二年生の夏。俺の頭の中には、ずっと一つの文字が残っていた。
【特殊能力候補】
パワーヒッター
「……欲しい」
ものすごく欲しい。送球○、アベレージヒッター。そこへパワーヒッターまで加わる。
育成ゲームをやっていた人間なら分かると思う。特殊能力が一つずつ増えていくあの感覚は、かなり気持ちいい。しかも今はポイントを払って取るんじゃない。自分で条件を満たして、その結果として取得する。
「絶対欲しいな……」
◇
初ホームランを打ってから、俺は明らかに長打を意識するようになった。素振り、ティーバッティング、フリーバッティング。下半身を使って、最後まで振り切る。
【筋力がかなり上がった】
【技術が上がった】
ただし、能力値はそう簡単には動かない。
【パワー D58】
「あと二でCなんだけどな」
数字だけ見れば近い。でも、その二が遠い。幼児期なら、少し経験を使えば能力値はもっと簡単に動いた。今は違う。
それでも練習する。ホームランを打ちたいから。
◇
「伊織君、今日遊べる?」
「今日?」
「うん」
「ごめん。素振りしたい」
「また?」
詩織が少しだけ口を尖らせる。
「今度大会あるから」
「前も大会あったよ」
「今度は夏の大会」
「その前は春だった」
「……まあ、そうなんだけど」
野球をやっていれば、大会なんていくらでもある。
「じゃあ明日は?」
「チーム練習」
「明後日」
「玲とバッティングする」
「……」
詩織が黙った。
「どうした?」
「別に。ただ、伊織君って最近ずっと野球だなって」
「大会終わったら遊ぼう」
「ほんと?」
「うん」
「じゃあ約束ね」
「約束」
詩織が笑う。
「何する?」
「まだ決めてない」
「じゃあ私が決めてもいい?」
「いいよ」
「忘れないでね」
「忘れないって」
【藤崎詩織の好感度が少し上がりました】
野球もやる。詩織とも遊ぶ。両方やればいい。
この時の俺には、それが難しいことだとは思えなかった。
◇
夏の大会初戦。
「四番、ショート。成瀬」
「はい!」
「先発、水城」
「はい!」
最近では、この並びも珍しくなくなった。
「伊織君、今日ホームラン何本?」
「三本」
「三本?」
「目標」
「じゃあ僕、三振十個」
「四回か五回しか投げないのに?」
「全部三振ならいける」
「計算するところそこじゃないだろ」
玲は本気だ。俺も本気だけど。
◇
一回。一死一塁。第一打席。
「……ホームラン」
無意識に、そう考えていた。
一球目は外。二球目も低め。ツーボール。三球目は真ん中寄り。
「来た!」
思い切り振る。
ブンッ!
「ストライク!」
下。力みすぎた。
四球目。また甘い。
「今度こそ!」
強振。
カンッ!
高く上がる。でも伸びない。センターが数歩下がって捕る。
「アウト!」
ベンチへ戻ると、監督がこっちを見ていた。
「成瀬」
「はい」
「ホームラン?」
「……はい」
「分かりやすいなあ」
監督が苦笑する。
「ツーボールから、なんで自分から苦しくなる打ち方するんだ」
「すみません」
「ホームラン狙うなとは言わない。でも、お前はホームラン打った時も、そんな力んでなかっただろ」
「……はい」
その通りだった。初ホームランの時は、甘い球をしっかり振っただけだ。今みたいに最初からフェンスだけを見ていたわけじゃない。
◇
三回。第二打席。
今度こそ普通に打つ。そう思って打席へ入った。
一球目、ストライク。二球目、ボール。三球目、少し高め。
打てる球。
でも頭の奥で、パワーヒッターという文字が浮かぶ。もっとホームランを打てば、取得条件が進む。
「っ!」
振る。
ブンッ!
「ストライク!」
ツーストライク。
四球目は外。見送る。
五球目。低め。普段なら手を出さない。
でも、ホームランを打ちたいという気持ちが焦りに変わる。
カンッ。
「サード!」
ボテボテのゴロ。
「アウト!」
二打席ノーヒット。
去年の俺なら、こんな打席はほとんどなかった。打率四割を超えたのは、ちゃんと球を見ていたからだ。アベレージヒッターまで持っている。
なのに今は、自分からその長所を消している。
◇
「伊織君」
守備へ向かう途中、玲が寄ってきた。
「何?」
「今日打たないね」
「分かってる」
「ホームラン狙ってるから?」
「……監督の話聞いてた?」
「うん」
玲が首を傾げる。
「普通に打てば?」
「それができたら苦労しない」
「なんで?」
「ホームラン打ちたいから」
「でもヒットでも点入るよ」
「……」
正しい。腹立つくらい正しい。
「玲だって三振狙ってるだろ」
「うん」
「同じじゃん」
「でもストライク入らなくなったら、普通に投げるよ」
「……」
言葉に詰まる。
玲は三振が好きだ。空振りを取ると露骨に喜ぶ。でも試合では、それだけに固執しなくなっている。
「いつの間に覚えたんだよ」
「監督に言われた」
「俺も言われてるんだよなあ……」
「じゃあ同じ」
「できてないから困ってるんだよ」
玲が笑った。
七歳に諭される三十八歳経験者。情けない。
◇
五回。二対二。一死二塁。第三打席。
【得点圏に走者がいます】
【特殊能力進行:チャンス】
パワーヒッター。ホームラン。
一瞬、頭に浮かぶ。
でも今必要なのは、一点。
「……普通に打つ」
一球目は外。ボール。二球目、真ん中低め。
「そこ」
いつものスイング。力を入れすぎない。芯で捉える。
カキン!
「抜けた!」
右中間。二塁走者がホームへ。
「回れ!」
俺も一塁を回り、二塁へ。
「セーフ!」
三対二。勝ち越し。
【得点圏で長打を記録しました】
【打点を記録しました】
【特殊能力《チャンス》の取得条件が進行しました】
ホームランじゃない。それでも、今日一番気持ちのいい打席だった。
◇
試合は四対二で勝利。俺は三打数一安打、一打点。玲は四回一失点、六奪三振。
「六個か」
「うん」
「十個いかなかったな」
「もっと取りたかった」
「まだ言ってる」
「伊織君もホームラン打ってない」
「……お互い目標未達だな」
「でも勝った」
「そうだな」
玲が笑う。
「最後のヒットよかった」
「ホームランじゃないけどな」
「でも点入ったよ」
「……そうだな」
結局、試合ならそれが一番大事だ。
◇
夏の大会を勝ち進んだ。
二回戦は四打数三安打。三回戦は三打数二安打。準決勝は四打数二安打。
ホームランは一本だけ。でも打点は増えた。
【特殊能力《チャンス》の取得条件が大きく進行しました】
一方、玲は登板するたびに空振りを取り、三振を積み重ねる。
【水城玲の解析情報】
【特殊能力候補】
ノビ
奪三振
【取得条件進行中】
これは玲にシステムが能力を与えているわけじゃない。玲自身の投球を、俺のシステムが分析した結果だ。
俺は打つ。玲は三振を取る。
少しずつ、伸びる方向がはっきりしてきていた。
◇
そして夏の大会決勝。
「先発、水城」
「はい!」
「四番、ショート、成瀬」
「はい!」
試合前、玲が俺を見る。
「伊織君」
「ん?」
「今日勝ったら優勝?」
「そう」
「じゃあ全部三振にする」
「また言ってる」
「今日はやる」
「じゃあ俺は……」
少し考える。
前なら、三本ホームラン。そう答えたと思う。
「点取る」
「ホームランは?」
「打てる球なら打つ」
「ふーん」
「何だよ」
「伊織君、ちょっと変わった」
「そう?」
「うん」
玲が笑う。俺もバットを握る。
ホームランは欲しい。パワーヒッターも欲しい。特殊能力が増えるのは楽しい。
でも、目の前には優勝がある。
なら、まず勝つ。
そして大会が終わったら、詩織との約束もある。
野球も、それ以外も、全部やる。
この時の俺は、まだ本気でそう思っていた。