五年生になってから、季節は春から夏へ向かっていた。
俺たちは相変わらず、学校へ行って、野球をして、帰って寝る。
ネットのどこかで自分たちの名前が話題になっていることなんて、もちろん知らない。
俺が気にしているのは、もっと単純なことだった。
「九十二!」
「……よし!」
ブルペン。
スピードガンを持った監督の声に、思わず拳を握る。
九十二キロ。
五年生になったばかりの頃は八十六だった。
フォームを見直し、下半身を鍛え、少しずつ身体も大きくなった。
その結果が、ようやく数字にも出始めている。
【球速が上がりました】
【86km/h → 92km/h】
「六キロ……」
一気に上がったように見える。
でも実際は、何か月も積み重ねた結果だ。
「成瀬、もう一球」
「はい!」
振りかぶる。
踏み込む。
腕を振る。
シュッ!
パシンッ!
「九十一」
「ちょっと落ちた」
「十分だ。今の方が力みも少ない」
「はい」
速い球を投げる。
それだけなら力を込めればいいように思える。
でも実際は逆だった。
余計な力を抜いた方が、身体全体を使える。
前世で何年も野球をやっていたはずなのに。
今になって初めて分かることが、まだまだある。
◇
「次、水城」
「はい!」
玲がマウンドへ上がる。
最近。
こいつが投げる時だけ、監督が少しだけ真剣な顔でスピードガンを見るようになった。
理由は簡単。
「今日こそ百」
玲が呟く。
「また言ってる」
「今日はいける気がする」
「毎回言ってるだろ」
「今日は違う」
「何が?」
「なんとなく」
「一番信用できないやつだ」
玲がセットに入る。
一球目。
シュッ!
バシンッ!
「九十八」
「……」
俺と玲が同時に監督を見る。
「二人ともこっち見るな」
「あと二キロ」
「数字を追うなって言ってるだろ」
「はい」
玲は返事だけはいい。
二球目。
バシンッ!
「九十九」
「……!」
「玲」
「うん」
「力むなよ」
「分かってる」
多分。
今一番力みそうなのは玲だ。
でも。
こいつはこういう時、妙に強い。
◇
三球目。
玲が振りかぶる。
いつもより大きく投げようとした感じはない。
むしろ。
自然だった。
足を上げる。
踏み込む。
腰が回る。
腕が遅れて出てくる。
そして。
シュッ!
次の瞬間。
バァンッ!
「……」
捕手のミットから、今までで一番大きな音がした。
監督がスピードガンを見る。
少しだけ黙る。
「監督?」
「……百」
「……」
「百キロ」
「……出た」
玲が呟く。
次の瞬間。
「伊織君!」
「うおっ!」
玲が俺に飛びついてきた。
「出た!」
「分かった! 重い!」
「百キロ!」
「分かったって!」
めちゃくちゃ嬉しそうだ。
俺も。
悔しいけど。
嬉しい。
【水城玲の解析情報が更新されました】
球速 100km/h
【ストレートの球威が向上しています】
【ノビC】
「五年生で百か……」
以前なら、小学生で百キロなんて聞けばそれだけで驚いた。
でも玲の場合。
これが完成形だとは全然思えない。
むしろ。
始まったばかりに見える。
◇
「水城」
「はい!」
「喜ぶのはいい。でも今日これ以上最高球速狙うのは禁止」
「え」
「え、じゃない」
「百一」
「投げるな」
「一キロだけ」
「駄目」
「じゃあ百・五」
「刻むな」
「監督、こいつ止めてください」
「だから止めてるんだよ」
監督がため息をつく。
「成瀬もだぞ。九十二出たからって九十三狙って余計に投げるな」
「……はい」
「今ちょっと狙ってただろ」
「少し」
「お前も同類だ」
否定できない。
◇
その日の後半は、変化球練習。
俺はストレートと同じ腕の振りで、チェンジアップを投げる。
一球目。
少し抜けすぎる。
「ボール」
「もう一球」
二球目。
今度は腕をしっかり振る。
球速だけが落ちる。
捕手の手前で、わずかに沈む。
「今のいいな」
「ほんとですか?」
「ああ」
何度か繰り返す。
ストレート。
チェンジアップ。
ストレート。
チェンジアップ。
投げ方の違いをできるだけ消す。
そして。
【チェンジアップの熟練度が一定値に達しました】
【チェンジアップ 変化量1 → 2】
「……上がった」
球速だけじゃない。
新しく覚えた球種も、ちゃんと育つ。
【成瀬伊織 投手能力】
球速 92km/h
コントロール A80
スタミナ B75
【変化球】
チェンジアップ 2
「コントロールもA……」
ついに一つ。
投手能力でもAへ届いた。
少年カテゴリでA。
全国でもトップクラスと言える能力。
玲ほど球速はない。
でも。
俺には俺の投げ方がある。
◇
「伊織君」
「ん?」
「今の球、前より遅く見えた」
「チェンジアップだからな」
「曲がった」
「ちょっと落ちるようになった」
「僕もやる」
「お前さっき百出したばっかなんだから休め」
「変化球なら速くない」
「そういう問題じゃない」
「一球だけ」
「監督ー!」
「水城! 今日は終わり!」
「……はい」
めちゃくちゃ残念そうに玲がボールを置く。
「そんな顔するなよ」
「投げたい」
「明日もあるだろ」
「明日まで長い」
「一日だよ」
本当に。
野球に関してだけは、こいつの感覚がおかしい。
◇
週末。
公式戦。
この日は俺が先発だった。
「成瀬、今日は四回まで」
「はい!」
「無理に三振狙うな。お前の強みはコントロールだ」
「はい」
マウンドへ上がる。
玲が先発じゃない試合では、相手ベンチの空気が少し違う。
「今日は水城じゃないぞ!」
「最初から打っていけ!」
「……」
聞こえてますけど。
俺も投手なんだけどな。
ちょっと腹が立つ。
「伊織君!」
ショートに入った玲が声を出す。
「三振取って!」
「監督の話聞いてた!?」
「聞いてた!」
「じゃあ言うな!」
相手ベンチから笑い声が出る。
まあいい。
投げれば分かる。
◇
一回。
先頭打者。
一球目。
外角低め。
「ストライク!」
二球目。
同じところ。
ファウル。
ツーストライク。
三球目。
チェンジアップ。
「……!」
打者のバットが先に出る。
ブンッ!
「ストライク! バッターアウト!」
「よし」
一人目。
三振。
二人目。
ストレートを二球続ける。
ワンボール、ワンストライク。
三球目。
チェンジアップ。
カンッ!
セカンドゴロ。
「アウト!」
三人目。
ストレート。
チェンジアップ。
最後は外角のストレート。
「ストライク! バッターアウト!」
初回。
三者凡退。
二奪三振。
「……普通に抑えられるな」
玲ほど派手じゃない。
百キロも出ない。
でも。
九十二キロ。
コントロールA80。
チェンジアップ2。
これだけあれば。
普通の六年生相手でも十分戦える。
◇
三回。
一死一塁。
相手四番。
一球目はストレート。
ファウル。
二球目はチェンジアップ。
見送られる。
ワンボール、ワンストライク。
三球目。
内角。
カキン!
「ショート!」
玲の正面。
「伊織君!」
捕る。
二塁へ。
「アウト!」
一塁へ。
「アウト!」
ダブルプレー。
「ナイス!」
「伊織君もナイス!」
玲が笑う。
俺が投げて。
玲が守る。
普段とは逆。
でも。
これはこれで楽しい。
◇
四回を投げ終える。
【成瀬伊織 投球結果】
4回
被安打 2
失点 0
与四球 0
奪三振 6
「六個か」
悪くない。
いや。
かなりいい。
「成瀬、ナイスピッチング」
「ありがとうございます!」
「チェンジアップも使えるようになってきたな」
「はい」
「ただ、頼りすぎるなよ。真っ直ぐあっての球だ」
「はい!」
ベンチへ戻る。
「伊織君」
「何?」
「六個」
「取ったな」
「僕なら?」
「張り合うな」
「八個くらい」
「帰れ」
玲が笑う。
腹立つ。
でも多分。
本当にそれくらい取る。
◇
試合は六対〇で勝利。
俺は投手として四回無失点。
打者としても三打数二安打。
帰り道。
「伊織君、今日試合だった?」
詩織が聞いてきた。
「うん」
「勝った?」
「勝った」
「玲君が投げた?」
「今日は俺」
「伊織君?」
「その驚き方やめてくれる?」
「だって最近玲君の話ばっかりだから」
「俺も投げるって」
「どうだった?」
「四回無失点」
「……すごいの?」
「すごい」
「自分で言った」
「今日は言っていい結果だから」
詩織が笑う。
「玲君は?」
「今日じゃないけど、百キロ出した」
「百?」
「うん」
「それは分かる。すごそう」
「俺も九十二」
「じゃあ玲君の方が速い」
「……十歳の女の子に現実突きつけられた」
「でも伊織君も速いんでしょ?」
「速い」
「ならいいじゃん」
「よくない。追いつきたい」
「玲君に?」
「うん」
「勝ちたいの?」
少し考える。
「勝ちたい」
「仲良いのに?」
「仲良いから勝ちたい」
「よく分かんない」
「俺も上手く説明できない」
詩織が首を傾げる。
俺も。
玲に負けたくない。
でも玲には強くなってほしい。
もっと速い球を投げてほしい。
その上で。
いつか俺が打ちたい。
不思議な関係だと思う。
◇
夜。
システムを開く。
【成瀬 伊織】
年齢:10歳
【競技カテゴリ:少年】
弾道 3
ミート B77
パワー B70
走力 B73
肩力 B77
守備力 B79
捕球 B74
【投手能力】
球速 92km/h
コントロール A80
スタミナ B75
【変化球】
チェンジアップ 2
【特殊能力】
送球○
アベレージヒッター
チャンス○
「パワーもBに入ったか」
少しずつ。
確実に上がっている。
そして玲。
【水城玲の解析情報】
年齢:10歳
球速 100km/h
特殊能力 ノビC
特殊能力 奪三振
【変化球】
チェンジアップ 1相当
「百キロ……」
俺との差は八キロ。
追いつけない差じゃない。
今は。
そう思った。
でも。
玲の成長は、ここで止まるわけじゃない。
もちろん。
俺も止まるつもりはなかった。
五年生。
まだ始まったばかり。
俺たちの球は。
ここからもっと速くなる。