転生したら人生がサクセスモードだった   作:ねるすと

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第35話

 成瀬伊織は、昔から少し変わっている。

 藤崎詩織がそれに気づいたのがいつだったのかは、もう覚えていない。

 幼稚園の頃からだった気もする。

 同じ年なのに、時々ずっと年上の人みたいな顔をする。

 みんなが騒いでいる時に一人だけ静かだったり、大人の話を妙に理解していたり。

 でも。

「詩織!」

「遅い」

「まだ約束の時間前だろ」

「三分前」

「じゃあ遅くないじゃん」

「先に来てた方が勝ち」

「何の勝負だよ」

 こうして話していると、普通の男の子にも見える。

 今日は日曜日。

 昨日まで野球の大会だったらしい。

 伊織たちのチームは優勝した。

 だから今日は。

 前から約束していた通り、午後から二人で遊ぶ日だった。

 

◇

 

「何する?」

「詩織が誘ったんだろ」

「伊織君が決めてもいいよ」

「じゃあキャッチボール」

「帰る」

「嘘です」

 詩織が睨むと、伊織が笑った。

「図書館行く?」

「うん」

「そのあと公園?」

「そうしよ」

 並んで歩く。

 伊織はちゃんと来た。

 野球道具も持っていない。

 前に約束を忘れられたことがあるから、少しだけ心配していた。

 でも今日は大丈夫だった。

「昨日勝ったんでしょ?」

「勝った」

「優勝?」

「うん」

「おめでとう」

「ありがと」

「伊織君、ホームラン打った?」

「打った」

「ほんとに?」

「なんで疑うんだよ」

「なんとなく」

「二ラン」

「二ランって?」

「一人ランナーがいる時にホームラン打ったから二点入るやつ」

「へえ」

 伊織は野球の話をするとよく喋る。

 昔からそうだった。

 でも最近は。

 もっとよく喋るようになった気がする。

 

◇

 

 図書館。

 詩織は音楽の本を一冊取った。

 伊織は。

「……」

「また野球?」

「え?」

「その本」

 伊織が持っているのは、投手のフォームについて書かれた本だった。

「面白そうだったから」

「今日くらい野球じゃないの読んだら?」

「じゃあもう一冊借りる」

 そう言って手に取ったのは、身体の動かし方についての本。

「それも野球に使うんでしょ」

「……まあ」

「やっぱり」

 詩織は笑った。

 別に怒ってはいない。

 伊織が野球を好きなのは知っている。

 玲もそう。

 二人とも、本当に野球が好きだ。

 ただ。

「伊織君って、そんなに野球好きだったっけ?」

「好きだったよ」

「幼稚園の時から?」

「……まあ、好きだった」

「ふーん」

 少し間があった。

 また。

 こういう時がある。

 伊織は時々、昔のことを聞くと変な顔をする。

「何?」

「別に」

「変な詩織」

「伊織君に言われたくない」

 

◇

 

 公園へ移動する。

 ベンチに座って、途中で買ったジュースを飲む。

「玲君、百キロ出たんでしょ?」

「百二まで出た」

「百二?」

「昨日」

「また速くなったの?」

「うん」

 伊織の顔が少し変わった。

 嬉しそう。

 でも。

 ちょっと悔しそう。

「伊織君は?」

「九十五」

「七違う」

「そう」

「追いつきたい?」

「もちろん」

 即答。

「玲君、友達なのに?」

「友達だから」

「前も言ってたね」

「そうだっけ」

「言ってた」

 詩織は覚えている。

 玲に勝ちたい。

 でも玲にはもっと強くなってほしい。

 伊織はそういう話をする時、不思議なくらい楽しそうだ。

 詩織には、あまり分からない。

 ピアノの友達が自分より上手になったら。

 嬉しいかもしれない。

 でも悔しい。

 その両方があるのは分かる。

 ただ伊織の場合は。

 玲が強くなるほど、自分も嬉しそうだった。

「玲君のこと好きだね」

「好きだよ」

「即答するんだ」

「友達だし」

「そういう意味じゃないけど」

「じゃあどういう意味?」

「別に」

「なんだよ」

 詩織はジュースを飲んだ。

 自分でも、どういう意味で言ったのか分からなかった。

 

◇

 

「詩織はピアノどうなの?」

「ちゃんとやってるよ」

「今度発表会ある?」

「秋にある」

「へえ」

「来る?」

「……いつ?」

「まだちゃんとは決まってない」

「決まったら教えて」

「野球なかったら?」

「野球あっても時間合えば行く」

「時間合わなかったら?」

「……」

 伊織が困った顔をした。

 詩織は少しだけ笑う。

「意地悪?」

「ちょっと」

「行けるなら行くよ」

「うん」

 それでいい。

 まだ。

 それでいいと思う。

 伊織には野球がある。

 自分にはピアノがある。

 ずっと一緒にいる必要なんてない。

 でも。

 たまには見てほしい。

 自分が伊織の野球の話を聞くみたいに。

 伊織にも、自分のことを見てほしい。

 そんなことを。

 最近少しだけ思うようになった。

 

◇

 

「そういえば」

「ん?」

「伊織君、最近ずっと忙しいよね」

「そう?」

「学校終わったら野球でしょ。休みの日も試合あるし」

「まあ」

「前より遊ばなくなった」

「でも今日遊んでるじゃん」

「今日はね」

「約束も忘れてない」

「今回はね」

「まだ言う?」

 伊織が笑う。

 詩織も笑った。

 でも。

 少し違う。

 約束を守ってくれる。

 遊ぶ時間も作ってくれる。

 ちゃんと話もする。

 だから。

 何も悪くない。

 なのに時々。

 伊織が隣にいるのに、別のところを見ている気がする。

 

◇

 

「……伊織君?」

「ん?」

「何考えてた?」

「え?」

「今」

「別に」

「嘘」

「……昨日の打席」

「やっぱり野球じゃん」

「ごめん」

 伊織が少し申し訳なさそうに笑う。

「昨日、内角の球ホームランにしたんだけど、もうちょっと早く回れたかなって」

「今考えなくてもいいでしょ」

「そうなんだけど」

「今日、野球禁止」

「ええ?」

「あと一時間」

「厳しくない?」

「厳しいです」

「じゃあ何の話する?」

「学校の話とか」

「学校?」

「先生の話とか、クラスの話とか」

「……」

「今つまらなそうな顔した」

「してない」

「した」

「してないって」

 詩織は笑う。

 でも。

 本当に少しだけ。

 寂しかった。

 

◇

 

 昔の伊織も野球が好きだった。

 でも今の伊織は。

 好き、だけじゃないように見える。

 もっと上手くなりたい。

 もっと速く投げたい。

 もっと打ちたい。

 全国で勝ちたい。

 玲に勝ちたい。

 全部。

 全部欲しがっている。

 そして伊織なら。

 本当に全部できてしまいそうに見える。

 だから余計に。

「ねえ、伊織君」

「ん?」

「野球で一番になったらどうするの?」

「一番?」

「全国で優勝したり、玲君より速く投げたり」

「その次?」

「うん」

 伊織が考える。

 少しだけ。

 そして笑った。

「もっと上」

「まだあるの?」

「あるだろ。中学、高校、その先も」

「ずっと?」

「多分」

「ふーん」

 やっぱり。

 終わりがない。

 この人は。

 どこまで行っても、次を探すんだ。

 そんな気がした。

 

◇

 

 夕方。

「そろそろ帰る?」

「うん」

 二人で家へ向かう。

 いつもの道。

 何度も一緒に歩いた道。

「今日は楽しかった?」

 詩織が聞く。

「楽しかったよ」

「ほんと?」

「ほんと」

「野球できなかったのに?」

「俺、野球しか楽しくない人間じゃないぞ」

「そうなの?」

「ひどくない?」

「最近はちょっと怪しい」

「そんなに?」

「うん」

 伊織が困ったように笑った。

「じゃあ気をつける」

「何を?」

「野球ばっかにならないように」

「……できる?」

「できるよ」

 また。

 迷わず言った。

 伊織は、本当にそう思っている。

 野球も。

 勉強も。

 友達も。

 詩織との時間も。

 全部大切にできると思っている。

 詩織も。

 そうだったらいいと思う。

「じゃあ次も遊ぼ」

「おう」

「約束」

「約束」

 指切りなんて、もうしない。

 そんな年齢じゃない気がした。

 だから言葉だけ。

 それでも。

 伊織なら覚えていてくれる。

 今度もきっと。

 

◇

 

「じゃあまた明日」

「また明日」

 家の前で別れる。

 伊織が自分の家へ向かう。

 その背中を見る。

 前より少し大きくなった。

 走るのも速くなった。

 野球も上手くなった。

 知らないところへ、どんどん進んでいる。

「……」

 別に。

 置いていかれているわけじゃない。

 明日になれば、また学校で会う。

 帰り道も一緒になる。

 次の約束もした。

 なのに。

 伊織が遠くへ行ってしまうような気がして。

「変なの」

 詩織は小さく呟いた。

 この時の詩織には。

 その気持ちに名前をつけることは、まだできなかった。

 ただ一つだけ分かっていた。

 成瀬伊織は。

 昔と同じ幼馴染なのに。

 少しずつ。

 自分の知らない伊織になっている。

 

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