数日後。
「ここ?」
「たぶん」
俺と玲は、公園の奥にある野球グラウンドの前に立っていた。
フェンスの向こうでは、小学生たちが声を出しながらキャッチボールをしている。
白いユニフォーム。
土の匂い。
金属バットの音。
前世では何百回、何千回と見た光景。
なのに。
五歳の身体で見ると、グラウンドがやけに広く感じた。
「すごい」
隣で玲が目を輝かせている。
「みんな野球してる」
「野球チームだからな」
「僕もやりたい」
「だから見に来たんだろ」
「うん!」
玲は今にもフェンスを乗り越えそうな勢いだ。
「勝手に入るなよ」
「なんで?」
「怒られるから」
「そうなの?」
「そうなの」
中身五歳の玲に常識を教える三十八歳。
妙な気分だ。
「伊織君」
後ろから声がした。
振り返る。
詩織だ。
「なんで詩織もいるの?」
「見に来た」
「野球興味ある?」
「伊織君たちが何してるか気になっただけ」
「そっか」
「……来ちゃ駄目だった?」
「いや。全然」
そう答えると、詩織は少し嬉しそうに笑った。
その瞬間。
【藤崎詩織の好感度が少し上がった】
「……」
こういうところで上がるのか。
「伊織君?」
「なんでもない」
そろそろ慣れないといけない。
◇
「おや?」
フェンスの中から声をかけられた。
四十代くらいの男性。
帽子を被り、首にタオルを巻いている。
「君たち、誰かのお兄ちゃんでも見に来たの?」
「違います」
「野球やりたい」
玲が即答する。
「おお、そうか」
男性が笑った。
「何歳?」
「五歳」
「僕も」
「五歳かあ」
少し困った顔。
やっぱり。
普通の少年野球チームなら、小学生からが基本だろう。
「まだ幼稚園?」
「はい」
「うちは基本的には一年生からなんだよ」
予想通り。
玲の顔が一気に曇る。
「できないの?」
「うーん……」
男性が考える。
そこへ別の大人が声をかけてきた。
「監督、キッズの体験に入れてあげればいいんじゃないですか?」
「ああ、そうか」
キッズ?
「最近、低学年の弟妹向けに始めたんだよ。年長さんくらいからなら、遊びながら野球を覚えるクラスがある」
「やる!」
玲が即答する。
「お前、返事早いな」
「伊織君もやるでしょ?」
「もちろん」
断る理由はない。
「じゃあ保護者の人がいる日に改めて来てもらおうか。今日は見学だけでも――」
「監督ー!」
グラウンドから小学生の声。
「ボール足りませーん!」
「はいはい。ちょっと待ってろ」
男性が走っていく。
その背中を見ながら。
俺はグラウンドへ目を向けた。
小学一年。
二年。
三年。
おそらく、その辺りの低学年組。
前世の高校野球と比べれば、もちろんレベルは低い。
でも。
今の俺から見ると。
「……速いな」
キャッチボールの球。
俺より明らかに速い。
身体も大きい。
走るスピードも違う。
当たり前。
俺はまだ五歳だ。
すると。
視界に表示が現れた。
【競技レベルの異なる選手を確認しました】
【参考表示を行いますか?】
「参考表示?」
はい。
意識する。
一人の小学二年生らしき選手へ視線を向ける。
【参考評価】
現在のあなたから見た総合的な競技能力:格上
「……格上」
数字は出ない。
相手の能力まで丸見えにはならないらしい。
でも。
面白い。
今の俺は。
五歳児の中では前世の知識のおかげでそこそこ動ける。
それでも。
二つ三つ年上になるだけで。
普通に負ける。
「伊織君」
「ん?」
「笑ってる」
玲が言った。
「そう?」
「うん」
自分でも気づいていなかった。
でも。
確かに楽しい。
上がいる。
まだ全然届かない相手がいる。
育てる意味がある。
「伊織君、あの子たちより上手くなりたい?」
「なるよ」
「僕も」
玲が当然のように言った。
「じゃあ競争ね」
「何の?」
「先に上手くなる」
「……それ競争になる?」
「なる」
玲は真剣だった。
「僕、伊織君に勝ちたい」
「俺に?」
「うん」
昨日まで。
伊織君みたいになりたい。
そう言っていた奴が。
今日はもう。
勝ちたいと言っている。
「いいよ」
自然と笑った。
「負けないから」
「僕も負けない」
その会話を横で聞いていた詩織が呟く。
「二人とも、すごく楽しそう」
「詩織もやる?」
「私はいい」
即答された。
「でも見てる」
「なんで?」
「……なんでも」
少しだけ顔を逸らす。
五歳児。
分かりやすい。
いや。
俺も人のことは言えないか。
◇
その日は見学だけの予定だった。
だが。
「せっかくだし、少しやってみるか?」
監督が戻ってきて、そんなことを言った。
「やる!」
玲は当然即答。
俺も頷く。
「危ないから硬いボールは使わないぞ」
渡されたのは柔らかいボール。
そして。
「まずはこれな」
地面に置かれたのはティースタンド。
その上にボールが乗せられる。
「打ったことある?」
「ないです」
今世では。
「じゃあ好きに振ってみろ」
バットを受け取る。
軽い子供用。
でも。
五歳の身体には、それなりに重い。
構える。
懐かしい感覚。
前世。
何千回と握ったバット。
でも。
身体は別物。
「いきます」
振った。
ブンッ。
「……」
空振り。
「伊織君外した」
詩織が笑う。
「うるさい」
ボールは止まっている。
なのに当たらない。
頭と身体のずれ。
前世と同じフォームをしようとして、今の身体がついてこない。
「もう一回」
二球目。
今度は大振りしない。
ボールを見る。
軽く。
コン。
当たった。
ボールが数メートル転がる。
「おお、ナイス!」
監督が拍手する。
たったそれだけ。
なのに。
嬉しい。
そして。
【初めて打撃練習を行いました】
【筋力が少し上がった】
【技術が上がった】
【打撃能力の成長が解放されました】
「……来た」
「何が?」
「なんでもない」
ミート。
パワー。
弾道。
今までただ表示されていただけの能力が。
初めて。
育てられるものとして繋がった。
なるほど。
経験自体は自由に振れる。
でも。
競技として何も知らない能力を、いきなり極端に伸ばせるわけではない。
まずは。
実際に経験する必要がある。
俺はまた少し。
このシステムの仕組みを理解した。
「次、僕!」
玲がバットを受け取る。
「玲、ボールよく見ろよ」
「うん」
玲が構える。
初めて持つバット。
当然。
フォームは滅茶苦茶。
そして一球目。
ブンッ。
空振り。
「難しい」
「そりゃそうだ」
二球目。
コン。
「……」
当たった。
三球目。
カンッ。
少し強くなった。
四球目。
カンッ!
明らかに。
俺よりいい打球。
「……おい」
「伊織君」
玲が振り返る。
満面の笑み。
「野球、楽しいね」
「……そうだな」
楽しそうで何よりだ。
ただ。
やっぱり。
こいつ。
ちょっとおかしい。