全国大会が終わって、数日が経った。
学校は夏休み。シニアも3年生が引退し、次の練習までは少しだけ間が空いている。
全国大会のために空けていた予定も、その分だけ残った。
そんな日の昼前。
「伊織君、今日って空いてる?」
家を出たところで、詩織に声を掛けられた。
「今日?」
「うん。全国、もう終わったんでしょ?」
「……終わった」
「あ、ごめん」
「いや、いいよ」
予定を思い出す。
午前中は自主練。もう終わった。
夜は勉強。
午後は、本来なら全国大会のために空けていた。
「午後なら空いてる」
「本当?」
「うん」
「じゃあ、久しぶりにどこか行かない?」
「いいよ」
詩織が少し嬉しそうに笑った。
◇
午後。
駅前の本屋を見て、そのあと近くの店でかき氷を食べた。
「夏休みっぽい」
詩織がイチゴ味のかき氷を食べながら言う。
「そう?」
「伊織君、最近ずっと野球だったでしょ」
「まあ」
「全国大会、ベスト4だったんだよね?」
「うん」
「すごいじゃん」
「でも負けた」
「……やっぱり悔しい?」
少し考えてから、頷いた。
「悔しい」
「そっか」
詩織は「でもベスト4なら十分だよ」とは言わなかった。
「決勝まで行きたかった?」
「優勝したかった」
「そっか」
「玲も同じこと言ってた」
「玲君なら言いそう」
「全国優勝しますって、もう先輩に宣言してた」
「ふふっ。本当に玲君らしいね」
「俺もするけど」
「伊織君も十分同じだよ」
「そう?」
「うん」
笑われた。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
しばらくして、詩織がストローを弄りながら聞いてきた。
「全国が終わったから、少し暇になる?」
「ならないと思う」
「即答なんだ」
「新チーム始まるし。勉強もあるし、自主練もしたいし」
「ピアノは?」
「やる」
「全部?」
「全部」
またその答え。
詩織は一瞬だけ俺を見て、それから小さく笑った。
「伊織君って、本当に変わらないね」
「そうかな」
「変わってるところもあるけど、そういうところは昔から変わらない」
「褒めてる?」
「半分くらい」
「残り半分は?」
「秘密」
結局、教えてくれなかった。
◇
家へ戻る。
机の上に予定表を広げた。
午前。
自主練。
午後。
詩織。
夜。
勉強。
「綺麗に入ったな」
全国大会で空いた時間も、結局すぐに埋まった。
まだ余裕はある。
少なくとも、俺はそう思っていた。
そして、久しぶりにシステムを細かく確認する。
「全国も終わったし、一回見とくか」
【成瀬 伊織】
年齢:13歳
競技カテゴリ:中学
【野手能力】
弾道 3
ミート C69
パワー C67
走力 C67
肩力 C69
守備力 B72
捕球 C67
【投手能力】
球速 126km/h
コントロール B72
スタミナ B70
【変化球】
チェンジアップ 3
【特殊能力】
送球○
アベレージヒッター
パワーヒッター
チャンス○
盗塁○
対ピンチ○
低め○
リリース○
「おお」
中学入学時と比べれば、かなり伸びている。
ミート、パワー、走力、肩、捕球はまだC。
でも全部、少しずつBへ近づいている。
その中で一足先に抜けているのが、守備力B72。
そして投手能力では、コントロールB72とスタミナB70。
「守備とコントロールか」
自分でも少し意外だった。
打つことも好きだ。
ホームランも打ちたい。
走りたい。
球速だって上げたい。
でも今、一番高く評価されているのはショートの守備と、投手としての制球だった。
全国でも守備はかなり通用した。
投手としてはほとんど出番がなかったけど、能力だけを見るなら十分戦える。
「126か」
玲は135km/h。
まだ9km/h差がある。
画面を切り替える。
【水城玲の解析情報】
年齢:13歳
競技カテゴリ:中学
【投手能力】
球速 135km/h
コントロール C62
スタミナ B70
【変化球】
チェンジアップ 3
【確認済み特殊能力】
奪三振
怪童
リリース○
「コントロール、また上がってる」
中学入学時はD58。
今はC62。
全国では甘くない球まで打たれた。
それでも、玲自身は確実に投手として成長している。
「スタミナは同じか」
球速は9km/h差。
制球は俺の方が10高い。
同じ投手でも、やっぱり全然違う。
次に、人生能力を開く。
【人生能力】
学力 B79
運動 S90
容姿 A84
芸術 C54
社交 B72
精神 B79
「……学力と精神、あと1か」
80になればA。
夏休み。
時間はある。
「両方行けるな」
予定表へ、夏休み中の勉強時間を書き足す。
全国で負けた。
野球も強くなる。
学力も上げる。
精神も上げる。
芸術だって、まだC54。
伸ばせる。
「やること多いな」
でも。
それが楽しかった。
◇
数日後。
新チーム最初の全体練習。
グラウンドへ入った瞬間、やっぱり少し広く感じた。
3年生がいない。
榊原さんも、3年生エースもいない。
いつもいた場所から、まとめて人が消えている。
「変な感じだな」
三上が言う。
「静か」
黒田も周りを見る。
高瀬はキャッチャーミットを弄りながら黙っていた。
俺も同じだった。
つい数日前まで当たり前だったものが、もうない。
「集合!」
監督の声で全員が集まる。
「今日から新チームになる」
前へ呼ばれたのは、橘恭平さんだった。
「新キャプテンは橘」
「はい」
橘さんが一歩前へ出る。
相変わらず、力の抜けた表情をしている。
「一言」
「はい」
少し考えてから、俺たちを見る。
「榊原さんたちの真似をするつもりはないです」
静かな声だった。
「僕らは僕らで、勝てるチームになればいいと思ってます」
そこで少し笑う。
「とりあえず、全国優勝を目標にしましょう」
「はい!」
玲の返事だけが妙に早かった。
「水城、元気だね」
「優勝したいので」
「僕もしたいよ」
「じゃあします」
「簡単に言うなあ」
橘さんが笑う。
新しいチーム。
新しいキャプテン。
同じグラウンドなのに、少しずつ空気が変わっていく。
◇
守備練習のあと。
「高瀬」
「はい!」
「防具つけろ。水城の球を受けてもらう」
「俺がですか?」
「ああ。榊原が抜けた以上、捕手も新しく競争になる。これからは上の投手の球もどんどん受けてもらう」
「……分かりました!」
高瀬の表情が引き締まる。
すぐに防具をつけ、キャッチャーミットを手にブルペンへ向かった。
「水城、入れ」
「はい」
玲がマウンドへ上がる。
高瀬がホーム側で腰を落とした。
「高瀬君」
「何?」
「速いよ」
「知ってるよ! だから最初から全力で投げんなよ!」
「分かった」
そう答えた玲が、初球から思い切り腕を振った。
バァンッ!
「うおっ!」
高瀬のミットがわずかに流れる。
「今の135?」
「多分」
「全然分かってねえじゃねえか!」
「ちゃんと捕った」
「そういう問題じゃねえ!」
三上の笑い声がブルペンの外から聞こえてきた。
それでも数球すると、高瀬も少しずつ玲の球に慣れてきた。
「外」
「うん」
133km/h。
外角へ。
「次、チェンジアップ」
「うん」
同じ腕の振りから速度を落とす。
高瀬がしっかり捕った。
「……これ、打つ側嫌だろうな」
「何が?」
「同じように投げるの」
「伊織君もやるよ」
「成瀬も?」
「うん」
その瞬間。
「成瀬」
監督に呼ばれた。
「はい!」
「次、お前投げろ」
「俺ですか?」
「投手だろ」
「はい」
「だったら投げろ」
ミットを持った高瀬が俺を見る。
「そういや公式戦で全然投げてなかったよな」
「3年生いましたから」
「球速いくつ?」
「今126くらい」
「水城の後だと遅く感じそう」
「おい」
「事実だろ」
「まあ事実だけど」
◇
マウンドへ上がる。
中学の距離にも、もう慣れた。
高瀬が座る。
「とりあえず真っすぐ」
「分かった」
初球。
外角低め。
126km/h。
バァンッ!
「ストライク」
高瀬が少しだけ首を傾げる。
「……」
「何?」
「いや、普通にいい球」
「何だと思ってたんだよ」
「水城の後だから、もっと楽かと思った」
「失礼だな」
2球目。
同じコース。
125km/h。
ストライク。
「次、チェンジアップ」
「うん」
同じところから腕を振る。
チェンジアップが高瀬のミットへ収まった。
「……ああ」
「何?」
「これ嫌だ」
「だから何が」
「真っすぐと途中まで分かんねえ」
もう一度。
ストレート。
次にチェンジアップ。
さらに内角、外角、低め。
高瀬は受けながら少しずつ眉を寄せる。
「水城と全然違うな」
「知ってる」
「水城は構えた瞬間から『速い球来る』って怖い」
「うん」
「成瀬は……何投げてくるか考えるのが嫌」
「褒めてる?」
「多分」
後ろで見ていた監督が口を開いた。
「高瀬。その感覚、覚えとけ」
「はい」
「水城は球そのもので押せる。成瀬はコースと球種を使える」
監督が俺を見る。
「成瀬」
「はい」
「お前、今までは野手の練習を優先してたな」
「はい」
「これからは投手としての調整も増やす」
「……はい!」
「水城1人に全部投げさせるつもりはない」
玲も横で聞いていた。
「先発もですか?」
俺が聞く。
「もちろん考える」
胸が少し高鳴った。
「成瀬」
「はい」
「次の練習試合」
監督が言う。
「お前が先発しろ」
「……はい!」
中学に入って、初めての先発。
「伊織君」
玲がすぐに近づいてくる。
「何?」
「先発いいな」
「お前、この前までずっと投げてただろ」
「リリーフ」
「同じ投手だろ」
「先発したい」
「監督に言え」
「僕の方が9km/h速い」
「今それ関係ある?」
「ある」
「ねえよ」
高瀬がため息をつく。
「お前ら2人とも面倒くせえな」
少し離れたところで、橘さんが笑っていた。
◇
練習後。
予定表を開く。
次の練習試合の日に、新しい文字を書き込む。
『先発』
中学カテゴリ。
球速126km/h。
コントロールB72。
チェンジアップ3。
玲みたいな135km/hはない。
怪童もない。
それでも。
「抑えればいい」
速さだけが投手じゃない。
全国で何度も見た。
球速以外にも、打者を抑える方法はいくらでもある。
だから、まずは今あるものを全部使う。
そして。
それで抑えられるなら。
そこに球速まで加えれば。
「もっと強いよな」
結局、考えることは同じだった。
打つ。
走る。
守る。
投げる。
全部。
育てる。
新チームと一緒に。
俺の中学野球も、また新しい形で始まろうとしていた。