秋季大会、準決勝。
対戦相手が決まった翌日。
教室で弁当を食べていると、詩織が俺の机までやってきた。
「次、武蔵野なんだって?」
「よく知ってるね」
「伊織が教えてくれないから自分で調べるようになりました」
「そこまでしなくても」
「誰のせいだと思ってるの?」
詩織が向かいの席に座る。
「武蔵野って、夏にも戦ったところだよね?」
「全国の準決勝で」
「伊織がホームラン打った」
「よく覚えてるね」
「だからちゃんと見てるって何回言えば信じるの」
少し怒られた。
「それで、この前の練習試合でも戦ったんでしょ?」
「うん」
「ホームラン3本打ったやつ」
「それまで知ってるの?」
「学校で黒田くんが普通に喋ってた」
「黒田か……」
「でも負けたんだよね?」
「4対3で」
詩織が少し考える。
「じゃあ今度は勝たないとね」
「もちろん」
「相手のピッチャー、真田くんだっけ。伊織と仲悪い人」
「別に仲悪くないよ」
「そうなの?」
「多分」
「その多分、絶対仲良くないじゃん」
違うと思う。
少なくとも嫌いではない。
「真田は面白いよ」
「それ、友達に言う面白いとは違うでしょ?」
「投げてくる球が」
「ほら」
詩織が呆れた顔をする。
「伊織って、野球の人の話になると本当に野球のことしか出てこないよね」
「ピッチャーだから」
「じゃあ私のこと聞かれたら?」
「幼馴染」
「それだけ?」
「ピアノが上手い」
「まだ発表会で聴いてないのに?」
「昔から聞こえてたし」
「……覚えてたんだ」
詩織の声が少しだけ変わった。
「そりゃ家近いからね」
「そういうところなんだよなあ」
「何が?」
「何でもない」
教えてくれなかった。
◇
準決勝当日。
武蔵野シニア。
マウンドには真田。
練習試合では137km/hまで上がっていた。今日も投球練習のボールが、高瀬の構えるミットとは違う音を響かせている。
バァンッ!
真田がこちらを見る。
目が合った。
ニヤッと笑う。
「成瀬!」
試合前なのに普通に呼ばれた。
「何?」
「今日は3本も打たせねえからな」
「1本ならいいの?」
「ゼロに決まってんだろ!」
「じゃあ最初からそう言えばいいのに」
「相変わらずムカつくな、お前!」
横で黒田が笑う。
「仲良いじゃん」
「どこが?」
「今ので仲悪い判定なら俺と成瀬なんか絶交してるぞ」
「黒田とは仲いいの?」
「そこ疑う!?」
高瀬が手を叩く。
「遊んでないで行くぞ。今日は成瀬が先発。三上はショートな」
「了解」
玲はベンチスタート。
俺がマウンドへ向かう。
練習試合では負けた。
今日は公式戦。
同じ負けにするつもりはない。
◇
1回表。
武蔵野の先頭打者。
初球は131km/hのストレート。
バァンッ!
「ストライク!」
2球目は外へ。
ボール。
3球目。
同じコースからチェンジアップ。
打者の身体が前へ出る。
カンッ!
セカンドゴロ。
ワンアウト。
2番にはカーブを続けた。二球目を引っかけてファーストゴロ。
3番。
初球のストレートを振ってくる。
キィンッ!
鋭いライナー。
三上が横へ飛ぶ。
バシッ!
グラブに収まった。
「アウト!」
三者凡退。
「ナイス」
ベンチへ戻ると三上が言う。
「そっちこそ」
「俺がショートやる時くらい、もうちょっとゴロ増やしてよ」
「今のライナー取れたからいいじゃん」
「そういう問題じゃないんだけどなあ」
高瀬が横から口を挟む。
「成瀬に注文すると本当にやりかねないぞ」
「じゃあやっぱ今のなし」
「もう聞いたけど」
「忘れて」
無理だと思う。
◇
1回裏。
真田は最初から飛ばしていた。
137km/h。
バァンッ!
三上が振り遅れて三振。
佐伯も外角のストレートに詰まってセカンドゴロ。
ツーアウト。
俺の第1打席。
真田がマウンドで笑う。
初球。
外角低め。
ストライク。
2球目はスライダー。
外へ逃げる。
見送った。
ボール。
3球目。
内角高め、137km/h。
振る。
ガキンッ!
詰まった。
打球はショート正面。
「アウト!」
ベンチへ戻る。
黒田が聞いてきた。
「どう?」
「前よりいい」
「真田が?」
「うん。練習試合より球が散らばってない」
「楽しそうだな」
「そう見える?」
「めちゃくちゃ」
別に笑っているつもりはなかった。
◇
試合は0対0のまま3回へ。
3回裏。
三上が四球を選ぶ。
ノーアウト1塁。
佐伯が初球からバントの構え。
コツンッ。
一塁側へ転がす。
「アウト!」
三上は2塁へ。
ワンアウト2塁。
俺の第2打席。
真田は一度だけ2塁を見る。
初球、スライダー。
見送る。
ストライク。
2球目は137km/hのストレート。
外。
ボール。
3球目。
また外角。
さっきより少し高い。
振る。
キィンッ!
右中間。
センターが走る。
届かない。
「抜けた!」
三上が3塁を回る。
俺は一塁を蹴った。
三上がホーム。
「セーフ!」
1対0。
俺は2塁。
タイムリーツーベース。
真田を見る。
悔しそうな顔をするかと思った。
笑っていた。
「それだよ」
聞こえた。
「何が?」
「前はそれ、もっと無理して打ってただろ。今は普通に右へ飛ばしやがる」
「よく見てるね」
「お前に3本食らったんだぞ。見るに決まってんだろ」
審判に促され、会話はそこで終わった。
黒田は三振、高瀬もライトフライ。
追加点は取れなかった。
それでも先制。
1対0。
◇
俺も4回まで無失点。
真田も、それ以上の点を与えない。
4回裏、黒田がヒットを打ったものの、高瀬が併殺打。5回表を迎えた。
先頭打者。
初球のストレートを左中間へ運ばれる。
カァンッ!
ツーベース。
ノーアウト2塁。
高瀬がすぐにマウンドへ来た。
「ここ、無理に三振いらないからな」
「分かってる」
「次、バントしてくると思う」
「じゃあ三塁で刺す?」
「いや。一点リードだし、アウト一つもらおう。無理して傷広げる方が嫌だ」
「了解」
予想通り、バント。
コツンッ。
俺が前へ出る。
一塁へ。
パァンッ!
「アウト!」
ワンアウト3塁。
次の打者。
外角ストレート。
ファウル。
2球目はカーブ。
ボール。
3球目。
チェンジアップ。
カンッ!
ライトへのフライ。
十分な深さ。
3塁ランナーがスタート。
返球。
間に合わない。
1対1。
同点。
「切り替え!」
高瀬の声。
続く打者をショートゴロに打ち取る。
三上が捌く。
パァンッ!
「アウト!」
同点で止めた。
ベンチへ戻ると高瀬が言う。
「一点でいいって言ったろ?」
「言ってたね」
「ならそんな顔すんな」
「どんな顔?」
「自分で全部止めたかった顔」
「……分かる?」
「何年バッテリー組んでると思ってんだよ」
高瀬が防具を直しながら続ける。
「一点取られたら一点取ればいい。それが野球だろ」
「キャプテンっぽい」
「お前まで言うな!」
少し笑った。
◇
6回裏。
先頭の三上が倒れ、ワンアウト。
佐伯もセンターフライ。
ツーアウト。
俺の第3打席。
真田が大きく息を吐く。
初球。
明らかなボール。
2球目も外。
3球目。
外角ギリギリ。
見送る。
ボール。
「おい!」
真田がベンチを見る。
ベンチから何か指示が飛んだ。
4球目。
外れた。
フォアボール。
一塁へ歩く。
真田が明らかに不満そうな顔をしている。
「勝負したかった?」
俺が聞く。
「当たり前だろ」
「でも公式戦だからね」
「分かってるよ! 分かってるから余計ムカついてんだ!」
黒田が打席へ入る。
「聞こえてるぞ、真田」
「何がだよ」
「成瀬ばっか見てると俺が打つぞ」
「だったら打ってみろ!」
初球。
137km/h。
ファウル。
2球目はスライダー。
見逃し。
1ボール1ストライク。
3球目。
内角。
黒田が振り抜く。
カァァンッ!
左中間。
「抜けた!」
スタートを切る。
一塁。
二塁。
三塁コーチが腕を回している。
そのまま3塁を蹴る。
「回れ!」
外野から返球。
ホームへ。
ザッ!
高瀬じゃない。
相手捕手のミットにボールが届く。
滑り込む。
「セーフ!!」
2対1。
黒田が2塁上で叫んだ。
「見たか真田!!」
「うるせえ!」
真田も言い返している。
俺はベンチへ戻る。
高瀬が笑う。
「自分で返さなくても点入ったな」
「そうだね」
「どう?」
「何が?」
「悔しい?」
「全然」
「即答か」
「黒田が打ったんだからいいでしょ」
俺が全部打つ必要はない。
全国大会から何度も見てきた。
分かっている。
そのはずだった。
でも、黒田が打った瞬間。
少しだけ嬉しかった。
数字とは別のところで。
◇
7回表。
2対1。
監督は俺をそのままマウンドへ送った。
「成瀬。最後まで行け」
「はい」
先頭打者。
初球、カーブ。
ストライク。
2球目はストレート。
カンッ!
セカンドゴロ。
ワンアウト。
次の打者は粘った。
ファウル。
ボール。
ファウル。
6球目。
チェンジアップ。
ブンッ!
「ストライク! バッターアウト!」
ツーアウト。
最後の打者。
初球。
131km/h。
ファウル。
2球目。
カーブ。
ボール。
3球目はストレート。
カキンッ!
三遊間。
三上が横へ動く。
届かない。
レフト前。
ツーアウト1塁。
武蔵野ベンチが一気に騒がしくなる。
「繋げ!」
「まだ終わってないぞ!」
高瀬がマウンドへ来た。
「疲れてる?」
「まだ投げられる」
「聞き方変える。次の打者、何で行きたい?」
「ストレートで押したい」
「俺も同じ。変にかわすな。お前の球で終わらせよう」
「分かった」
高瀬が戻る。
次の打者。
初球。
バァンッ!
「ストライク!」
130km/h。
2球目。
外へのストレート。
ファウル。
追い込んだ。
高瀬のサイン。
一度首を振る。
もう一度。
ストレート。
頷いた。
振りかぶる。
投げる。
バァンッ!!
「ストライク! バッターアウト!! ゲームセット!!」
2対1。
準決勝突破。
◇
俺は7回5安打1失点。1四球、7奪三振。
打っては2打数1安打、1打点、1四球。
真田は7回4安打2失点。2四球、8奪三振。最速137km/h。
整列が終わる。
真田がこっちへ来た。
「負けた」
「うん」
「そこは何か言えよ」
「いい試合だった?」
「疑問形にすんな!」
少し黙ってから、真田が続ける。
「練習試合で勝った時、ちょっとだけ思ったんだよ。全国の借り返したって」
「ちょっとだけ?」
「公式戦じゃねえからな。だから今日勝ちたかった」
「俺も」
「次は負けねえ」
手を差し出してくる。
握る。
「来年の夏?」
「その前に当たったらその時だ。俺はお前と違って先の予定まで計算してねえから」
「俺もそこまで計算してないけど」
「嘘つけ。絶対してる顔だろ」
どんな顔だよ。
真田が手を離す。
「あと黒田に言っとけ。次は絶対打たせねえ」
「自分で言えば?」
「ムカつくから嫌だ」
「子供だね」
「お前にだけは言われたくねえ!」
負けた直後なのに、最後まで真田だった。
次は決勝。
夏に続いて、秋もここまで来た。
でも。
同じチームじゃない。
同じ勝ち方でもない。
新しい城東で取る、最初のタイトルまで。
あと一つ。