全国大会。
その言葉は、前世の俺にとってずっと遠いものだった。
高校まで野球を続けた。でも最後の夏も背番号は十八番。ベンチに座って、試合に出る仲間を見ていただけだった。
全国なんて、そのさらに先。
テレビや雑誌の中にある世界だった。
それが今。
「伊織、こっち向いて!」
「父さん、写真はあとでいいって!」
「全国大会なんだからいいだろ!」
「恥ずかしいんだよ!」
九歳の俺は、ユニフォームを着て全国大会の会場に立っている。
人生、何があるか分からない。
◇
「伊織君!」
聞き慣れた声に振り返る。
「詩織?」
「来たよ」
「マジで?」
「全国大会なんだから見たいって言ったら、お父さんたちが連れてきてくれたの」
詩織の隣には俺の両親と、玲の家族もいる。
「頑張ってね」
「おう」
「緊張してる?」
「ちょっとだけ」
「ほんと?」
「……あんまりしてない」
「やっぱり」
詩織が笑う。
「勝てそう?」
「分からない」
「珍しい」
「全国だからな。強い奴ばっかりだろうし」
「でも勝ちたい?」
「もちろん」
「じゃあ応援してる」
「ありがと」
そこで集合の声がかかった。
「行ってくる」
「うん。伊織君」
「ん?」
「楽しんできてね」
「……おう」
勝ってね、じゃなくて。
楽しんできてね。
少しだけ意外だった。
でも、その言葉は不思議と嫌じゃなかった。
◇
開会式。
周りを見れば、各地方を勝ち抜いてきたチームばかり。
「玲」
「なに?」
「全国だぞ」
「うん」
「緊張してる?」
「してない」
「だろうな」
玲は周囲を見回している。
「あ」
「何?」
「あの子大きい」
「……でか」
六年生らしい。
俺たちより頭一つ以上大きい。
「あっちは肩強そう」
「分かるの?」
「投げてる球速い」
「開会式でどこ見てんだよ」
「伊織君は?」
「俺?」
改めて周りを見る。
強そうな奴。
速そうな奴。
身体の大きい奴。
動きの軽い奴。
いっぱい、いる。
「……楽しみ」
「同じ」
「お前のがうつったかも」
「僕の?」
「何でもない」
前世では全国大会を見る側だった。
今は。
戦う側だ。
◇
一回戦。
「先発、水城」
「はい!」
「三番、ショート、成瀬」
「はい!」
四年生二人が、全国大会でもスタメン。
もう、それ自体には驚かなくなった。
「プレイ!」
一回表。
玲の初球。
シュッ!
ブンッ!
「ストライク!」
「……全国でも空振るな」
二球目はファウル。ツーストライク。
三球目はボール。
ワンボール、ツーストライク。
四球目。
高め。
ブンッ!
「ストライク! バッターアウト!」
一人目、三振。
二人目はセカンドゴロ。
三人目にはセンター前へ運ばれたが、四人目をまた三振。
無失点。
「伊織君」
「ん?」
「全国でも三振取れた」
「そりゃ取れるだろ」
「嬉しい」
「知ってる」
玲が笑う。
普通の全国出場チーム相手なら、こいつの球は十分通用する。
◇
一回裏。一死一塁。
俺の全国大会、初打席。
相手投手は六年生。球速は九十キロ台後半くらい。
一球目はストライク。
二球目は外。ワンボール、ワンストライク。
三球目。
真ん中寄り。
「……!」
振る。
カキン!
「センター!」
打球は二遊間を抜けた。
「よし!」
一、二塁。
【全国大会で安打を記録しました】
「……」
全国初打席。
初ヒット。
前世の俺が聞いたら、どんな顔をするだろう。
でも今は、余韻に浸っている場合じゃない。
「成瀬、リード!」
「はい!」
次の打者を見ながら一塁を離れる。
全国でも。
やれる。
◇
三回。
俺の第二打席。
一死二塁。
【チャンス○】
一球目は外。
二球目はファウル。ワンボール、ワンストライク。
三球目。
低め。
「そこ!」
カキン!
センター前。
「回れ!」
二塁走者がホーム。
「セーフ!」
追加点。
試合は三対一で勝利。
俺は三打数二安打、一打点。
玲は六回を投げて被安打四、一失点、九奪三振。
「九個」
「うん」
「全国だぞ?」
「あと一個欲しかった」
「そこ?」
「十個の方がきれい」
「お前らしいよ」
全国初戦。
勝利。
◇
二回戦。
相手も地方大会を勝ち抜いた強豪。
でも、俺たちは勢いに乗っていた。
第一打席、センター前。
第二打席、四球。
第三打席。
一死一塁。
甘く入った球を振り抜く。
カキィン!
「いけ!」
打球はレフトの頭を越え、そのままフェンスの向こうへ消えた。
「ホームラン!」
「よし!」
全国大会での初本塁打。
ベースを回りながら、観客席を見る。
「伊織君!」
詩織が立ち上がっている。
両親も。
思わず少し笑った。
試合は七対二。
俺は四打数三安打、一本塁打、三打点。
玲も五回無失点、八奪三振。
全国ベスト8。
そして次の相手が決まった。
「……」
トーナメント表を見る。
「伊織君」
「うん」
「前にやったところ」
「だな」
あのチーム。
練習試合で一対五。
俺が三打数一安打。
玲が一回一失点。
全国ベスト8だった強豪。
もう一度。
今度は全国大会の本番で戦う。
◇
準々決勝。
相手の六年生エースがマウンドへ上がる。
前に見た時と同じ。
いや。
「……ちょっと速くなってない?」
百キロを超えるストレート。
全国トップクラス。
「伊織君」
「何?」
「楽しそう」
「お前に言われたくない」
「僕も楽しみ」
「知ってる」
俺たちは前にも戦った。
だから分かる。
普通の全国出場チームと、このチームは少し違う。
守備。
走塁。
打球。
全部の精度が高い。
ここからが、本当の全国上位。
◇
一回表。
先発は玲。
先頭打者。
一球目をセンター前。
「いきなりか」
二番は送りバント。一死二塁。
三番。
外野フライ。
二死二塁。
四番。
前に玲から長打を打った選手。
一球目。
ファウル。
二球目はボール。ワンボール、ワンストライク。
三球目。
ストレート。
ブンッ!
「ストライク!」
ワンボール、ツーストライク。
「……!」
玲が少し笑った。
楽しいんだろうな。
四球目。
低め。
ボール。
ツーボール、ツーストライク。
五球目。
高め。
打者が振る。
カキン!
「ショート!」
俺の正面。
「よし!」
捕る。
一塁へ。
「アウト!」
無失点。
「玲!」
「伊織君!」
互いに手を上げる。
前より。
やれてる。
◇
一回裏。
一死走者なし。
俺の第一打席。
六年生エース。
一球目。
シュッ!
「ストライク!」
速い。
でも。
前ほど驚かない。
二球目は外。ワンボール、ワンストライク。
三球目。
内角。
「……!」
振る。
カキン!
ショート正面。
「アウト!」
「くそ」
凡退。
でも。
前みたいに振り遅れて何もできないわけじゃない。
ちゃんと当たる。
次はもっと。
◇
三回。
〇対一。
玲が一点を失っていた。
一死二塁。
俺の第二打席。
【チャンス○】
一球目は外。
二球目はストライク。ワンボール、ワンストライク。
三球目。
真ん中寄り。
「来た!」
振る。
カキィン!
「センター!」
強いライナー。
「抜けろ!」
センターが前へ。
飛ぶ。
「……!」
捕った。
「マジか!」
いい当たり。
普通のチームならヒット。
それをアウトにする。
これが全国上位。
二塁走者も動けない。
「……打っただけじゃ駄目か」
◇
四回表。
〇対二。
玲と相手四番が、また向き合う。
一球目はストライク。
二球目はファウル。ツーストライク。
「追い込んだ」
三球目。
外。
ボール。
ワンボール、ツーストライク。
四球目。
玲が投げる。
少し高い。
でも玲の得意な高さ。
打者が振る。
カキィン!
「……!」
音。
打球は高く上がる。
レフトが下がる。
さらに下がる。
フェンス。
越えた。
「ホームラン……」
玲がマウンドから打球を見送る。
〇対三。
全国トップクラスの打者。
ノビC。
奪三振。
それでも。
甘ければ持っていかれる。
「玲!」
俺がショートから声を出す。
玲がこっちを見る。
「次!」
「……うん!」
玲が笑う。
次の打者。
最後は高めのストレート。
ブンッ!
「ストライク! バッターアウト!」
打たれても。
折れない。
◇
五回裏。
一対三。
一死一塁。
俺の第三打席。
相手エース。
一球目は高め。ボール。
二球目、外角ストライク。ワンボール、ワンストライク。
三球目をファウル。
ワンボール、ツーストライク。
四球目は低め。
見送る。
ツーボール、ツーストライク。
五球目。
内角。
ファウル。
六球目。
外。
ボール。
フルカウント。
「……」
前に戦った時。
最後の打席で、この投手から二塁打を打った。
だから。
打てない相手じゃない。
七球目。
真ん中高め。
「そこ!」
振る。
カキィン!
「……!」
右中間。
外野が追う。
「抜けろ!」
落ちた。
「よし!」
一塁走者は三塁へ。
俺は二塁。
「セーフ!」
【全国トップクラスの投手から長打を記録しました】
二、三塁。
次の四番が外野フライ。
「タッチアップ!」
三塁走者がホーム。
二対三。
一点差。
「まだいける!」
◇
でも六回表。
相手は一死三塁を作り、内野ゴロの間に一点。
二対四。
そして最終回。
六回裏。
二死一塁。
俺の第四打席。
負ければ終わり。
相手エースも、最後まで投げている。
一球目。
外。
ボール。
二球目。
ストライク。
ワンボール、ワンストライク。
三球目は低め。
ボール。
ツーボール、ワンストライク。
四球目をファウル。
ツーボール、ツーストライク。
五球目。
低め。
「……」
見送る。
ボール。
フルカウント。
六球目。
外角。
「……!」
振る。
カキン!
ライト前。
「よし!」
一、二塁。
まだ終わらない。
「繋いだ!」
次の打者。
一球目、ファウル。
二球目、ボール。
三球目。
カキィン!
「いけ!」
センターへ大きな打球。
外野手が下がる。
下がる。
追いつく。
「アウト!」
「ゲームセット!」
「……」
終わった。
二対四。
全国大会。
ベスト8。
◇
「ありがとうございました!」
整列して頭を下げる。
悔しい。
めちゃくちゃ悔しい。
でも、前とは違う。
前回は一対五。
今回は二対四。
俺は四打数二安打。二塁打一本。
玲は五回を投げて四失点、八奪三振。
全国トップクラス。
まだ勝てない。
でも。
前より近い。
◇
試合後。
「成瀬だっけ?」
相手の六年生エースが話しかけてきた。
「はい」
「四年?」
「はい」
「……やっぱマジか」
「?」
「今日、一番嫌だった」
「……!」
「前の練習試合でも思ったけど、二年後ヤバそうだな」
「ありがとうございます」
「またどっかでやれたらいいな」
「はい!」
その横では、相手の四番が玲に話しかけている。
「お前も四年?」
「うん」
「その真っ直ぐ、打ちづらすぎ」
「でもホームラン打った」
「打ったな」
「次は三振取る」
「怖っ」
相手の四番が笑う。
「二年後、また全国来いよ」
「来る」
玲は即答した。
「絶対?」
「絶対」
「じゃあ頑張れよ」
相手選手が俺たち二人を見る。
「怪物二人」
「……」
地区では何度か聞いた。
でも。
全国トップの六年生から言われると、少し意味が違う気がした。
◇
会場を出る。
「伊織君」
詩織が待っていた。
「……負けた」
「見てたよ」
「そっか」
「悔しい?」
「うん」
「すごく?」
「すごく」
詩織が少し考える。
「でも楽しかった?」
「……」
開会式の前に言われた言葉を思い出す。
「楽しかった」
「そっか」
「次は勝ちたいけどな」
「二年後?」
「いや、来年もある」
「そうなの?」
「五年生でも全国来る」
「じゃあまた応援する」
「来るの?」
「伊織君が来たらね」
「……そっか」
「だから頑張って」
「おう」
玲とプロになる約束がある。
全国で勝ちたい。
もっと強くなりたい。
その隣で。
詩織が来年も応援すると言った。
全部。
まだ俺の手の中にあるような気がしていた。
◇
夜。
能力画面を開く。
【成瀬 伊織】
年齢:9歳
【競技カテゴリ:少年】
弾道 3
ミート B75
パワー C67
走力 B71
肩力 B73
守備力 B76
捕球 B70
【投手能力】
球速 81km/h
コントロール B78
スタミナ B71
【特殊能力】
送球○
アベレージヒッター
チャンス○
「……ほとんど変わってない」
全国大会を戦った。
強い投手から打った。
全国トップの守備を見た。
強い打者の打球も受けた。
それでも能力値は、大きくは動かなかった。
でも。
前回は全国上位が、ただ強く見えた。
今回は違う。
何が強いのか。
どこなら戦えるのか。
どこがまだ足りないのか。
少し分かった。
数字が動かなくても、経験は残る。
「次は……」
全国ベスト8。
九歳。
四年生。
初めて自分たちで掴んだ全国大会は、そこで終わった。
でも。
俺たちはもう、全国を遠い世界だとは思っていなかった。
次はもっと上へ。
そう思った。
そして、この全国大会を境に。
俺と玲を見る周囲の目は、さらに大きく変わっていくことになる。