_____もしもし?」
『お電話有難う御座います、こちらは戸籍省秘匿回線52311322です。本日はどの様なご用件でしょうか?』
「戸籍の確認したいんだけど、出来る?」
『登録名は何でしょうか』
「名は無し。姓だけで、ウラナミ…ああ、情報は紙媒体にしてくれ」
『受け渡しの担当者に希望などはありますか?』
「ウォーター・ヴァダで頼む」
『了解致しました。受け渡しは2日後の10月18日となりますので、恐れ入りますが、御承知下さい』
「どうも」
俺は受話器を置き、椅子に背中を沈める。頭をだらりと下げて見上げてみると、さして昔と変わらない様な、薄汚れた天井が一面を占めていた。もう夕方であるから暗闇に支配されかけているが、どんな風貌の天井でも、見上げていれば頭が整理される。
暫くは遊んでだらける積りだったが、取り敢えず当分は身辺調査と、彼女に年相応の依頼をぼちぼち回して行こう。人を殺す様なのは控えて、警護任務だとか、比較的危険度の低い略奪依頼を主体にするのがイイかな。
「後は装備と、武器、会社への連絡…ここら辺の案内もしなきゃならんか」
「佐藤さん、出来ました!」
「今行く!」
致命的に気分の左右が軽い俺は、そのハリの良い声を聞くと、思考が一瞬で飯に寄って行ってしまった。俺はさっさと席を立ち、リビングへ向かう。
◆◇◆◇
果たして、机に置かれているのは、いつの日かの食卓で見た、一般的家庭の食事と言うか、米にサラダや味噌汁、野菜炒めにウィンナーなど、色々が混ぜこぜになった物である。
「料理は後から習った物も多いんですけど、ある程度は母から教わっていたので、今回はそれを主に作ってみました」
机に座った俺は、可愛らしいペンギンの刺繍を付けた彼女のエプロンを傍目に箸を持つ。しかし座る様子のない彼女を不思議に思い、質問を投げかけた。
「ウラナミちゃんはいつ食べるんだ?」
「忘れてそうですけど、あたし奴隷なので。あなたが食べ終わってからですかね」
「そう言うもんか。そこら辺の作法はあるのか?」
「あたし達は、『時と場合だ、臨機応変にしろ』って言われました。あなたが寂しがり屋なら、あたしもご一緒しますよ?」
「…飯は一緒に食う方が美味いらしいな」
「つれないですね」
「認めたら負けだろう」
そうして準備していた料理を持って来て、彼女はようやく、向かい側に腰を下ろした。さもあたし優位!と言った進行をしていた彼女だが、その表情筋は充分過ぎるほどに、弛んでいる。俺と彼女の食事観に相違が無いようで、安心した。
彼女の品はほんの僅かなぐらいだが、量が少ない様に見える。俺の胃袋を考慮して作っていたのだろうか?
「頂きます!」
「…頂きます」
食べる時の挨拶なんて、しばらくしていなかった。不思議と気分が高揚するのが分かる。彼女は茶化して言っていたが、確かに俺は、人肌を恋しく思って居たのかも知れない。
次いで、サラダから手を付け、ご飯を食べ始めた。前世の俺はいつもサラダを先に食べて、そこから様々なおかずに手を出していたのだが、それが今世でも出来た事を、よく噛み締める。
酸味を感じる味覚とは裏腹に、俺は何とも言えない甘みを味わっていた。
「うん、美味い」
「良かったです。作った甲斐がありましたよ!」
そう言う彼女は正しく燦々と言った具合に、にかりと笑う。ここにもご飯が進むおかずがあったか…
「ご飯を食べたら、何かしますか?」
彼女は随分前のめりに、そう聞いて来る。俺は舌の感覚に引っ張られて、さも10年来の付き合いかの様な雰囲気を醸し出しながら、箸を置いた。
「ああ、ウチの部屋の案内と、シャワーだとか洗濯機だとかの使い方を教えるよ。それで、明日はここら辺の地理とか掴んどいた方がいいだろうし、日用品を買うのに使う店を巡ろうと思ってる」
「仕事とかは、しないんですか」
「俺、自営業みたいなモンだから…割と自由に任務を選り好み出来るような実績も積んでるしね」
「次はいつ仕事をするとかって、決まってるんですか?」
「ウラナミちゃん、企業戦士みたいになってるよ」
「それがあたしの役目なんですから、気になりますよ」
ううん…彼女は勤労をお望みらしい。明々後日には適当に仕事を見つけておこう。
「あ、因みに明後日、俺居ないよ」
「ええ!?」
「なんだ、居て欲しかった?…んな訳ないか」
「有りますよ!暇…寂しいじゃないですか」
「酷いこと言うね」
「寂しいじゃないですか!あなただって自分は寂しがり屋だって言ってましたよ」
「言ってない」
「心の声が聞こえるんです!」
ゴリ押さないでくれ。
「まあ朝に出て昼には帰って来るから。その後は、ウラナミちゃんと仕事の話もしようと思ってるし…」
「お願いします!」
「うん」
「あたし、頑張っちゃいますよ!」
「適度にな」
この子の扱い方は、これで合っているんだろうか…何とも、対応に困る姪を預かっているかのようで、ゆったり出来なかった。最初はあわよくばベッドで一緒に寝ようかと思ったが、やっぱり別々に寝てもらおう。
その方が気が楽になると、直感的にそう感じる。もちろんソファで寝るのは、俺だ。
そんな事を考える中彼女はご飯を食べ終わっていたそうで、開口一番こう言う。
「食事は味わうタイプなんですね」
Tips:戸籍省
群馬県に拠点を置く行政機関。その名の通り戸籍を管理する。奴隷の戸籍も管理しており、彼らの戸籍情報に関しては、然るべき手段を取れば取得可能である。戸籍省に登録されていない人物は無戸籍者として扱われ人権が保障されないため、奴隷や第一次産業での労働者など、兎に角職に就き、臨時の戸籍を発行して貰うことが推奨されている。