三年生の秋。
春の大会で優勝してから、俺の中には一つの焦りが生まれていた。
玲との差。
打撃でも守備でもない。
投手としての差だ。
【成瀬 伊織】
球速 74km/h
コントロール B76
スタミナ C67
【水城玲の解析情報】
球速 80km/h
特殊能力 ノビC
「六キロ差……」
数字だけなら、まだ追いつける。
そう思った。
だから投げた。
◇
練習が終わったあともフォームを確認した。下半身の使い方、踏み込み、体重移動、腕の振り。翌日も、その次の日も投げる。
【筋力が上がった】
【技術が上がった】
「伊織君、最近ずっと投げてるね」
「球速上げたいからな」
「僕も」
「お前はもう速いだろ」
「もっと速くしたい」
「……」
玲はそう言って、またボールを投げる。
シュッ!
パシンッ!
簡単に言うなよ。
俺だってやってる。
打撃練習を少し減らして、守備練習のあとに投げて、家でもフォームを考えている。
それでも。
【球速 75km/h】
「……一キロ」
上がった。
確かに上がった。
でも、その数日後。
「八十二出た!」
「……マジ?」
「うん!」
俺が一キロ上げた間に、玲は二キロ上げた。
◇
「まだ投げるのか?」
監督に聞かれた。
「はい」
「今日はもう結構投げたぞ」
「あと少しだけ」
「駄目」
「でも」
「駄目なものは駄目だ」
ボールを取り上げられる。
「子どもの肩は消耗品じゃない。今壊したら何にもならん」
「……はい」
分かっている。
前世でも野球をやっていた。投げ込みすぎがいいわけじゃない。
だから無茶はしない。
無茶はしないけど、時間は増やしたい。
「……朝に走るか」
なら体力。下半身。それなら肩を使わない。
◇
翌朝から少し早く起きて走るようになった。
「伊織、最近早いわね」
「走ってくる」
「朝ご飯までには帰ってきなさいよ」
「分かってる」
家を出て走る。学校へ行き、授業を受ける。放課後はチーム練習。帰宅したら素振りとフォーム確認。そのあと宿題をして寝る。
そんな生活を繰り返した。
【運動が上がりました】
【精神が少し上がりました】
悪くない。
むしろ全部伸びている。
でも、ある日の帰り道。
「伊織君、今日空いてる?」
「今日?」
「うん」
頭の中で予定を確認する。
今日はチーム練習がない。
「ごめん。玲と投げる」
「……また?」
「今、ちょっと球速上げたくて」
「そう」
詩織が小さく頷く。
「じゃあ今度ね」
「うん」
そのまま別れる。
少しだけ引っかかった。
でも今は野球。
そう思った。
◇
それから何日かして、詩織と帰っている時だった。
「じゃあ来週の水曜日ね」
「ん?」
「遊ぶ日」
「ああ、うん」
「ほんとに覚えてる?」
「覚えてるって」
「前にもそう言ってたから」
「今回は大丈夫」
詩織がじっと俺を見る。
「じゃあ約束」
「約束」
前に「大会が終わったら遊ぶ」と言ってから、何度か予定が合わなかった。
ようやく決めた日だった。
今度こそ忘れない。
そう思っていた。
◇
水曜日。
学校が終わると、俺はそのままグラウンドへ向かおうとしていた。
「伊織君」
「ん?」
「今日、覚えてる?」
「何が?」
「……」
詩織の顔が止まる。
「今日、遊ぶって約束したよ」
「……」
一瞬、本当に分からなかった。
そして思い出す。
「あ……」
「忘れてたんだ」
「ごめん」
「うん」
「今からなら――」
「玲君と練習するんでしょ?」
「……」
答えられない。
実際、そのつもりだった。
「今日はもういいよ。また今度」
詩織が先に歩き出す。
【藤崎詩織の好感度が少し下がりました】
「……マジか」
胸の奥が少し痛い。
でも。
画面を見て最初に考えたのは。
どれくらい下がった?
だった。
そのことの方が、本当はまずかったのかもしれない。
でも、この時の俺はまだ気づかなかった。
◇
秋の大会。
「成瀬、今日は先発だ」
「……はい!」
久しぶりに俺が先発。
玲じゃない。
俺が投手として選ばれた。
嬉しかった。
「伊織君、頑張って」
「おう」
「僕、ショートやる?」
「無理すんな」
「できるよ」
「知ってるけど」
今日は玲がセンター。
俺はマウンドに立ち、ボールを握る。
「……やっぱり好きだな」
投げるのも。
◇
一回。
先頭打者は三球でショートゴロ。二番はセンターフライ。三番は追い込んでから外角へ。
「ストライク! バッターアウト!」
「よし!」
三者凡退。
二回も無失点。
三回はヒットを一本打たれたが、後続を抑えた。
四回。二死二塁。相手は四番。
一球目は外。ボール。
二球目、内角ストライク。
ワンボール、ワンストライク。
三球目はファウル。
ワンボール、ツーストライク。
「……ここ」
最後は外角低め。
シュッ!
「ストライク! バッターアウト!」
「よし!」
四回無失点。被安打二。四奪三振。
「ナイスピッチング!」
「ありがとうございます!」
ベンチへ戻ると、玲が寄ってきた。
「伊織君、すごかった」
「だろ?」
「でも僕の方が三振多い」
「今それ言う?」
「八個取ったことある」
「知ってるよ!」
玲が笑う。俺も笑った。
今日の俺は四回四奪三振。
普通の同年代相手なら十分以上に抑えられる。
投手としても、かなり強い。
でも。
玲なら。
多分、同じ相手からもっと取る。
◇
大会は勝ち進んだ。
次の試合の先発は玲。
一回。三者連続三振。
二回。二奪三振。
三回。二奪三振。
五回を投げ終えて。
【投球結果】
5回
被安打 1
失点 0
奪三振 10
「……十」
アウト十五個のうち、十個。
俺の四奪三振とは、明らかに違う。
「伊織君、十個取れた」
「よかったな」
「うん!」
本当に嬉しそうだった。
嫉妬。
多分してる。
でも嫌いにはならない。
むしろ。
追いつきたい。
◇
秋が終わり、冬になった。
俺は投手練習を続けた。打撃もやった。守備もやった。走った。
詩織とも、あの日のあと何度か遊んだ。
ただ。
以前みたいに「いつでも遊べる」とは思わなくなっていた。
「伊織君、今度の日曜は?」
「午前は練習」
「午後は?」
「……空いてる」
「じゃあ遊ぼう」
「うん」
「ちゃんと予定に入れといてね」
「分かったよ」
詩織が笑う。
俺も笑った。
それでも頭の片隅では、午後に自主練を入れられるな、と一瞬考えてしまう。
時間は有限だ。
野球に使えば、野球が伸びる。
勉強に使えば、学力が伸びる。
詩織と過ごせば、詩織との時間になる。
当たり前のこと。
でもシステムを持った俺には、その一時間一時間が妙に「配分」に見えるようになっていた。
◇
三年生の終わり。
【成瀬 伊織】
年齢:9歳
【競技カテゴリ:少年】
弾道 3
ミート B74
パワー C66
走力 B70
肩力 B72
守備力 B75
捕球 C69
【投手能力】
球速 80km/h
コントロール B78
スタミナ B70
【特殊能力】
送球○
アベレージヒッター
チャンス○
「……かなり伸びたな」
球速もついに八十キロ。
打撃も守備も、少年カテゴリでBが増えた。
普通の同年代なら、もうかなり上。
でも。
【水城玲の解析情報】
球速 85km/h
特殊能力 ノビC
【特殊能力候補】
奪三振
「……五キロ」
差は縮まっていない。
むしろノビCまで含めれば、体感差はもっと大きい。
俺は画面を閉じる。
この一年。
投げた。打った。守った。走った。
全部育てた。
そして、詩織との約束を一つ忘れた。
「……時間、足りないな」
初めて、そんなことを思った。
能力は育てられる。
努力すれば伸ばせる。
でも、一日は二十四時間しかない。
野球も。勉強も。友達も。詩織も。
全部に同じだけ時間を使うことはできない。
それでも。
「全部やる」
俺はまだ、そう思っていた。
全部育てられるはずだと、信じていた。