初先発を告げられた日の夜。
俺は机に座って、システムを開いていた。
「先発か」
中学に入ってから、公式戦ではほとんど野手として出てきた。
投手として投げる玲を、ショートから見ることの方がずっと多かった。
今の俺の球速は126km/h。
玲は135km/h。
単純な速さでは、かなり差がある。
「でも、玲と同じ投手になる必要はないんだよな」
全国大会で見た投手たちを思い出す。
140km/h近いストレートを投げる投手。
複数の変化球を使う投手。
球速以上に、制球と配球で打者を抑える投手。
速い球は欲しい。
それは変わらない。
でも今すぐ玲と同じ135km/hを投げられるわけじゃない。
なら。
今持っている126km/hを、もっと強く使えばいい。
◇
システムに残っている育成ポイントを確認する。
中学に入ってから。
打撃。
守備。
投球。
全国大会。
いろいろな経験を積んできた。
でも俺は、使い道を決めきれないポイントをかなり残していた。
理由は単純。
「全部伸ばしたいから、迷うんだよな」
ミートにも使いたい。
パワーにも。
走力にも。
球速にも。
制球にも。
何か1つへ大量に使えば、他が遅れる。
だから貯めていた。
でも。
初先発が決まった今なら、使い道は決まっている。
「よし」
変化球。
技術。
精神。
貯めていたポイントの大半を、投手能力へ振る。
【育成ポイントを使用します】
【チェンジアップ 3 → 4】
さらに。
【チェンジアップ 4 → 5】
「……結構使うな」
残ったポイントを確認する。
まだ少しある。
でも、もう一つ。
欲しいものがあった。
玲の135km/hを見たあと。
俺の126km/hを受けた高瀬は、それでも「打ちにくい」と言った。
ストレートとチェンジアップ。
同じ腕の振り。
球速差。
それを。
もっと武器にする。
【特殊能力《緩急○》を習得しました】
「よし」
残ったポイントは、ほとんどない。
ここまで貯めたものを。
ほぼ全部使った。
少しだけ怖さもある。
でも。
後悔はなかった。
【成瀬 伊織】
【投手能力】
球速 126km/h
コントロール B72
スタミナ B70
【変化球】
チェンジアップ 5
【投手特殊能力】
対ピンチ○
低め○
リリース○
緩急○
「これで、どこまでいけるかな」
球速は変わらない。
126km/h。
でも。
投手としては。
昨日とはかなり違うはずだった。
◇
翌日のブルペン。
「高瀬」
「何?」
「ちょっと受けて」
「先発の調整?」
「うん」
高瀬が防具をつけて座る。
玲も隣で見ていた。
「まず真っすぐ」
「分かった」
外角低め。
126km/h。
バァンッ!
「ストライク」
もう1球。
125km/h。
内角。
「ストライク」
「じゃあ次、チェンジアップ」
「おう」
同じように腕を振る。
指先からボールが抜ける。
ふわっと。
でも、ただ山なりに投げたわけじゃない。
ストレートと同じ軌道に見せながら、途中から一気に速度を失う。
高瀬が捕った。
「……」
「どう?」
「今の何キロ?」
「76くらい」
「は?」
高瀬がミットを下ろした。
「何キロ?」
「76」
「真っすぐ126だよな?」
「うん」
「50km/h違うじゃねえか」
「そうなるな」
「そうなるな、じゃねえよ」
玲が横から口を挟む。
「遅い」
「チェンジアップだからな」
「すごく遅い」
「分かってる」
「僕のストレートより59km/h遅い」
「いちいち計算するな」
高瀬がもう一度座る。
「もう1回」
「チェンジアップ?」
「いや、最初に真っすぐ」
「分かった」
126km/h。
外角。
バァンッ!
「次、同じところ」
「うん」
腕を振る。
76km/h。
高瀬が捕る。
「……これ嫌だな」
「昨日も言ってたぞ」
「昨日より嫌」
「何で?」
「差がでかすぎる」
高瀬がボールを返す。
「76見せられたあとに126来たら、絶対速く感じる」
「それが狙い」
「しかも腕の振りがほとんど同じだろ」
「うん」
「水城と違う意味で、受けてて気持ち悪い」
「褒めてる?」
「めちゃくちゃ褒めてる」
玲だけが。
何も言わずに俺を見ていた。
◇
数日後。
新チームになって最初の練習試合。
「先発、成瀬」
「はい!」
監督に言われて、マウンドへ向かう。
キャッチャーは高瀬。
「緊張してる?」
「少し」
「意外」
「何だよ」
「成瀬って何でも普通にやるから」
「俺だって緊張する」
「じゃあ初球は真ん中?」
「嫌だよ」
「だよな」
高瀬が笑ってホームへ戻る。
相手は地区でもそこそこ強いチーム。
新チーム同士の練習試合とはいえ、上級生もいる。
玲はベンチ。
今日は俺の登板を見るらしい。
「プレイ!」
◇
1回表。
先頭打者。
高瀬が外角低めに構える。
初球。
125km/h。
バァンッ!
「ストライク!」
2球目。
同じ腕の振り。
チェンジアップ。
78km/h。
打者の身体が。
完全に前へ出た。
「っ!」
バットが空を切る。
「ストライク!」
ツーストライク。
打者が少し後ろへ重心を残す。
次は遅い球を警戒している。
「高瀬」
サインを見る。
ストレート。
内角。
頷く。
3球目。
126km/h。
「っ!」
打者が振る。
遅れる。
ファウル。
「やっぱり」
76km/hを見せたあと。
126km/hが。
数字以上に速く見えている。
4球目。
外角低め。
125km/h。
打者が当てる。
弱いゴロ。
「セカンド!」
「アウト!」
ワンアウト。
ベンチから玲が。
じっとマウンドを見ている。
◇
2人目。
初球。
チェンジアップ。
見送られる。
「ストライク!」
76km/h。
今度は最初から入れた。
相手打者が少し驚いた顔をする。
2球目。
126km/h。
外角。
振り遅れてファウル。
「……面白いな」
速くなったわけじゃない。
俺のストレートは。
昨日から1km/hも伸びていない。
それなのに。
打者の反応が違う。
3球目。
チェンジアップ。
今度は見送られた。
「ボール!」
待った。
なら。
次。
内角へ125km/h。
カンッ!
「詰まった!」
ショートゴロ。
アウト。
2人。
どちらも。
まともに芯へ当たっていない。
◇
3番打者。
この打者は少し違った。
初球のストレートを。
センター前へ。
「ヒット!」
初被安打。
高瀬がボールを返す。
「どうする?」
「そのまま」
「了解」
ランナー1塁。
4番。
まず。
外角低め。
126km/h。
ストライク。
2球目。
チェンジアップ。
77km/h。
バットが途中で止まる。
「ボール!」
見た。
3球目。
もう一度チェンジアップ。
今度はストライクゾーンへ。
打者が振る。
カンッ!
タイミングを外した弱いゴロ。
「セカンド!」
2塁。
1塁。
「アウト!」
「アウト!」
ダブルプレー。
3アウト。
初回。
無失点。
◇
「おかしい」
ベンチへ戻ると。
玲がいきなり言った。
「何が?」
「伊織君、126しか出てない」
「しかって言うな」
「でも打たれてない」
「抑えてるからな」
「何で?」
「何でって」
水を飲む。
「打ちにくい球を投げてるから」
「速くないのに?」
「本当に一言多いな、お前」
高瀬が横から笑う。
「水城。成瀬の球、打席で見たら多分思ってるより嫌だぞ」
「そう?」
「76見たあと126来ると速く感じるし、126待ってると76で身体前に出る」
「……」
「あとコースもいい」
玲は黙った。
俺を見る。
「次も見る」
「好きにしろ」
◇
2回。
三者凡退。
3回。
ヒット1本。
四球1つ。
ツーアウト1、2塁。
この日、初めてのピンチ。
「タイム」
高瀬がマウンドへ来る。
「疲れた?」
「まだ全然」
「じゃあ何でさっき抜けた?」
「少し力入った」
「水城みたいなことすんなよ」
「分かってる」
「次、5番」
高瀬が相手ベンチを見る。
「初球から振ってくる」
「うん」
「どうする?」
「遅いのから」
「いきなり?」
「多分、真っすぐ待ってる」
「分かった」
戻る。
5番打者。
初球。
76km/h。
「っ!」
打者が大きく崩される。
「ストライク!」
次。
126km/h。
外角低め。
ファウル。
ツーストライク。
3球目。
またチェンジアップ。
今度はボールゾーンへ。
バットが出る。
「ストライク! バッターアウト!」
三振。
「よし」
無失点。
ベンチへ戻ると、高瀬が俺の肩を叩いた。
「今のは気持ちよかった」
「だろ?」
「完全に遊んでたな」
「人聞き悪い」
「でもそうだろ」
「……ちょっとだけ」
◇
4回。
5回。
球数が増えても。
やることは同じ。
125。
126。
76。
78。
外。
内。
低め。
たまに高め。
速い球だけでは抑えられない。
遅い球だけでも抑えられない。
両方あるから。
両方が生きる。
5回を終えて。
被安打3。
四球1。
失点0。
奪三振4。
◇
6回。
最後のイニング。
先頭を内野ゴロ。
次の打者をチェンジアップで空振り三振。
ツーアウト。
最後の打者。
初球。
76km/h。
見送る。
ボール。
2球目。
125km/h。
ファウル。
3球目。
77km/h。
ファウル。
ワンボール、ツーストライク。
打者は。
もう完全に迷っている。
速いのか。
遅いのか。
高瀬が。
外角低めへ構える。
ストレート。
「よし」
腕を振る。
126km/h。
バァンッ!
「ストライク! バッターアウト!」
6回。
終了。
マウンドを降りる。
◇
「ナイスピッチング!」
「ありがとうございます!」
高瀬と拳を合わせる。
結果は。
6回。
被安打3。
四球1。
失点0。
奪三振5。
派手ではない。
でも。
ほとんど強い打球を打たせなかった。
球速126km/h。
それでも。
抑えられる。
【練習試合で先発登板しました】
【6回無失点を記録しました】
【投球経験を獲得しました】
【制球経験を獲得しました】
【緩急○の実戦経験を獲得しました】
「成瀬」
監督に呼ばれる。
「はい」
「良かった」
「ありがとうございます」
「球速以上に打者が差し込まれてたな」
「チェンジアップが効きました」
「それだけじゃない」
監督が言う。
「コースも使えてる。走者が出ても投球を変えられる。今の時点なら、投手としての完成度はかなり高い」
「……ありがとうございます」
嬉しい。
素直に。
嬉しかった。
◇
「伊織君」
帰り支度をしていると、玲が来た。
「何?」
「僕と投げよう」
「今6回投げたばっかなんだけど」
「明日」
「何で?」
「見たい」
「何を?」
「伊織君がどうやって投げてるか」
「……」
玲がこんなことを言うのは。
珍しい。
いつもなら。
もっと速く投げる。
もっと三振を取る。
そればかりだった。
「今日、どうだった?」
俺が聞く。
「すごかった」
「俺が?」
「うん」
「126しか出てないのに?」
「……」
「言い返してみた」
「性格悪い」
「お前に言われたくない」
玲が少し笑う。
でも。
すぐに真面目な顔へ戻った。
「僕の方が球は速い」
「うん」
「でも、伊織君の方が打者を見てた」
「まあな」
「コースも」
「うん」
「チェンジアップも」
「うん」
「僕もできる?」
「できるんじゃない?」
「……」
「お前135投げるだろ」
「うん」
「そこにコントロールとか、変化球とか、配球まで良くなったら」
考える。
「普通に嫌だな」
「嫌?」
「相手したくない」
玲の目が。
少し輝いた。
「じゃあやる」
「何を?」
「全部」
「おい」
「伊織君ができるなら、僕もやる」
「俺の台詞取るなよ」
「でも僕の方が速い」
「やっぱりそこに戻るのかよ」
◇
その日の練習後。
玲は1人でブルペンへ向かった。
135km/hを投げるためじゃない。
最初に投げたのは。
130km/h。
外角低め。
次も。
同じ場所。
その次はチェンジアップ。
腕の振りを確認する。
もう一度。
外角低め。
「……違う」
玲が首を振る。
そして。
また投げる。
俺が。
126km/hで6回無失点。
それを見た日から。
玲の中で。
何かが変わり始めた。
もっと速く。
それだけだった怪物が。
もっと上手く。
そう考え始めた。
135km/hという武器を持ったまま。
水城玲が。
投手として。
次の段階へ進み始めていた。