夏休みが終わった。
野球では。
相変わらず勝っていた。
玲の球速は125km/h。
俺は111km/h。
打撃。
走塁。
守備。
投球。
どれも。
去年より明らかに強くなっている。
でも。
最近。
俺が気にしているのは。
野球能力だけじゃなかった。
◇
【成瀬 伊織】
年齢:12歳
【人生能力】
学力 B73
運動 A89
容姿 A82
芸術 D48
社交 C67
精神 B78
「……芸術」
D48。
あと2。
能力ランクの基準で言えば。
50まで上がればCになる。
「2ならすぐじゃない?」
野球能力なら。
あと2なんて。
少し経験を積めば届く。
だったら。
人生能力だって。
やればいい。
「芸術って、何すれば上がるんだ?」
音楽。
絵。
楽器。
美術。
思いつくものはいくつもある。
ただ。
俺には。
そのどれも習慣がない。
「……詩織か」
1番近くに。
ピアノをやっている人間がいる。
しかも。
秋には発表会。
「ちょうどいいな」
そう思った。
◇
「詩織」
「何?」
「ピアノ教えて」
「……え?」
放課後。
詩織が固まった。
「急にどうしたの?」
「ちょっと興味出た」
「伊織君が?」
「そんな驚く?」
「驚く」
「即答だな」
「だって伊織君、今までピアノなんて全然興味なかったじゃん」
「だから今から」
「野球は?」
「やる」
「勉強は?」
「やる」
「ピアノも?」
「やる」
「……いつ?」
「時間作る」
詩織が。
少し不思議そうな顔をした。
「本当に?」
「本当に」
「じゃあ……少しだけなら」
「よし」
「何、その反応」
「いや、ありがたい」
「変なの」
◇
その日。
詩織の家で。
初めてまともにピアノの前へ座った。
「まず何すればいい?」
「弾きたいの?」
「うん」
「楽譜読める?」
「授業でやったくらい」
「じゃあそこから」
「もっと早くできるやつない?」
「ないよ」
「野球ならフォーム見て真似するんだけど」
「ピアノを野球で考えないで」
「分かった」
言われるまま。
楽譜を見る。
右手。
左手。
音符。
拍子。
「……難しくない?」
「まだ何もしてないよ」
「見るもの多い」
「伊織君、野球の時はもっと色々見てるでしょ」
「野球は分かるから」
「ピアノも分かるようになればいいの」
「なるほど」
鍵盤を押す。
ぽん。
「それド」
「知ってる」
「じゃあこれは?」
「……ミ?」
「レ」
「似てない?」
「全然」
「厳しいな」
詩織が笑った。
◇
30分後。
「疲れた」
「早い」
「指が変」
「普段使わない動きだから」
「投球より疲れるかもしれない」
「それは絶対嘘」
「精神的に」
「それなら分かる」
ピアノの蓋を閉じる。
その瞬間。
【芸術経験を獲得しました】
「お」
「何?」
「いや」
本当に。
上がる。
やっぱり。
人生能力も。
野球と同じだ。
行動すれば。
経験になる。
「詩織」
「何?」
「また教えて」
「いいけど」
「週1くらい」
「……そんなに?」
「駄目?」
「駄目じゃないけど」
詩織が少し笑う。
「伊織君がそう言うの、なんか変」
「そのうち慣れる」
「ほんとかな」
◇
そこから。
俺は少しずつ。
野球以外にも時間を使うようになった。
学校の勉強。
詩織とのピアノ。
友達との遊び。
クラスで誘われたことにも。
前より断らず参加する。
「成瀬、今日一緒に帰ろうぜ」
「いいよ」
「珍し」
「何が?」
「前なら練習って言ってたじゃん」
「今日は自主練短くする」
「へえ」
サッカー。
鬼ごっこ。
ゲーム。
そんな普通の遊びも。
久しぶりに増えた。
【社交経験を獲得しました】
【運動経験を獲得しました】
「やっぱりな」
行動すれば。
数字は動く。
◇
でも。
当然。
増えないものもあった。
「伊織君」
「何?」
「今日、もう終わり?」
「うん」
玲が。
少し不満そうな顔をする。
「まだ打てるよ」
「俺も打てるけど、今日はここまで」
「どうして?」
「詩織のところ行く」
「ピアノ?」
「うん」
「最近多いね」
「人生能力を――」
言いかけて。
止める。
玲には。
システムのことは言えない。
「何?」
「いや。野球以外もやろうかなって」
「ふーん」
「何だよ」
「別に」
「お前まで詩織みたいな言い方するな」
「でも」
玲がボールを握る。
「僕はもう少し投げる」
「投げすぎんなよ」
「休むのも練習」
「なら休めよ」
「今日はまだ投げてない」
「屁理屈覚えたな」
笑って。
俺は先に帰った。
◇
その日の夜。
少しだけ。
気になった。
いつもなら。
あと50回は振っていた。
守備練習も。
もう少しできた。
「……」
野球能力を開く。
数字は。
下がっていない。
当たり前だ。
1日練習時間を減らしたくらいで。
能力が落ちるわけじゃない。
でも。
「今日の分の経験は入ってないんだよな」
その事実が。
妙に気になった。
◇
翌週。
詩織の家。
「今日は弾く前に聞いて」
「何を?」
「私が弾くから」
「発表会の曲?」
「一部分だけ」
「いいの?」
「ちゃんと感想言ってね」
「……それ試験?」
「そう」
「聞いてない」
「今言った」
「ずるい」
詩織が笑って。
鍵盤に手を置く。
そして。
弾き始めた。
「……」
前なら。
上手い。
すごい。
それしか分からなかった。
でも。
今は。
少しだけ違う。
音が小さくなるところ。
急に強くなるところ。
同じような音が続いているのに。
雰囲気が変わる。
曲が終わる。
「どう?」
「……最初は静かだったけど」
「うん」
「途中からちょっと強くなって……なんていうか」
「うん」
「同じ曲なのに、途中で気持ちが変わる感じした」
詩織が。
少し目を丸くした。
「何?」
「伊織君が感想言ってる」
「失礼だな」
「だって」
「合ってる?」
「うん」
詩織が嬉しそうに笑う。
「前よりずっといい」
「前がひどすぎたんだろ」
「それもある」
「おい」
【芸術経験を獲得しました】
「……」
その表示より。
詩織の顔の方が。
少しだけ。
気になった。
◇
10月。
秋の発表会。
今年も。
俺は客席にいた。
試合とは重ならなかった。
午前に練習。
午後に発表会。
予定通り。
ステージに。
詩織が出てくる。
お辞儀。
椅子へ座る。
演奏が始まった。
去年より。
分かる。
全部じゃない。
曲名を聞いても。
作曲家を聞いても。
詳しいことなんて知らない。
でも。
どこで強く弾いたのか。
どこで静かになったのか。
少なくとも。
前より。
ちゃんと聞けた。
演奏が終わる。
拍手。
俺も。
思い切り手を叩いた。
◇
「伊織君」
発表会の後。
詩織が走ってくる。
「どうだった?」
「良かった」
「それだけ?」
「今年は違う」
「ほんと?」
「途中で1回、すごく静かになるところあっただろ」
「うん」
「そこからまた大きくなるところが好きだった」
「……」
「何?」
「ちゃんと聞いてた」
「だから聞くって言っただろ」
「うん」
詩織が笑う。
去年と。
少し違う笑顔だった。
【芸術経験を獲得しました】
【芸術 D48 → C50】
「……上がった」
「何が?」
「いや」
C。
目標にしていた。
50。
届いた。
「よし」
「何がよしなの?」
「こっちの話」
「変なの」
成功。
ちゃんと。
育った。
◇
帰宅して。
画面を開く。
【成瀬 伊織】
【人生能力】
学力 B74
運動 A89
容姿 A82
芸術 C50
社交 C69
精神 B78
「上がってる」
学力。
芸術。
社交。
少しずつ。
ちゃんと伸びている。
「やっぱできるじゃん」
全部。
育てられる。
その考えが。
さらに強くなった。
ただ。
次に。
野球能力を見る。
【成瀬 伊織】
【投手能力】
球速 114km/h
コントロール A88
スタミナ A85
「114……」
伸びてはいる。
夏の111km/hから。
3km/h。
身体も大きくなっている。
悪くない。
でも。
その日の練習で。
玲は。
「128km/h」
を出していた。
「……また4km/h伸びてんじゃん」
俺が。
ピアノをやって。
勉強して。
友達と遊んでいる間も。
玲は。
野球をしている。
もちろん。
それだけが理由じゃない。
玲は。
元々投手としての才能が高い。
分かっている。
それでも。
「……」
少しだけ。
考えてしまう。
もし。
あの時間も。
全部野球をしていたら。
俺は。
何km/hになっていただろう。
◇
翌日。
「伊織君」
「何?」
「今日投げる?」
玲がボールを見せる。
「投げる」
「何球?」
「今日は最後まで付き合う」
「ピアノは?」
「今日はない」
「友達は?」
「断った」
「勉強は?」
「夜やる」
「忙しいね」
「……そうだな」
そう。
忙しい。
野球。
勉強。
芸術。
友達。
詩織。
全部。
やると決めた。
だったら。
時間を。
上手く使えばいい。
「玲」
「何?」
「今日はお前の球、全部打つ」
「無理」
「言ったな?」
「三振取る」
「やってみろ」
まだ。
俺は思っていた。
時間が足りないなら。
無駄をなくせばいい。
予定を組めばいい。
効率よく動けばいい。
全部を。
取りこぼさなければいい。
それで。
全部育てられる。
そう。
思っていた。