全国大会、準決勝。
相手は今大会の優勝候補。
試合前のシートノックを見ただけで、今までの相手とは少し違うのが分かった。
「肩強いな」
三上が呟く。
「外野も」
高瀬が続ける。
内野の送球が速い。
外野から返ってくる球も強い。
身体の大きな3年生が多く、打球の音まで違って聞こえた。
そして。
マウンド。
相手の先発投手が投球練習を始める。
バァンッ!
「……速」
表示された数字は。
138km/h。
次。
139km/h。
「本当に140近いな」
俺が言うと、隣の玲は黙ったままマウンドを見ていた。
「玲?」
「何?」
「楽しそう」
「してない」
「してる」
「投げてみたい」
「やっぱりしてるじゃん」
全国準決勝。
ここまで来ても。
玲は玲だった。
◇
「今日も7番ショート、成瀬」
「はい!」
「水城は後ろで準備」
「はい!」
オーダーはこれまでと大きく変わらない。
中心は3年生。
俺はショート。
玲はリリーフ。
榊原さんが全員を集めた。
「相手が強いのは分かってる」
全員が黙って聞く。
「でも、ここまで来た俺らも弱くない」
「はい!」
「最初から名前で負けるな」
「はい!」
最後に。
榊原さんは少し笑った。
「あと2つ。取りに行くぞ」
「はい!」
◇
試合開始。
相手の先発。
初球から137km/h。
2球目、139km/h。
さらに。
130km/h前後から鋭く曲がるスライダー。
120km/h台のカーブ。
球速だけじゃない。
全部の球を。
ちゃんと狙ったところへ投げてくる。
1回。
三者凡退。
2回も。
得点できない。
こちらの3年生エースも粘る。
でも2回裏。
相手の4番が、外角のストレートを逆方向へ弾き返した。
ライトオーバー。
二塁打。
続く5番。
センター前。
ノーアウト1、3塁。
「強いな」
ショートから見ても。
打者が簡単にアウトにならない。
ファウルで粘る。
ボール球は振らない。
甘い球は。
逃さない。
ワンアウト後。
犠牲フライ。
0対1。
さらにツーアウト2塁。
7番打者。
低めの変化球を。
センター前へ運ぶ。
0対2。
全国で。
初めて。
序盤から2点を追う展開になった。
◇
3回表。
俺の第1打席。
ツーアウト、ランナーなし。
マウンドの投手を見る。
大きい。
3年生。
身体が完成に近づいている。
初球。
138km/h。
外角低め。
「ストライク!」
「速い」
でも。
見えないわけじゃない。
2球目。
カーブ。
大きく落ちる。
ボール。
ワンボール、ワンストライク。
3球目。
スライダー。
外へ逃げる。
振らない。
「ボール!」
ツーボール、ワンストライク。
「次、来る」
ストレート。
そう思った。
4球目。
139km/h。
内角。
「っ!」
振る。
カンッ!
ファウル。
「重い」
玲の135km/hとは。
また違う。
球速だけじゃない。
身体の強さが。
そのままボールに乗っている。
5球目。
外角。
スライダー。
見送る。
フルカウント。
6球目。
138km/h。
外角。
「そこ!」
振る。
カキンッ!
打球は。
センター前。
「落ちろ!」
センターが前へ出る。
捕れない。
「ヒット!」
「よし!」
1塁へ。
打てる。
全国トップクラスの3年生でも。
絶対に打てないわけじゃない。
でも。
続く打者が三振。
得点にはならなかった。
◇
3回裏。
先頭打者。
三遊間への強いゴロ。
「っ!」
横へ。
追いつく。
捕る。
踏ん張って1塁へ。
「アウト!」
「ナイス、成瀬!」
「はい!」
次。
セカンドゴロ。
ツーアウト。
「ここ抑えれば」
そう思った。
でも。
相手3番。
初球。
センター前。
4番。
四球。
ツーアウト1、2塁。
そして5番。
甘く入った変化球。
カキィン!
「レフト!」
打球は。
左中間を破った。
2人返る。
0対4。
ベンチから。
監督が出る。
マウンドへ。
3年生エースが。
悔しそうに下を向いた。
「……来る」
玲が。
ベンチで立ち上がる。
「水城!」
「はい!」
「準備しろ!」
「はい!」
ブルペンへ。
玲が走る。
◇
4回表。
0対4。
でも。
まだ終わっていない。
先頭。
橘さん。
相手投手の139km/hを。
ファウル。
次のスライダー。
見送る。
さらに。
カーブも見送る。
そして。
4球目。
137km/h。
センター前。
「よし!」
橘さんが出る。
送りバント。
ワンアウト2塁。
榊原さん。
初球。
ストレート。
ファウル。
2球目。
スライダー。
ボール。
3球目。
カーブ。
見送る。
ツーボール、ワンストライク。
4球目。
138km/h。
外角。
榊原さんが。
逆方向へ振り抜く。
カキィン!
「ライト!」
落ちる。
橘さんが3塁を蹴る。
「セーフ!」
1対4。
「まだ3点!」
榊原さんが1塁から叫ぶ。
「行くぞ!」
「はい!」
ベンチの空気が。
少し戻る。
◇
4回裏。
マウンドへ。
玲が上がった。
全国準決勝。
3点ビハインド。
相手は。
今大会でもトップクラスの打線。
「玲!」
ショートから声を掛ける。
「何?」
「いつも通り!」
「うん!」
榊原さんが。
ミットを構える。
初球。
134km/h。
「ストライク!」
打者は。
見送った。
2球目。
135km/h。
カキンッ!
ファウル。
普通に。
振り遅れない。
3球目。
チェンジアップ。
打者が止まる。
「ボール!」
「見た」
玲の顔が。
少し変わった。
4球目。
外低め。
133km/h。
カキィン!
「センター!」
橘さんが。
前へ出る。
ワンバウンド。
「ヒット!」
先頭出塁。
「玲!」
「大丈夫!」
声は。
いつもと変わらない。
でも。
打たれた。
◇
次の打者。
送りバントの構え。
初球。
玲は。
135km/hを内角へ投げた。
空振り。
「ストライク!」
2球目。
またバント。
今度は。
低め。
転がる。
玲が捕る。
1塁へ。
「アウト!」
ワンアウト2塁。
次。
相手3番。
初球。
133km/h。
ボール。
2球目。
チェンジアップ。
ファウル。
3球目。
135km/h。
高め。
ファウル。
ワンボール、ツーストライク。
「追い込んだ」
玲が。
力を入れようとする。
榊原さんが。
外低めへ構える。
玲が一度息を吐く。
4球目。
132km/h。
外角低め。
打者が。
バットを出す。
カキンッ!
「ライト!」
落ちた。
2塁ランナーが。
3塁を蹴る。
送球。
ホーム。
「セーフ!」
1対5。
玲が。
マウンドで止まった。
◇
「玲!」
声を掛ける。
玲がこちらを見る。
「何?」
「次!」
「……うん!」
中学に入って。
公式戦では。
ほとんど失点していなかった。
135km/h。
チェンジアップ。
少しずつ良くなった制球。
それでも。
全国トップクラスは。
打ってくる。
続く4番。
初球。
135km/h。
ファウル。
2球目。
チェンジアップ。
空振り。
ツーストライク。
「今度こそ」
玲が投げる。
外角。
134km/h。
打者が振る。
カキィン!
「っ!」
強い打球。
三遊間。
「来い!」
飛びつく。
グラブに入る。
「取った!」
起き上がる。
2塁へ。
「アウト!」
1塁。
間に合わない。
ツーアウト1塁。
「ナイス、伊織君!」
「おう!」
5番。
初球。
外角低め。
ゴロ。
セカンド。
「アウト!」
チェンジ。
1失点。
玲が。
ゆっくりベンチへ戻る。
◇
「水城」
「はい」
榊原さんが声を掛ける。
「どうだった?」
「打たれた」
「それだけ?」
「……甘くない球も打たれた」
「そうだ」
玲が。
少し悔しそうに俯く。
「いい球投げれば絶対抑えられると思ってた?」
「……少し」
「全国の上は打つぞ」
「はい」
「だからもっと考える」
「はい」
「もっと投げる」
「はい」
「もっと強くなる」
「……はい!」
玲の顔が。
上がる。
悔しい。
でも。
目は死んでいない。
◇
5回。
6回。
こちらも粘った。
5回に1点。
2対5。
6回。
俺の第3打席。
ワンアウト1塁。
相手投手は。
まだ137km/hを出している。
初球。
スライダー。
ボール。
2球目。
ストレート。
ファウル。
3球目。
カーブ。
見送る。
ツーボール、ワンストライク。
4球目。
138km/h。
内角。
「っ!」
振る。
カキィン!
打球は。
左中間へ。
「抜けろ!」
センターが走る。
レフトも来る。
その間。
落ちた。
「走れ!」
1塁ランナーが3塁へ。
俺は2塁。
二塁打。
ワンアウト2、3塁。
「まだ行ける!」
ベンチが沸く。
続く打者。
内野ゴロ。
3塁ランナーが返る。
3対5。
ツーアウト3塁。
次。
榊原さん。
「……」
俺は3塁から見る。
初球。
139km/h。
ファウル。
2球目。
スライダー。
空振り。
ツーストライク。
3球目。
外角低め。
ストレート。
榊原さんが振る。
カキンッ!
打球は。
ショート正面。
「アウト!」
チェンジ。
3対5。
◇
7回表。
最後の攻撃。
2点差。
先頭。
橘さん。
粘る。
ファウル。
ファウル。
ボール。
そして。
8球目。
四球。
「よし!」
ノーアウト1塁。
次。
送りバント。
ワンアウト2塁。
打席には。
榊原さん。
「榊原さん!」
「お願いします!」
ベンチから声が飛ぶ。
3年生。
最後の夏。
負ければ。
これが。
最後の打席になるかもしれない。
初球。
138km/h。
ファウル。
2球目。
カーブ。
ボール。
3球目。
スライダー。
見送る。
ツーボール、ワンストライク。
4球目。
139km/h。
ファウル。
ツーボール、ツーストライク。
5球目。
外角。
スライダー。
榊原さんが。
バットを出す。
カンッ!
ファウル。
6球目。
高め。
138km/h。
ファウル。
7球目。
カーブ。
ボール。
フルカウント。
「……」
誰も。
声を出さなくなった。
8球目。
相手投手。
投げる。
139km/h。
外角。
榊原さんが。
振る。
カキィン!
「行け!」
打球は。
右中間へ。
センターが走る。
ライトも走る。
「落ちろ!」
飛び込む。
「……」
捕った。
「アウト!」
ツーアウト2塁。
榊原さんが。
一瞬だけ。
空を見た。
◇
次の打者。
内野ゴロ。
「アウト!」
「ゲームセット!」
3対5。
終わった。
「……」
誰も。
すぐには動かなかった。
相手ベンチが。
歓声を上げている。
全国決勝進出。
その反対側で。
俺たちは。
負けた。
◇
整列。
「ありがとうございました!」
頭を下げる。
顔を上げる。
3年生たちが。
泣いている。
三上も。
いつもみたいな声を出さない。
黒田も。
高瀬も。
黙っている。
玲は。
マウンドの方を見ていた。
「玲」
「……」
「帰るぞ」
「うん」
小学生の頃。
全国大会で負けたことはある。
でも。
今回は。
少し違う。
俺たちには。
来年がある。
でも。
榊原さんたちには。
ない。
◇
ベンチ裏。
榊原さんが。
防具を外していた。
「榊原さん」
「ん?」
「……すみません」
「何が?」
「勝てなかった」
「お前が謝ることじゃねえよ」
「でも」
「成瀬」
榊原さんが。
俺を見る。
「今日、お前何安打?」
「2本です」
「守備で何個アウト取った?」
「……」
「水城は?」
「1点取られました」
玲が答える。
「だから?」
「……」
「お前ら1年だぞ」
榊原さんは。
少し笑った。
「十分助けてもらった」
「でも優勝したかったです」
「俺もだよ」
その声だけ。
少し震えた。
「めちゃくちゃしたかった」
「……はい」
「でも負けた」
榊原さんが。
拳を握る。
「だから次は、お前らが勝て」
「……」
「俺らが届かなかったところまで行け」
「はい」
玲が。
真っすぐ答えた。
「行きます」
「早いな」
「全国優勝します」
「言ったな?」
「はい」
榊原さんが笑う。
「じゃあ頼んだ」
◇
少し離れたところで。
橘さんが。
フェンスにもたれていた。
「成瀬」
「はい」
「悔しい?」
「めちゃくちゃ」
「水城は?」
「悔しい」
玲も答える。
「そっか」
橘さんが笑う。
「じゃあ来年、もっと強くなれるね」
「橘さんは来年いますよね」
「いるよ」
「なら一緒に優勝しましょう」
「いいね」
そして。
橘さんは俺を見る。
「成瀬」
「はい」
「今日、一番やりたかったこと何?」
「……」
また。
あの質問。
全部できる人は。
何が一番好きなのか。
「勝ちたかったです」
「うん」
「打ちたかった。守りたかった。投げたかった」
「全部?」
「全部」
「そっか」
橘さんは。
それ以上は言わなかった。
◇
帰宅した夜。
システムを開く。
【全国大会準決勝で敗北しました】
【強敵との対戦経験を大量に獲得しました】
【ミート経験を獲得しました】
【守備経験を獲得しました】
【精神経験を獲得しました】
勝っても。
負けても。
経験は入る。
でも。
「……違うな」
数字が増えたから。
それでいいわけじゃない。
今日は。
勝ちたかった。
システムを閉じる。
机の横には。
全国大会の日程を書いた予定表がある。
準決勝。
その先に。
決勝。
そして。
優勝。
そこまで。
予定を空けていた。
「……空いたな」
決勝の日。
予定が。
空白になった。
いつもなら。
すぐに何かを入れる。
自主練。
勉強。
ピアノ。
何かしら。
成長につながる予定を。
でも。
その日は。
しばらく。
何も書けなかった。
◇
翌日。
3年生最後の練習。
最後に。
榊原さんがキャッチャーミットを持って、玲を呼んだ。
「水城」
「はい」
「最後に投げろ」
「何球?」
「10球」
「全部全力?」
「馬鹿。コース優先」
「はい」
玲がマウンドへ。
榊原さんが座る。
1球目。
外角低め。
ストライク。
2球目。
チェンジアップ。
同じ腕の振り。
ストライク。
3球目。
134km/h。
低め。
「いいぞ」
榊原さんが。
いつものように言う。
10球。
最後。
玲が投げる。
135km/h。
外角低め。
バァンッ!
「ストライク」
榊原さんが立ち上がる。
「それ忘れんなよ」
「はい」
「速いだけで満足すんな」
「はい」
「150出てもだぞ」
「150?」
「例えばの話だ」
「出したい」
「お前なら言うと思ったよ」
榊原さんが笑う。
◇
次に。
俺が呼ばれた。
「成瀬」
「はい」
「ショート」
「はい!」
最後のノック。
三遊間。
捕る。
1塁へ。
「アウト!」
次。
深い位置。
捕る。
投げる。
「アウト!」
最後。
前。
チャージ。
捕る。
投げる。
「アウト!」
「よし!」
榊原さんが声を上げる。
そして。
俺のところまで歩いてきた。
「何でもできるのは武器だ」
「はい」
「だからこそ」
肩を叩かれる。
「周り見ろ」
「……はい」
「お前1人で9人分やる必要はない」
「はい」
「水城にも言っとけ」
「それは別の意味で難しいです」
「だろうな」
2人で笑った。
◇
その日の帰り。
3年生たちは。
もう次の練習には来ない。
俺たちは。
グラウンドの入口で。
頭を下げた。
「ありがとうございました!」
榊原さんが振り返る。
「またな」
「はい!」
それだけ。
その背中が。
少しずつ遠くなる。
中学1年。
最初の全国大会。
結果は。
ベスト4。
小学生の頃なら。
負けだった。
今も。
もちろん負けだ。
でも。
この負けで。
初めて分かった。
中学の全国には。
まだ。
俺たちの知らない強さがある。
だったら。
追いつけばいい。
追いついて。
追い越せばいい。
次は。
俺たちが。
先輩たちの届かなかった場所へ行く。
そうして。
榊原颯真たち3年生の夏は終わり。
俺たちの中学野球は。
次の世代へ。
進み始めた。